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真実の愛、その末路
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アンジェの社交界デビューは十六歳になったばかりの二年前。銀と金、聡明な長女と愛らしい次女。対照的なふたりだったが、それぞれに美しい。社交界の注目を集めた姉妹は、それがゆえに王太子の心変わりから生まれた恋物語もあっという間に広まってしまった。
夜会に出れば、周囲の目も気にせず姉のエスコートを放棄して近寄ってくる。隙を見せれば、人気のないところへ引きずり込まれそうになる。どうにかその場に留まれば、皆が聞き耳を立てているというのに堂々と愛を囁いた。
クリスティナとは政略からなる婚約で、気持ちはない。
愛らしい貴女に傍にいてほしい。
貴女がいれば、どんな重責にも耐えられる気がする。
熱を持った瞳に、王太子が真実の愛を見つけたと皆が噂する。養い親のローレン公爵に相談などできなかった。本当は疎ましく思われているのだと、アンジェにはよくわかっていたから。
アンジェの父親はローレン公爵ではなく、弟のべセル子爵だった。嫡男ではない貴族家の男は、跡継ぎの無い貴族家に婿入りするか、自力で身を立てるしかない。先代のローレン公爵は第二子が生活に困らないよう、公爵家が持っていた子爵位と小さな領地を与えた。それがアンジェの実家であるべセル子爵家だ。
兄弟仲はあまり良くなかったが、べセル家は王都から離れた領地で関わることも少なかったため、それでよかった。子爵夫妻が馬車の事故で亡くなるまでは。
ひとり娘であったことが、まだ良かったのかもしれない。現ローレン公爵には既に嫡男がいたので、男がいては邪魔なだけだ。子爵位はローレン公爵家に戻り、十歳だったアンジェは養女として迎えられた。
緩やかに波打つ金髪と春の新芽に似た明るい緑の瞳。アンジェの外見は、美女と名高かったべセル子爵夫人に生き写しだ。きっと良い家に嫁がせられるという算段が公爵家にはあったのだ。
家族として暖かく、という雰囲気ではなかったが虐げることもなくきちんとした淑女教育を施した。そうしてデビューまでさせてやったというのに、アンジェは長女クリスティナの婚約者の心を奪った。恩を仇で返されたようなものだった。
そうして、一年前。とうとう、あの夜がやってきた。
あろうことか、上位貴族が集まる夜会でアンジェを片腕に抱き、クリスティナに向けて婚約の解消を宣言したのだ。
『クリスティナ。君は確かに美しく聡明だけれど、今は戦争もない平和な時代となった。これからの王妃には、アンジェのように人々の心を柔らかくするような、そんな存在がふさわしいと思うんだよ』
どうして、自分の心変わりをそんな綺麗ごとに仕立て上げられるのか。
しかも、なぜこの場で。いくらでも、方法はあったはずなのに。
その時のことは、今でも忘れられない。アンジェは驚きのあまり声も出ず、あんぐりと口を開けて王太子殿下の横顔を二度見した。クリスティナは常に冷静沈着で『真実の愛』の噂にもまるで動じた様子はなかったが、さすがにこれはあんまりだ。
せめて場所を、と声を上げようとしたアンジェを止めたのは、クリスティナだった。美しい、カーテシーをもって、その場の全員を黙らせた。
クリスティナは間違いなく、誰よりも将来の国母に相応しい淑女だった。
そのクリスティナは、その後すぐに王都を出て辺境伯家に嫁いでいる。王太子の娘への仕打ちに怒りを露わにしたローレン公爵だったが、王家から正式な謝罪もあり溜飲を下げた。ローレン公爵にとってアンジェは娘の華々しい未来を潰した疫病神でしかないだろうが、それでも未だアンジェを公爵家に置いているのは今まで王太子殿下の心がアンジェの元にあったからだ。
だが、今はそれもなくなった。
王太子の二度目の心変わり。ローレン公爵の怒りがどちらに向くかはわからないが、アンジェはもう公爵家に擁護されることはなくなるだろう。
奪ったものは、奪われる。真理よね。
息が詰まる会場の空気から逃れてテラスへと出たアンジェは、ため息をついた。
醜聞塗れとなったアンジェに、今後まともな嫁ぎ先はない。ローレン家の派閥内なら、と考えて思いつくのは老貴族の後妻か豪商といったところか。潤沢な資金を持つ家に売り払われる未来しか浮かばない。
そんな経緯で来た花嫁が、嫁ぎ先で大切にされるわけはない。
冗談じゃない。それならいっそ、修道院にでも行かせてくれないかしら……クリスティナ様はご学友だった辺境伯様と幸せにお過ごしだと聞いた。あとは私が……。
アンジェは確かに義姉の婚約者の心を奪ったのだろう。だからこそ再びの王太子の心変わりは因果応報、致し方ないことだと理解している。しかし、幸せな未来を諦めているわけでもなかった。このテラスに来たのも、ただ逃げて辿り着いただけではない。
夜会に出れば、周囲の目も気にせず姉のエスコートを放棄して近寄ってくる。隙を見せれば、人気のないところへ引きずり込まれそうになる。どうにかその場に留まれば、皆が聞き耳を立てているというのに堂々と愛を囁いた。
クリスティナとは政略からなる婚約で、気持ちはない。
愛らしい貴女に傍にいてほしい。
貴女がいれば、どんな重責にも耐えられる気がする。
熱を持った瞳に、王太子が真実の愛を見つけたと皆が噂する。養い親のローレン公爵に相談などできなかった。本当は疎ましく思われているのだと、アンジェにはよくわかっていたから。
アンジェの父親はローレン公爵ではなく、弟のべセル子爵だった。嫡男ではない貴族家の男は、跡継ぎの無い貴族家に婿入りするか、自力で身を立てるしかない。先代のローレン公爵は第二子が生活に困らないよう、公爵家が持っていた子爵位と小さな領地を与えた。それがアンジェの実家であるべセル子爵家だ。
兄弟仲はあまり良くなかったが、べセル家は王都から離れた領地で関わることも少なかったため、それでよかった。子爵夫妻が馬車の事故で亡くなるまでは。
ひとり娘であったことが、まだ良かったのかもしれない。現ローレン公爵には既に嫡男がいたので、男がいては邪魔なだけだ。子爵位はローレン公爵家に戻り、十歳だったアンジェは養女として迎えられた。
緩やかに波打つ金髪と春の新芽に似た明るい緑の瞳。アンジェの外見は、美女と名高かったべセル子爵夫人に生き写しだ。きっと良い家に嫁がせられるという算段が公爵家にはあったのだ。
家族として暖かく、という雰囲気ではなかったが虐げることもなくきちんとした淑女教育を施した。そうしてデビューまでさせてやったというのに、アンジェは長女クリスティナの婚約者の心を奪った。恩を仇で返されたようなものだった。
そうして、一年前。とうとう、あの夜がやってきた。
あろうことか、上位貴族が集まる夜会でアンジェを片腕に抱き、クリスティナに向けて婚約の解消を宣言したのだ。
『クリスティナ。君は確かに美しく聡明だけれど、今は戦争もない平和な時代となった。これからの王妃には、アンジェのように人々の心を柔らかくするような、そんな存在がふさわしいと思うんだよ』
どうして、自分の心変わりをそんな綺麗ごとに仕立て上げられるのか。
しかも、なぜこの場で。いくらでも、方法はあったはずなのに。
その時のことは、今でも忘れられない。アンジェは驚きのあまり声も出ず、あんぐりと口を開けて王太子殿下の横顔を二度見した。クリスティナは常に冷静沈着で『真実の愛』の噂にもまるで動じた様子はなかったが、さすがにこれはあんまりだ。
せめて場所を、と声を上げようとしたアンジェを止めたのは、クリスティナだった。美しい、カーテシーをもって、その場の全員を黙らせた。
クリスティナは間違いなく、誰よりも将来の国母に相応しい淑女だった。
そのクリスティナは、その後すぐに王都を出て辺境伯家に嫁いでいる。王太子の娘への仕打ちに怒りを露わにしたローレン公爵だったが、王家から正式な謝罪もあり溜飲を下げた。ローレン公爵にとってアンジェは娘の華々しい未来を潰した疫病神でしかないだろうが、それでも未だアンジェを公爵家に置いているのは今まで王太子殿下の心がアンジェの元にあったからだ。
だが、今はそれもなくなった。
王太子の二度目の心変わり。ローレン公爵の怒りがどちらに向くかはわからないが、アンジェはもう公爵家に擁護されることはなくなるだろう。
奪ったものは、奪われる。真理よね。
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