優しさを君の傍に置く

砂原雑音

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夜と、傷と3

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「……あの、さ」



抑々、何のために追って来たんだ。
篤だって、今更気まずい僕を招待なんかしたくなかっただろうに、両親同士の付き合いでそうなっただけだろう。


だったら当たり障りなく、このまま僕が帰ってやり過ごせればよかったはずだ。



「ずっと、避けられてんのはわかってんだけど、一回ちゃんと話したくて……正月にも行ったんだけど」

「……え」



初めて顔を上げた。
漸く動いた足が後ろに一歩ずり下がる。


正月に来た、とは、僕が実家に帰省した日のことだろうか?


いや今は、それよりも……一体今更、何の話をしたいというんだ。
もう関わりなんか持ちたくないだろう、お互いに。


そう思っていたのに、篤はどうやらそうではなかったらしいということに、驚いた。

目が合ってなぜかわからないが篤が安心したような顔をして、僕は反対に眉を顰める。



「……女の格好しとって、安心した」

『お前が、女みたいな顔をするから!』



そう言って僕を罵ったくせに、同じ声と顔で正反対のことを言う。



「俺、お前に謝りたくて」



謝る。
今更?


月日が過ぎたから、今なら謝れる?
僕が女の格好で現れて、もう昔なんて引きずってないと安心したから?
自分は全部忘れて普通に恋愛をして子供作って、幸せな結婚をするから?


だから今更、都合よく謝りたいのか。
今なら謝れそうな、雰囲気だから。



「…………別に、今更」



恐いと感じる場所とは別のところで、怒りの感情が湧き出てくるのがわかる。
ようやく絞り出した声は、擦れて震えていた。


なのに篤は、僕が使った『今更』という言葉をいいように解釈したらしい。



「だよなあ、もう六年も経つし。でも俺としては、ずっと引っかかってて」


ほっとしたような表情を浮かべる、その軽々しい口調にかあっと頭に血が上った。


「その割に……デキ婚って聞いたけど」

「あ、いや。まあ、それはそれで。気になってたのはホントだって」


伝わらない。
結局、こいつにとっては「気になってた」程度のことで、僕がどれだけ引きずったかなんて全く理解してない。


多分、言葉で言っても本当には理解しない。
未だに僕は『普通』のことすらできないことを、知ったところできっと彼は理解しない。


悔しくて目頭が熱くなるのを、こんな奴の前で泣いたりするもんかと、強く唇を噛んだ。
篤は、そんな僕には全く気が付かないらしい。


気恥ずかしそうに何かを言いかけたけれど。



「あの頃さ、俺、ホントはお前が」

「聞かなくていいっすよ」



その全てを遮断するみたいに、後ろから伸びてきた片腕が僕の頭を丸ごと抱き込んで、耳と視界を覆った。


暗闇におびえたのは、最初だけで。
声ですぐに陽介さんだとわかると、途端に体の力が抜けて後ろに凭れ掛かった。



「すみません、遅くなって」



と、至極申し訳なさそうに僕に向かってそう言ったその声は、いつも通りの優しい声なのに。



「謝罪は必要ないって言ったはずだよな?」



塞がれた視界のままで聞いた篤に向けられたその声は、冷ややかに低くて本当に同一人物かと耳を疑った。
感情が読み取れなくて、首を傾けて手の隙間から斜め上を覗く。


まっすぐ前を睨む目は、ぞっとするくらい鋭くて。


静かな低い声は、懸命に怒気を押し殺した末のものだと、表情で気付いた。



「陽介さ……」

「何言われたって、今更許せもしねーのに。なんでお前の罪悪感解消に付き合ってやんねーといけねんだよ」



すっと胸が軽くなって、曇った視界が晴れていくみたいだった。
はっきりと陽介さんの横顔の輪郭が見える。


頭を抱えられたままで篤の顔は見えなかったけれど、酷く狼狽えた声が聞こえた。



「……俺はただ、酷いことしたってずっと思ってたから。謝るくらいさせてくれたって」

「甘いんだよ。本当に悪いと思ってんならこの先もずっと罪悪感抱えてろ。慎さんが優しいからって調子に乗って甘えんなよ」



僕が言えなかったことをそのまま、陽介さんが全部言葉にしていくことに、驚いて目を見開く。



「慎さんが今まで黙ってきたのはお前の為じゃねえ、家族の為だ。お前の立場なんて本当は知ったこっちゃねーんだよ」



澱のように溜まっていた暗くて黒い感情が、彼の手で汲み出されていくのを感じる。


心の中を、陽介さんが全部綺麗にくみ取って、僕の代わりにぶつけていく。


「それを壊されたくなきゃこれからもずっとびくびく生きてろ。今更許してもらってすっきり生きたいなんて都合が良過ぎんだよ」

「これは、俺と真琴の問題だろ! お前に関係な」

「馬鹿か! 関係ねーのはそっちだ。お前の謝罪なんかなくても慎さんのことは俺が」



最初は静かな怒りを湛えていた声が、徐々にヒートアップする。
それを遮るように僕は、陽介さんの腕に後ろから抱えられていた身体を反転させた。



「いいよ、もう。ありがとう」



間近で陽介さんの目を見て言った。


貴方のお陰で僕は、汚い言葉を吐き出さずに、悔しい気持ちも飲み込まずにすんだんだ。


驚いて陽介さんの声が途切れる。
首に腕を絡め、陽介さんを見つめたまま、僕は篤に言った。



「謝ってもらわなくても、大丈夫。僕には、この人がいるから」




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