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《六》
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「腹違いなんて、うそ。本当に妾の子なら、石にかじりついてでも尾上に残ろうとするはずだもの。むしろ嫌気がさしているのは、おおかた自分が千晃様の実の弟か……いえ、双子。それなら、お顔立ちが瓜二つなのも、お名前に同じ一字をもらっていることも理由がつきますもの。そういえば『尾上は外聞を気にする』とは、あなた自身がおっしゃっていたのだし……」
からくり箱のむつかしい一か所が解けると、あとは簡単に開いてしまうように。
わたしの頭のなかではそれが唯一の解であった。
戦後の今ならばいざ知らず、少し昔に双子は『犬腹』と言われて忌避されていた。それを思えば、みえっぱりの尾上がどちらか一方を妾の子として育てさせたのはままあることのように思える。
かくして──
「そもそもこの姿では、あれに似ているかどうかすら考えない人のほうが多いのに……本当に聡い」
男はうなだれ、くぐもる声で低くこたえた。
観念した声だった。
「でもどうして? それならなおさら、後継として財産や会社のひとつでも受け取る権利があるはずなのに……」
「僕はもう、この家とは金輪際関わり合いたくないのです。聡いあなたならその理由もお分かりでしょう……どうかこの件は他言無用にしてください。本当は、誰にも言うつもりはなかったのです」
「……どうかお顔をあげてください」
男が深々と頭を下げている。
本来ならばわたしこそ、この男に頭を下げなければならない立場であった。そして男のいうことが今のわたしには重々理解できる。
「承知いたしました。鷹山の名に誓って、この件は一切他言無用にいたします。……今更、こんな名に誓っても信用に欠けるやも知れませんが」
「充分です」
男は虫かごを取って立ち上がる。窓へと向かい、そのまま虫かごの蓋を開けた。ぶぶ、と羽音をたてて花かまきりがみかん色の空高く飛んでゆく。それをながめる横顔もまたみかん色に染まり、その瞬間、完成された一枚の絵のようだった。
この時間が永遠に続けばいいのにと思うけれど、そんなことはなく、男はふと視線を下げる。忌々しげに眉をひそめて言い放った。
「ああほら……あれが、本邸へ帰ってゆくようですよ。お嬢さんの足袋なんか持って、あきらめの悪い……」
その言葉を聞いた途端、どっと力が抜けた気がした。まだ気を抜いていいわけではないのに、体は正直だった。
「……わたしも、あまり騒ぎになる前に戻ったほうがいいですね」
「ええ。なにがあったか聞かれるでしょうが、迷ったとでも言ってとにかく今日はやり過ごした方がいい。本当のことを言えば、あれはきっと、苦しまぎれの嘘をつきますから」
「はい、わかっています」
立ち上がると片方の足の裏がひやりと冷たい。
足袋が脱げたままだった。すこし間を置いて、男もそれに気づいたらしかった。
自分の足袋を脱いでわたしの足もとへひざまずく。
「こんなものですが、無いよりましでしょう」
言われるがまま足を入れる。
まだあたたかくて、男はひざまずいたままで……さっきも感じたむずがゆい熱が、つま先から上がってくる。
「……おおきすぎるわ」
「かかとを詰めます。肩をつかんでいてください」
裁縫箱を持ち出し、慣れた手つきでかかとが縫われていく。わたしは広い肩に手を置き、上からその姿を眺めていた。
つむじや、やわらかそうな茶色の髪や、耳の裏……
触れてみたい。
触れれば、この先はどうなるの?
「──どうです、歩けますか?」
「はい」
「よかった」
「きっともう、お会いすることはないのですよね……?」
男がはたとわたしを見上げる。
また、困ったように眉を下げて笑った。
「ええ、そうです」
──諦めなければならない。
「……なにからなにまで、本当にお世話になりました。千景さん、どうぞお達者で」
「お嬢さんこそ、どうぞお元気で」
階段を降り、教えてもらったとおりの道を進む。遠いと思った玄関はすぐだった。少しブカブカする足袋の上から下駄を履き、庭へ出て離れの屋根を見上げるが、窓はすでに閉められていてなにも見えない。
それで終わるはずだった。
わたしたちはそれでもう、永遠に会わないはずだった。
からくり箱のむつかしい一か所が解けると、あとは簡単に開いてしまうように。
わたしの頭のなかではそれが唯一の解であった。
戦後の今ならばいざ知らず、少し昔に双子は『犬腹』と言われて忌避されていた。それを思えば、みえっぱりの尾上がどちらか一方を妾の子として育てさせたのはままあることのように思える。
かくして──
「そもそもこの姿では、あれに似ているかどうかすら考えない人のほうが多いのに……本当に聡い」
男はうなだれ、くぐもる声で低くこたえた。
観念した声だった。
「でもどうして? それならなおさら、後継として財産や会社のひとつでも受け取る権利があるはずなのに……」
「僕はもう、この家とは金輪際関わり合いたくないのです。聡いあなたならその理由もお分かりでしょう……どうかこの件は他言無用にしてください。本当は、誰にも言うつもりはなかったのです」
「……どうかお顔をあげてください」
男が深々と頭を下げている。
本来ならばわたしこそ、この男に頭を下げなければならない立場であった。そして男のいうことが今のわたしには重々理解できる。
「承知いたしました。鷹山の名に誓って、この件は一切他言無用にいたします。……今更、こんな名に誓っても信用に欠けるやも知れませんが」
「充分です」
男は虫かごを取って立ち上がる。窓へと向かい、そのまま虫かごの蓋を開けた。ぶぶ、と羽音をたてて花かまきりがみかん色の空高く飛んでゆく。それをながめる横顔もまたみかん色に染まり、その瞬間、完成された一枚の絵のようだった。
この時間が永遠に続けばいいのにと思うけれど、そんなことはなく、男はふと視線を下げる。忌々しげに眉をひそめて言い放った。
「ああほら……あれが、本邸へ帰ってゆくようですよ。お嬢さんの足袋なんか持って、あきらめの悪い……」
その言葉を聞いた途端、どっと力が抜けた気がした。まだ気を抜いていいわけではないのに、体は正直だった。
「……わたしも、あまり騒ぎになる前に戻ったほうがいいですね」
「ええ。なにがあったか聞かれるでしょうが、迷ったとでも言ってとにかく今日はやり過ごした方がいい。本当のことを言えば、あれはきっと、苦しまぎれの嘘をつきますから」
「はい、わかっています」
立ち上がると片方の足の裏がひやりと冷たい。
足袋が脱げたままだった。すこし間を置いて、男もそれに気づいたらしかった。
自分の足袋を脱いでわたしの足もとへひざまずく。
「こんなものですが、無いよりましでしょう」
言われるがまま足を入れる。
まだあたたかくて、男はひざまずいたままで……さっきも感じたむずがゆい熱が、つま先から上がってくる。
「……おおきすぎるわ」
「かかとを詰めます。肩をつかんでいてください」
裁縫箱を持ち出し、慣れた手つきでかかとが縫われていく。わたしは広い肩に手を置き、上からその姿を眺めていた。
つむじや、やわらかそうな茶色の髪や、耳の裏……
触れてみたい。
触れれば、この先はどうなるの?
「──どうです、歩けますか?」
「はい」
「よかった」
「きっともう、お会いすることはないのですよね……?」
男がはたとわたしを見上げる。
また、困ったように眉を下げて笑った。
「ええ、そうです」
──諦めなければならない。
「……なにからなにまで、本当にお世話になりました。千景さん、どうぞお達者で」
「お嬢さんこそ、どうぞお元気で」
階段を降り、教えてもらったとおりの道を進む。遠いと思った玄関はすぐだった。少しブカブカする足袋の上から下駄を履き、庭へ出て離れの屋根を見上げるが、窓はすでに閉められていてなにも見えない。
それで終わるはずだった。
わたしたちはそれでもう、永遠に会わないはずだった。
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