きずもの華族令嬢は初恋の男とクズ夫に復讐する 〜わたしたちは、罪悪です。〜

サバ無欲

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《十二》

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 バケツをひっくり返したような大雨が続いて、近所の川がごうごうとうなりをあげて。氾濫するかもしれないからと、川近くの住民を屋敷に避難させ、使用人総出で風呂や布団を用意していたときだった。

「旦那様のお戻りです!」

 まつのよく通る声に、わたしはいつものとおり出迎えに向かう。ズッズッと足を擦る音も、その晩は雨の音にかき消されて聞こえなかった。

「どなたか、タオルを!」

 まつの声がまた響く。
 男の使用人が、わたしを素通りして玄関へ走っていった。この大雨だ。いくら車で通勤していても出入りだけで濡れてしまったのだろう。気にも止めていなかった。

 ズッズッ、ズッズッ、ズッズッ……ズッ

「……あ……」

 わたしの喉がぎゅうっと締まる。

 玄関にはその人がいた。

 その人は、まるで川に落ちたのかというほどずぶ濡れで、上着もシャツもすでに脱いでいた。旦那様と同じ、精悍な容姿に均整のとれた体。使用人から受けとったタオルで頭や体を拭いているが、まだ肌のそこかしこに水滴がしたたり落ちている。

「ああ奥様! 旦那様ったら、この雨のなかを傘一本で歩いて帰ってきたそうなんですよ!」

 まつが非難がましく大声をあげる。
 なにも、なにひとつ疑っていない。

 だって目の前にいるのは、完璧な────

「今日の運転手の実家が川の近くで、親御さんが取り残されていないか心配していてな。俺は濡れればいいだけだからと、先に帰してしまった」

「それはお優しいことでございますけども、でも、今後はおやめくださいませ。旦那様が事故にでも遭われたら元も子もないんですよ」

「はは、分かったよ。まつさん、悪いがなにか着るものを。風呂は避難者のあとでいい」

「はい、承知いたしました」

 まつと使用人がバタバタと走り去る。
 玄関はふたりきりになって、わたしは少しも動けなかった。穴が開くほどその人を見つめ、その人もまた暗い瞳でわたしをぢっと見返す。

 雨の音も、周りの声も、なにもかもが遠ざかってゆく。
 永遠のような長い一瞬のあと、わたしから口を開いた。

「おかえりなさいませ…………旦那様」

「……うん、ただいま」


 それだけ交わして旦那様がわたしを通り過ぎる。
 それで充分だった。
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