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ゆるし
しおりを挟むサラディーヤは眠っていた。
深く、深く、眠っていた。
ウバドに部屋を追い出され、泣いているところを老侍女が見つけてくれた。そのまま花の匂いのする客室へいざなわれ、事情を伝え、蜜をたっぷりと入れたのだという甘い飲み物をもらって眠った。ウバドの不興を買ってしまったことが、何故だがとても辛くて……眠った。
夢の中で。
サラディーヤはひだまりのような手で、髪を優しく撫でられていた。
「……」
「…………目が……覚めたか……?」
ウバドがいる。
座っている。
あたたかな日差しを浴びた褐色の肌は輝いている。しかしその表情は依然として険しく、サラディーヤの胸はずきずきと痛んだ。苦しくて、なぜ苦しいのか考える間もなくサラディーヤは涙を流す。
「ごめんなさい、ウバドさま」
「いい、いい。謝るな。お前はなにも悪くない。悪いのはすべて俺だ」
「……」
「追い出してすまなかった。許してくれ、さ……サラディーヤ……」
きょとん、と。
サラディーヤはウバドを見た。『うみ』のような目をぱちくりと瞬かせて、ウバドを見た。今まで生きてきた中で、このように真っすぐに謝ってくる男を、サラディーヤは見たことがなかった。
殴る、蹴る、痛いことをする。
それがサラディーヤの知る『男』である。
ところが目の前のウバドときたら、肩を落とし、眉をひそめ、どこか哀愁じみてサラディーヤに許しを乞うているではないか。こんなの知らない。こんなのはまるで、雨に打たれた子犬のようだ。サラディーヤは思わずウバドの手を取ろうとして……
「あ……あれ……?」
「……どうした?」
「手が……」
動かない。
手も、足も、動かない。
かろうじて動くのは顔、そして首……
「あンの婆……!」
「ヒ、い、いやっ!」
サラディーヤは悲鳴を上げる。見る見るうちにウバドの顔が赤く染まり、髪は逆立ち、その様相は鬼と化していた。
「ち、違う! 怒っていない!!」
「おこらないで……!」
もし手足が動いたなら、サラディーヤはぷるぷると震えて部屋の隅まで逃げていただろう。ウバドの声は雷鳴のように大きかった。
ぽろぽろと、涙が流れる。
ウバドは真っ赤なまま、今度はおろおろと落ち着かない。
「ち、違うんだ。本当に……怒ったわけではない……」
「うぇっ……ひく……」
「ああ参ったな……すまない、また大声を……泣くな、泣くなサラディーヤ」
ウバドの太い指は、ごく自然に、サラディーヤの頬に触れようとした。太い眉は下がりに下がり、黒曜石の目は困惑の色をたたえている。
サラディーヤは親を知らないが、その姿はまるで、泣く子をあやす父親のようだった。神殿には時々、そのような父子が礼拝にくることがある。母親は女であるために礼拝を許されず、幼子は母を求めて泣き叫び、父親がそれをなんとかなだめすかすのだ。幼子は総じて泣き止まず、多くの父親は根気強く子を慰めた。
あの幼子たちは……『愛されて』いるのだろうか。
サラディーヤは愛を知らない。愛というのが、どういうものなのか分からない。だから、ウバドが向けてくる視線が、どうしてあの父親たちと似ているのかも分からないでいる。
ただ、彼の指で涙をぬぐってもらうためにまぶたを閉じた。
自然とそうしていた。
だがウバドは一向に触れてこなかった。どうしたのかと目を開けると、太い指は宙に浮いたままぴたりと止まってる。迷いに迷っている目と、『うみ』の目が絡み合った。
「……触れても、いいか……?」
「……」
「サラディーヤ、許しを……お前の涙を拭う許しを、俺に与えてくれ」
許しを乞うのではなく、乞われることなど……はじめてだった。
「……はい……ゆるし、ます……」
ウバドの太い指が、ゆっくりと、サラディーヤに触れる。目を閉じた。彼の指先は震えていて、肌に触れるか触れないかという、ひどく慎重な動きでサラディーヤの下まぶたをぬぐった。
くすぐったい。
サラディーヤが目を開ければ、ふたりの視線は絡み合う。
「……お前の瞳は、『うみ』のようだな……」
サラディーヤは『うみ』を知らない。
けれどもう、それが素敵なものであると勘づいていた。
身体が熱い。
「ぅ、み……?」
「お前の髪は、花の蜜だ。お前の肌は」
昨晩と同じ言葉たちが示すもの……
「真珠……真珠のようだ。お前は……」
それは、賛美であった。
花の蜜も、真珠も、そしてきっと『うみ』も。
この大きくて強くて厳めしい男は、獣のような唸り声で、サラディーヤを……褒めている。
どうして?
身体が、熱くて。
手足が動けばどうしていただろう。少なくとももう逃げはしない。それどころかサラディーヤは、ウバドの真っ赤な頬を包みたくてたまらなかった。大きなウバドの身体の中に身を寄せたくて……たまらない。
どくん、どくん。
「ウバドさま……わたし……」
どくん、どくん、どくんどくんどくん。
「サラディーヤ、お前に触れたい」
「ぁ……」
「痛いことはしない。お前が嫌がることも。だから……もし許されるなら、サラディーヤ……俺の、妻、に……」
サラディーヤは、息が詰まる思いだった。
それなのに、どうしてだか苦しくはない。心地いい。
「はい……ゆるします……」
サラディーヤの唇は震えていた。
その目は涙をたたえていた。それなのに。
「わたしは、ウバドさまの、妻に……」
彼女はうっとりと、自分が微笑んでいると分かった。
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