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第一話 悪役令嬢、目覚めの朝に戸惑う
しおりを挟む私はベッドの上で目を覚ますと、なんとも言えない違和感を抱えていた。
寝台の天蓋から垂れる薄いカーテンは見慣れたものだし、ふかふかの羽毛布団の質感もいつもどおり。でも頭の片隅に、何かモヤがかかったような記憶がチラついている。
一つ大きく息を吐いてから、ゆっくりと身体を起こす。
胸元に手をあててみると、心臓がまだドキドキと騒いでいた。
「……夢?」
思わずそう呟き、首を傾げる。何を見ていたのか、すでにぼんやりとしていて思い出せない。けれど漠然と「ここはゲームの世界」とか「自分は悪役令嬢として婚約破棄される運命」だとか、そんな不吉なワードだけが脳内に渦巻いていた。
私、クリスティーナ・フロレンティア。周囲からは「フロレンティア公爵家の令嬢」とか「高慢ちきなお嬢様」とか、あまり良い噂を耳にしない立場。けれど、当の本人はそんなつもりもないし、高慢ちきになりたいわけでもない。ただ……なんと言うか、人付き合いが下手なのだ。
私は考える。今までは何となく「お嬢様らしく振る舞わねば」と周囲に合わせていただけのはず。だが今朝の謎の夢のせいで、頭が冴えるどころか妙に混乱していた。
夢の内容が私に囁く。「あなたはここで王太子殿下に婚約破棄される運命なのよ」と。
いやいや、ちょっと待ってほしい。もし本当にこれは乙女ゲーム世界だとして、私が悪役令嬢ポジションとして存在しているのだとしたら……。
つまり、ヒロインが王太子殿下と結ばれるための障害役。それが私、クリスティーナということ?
そんな馬鹿なことあるわけない……と一笑に付したい気持ち半分、本当にそんな気がして心臓が冷たくなるのが半分。下手をすれば「婚約破棄」の二文字が容赦なく襲いかかってくる可能性があるだなんて。
「お嬢様、失礼します」
聞き慣れた控えめな声が扉の向こうから聞こえた。私専属の侍女、エミーだ。あたふたと頭を抱えていても仕方がないので、私は慌てて姿勢を正す。
「ええ、入りなさい」
「失礼します。お目覚めになられたのですね。今朝はいつもより早いようですが、お加減はいかがでしょうか?」
「大丈夫よ。少し寝覚めが悪かっただけ」
エミーは心配そうな目をしながら、私の寝間着姿を確認して身支度の準備に取り掛かる。ブラシで髪を丁寧に梳かしながら、彼女は小声で囁いた。
「そういえば、王太子殿下とのご婚約について、学園でもいろいろな噂が流れているようです。今日あたり、なにか動きはあるかもしれませんね」
「そ、そう……」
不安が胸を締めつける。やはり噂になっているのだろう。私とレオナルド・アルベール殿下は幼少のころから将来を約束された仲――いわゆる婚約者同士。その立場は名誉といえば名誉なのだけれど、これが“悪役令嬢フラグ”だというのなら話は別だ。
そして王立学園での生活は、現実といえども私からすると“ゲームの舞台”のような場所。リリア・ベルガモットという平民出身のヒロインが転入してきて、あれよあれよと周囲の男性陣にモテまくり、最終的には王太子殿下と……。
「落ち着いて、クリスティーナ」
自分で自分に言い聞かせる。もしもこれがゲームの運命どおりに進むなら、私がリリアをいじめる悪役として振る舞い、最後は婚約破棄される……。そんなエンドは絶対に嫌だし、そもそも私はリリアをいじめたくなどない。どう考えても心苦しいだけだ。
「エミー、今日はいつもより気合いを入れて支度を頼むわ」
「かしこまりました」
暗い考えを振り切るように、私は大きく背伸びをした。悪役どころか、この世界で普通に生き残りたい。そのためにはまず、落ち着いて状況を把握しよう。
レオナルド殿下が本当に私を捨てる気があるのかどうか。それを確かめるのが最優先だ。もし彼が婚約破棄するつもりなら、その前に何か兆候があるはず――そう自分に言い聞かせて、学園に向かう支度を整えていく。
◇◇◇
学園に到着し、馬車を降りると、ちょうど正門付近で一際目立つ金髪の青年が目に入った。見るからに王家の気品を湛えている、あの姿。そう、レオナルド・アルベール――王太子殿下その人だ。
しかし私が姿を見せるより早く、周囲の女子学生たちがキャーキャーと黄色い声を上げながら彼を取り囲んでいる。王太子ともなれば、その人気ぶりは当然だろう。
けれど、彼は私の姿を見つけると、すぐに笑顔を浮かべて手を振ってくれた。
「クリスティーナ、少し早かったんだね」
柔和な声が、私の耳をくすぐる。優しくて誠実そう……まさに絵に描いたような王子様だ。そして、ゲームの中の“攻略対象”として設定されている人でもある。
「殿下。おはようございます。今日もご機嫌うるわしゅう」
「いつもどおりでいいよ。二人きりの時は固い挨拶はなしだって言ったろう?」
殿下が少しだけ眉尻を下げ、困ったように微笑む。周囲の女子学生たちは少し残念そうな顔をしながら私に道を開けてくれた。
私は胸の内で(い、いかん。こんなに優しくされると、婚約破棄フラグがまるで見えないじゃない……)と焦りつつも、表面上は悪役令嬢らしく高慢な微笑みをつくってしまう。
「では、遠慮なく……。レオナルド、朝からご機嫌よう。今日は特に生徒が多いわね」
「新入生が増えてきているし、春先だからね。ところで、話があるんだ」
ゾッとする。まさか、今ここで“婚約破棄”なんて話を切り出されるのか? 勘弁してほしい。心拍数が一気に跳ね上がる。もしかして、もう私の役目は終わったと思われている――?
「……な、なにかしら」
「あとで昼食の時にでも。学園長から新入生の歓迎パーティーの準備を手伝ってほしいと頼まれたんだ。クリスティーナにも手伝いをお願いしたいらしい」
ああ、そういうこと……。ほっとしたような、拍子抜けしたような気分。それにしても、歓迎パーティーの準備を私に、というのはやや意外だった。誰かもっと社交的な生徒に任せれば良いのに。
「わかったわ。……引き受けましょう。私で良ければ、ね」
「ありがとう。助かるよ。リリア・ベルガモットという新入生がいてね、その子がパーティーの花形となる予定らしい。いろいろなお祝いの役目があるみたいだ」
ぴたり、と私の思考が止まる。リリア――ヒロインの名前が、まさにレオナルドの口から出てきた。
「そ、そう……。そのリリアという子、どんな子なのかしら?」
「会ってみればわかるさ。かなり素直で頑張り屋だと、学園長も言っていた」
出た。これこそヒロイン的な褒め言葉。自然と唇が引きつる。ああ、始まってしまうのだろうか。王太子とリリアとの運命的な出会いが……。
私は動揺を隠すように、つい傲慢な口調になってしまう。
「……貴方がそれほど推すのなら、さぞ愛らしい娘なのでしょうね。楽しみにしておくわ」
「はは、そんなに身構えないで。きっと友達になれるよ」
王子はほんのり微笑んだまま、クラスメイトから呼び止められてそちらへ向かっていった。周囲の視線が冷ややかというか、嫉妬混じりというか、そんな空気をまとって私を遠巻きにしている。
「やれやれ、これじゃあ悪役令嬢って言われても仕方ないかも……」
思わず小声で本音が漏れそうになった。誰も彼もが私を「王太子殿下を独り占めしている高慢な女」と思っているのかもしれない。こうして誤解ばかり積み重なっていくなら、いずれ“悪役”認定されるのも避けられないかもしれないなと自嘲してしまう。
それでも、今は逃げ出さずに立ち向かわなくては。婚約破棄なんてされずに、この世界を無事に生き残るために。
◇◇◇
「それじゃあ手分けして会場の準備をしましょう。クリスティーナさん、私が飾り付けを担当しますので、こちらの方に……」
「ええ、わかったわ」
昼休み、王太子殿下が言っていた歓迎パーティー準備の打ち合わせが始まった。私は集められた数名の生徒の一員として、装飾品やテーブルの配置などを決める係をしている。ここで私と協力することになったのが、学級委員のイレーヌという女子生徒。彼女は生真面目な優等生タイプだ。
「クリスティーナさんって、意外とこういう作業もお好きなんですね」
「そう……かもしれないわ。嫌いではないわね」
実際、細かい飾りをテーブルクロスに合わせて置くのはちょっと楽しい。美的センスを発揮するのは嫌いじゃない。悪役令嬢らしからぬ地味な作業だと言われればそれまでだが、こういうのは誰がやってもいいはずだ。黙々と紙花やリボンを並べていると、自然と雑念が消える。
「私、少し荷物を取りに行ってきます。すぐ戻りますから」
そう言ってイレーヌが部屋を出て行くと、私は一人でホール内の飾り付けを眺める。そこそこいい感じに仕上がりつつある。これなら新入生も喜んでくれるだろう。……リリアのことも、歓迎してあげたい気持ちはある。たとえ“ヒロイン”という運命を背負っていても、彼女が悪いわけじゃない。
「ハロー、クリスティーナ。こんなところで一人とは、珍しいね」
不意に後ろから軽い声が聞こえて、ビクリと肩を震わせる。振り返ると、アベル・オリヴィエがニヤリとした笑みを浮かべて立っていた。彼は第二王子……もしくは別の王族筋、いわゆるサブの王族ポジション。レオナルドとは幼馴染でもあり、私とも昔から面識がある。
「アベル……。なにか用かしら」
「いきなりトゲトゲしいな。手伝いを頼まれたから来ただけさ。もっと歓迎してくれたっていいだろう?」
「……」
私が少しきつい口調になってしまうのは、彼がどこか人をおちょくるように見てくるからだ。まるで「お前、本当は悪役演じてるだけだろ?」とでも言いたげな瞳。
「ところで、リリアがどんな子か知ってるか? 近頃、ちらほら噂で聞くんだけどね。平民出身だけど特待生で、今後王立学園のイベントで大活躍するらしい」
「さあ、よく知らないわ」
本当はゲーム知識で何となくわかっているとはいえ、それを口にするわけにはいかない。私はつれない返事をする。するとアベルはますます面白そうに笑った。
「ふーん。まあいいさ。噂の転入生が“悪役令嬢”をどう思うのか、ちょっと興味があるんだ」
「……私だって別に悪役なんかじゃないわよ」
「そうかな? でも周囲からはそう見えてるみたいだよ」
気に入らない。アベルの言葉は、常に私の心の奥をえぐってくる。だけど反論もできない。私の普段の言動が周りからどう思われているか、薄々わかっているから。
「余計なお世話よ」
私はそっけなく言い放つと、あえて彼と目を合わせずに、飾り付けに視線を戻す。内心では、この状況を何とか改善したいのに、どうすればいいのかわからない。
そして、不意にドアが開き、イレーヌとともに一人の少女が入ってきた。明るい色の髪を揺らしながら、少し控えめな微笑みを浮かべて。
「あの、初めまして。きょうからこちらの準備をお手伝いするように言われて……リリア・ベルガモットと申します」
「……っ」
私はその瞬間、胸がざわついた。可愛らしくて清楚そうな佇まいの少女。平民出身とはいえ、繊細で美しいオーラをまとっている。これが……“ヒロイン”!
「クリスティーナ・フロレンティア、と言います。どうぞ、よろしくね」
「はい、よろしくお願いいたします」
リリアははにかむように笑う。まっすぐな瞳に嘘偽りが感じられない。そんな彼女を前に、私はどうやって“婚約破棄”の未来を回避すればいいのか、いよいよわからなくなった。
これが私の運命を大きく変えていく第一歩になるとは、このときはまだ思いもしなかったのだ。
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