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九十五話〜黄金のジョウロ〜
しおりを挟む一ヶ月半後ーー
「本来ならばこのような事をして頂ける立場でないのにも拘らず、最後までご尽力頂き本当ありがとうございました」
こうして屋敷を訪ねてきて別れの挨拶をするのは彼女で十四人目だ。
あれから順調に愛人達の進路先は決まり、順番に旅立って行く。そして皆、意外と律儀なようでわざわざエレノラに挨拶に来てくれた。
「あの、私が言うべき事ではありませんが……。ユーリウス様とどうか幸せになって下さい」
彼女は無事に嫁ぎ先が見つかった。相手は田舎貴族の子爵家の次男で、歳は十五歳ほど上だ。次男なので家督は継げず、現在は長男の補佐をしている。
エレノラが面談した印象では彼女の希望通り誠実な人柄に思えたが、やはり条件は良くはない。だがドーリスは満足した様子だった。
「ありがとうございます、ドーリス様。お互いに頑張りましょう」
エレノラは必ずこの言葉を彼女達に掛けている。本来ならば幸せを祈っていますと返すべきだが、幸せになれるかどうかは彼女達の努力次第だからだ。何しろ彼女達の人生の本番はこれからなのだから。故に応援する気持ちを込めている。
「はい。では私はこれで失礼致します」
ドーリスは少し驚いたように目を丸くするが、直ぐに笑顔に変わり馬車へと乗り込んだ。
「エレノラ様、本当にありがとうございました! 私、頑張ります!」
更に半月が過ぎた。
今、馬車に乗り込んだ彼女で二十四人目であり最後だ。そして彼女はこれから小さな町で領主の屋敷で働く事となる。
最後の一人を見送り、エレノラは安堵のため息を吐いた。
ユーリウスのお陰でこちらがわざわざ出向く事なく雇用側や嫁ぎ先などの人間達が屋敷を訪ねてきてくれたのでかなり手間が省けたが、それでもかなり大変ではあった。
また修道院は見学に行ったが、割と近かった事と希望者が少なかったので正直助かった。
「エレノラ」
「ユーリウス様⁉︎」
背伸びをしたタイミングで背後から声を掛けられ、思わず飛び退いた。
「いらっしゃったなら、見送ってさしあげたら良かったんじゃないですか」
「いや、皆、私ではなく君に会いに来たんだ。私は不要だ。それに顔を合わせない方がいいだろう、互いのためにな」
凛と佇むユーリウスを見て思う。
この数カ月で随分と変わった。
以前は駄犬だったのに、今はなんというか頼り甲斐すら感じる。
「……フラヴィ様、明日旅立つそうですね」
中々処罰が決まらずにいたが、先日遂に彼女の処遇が決定された。
貴族籍を剥奪され、ど田舎の北東部へと送られる事になった。現地では領主が彼女を監視下におき平民と同じ労働をさせると聞いた。
「ああ、そうらしいな」
「見送りには行かれるんですか?」
「いや、行くつもりはない」
ハッキリと言い切った様子に躊躇いは見られないが、エレノラは眉根を寄せた。
「後悔しませんか?」
正直、会いに行って欲しい訳ではない。
切なげにフラヴィを見送るユーリウスを想像するともやもやしてしまう。
ただきっともう二度と会う事はない。
本心で彼が彼女をどのように思っているかは分からないが、後悔は残して欲しくない。
「しない」
「本当ですか?」
「ああ本当だ」
「でも……」
「私の妻は君だ。他の女性はもう私には必要ない。こんな風に言うと君に怒られそうだが、私は君がいてくれればそれでいいんだ。故に他の女性はどうでもいい」
「ユーリウス様……っ‼︎」
不意に抱き寄せられる。
反射的に身動ぐが、確りと抱き締められており意味をなさない。
エレノラは観念すると、おずおずと彼の背に手を回しその胸に顔を埋めた。
最近はこうやって抱き締められるのは珍しくない。最初の頃は戸惑い拒否をしていたが、回数を重ねるごとに根負けしてしまった。
「そういえば君に贈り物があるんだ」
贈り物と聞いて、エレノラはユーリウスを見上げる。すると目が合った彼は名残惜しそうにしながらも身体を離すと使用人を呼んだ。
「色々と忙しなく渡すのが随分と遅くなってしまったが、受け取って欲しい」
「あ、ありがとうございます……」
程なくして使用人が持ってきた物は、なんと黄金のジョウロだった。
受け取った瞬間、ずっしりと重みを感じる。
流石に持てないほどではないが、見た目以上の重さを感じ驚いた。これは正しく本物だ。
「もしかして、気に入らなかったか⁉︎ 持ち手は金塊になっているが、機能上他の箇所は純金で塗るしかないと言われた故、そのような仕上がりになってしまったんだ……。すまない、やはり全て金塊で作り直させよう」
「え⁉︎」
余りの存在感に圧倒され言葉も出ず呆然としてしまったが、どうやらユーリウスは勘違いをしたようだ。
「私、このジョウロとっ~ても気に入りました! 本当に嬉しいです! この輝きは正に国宝級です! ありがとうございます! 部屋の棚に祀ります!」
慌てて喜んで見せる。
だが「使わないのか?」と不満そうにいわれてしまう。
(いやいやいや‼︎ こんな高価なジョウロで畑に水遣りなんてできる訳ないでしょう⁉︎)
さらりと恐ろしい事をいうユーリウスにエレノラは心の中で突っ込みをいれた。
それから数日後、意外にもクロエからフラヴィの話を聞く事となかった。
「夫から聞いた話だが、先日フラヴィ嬢が輸送される際、随分と大変だったそうだ」
『触らないで‼︎ 離しなさい‼︎ 私はユーリウス様と結婚するの‼︎ ユーリウス様も、私と結婚したいに決まっているの‼︎ だって、本当は私がユーリウス様の妻になる筈だったのっ‼︎』
ドニエ家の屋敷前で護衛と名の衛兵達に囲まれる中、フラヴィは馬車に乗るのを拒否した。だが見送りに出てきた兄に頬を平手打ちされると、今度は地べたに蹲み込みまるで幼児のように大声を上げてわんわんと泣き出したという。目に浮かぶようだ。
「それで仕方がなく衛兵等に荷物のように抱えられ馬車に乗せられたそうだ」
どうやらクロエの夫はアンセイムから話を聞いたそうだが、そうなるとユーリウスもこの話を知っているかも知れない。ただ彼からは何も聞かされていない。少し複雑な気持ちになるが、それよりもーー
「大変だったんですね……」
思わず顔が引き攣った。
これからど田舎で平民として生きて行かなくてはならないが、そんな状態で大丈夫なのだろうかと心配になる。
「一応、伝えておこうと思ってな」
「お気遣いありがとうございます」
正直、他の愛人達の幸せを祈るのと同じようには思えないが、それでも反省をして彼女なりに生きて欲しいとは思っていた。だが話を聞いた限りでは厳しいかも知れない。
「後、フラヴィ嬢や他の愛人達の事は、もうこれで忘れた方がいい」
「それは……」
「これまでの事を考えれば色々と思う事はあるだろう。だが君は自分でユーリウス・ブロンダンの妻である事を決めたんだ。これからは、今の彼と生きて行く事だけを考えるべきだと私は思う」
決していい加減な気持ちで決断した訳ではなかったが、クロエの言葉が重く感じた。
初めはお金のためだけに嫁いできたので、深くは考えていなかった。お金さえ貰えればそれで良かった。
だがこれからは違う。
ユーリウスの妻として生きていくならば、自分も変わらなくてはならないだろう。
「ーーそうですね、そうだと思います」
瞳を伏せ暫し考え込んでいたエレノラは、瞼を開けると真っ直ぐにクロエを見据えて笑った。
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