となりをあるく、れんしゅう ― センパイと歩く僕のことば

水城

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はじめてあるく

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「それで? 今日からやればいいの?」
 榊先輩が立ち上がって、制服を軽く払う。

「えっと……ハイ」
「何時に、どこにいれば?」
「あの、僕、今日は……放課後、図書部の月例会があって、すこし遅くなっちゃうんです。す、すいません、六時頃になるかも……」
 
 いきなり自分から誘ったくせに、すっかり予定を忘れていた。

「だったら、終わるまで図書室で待ってる。それでいい?」
 見下ろす視線で念を押されて、僕はコクリと頷く。
 
「じゃあ、結城。夕方にまた」

 背を向けて、榊先輩が去っていく。
 サァッと渡った風が、先輩の制服のすそを揺らした。

 って……あれ。
 僕、榊先輩に自分の名前って言ったっけ?









 図書部の月例会では、秋の文化祭展示の大まかな方針と、来月に予定されている校内イベント「ビブリオバトル」の進行について話し合った。

 どちらの議題にも、それなりに意見が出て盛り上がる。
 けれど僕は、上の空だった。
 時間が経つにつれ、意識のふわつきは、ますますひどくなっていく。
 
 榊先輩に、なんであんなこと言っちゃったんだろう。

 「放課後、僕と一緒に歩いてください」なんてさ。 
 なんだよ、それ? 自分でもよく分からない。

 ――いや、理由はある。

 噂を、根も葉もない佐野先生との噂を、何とかして消したくて。
 図書室っていう、たったひとつの、自分の居場所を守りたくて。
 それになにより――

 佐野先生を守りたかった。

 「生徒とどうこう」なんて噂。
 学校側が本気にするかは分からない。けど、もし本当に問題にされちゃったら――
 そんなの「先生」にとっては致命的だ。どんな目にあわされるか分からない。
 
 佐野先生は、うまれて初めて詩を見せた人。
 その言葉は、僕の中で一番大切なもので。
 だから誰にも否定されたくなくて、ずっと心の奥に隠して続けていたものだった。

 それを「素敵だ」って認めてくれた初めての人が、佐野先生だった。
 僕のせいで、変な目に合わせるわけにはいかない。絶対に。

 そんなことをグルグルと考えていた時だ。
 裏庭にいる榊先輩の姿を見て、とっさに頭に浮かんだんだ。
 先輩と僕が一緒に歩いているところを、みんなに見られたら――そしたら佐野先生との噂なんか、一瞬で消し飛ぶんじゃないかって。

 そして、気づいたら駆け出してた――
 
「じゃあ、とりあえず今日は、ここまでにしておきましょう」

 図書部顧問でもある佐野先生が、五時五十分ピッタリに声を掛ける。
 図書室は六時で閉室だ。
 月例会の日は、部員みんなで閉室に取り掛かることになっている。

「今日の議事録当番さんは、メモをまとめ終えたら、私と部長に送ってね」
 先生の声を聴きながら、僕たちは部室から図書室へと移動した。

 図書室には、利用者が四人ほどいた。
 ひとりは常連の一年生。
 そして、明らかにイチャつくために来てそうな男女のカップル。
 
 ホントさ。なにしに図書室に来てるんだよ? って感じ。
 別に「図書館デート」自体はいいと思うんだ。ロマンティックだし。
 ただ、そんな……あからさまにベタベタするのは、どうかと思うんだ。
 一応、勉強するか本読んでるかの「フリ」くらいしてほしい。

 そして、残るひとりは――榊先輩だった。

 ちゃんと、来てくれたんだ。

 チラリと見た瞬間に、目と目が合った。
 なぜだか、頬がちょっと熱くなる。

 僕は急いで閉室準備に取り掛かった。







 図書室を閉め終わり、部員たちは一斉に階段を降りていく。
 一階の出入口の傍に、榊先輩が立っていた。

 帰ったはずの先輩がそんなところにいるのは、きっと意外だったのだろう。
 横を通り過ぎる図書部員はみな、ちょっと怪訝な顔をした。

 僕に気づいて、榊先輩が軽く手を挙げる。
 周囲の気配が、かすかに蠢いた。

 僕は無言で先輩に駆け寄った。
 背後で、小さな囁きがさざめくのを感じ取りながら、僕たちは歩き出す。
 
 この時間まで残っている生徒はそう多くない。
 けど、最終下校時間が近いから、表にいる人影はみな、一様にグラウンド脇の道を校門へと向かっていた。

 どういう間合いで歩けばいいのか分からなくて、僕は先輩の半歩後をついていく。
 しばらく歩いたところで、榊先輩が振り返った。

「『一緒に』歩くんだろ? なんで後ろをついてくるんだよ、結城」

 どう答えたらいいんだろう。頭が真っ白になる。 

「え、なんで。どうして榊先輩。僕の名前……知って……」

「図書室には割と行くし。図書部員の名前くらい知ってるけど?」
 軽く右肩をすくめて、榊先輩が答えた。
 
「で、結城はなんで、俺と『一緒に歩きたい』ワケ?」

 サラリと核心に迫られた。

 どうしよう……ちゃんと、理由を言うべきだよな。
 でも、なんて言えばいいんだろう。
 どう説明したら。
 
「あの、本当にいきなり……スイマセンでした。あの、えっと……」

 それきり、言葉が続かない。
 先輩が、溜息とも笑い声ともつかない息を吐いた。
 そして、
「別にいいけどな。どうせ暇だし」と続ける。

 どうせ暇――
 その意味はたぶん、もう部活をしていないからってことだ。

 榊先輩は二年の冬に、フェンシング部を辞めていた。
 身体の故障のせいだと、事情はすぐに広まった。
 顧問からも部員からも、遺留されたと聞いた。せめてキャプテンとして残ってもらえないかと。でも――
「競技もできない人間がキャップとして残るなんてありえない」
 そう言って、あっさり退部してしまったらしい。

「このまま、駅に向かうのでいい?」

 榊先輩に訊ねられ、僕はコクリと頷く。
 
 夏が近づいている。
 まだ日は落ち切っていなかった。
 斜めから差す太陽の光は、やわらかく透明で、景色はひどくみずみずしく見えた。

 カラリと乾いた風の肌触り。
 何もかもが、美しく輝く魔法の時間。
 
 写真を撮りたいな――そう思った瞬間、スマホを取り出していた。
 足を止め、身体をそらして空を仰ぐ。

 数回シャッターを切って我に返ると、榊先輩が腕組みをして僕を見つめていた。

「あ……」

 汗が噴き出して、背中を伝った。
 でも先輩は、ニッと笑って、

「なに撮ったの? よかったら見せてよ」と、僕に手を差し出した。

 断れるわけない。
 カメラロールを表示したままスマホを、先輩へ手渡す。

 先輩は睫毛を伏せて、スマホの画面に視線を落とした。
 
「いい写真撮るんだな。結城って」

 そんなことを言いながら、先輩がさりげなくスクロールを続けているのに気づき、慌ててスマホを取り返す。

「……あんま、いろいろは…見ないでください」

「ああ、悪い」
 サラリと謝って、榊先輩が肩をすくめた。

 癖なんだな、先輩。右肩をすくめるの――
 そんなことが頭をよぎる。

 そして僕と先輩は、また歩き始めた。じきに駅前にたどり着く。

「結城、どっち方向?」
 
 どうやら、僕の家は先輩とは逆方向らしい。

「で? こんなのでよかったワケ? 『一緒に歩く』って」
 
 僕はコクリと頷く。

 今日は時間も遅かったし、さほど多くの生徒に見られたわけじゃない。
 でも、少なくとも図書部員には、待ち合わせをしっかりと目撃された。
 昼にヒソヒソ噂に興じていた子たちにも、ちゃんと見られている――

「明日はどうするの?」

 先輩に問われて、僕はビクッと反応する。

「あす……も、お願いします」

「何時?」

 明日は図書室当番もないし――
「あの……普通に六時間目終わりで、大丈夫です」

 ふうんと、小さく呟いて榊先輩が続けた。
「裏庭で待ち合わせでいい?」

「ハイ」

「分かった、じゃあ」
 先輩が改札に向かっていく。

「あのっ……!」

 背中に呼びかけると、先輩が顎先だけで振り返る。

「今日はホント、ありがとうございました……」

 言って深くお辞儀をした。
 ゆっくりと頭を上げれば、先輩は僕をじっと見つめている。

 こんなことを頼んだ「理由」。ちゃんと説明しなきゃ――
 そう思って、口を開きかけたときだった。

「もうすぐ電車来るから、また明日」
 
 そう言ってふわりと笑うと、先輩は速足でホームへ向かっていった。 

 
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