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where to
しおりを挟む小刻みに震え続けるオレを、隆督が部屋から連れ出す。
ホテルの正面玄関でタクシーに乗せられた。
もちろん、電車で帰るなんて、オレにはとてもムリだった。
タクシー代、金…サイフ。
かろうじて思いつくけど、フワンと頭の中を漂うだけで。
隆督が運転手に行き先を指示している。
景色が動く。窓の外。
午後遅くの光――
呆然と視線をさまよわせるだけのオレの肩を、そっと支え続けていたのは。
隆督の掌、指。
ピアノを弾く、指。ベートーベンの――悲愴。
たどり着いたのは、隆督の家だった。
公園と反対側の、正面玄関。アホみたいに立派な門構え。
隆督が支払いを済ませる。
あのホテルは、ここからそう遠くない場所とはいえ、それなりに運賃はかかったはずだ。
隆督がサイフを開いたときに、ちらりと中身が視界に入った。
そこそこの紙幣が入っていた。
意外な気がした。スマホ決済派だと思ってたし。
車を降りる。
オレはといえば、門の柱に寄り掛かって、何とか立っている状態で。
隆督がインターフォンのボタンを押した。
「佐竹さん、スイマセン。正面……開けてくださいますか」
――あら、坊ちゃん。そちらからお帰りですか?
カサカサしたスピーカー越しの音。落ち着いた優しい女性の声。
――ハイハイ、ちょっと待ってくださいね。今行きますよ。
「旗手さん、家に着きましたから。いま、佐竹さんがここ、開けてくれますから。もうすこし、もうちょっとだけ頑張って」
隆督が、オレの腕を支えてくれる。
急に自分の感覚の一部が戻ってきて、オレはグワンと泣きそうになる。
「おかえりなさいませ。あら? お客様ですか、坊ちゃん」
門扉の閂が外される。
隆督が扉を開けるのを手伝っている。
「あ、このひとは、僕が色々お世話になってる……市立図書館のかたです、旗手さんっていいます」
挨拶……。
そう思ったが、隆督という支えを無くしたオレは、グラリ、バランスを崩してふらついてしまう。
「あらあらあら」
おっとりと、佐竹さんの驚きの声。
「旗手さん、ちょっと具合が悪くて」
隆督が、オレの腕を支える。
「あらまあ、たしかにひどい顔色。大丈夫ですか、先生の往診頼みましょうか」
飛び石をたどって母屋へと向かう途中、佐竹さんが隆督に問いかける。
「ありがとう、でも往診は結構です。それに佐竹さん、もう帰る時間ですよね」
「でも、坊ちゃん……」
玄関に入る。
ひんやりと、薄暗くて静かで、ひどく心地いい。
オレは倒れるようにして、上がり框にへたり込む。
一度、きつく瞼を閉じてから、オレは目を開けた。
それから佐竹さんを見上げて、
「すいませ、ん…いきなり、ご迷惑をおかけして」と、かろうじて言う。
「少し…休ませてもらえれば、大丈夫です…から……」
本当に、先生呼ばなくていいんですか? 坊ちゃん……などと。
佐竹さんが、しつこく隆督に確認する。
けれど最後に、
「大丈夫です。佐竹さん」と、キッパリ告げた隆督の声に、ようやく納得をした。
オレたちは奥へと――何度か来たことがあるダイニングの部屋へと向かう。
テーブルには食事の支度が出来ていた。
「坊ちゃんのお夕食は、いつもどおり準備してあります。足りなかったら
冷蔵庫にもおかずを作ってありますからね」
「ありがとうございます」
隆督が、オレを椅子に座らせながら応じる。
佐竹さんは公園に面した方の通用口から出ていこうとしていたが、まだすこし後ろ髪を引かれるような風情だった。
佐竹さんを送り出すようにして、隆督がその後ろをついていく。
「ああ、そうだ……坊ちゃん。こないだ『ドーナツが食べたい』っておっしゃってたので、戸棚の二段目に買っておいてありますから」
ドーナツ――?
隆督が佐竹さんに礼を言う声が聴こえる。
「買ってきてほしいものをおっしゃるなんてねぇ……初めてだから」
なにか食べたいお料理あったら、言ってくださればお作りしますから。
よく考えたら……ほら、とんかつとか、ハンバーグとか、そういうものも召し上がりたいんじゃないですかねぇ、坊ちゃんも。
ありがとうございます。でも佐竹さんの作る料理は、何でもおいしいですから――
とかなんとか、隆督が応じる……声。
遠くでドアが閉まる。
足音が、戻ってくる。
「はたてさん……っ」
駆け寄ってくる。隆督が。
「お水、飲めますか? 傷は…冷やした方がいいかな……」
また、キッチンの方へと向おうとする隆督。
オレはそのシャツへと、引き止めるみたいに指を伸ばした。
「痛いですか、キツイですか、お医者様、やっぱり呼びますか。前に……旗手さん、救急車とかいろいろ、すごくイヤがってたから……だから、佐竹さんを止めたんですけど、でも」
ね、とりあえずお水飲んで、傷を冷やしましょう――
言いながらオレの髪を撫でて、隆督が立ち上がる。
タオルと氷と、麦茶のグラス。
隆督が、オレのシャツをそっと脱がせていく。
「っ…ひど……」
隆督が言葉を詰まらせ、息を震えさせた。
「……心配ないっ、て…みためほどは、ヒドく…ない」
そう言って、オレは隆督へと指を伸ばし、そっと髪を撫でる。
「あれでミツは……加減してる、ギリギリ、殺さない…ぐらいには」
精一杯の冗談のつもり。
けど隆督には、イマイチ通じていないようだった。
隆督が、氷水に浸したタオルをオレのあばらに押し当てる。
今日、ミツに蹴り飛ばされた脇の下あたりに――
「顔とかはぶたないで……こんな、服で隠れるところばっかりに、ひどい傷を負わせて……」
「『見えるとこ』にあったら……さすがにシゴト、行けない…からな」
懸命にちゃかしてごまかすオレのくちびるに、隆督が麦茶のグラスを押し当てる。
ゴクリと、ひとくち飲み下せば、喉の渇きを思い出して。
オレは麦茶を飲み干した。
「ねえ、旗手さん」
隆督が、オレの目を見る。
瞳の奥を。
「はたてさんは…『これ』が好きなの? うれしかったの? 気持ちがよかった? あの人に『こう』されて、幸せなの?」
「たか、ま…さ」
「旗手さんが望んでるなら、本当は望んでるんなら……ぼくが、僕がとやかく言うことじゃないです。こんなのは……余計なお世話だったって思います、でも、違うんでしょ? イヤなんでしょう? ずっと言ってたのは、あれはセイフワードなんでしょう?」
嗚咽が、こみあげてくる。みぞおちから。
それを必死に、噛み殺そうとして、失敗して――
「Shhh……Shhh……」と。
commandというよりは、ただ優しく宥めるように隆督が口にする。
そしてそっとそっと、オレの背中をさする掌。
解けるような安堵と心地よさ。
身体がビクンと痙攣した。
ジーンズの内側に――たらりと先走りの熱を感じとる。
もう、自己嫌悪で……張り裂けそうだった。
「望んでるのか?」
「幸せなのか?」
分からない。
分からない――けど。
Domのcommandに揺らされ、嬲られ、加虐されれば、身体は勝手に反応する。
「気持ちがいい」のかすら、分からないのに。
――これだからSubって連中はしかたがない。
ミツの声。
「……ごめん、ゴメンな、たかまさ」
やっとそれだけを、オレは口にする。
「ゴメン……めいわく、かけて、ひどいモノ…みせて、メッセージ、こたえられなくて……ぜんぶ……ぜんぶ、ゴメン」
「そんな…謝らないで、はたてさん。なんで、どうして。旗手さんはなんにも悪くないよ。悪いのは、あの人でしょう?」
「ゴメン、ごめんな、ホント……ごめん……」
「おかしいです。どうして旗手さんがこんな思いするの?!」
「……自分が、Subだってことが、イヤになる。こんな、みっとも…ない」
「イヤだ、どうして? どうして……そんなこと言うんですか。なんで……っ、僕の大好きな旗手さんのコト、ひどく言うの?」
――たかま……さ。
「なんで、僕はDomじゃないんだ。どうして、僕は大人じゃないんだよ。あの人みたいに、魔法みたいに、旗手さんのコト……っ」
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