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8年ぶりの再会
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俺はキレた。
水を入れたグラスは、すでに中身はない。
彼の顔に全てかけたからだ。
「相変わらず俺をおちょくっているんですね」
「いや? 相変わらず僕のことが忘れられないんだなぁと思ってる」
かっと顔が熱くなった。
この人には全て見抜かれている!
顔にかかった水を手で拭いながら、それでも笑みを浮かべ続ける残酷な人。
「…本当にいい根性してますね。手酷くフッたヤツの前に現れるなんて、殺されても文句言えませんよ?」
「ああ、空耶くんになら、殺されてもいいかもね」
本気なのか偽りなのか…俺には分からない。
すでにこの人の考えることを、知ることは止めていたはずだった。
いくら考えても分からないし、理解もできない。
だから憎むことを選んだはずなのに、今また、心が揺れ動いてしまう。
「…何で婚約がダメになったんですか?」
震える声が、動揺を現している。
「―本当はもう、結婚しても良いと思っていたんだ。だから式まで決めた」
そこまでは兄に聞いていた。
でもそこから、破談になった経緯は知らない。
「でもね、やっぱりダメだったんだ」
彼は苦笑し、肩を竦めて見せた。
「何がダメだったんですか? 兄が言うには、相手はあなたに夢中だったんでしょう? しかも病院の医院長のお嬢さん、将来的にも良い相手じゃないですか」
「そうだね。人も羨むような相手だった。大病院の医院長の次女で、美人で育ちの良いお嬢様。文句は無かったよ」
「ならっ…!」
「けれど彼女と結婚したら、僕はずっと良い夫を演じ続けなければならない」
冷たい声を聞いて、俺は顔を上げた。
彼は顔から水を滴らせたまま、ワインを呷った。
「本当の僕を知ってでも、変わらず愛してくれる人ではなかったんだよ。そこまで彼女は強くない」
「…それが、破談の原因ですか?」
「そう」
彼は頷いた。
…彼の二面性は、確かに衝撃的だ。
十年以上付き合いのあった俺でさえ、ちゃんと受け入れるのに数年を要したぐらいに。
育ちの良いお嬢様には、到底無理だろう。
「まあ僕の将来的なことを考えて、演じるのも悪くはないかなとも思ったんだ。…けど何故かキミのことが頭に浮かんでね」
「…俺は別に、あなたの結婚式に呼ばれても暴れたりはしませんよ?」
もうそこまで子供ではないと言いたかった。
しかし彼はゆっくりと首を横に振る。
「そうじゃない。―キミには明かした。本当の僕を。それでもキミは拒絶しなかっただろう?」
「それはっ! …あなたが、逃げたからでしょう?」
「…うん、そうだね。確かに僕は逃げた」
―八年前、あれは俺の高校の卒業式が終わった後のことだった。
当時、彼は地元の病院で精神科医を勤めていた。
そして俺は両親の仕事を手伝うことを、選択していた。
両親は地元でスーパーを営んでいて、すでに兄が都心に行ってしまったことから、俺に跡継ぎの権利が回ってきたのだ。
別に強要されたワケじゃない。
両親や兄からは、好きにしろと言われていた。
けれど彼の勤める病院の近くに、そのスーパーはあった。
だから決めた。
…今考えると、くだらない理由だ。
でも当時、兄が地元を離れていたせいもあって、彼とはなかなか会えなくなっていた。
だからその姿を少しでも見られるのなら、と選んだ。
両親から時々、彼が店に来るということを聞いていたから…。
高校の卒業式、俺はこれからのことを考えるだけで幸せだった。
少なくとも今よりは、彼に会えると思っていたから。
卒業式を終えて家に帰ると、彼がやって来た。
俺は嬉しくて、自分の部屋に招き入れた。
「空耶くん、今日卒業式だったんだよね?」
「はい。兄貴から聞いていたんですか?」
「うん。それで様子を見てきてほしいって言われた。本当は来たかったみたいだけど、仕事が忙しいみたいだから」
両親も卒業式には出席してくれたが、終わるとすぐに店に戻ってしまった。
寂しい気持ちはあったが、忙しい中、来てくれただけでも嬉しかった。
「でも空耶くんの高校生姿も今日で見納めか。ちょっと寂しくなるね」
「そう、ですか?」
確かにブレザーの制服をもう着ないと思うと、ちょっと悲しい。
「卒業したら、ご両親のお店で働くんだって?」
「はい。櫂都さん、結構お店に来てくれているんですよね? 見かけたら声かけてください」
「うん…そうだね」
そこで不意に、彼の表情が曇った。
何かいけないことでも言ったのかと、あたふたしてしまう。
「どっどうかしたんですか?」
「…正直、言おうか迷っていたんだけどね」
口元にだけ笑みを浮かべ、彼は顔を上げた。
「僕、今日ここから出て行くんだ」
「えっ…?」
彼はあくまでも微笑み続ける。
その眼に狂気の光を宿らせながら…。
水を入れたグラスは、すでに中身はない。
彼の顔に全てかけたからだ。
「相変わらず俺をおちょくっているんですね」
「いや? 相変わらず僕のことが忘れられないんだなぁと思ってる」
かっと顔が熱くなった。
この人には全て見抜かれている!
顔にかかった水を手で拭いながら、それでも笑みを浮かべ続ける残酷な人。
「…本当にいい根性してますね。手酷くフッたヤツの前に現れるなんて、殺されても文句言えませんよ?」
「ああ、空耶くんになら、殺されてもいいかもね」
本気なのか偽りなのか…俺には分からない。
すでにこの人の考えることを、知ることは止めていたはずだった。
いくら考えても分からないし、理解もできない。
だから憎むことを選んだはずなのに、今また、心が揺れ動いてしまう。
「…何で婚約がダメになったんですか?」
震える声が、動揺を現している。
「―本当はもう、結婚しても良いと思っていたんだ。だから式まで決めた」
そこまでは兄に聞いていた。
でもそこから、破談になった経緯は知らない。
「でもね、やっぱりダメだったんだ」
彼は苦笑し、肩を竦めて見せた。
「何がダメだったんですか? 兄が言うには、相手はあなたに夢中だったんでしょう? しかも病院の医院長のお嬢さん、将来的にも良い相手じゃないですか」
「そうだね。人も羨むような相手だった。大病院の医院長の次女で、美人で育ちの良いお嬢様。文句は無かったよ」
「ならっ…!」
「けれど彼女と結婚したら、僕はずっと良い夫を演じ続けなければならない」
冷たい声を聞いて、俺は顔を上げた。
彼は顔から水を滴らせたまま、ワインを呷った。
「本当の僕を知ってでも、変わらず愛してくれる人ではなかったんだよ。そこまで彼女は強くない」
「…それが、破談の原因ですか?」
「そう」
彼は頷いた。
…彼の二面性は、確かに衝撃的だ。
十年以上付き合いのあった俺でさえ、ちゃんと受け入れるのに数年を要したぐらいに。
育ちの良いお嬢様には、到底無理だろう。
「まあ僕の将来的なことを考えて、演じるのも悪くはないかなとも思ったんだ。…けど何故かキミのことが頭に浮かんでね」
「…俺は別に、あなたの結婚式に呼ばれても暴れたりはしませんよ?」
もうそこまで子供ではないと言いたかった。
しかし彼はゆっくりと首を横に振る。
「そうじゃない。―キミには明かした。本当の僕を。それでもキミは拒絶しなかっただろう?」
「それはっ! …あなたが、逃げたからでしょう?」
「…うん、そうだね。確かに僕は逃げた」
―八年前、あれは俺の高校の卒業式が終わった後のことだった。
当時、彼は地元の病院で精神科医を勤めていた。
そして俺は両親の仕事を手伝うことを、選択していた。
両親は地元でスーパーを営んでいて、すでに兄が都心に行ってしまったことから、俺に跡継ぎの権利が回ってきたのだ。
別に強要されたワケじゃない。
両親や兄からは、好きにしろと言われていた。
けれど彼の勤める病院の近くに、そのスーパーはあった。
だから決めた。
…今考えると、くだらない理由だ。
でも当時、兄が地元を離れていたせいもあって、彼とはなかなか会えなくなっていた。
だからその姿を少しでも見られるのなら、と選んだ。
両親から時々、彼が店に来るということを聞いていたから…。
高校の卒業式、俺はこれからのことを考えるだけで幸せだった。
少なくとも今よりは、彼に会えると思っていたから。
卒業式を終えて家に帰ると、彼がやって来た。
俺は嬉しくて、自分の部屋に招き入れた。
「空耶くん、今日卒業式だったんだよね?」
「はい。兄貴から聞いていたんですか?」
「うん。それで様子を見てきてほしいって言われた。本当は来たかったみたいだけど、仕事が忙しいみたいだから」
両親も卒業式には出席してくれたが、終わるとすぐに店に戻ってしまった。
寂しい気持ちはあったが、忙しい中、来てくれただけでも嬉しかった。
「でも空耶くんの高校生姿も今日で見納めか。ちょっと寂しくなるね」
「そう、ですか?」
確かにブレザーの制服をもう着ないと思うと、ちょっと悲しい。
「卒業したら、ご両親のお店で働くんだって?」
「はい。櫂都さん、結構お店に来てくれているんですよね? 見かけたら声かけてください」
「うん…そうだね」
そこで不意に、彼の表情が曇った。
何かいけないことでも言ったのかと、あたふたしてしまう。
「どっどうかしたんですか?」
「…正直、言おうか迷っていたんだけどね」
口元にだけ笑みを浮かべ、彼は顔を上げた。
「僕、今日ここから出て行くんだ」
「えっ…?」
彼はあくまでも微笑み続ける。
その眼に狂気の光を宿らせながら…。
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