ピエロの仮面は剥がれない

寝倉響

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Tunnel of cherry blossoms

希死念慮①

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 東京都内にある大きな大学病院。7階建ての高いその建物はコの字に広がり、その真ん中には太陽に照らされた一面綺麗な緑色の庭がある。
 その建物の3階にある陽当たりのいい病室。改装したばかりの院内は綺麗に塗装が塗り直されており、もちろんその病室の塗装も綺麗になっており、清潔感に包まれている。
 そんな大学病院の院内では、今日も大勢の医師や看護師が忙しく駆け回っている。


《306 永野 知世様》

 両耳にお気に入りのイヤリングを着けた30代前半の黒髪ロングヘアーの女性は、とある部屋の前に着くと立ち止まった。

「ここみたいね」
 その女性は木製の引き戸の前にあるネームプレートを見て、そう呟くと、ドアを2回ノックした。

 どうぞと中から年老いた女性の細い声が聞こえたので、ロングヘアーの女性はドアを横にスライドさせ部屋の中へ入った。

 部屋に入ると、眩しいほどの太陽の光が目に差し込んできた。カーテンが開かれ、窓から吹く強い北風が長いロングヘアーの髪を靡かせる。新しく塗装された白く綺麗な壁に反射して、太陽の光はさらに眩しく感じられた。
 清潔感で包まれた白いベッドの上に横になっていたのは、髪の毛が白髪で優しそうな雰囲気を醸し出したお婆さんだった。年の頃は60代頃だろう。

「ごめんね……遠かったでしょ?」
 お婆さんは、入ってきた女性の方に動かすことも大変になった体を向けてそう言った。お婆さんの顔は少し申し訳無さそうな表情をしていたが、その反面嬉しそうな表情もかいま見せていた。

「そうだね。病気治すために。大きい病院移ったんだもんね」
 女性は少し皮肉混じりにそう言った。そしてそのままベッドの横にある椅子に腰を下ろした。女性はこの日交際相手とのデートが入っていたが、このお婆さんの担当医師に呼び出され急遽ここを訪れていたのだ――。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 永野 知世の場合



 私には娘が二人いた……。優子と優子の3つ歳の離れた妹の由実。

 私はある時、交通事故に逢って怪我をした。毎朝日課にしている散歩中に高校生が漕いでいた自転車に追突されたのだ。幸いにもその怪我は重たいものではなく、命に別状はなかった。高校生の方も軽い打撲で済んだようだった。
 しかし生活に欠かせない足と手を怪我してしまったため、生活に支障が出てしまうようになった。
 年老いた私は当然体の治りも遅く、退院後は私の介護と世話を由実にしてもらっていた。
 由実は朝昼晩の食事などを作ってくれたり、洗濯や掃除などの家事や、私が外出する時に付き添ってくれたりと出来ることは最大限に協力してくれた。

 一人暮らしをし自立していた由実は、私の住む一軒家に毎日のように来てくれた。終いにはしばらく泊まるようになっていった。
しかし老人の怪我は、本当に治りにくいもので私の怪我もその例外ではなく、なかなか怪我は完治しなかった。
 由実は私の介護を続けていくうちにだんだんとやつれていってしまった。久しぶりに会った時と比べると、顔も少し細くなっているように感じた。

 もちろん、由実に申し訳ない気もあったが、由実の姉の優子は毎日キャビンアテンダントの仕事で日本や海外を飛び回るため忙しく。収入は年金と姉から送られてくる僅かな仕送りだけと、使えるお金は少なかった。近くに住む親戚もいなく、夫も既に亡くなっているため、私が頼れるのは由実しかいなかった。

 だが、しばらくして私の娘、由実が亡くなった。

 死因はビルの屋上からの転落死だった。
 しかし、由実は過労からの飛び降り自殺ではなく、屋上の金網が脆くなっていたために起こった事故死だった。しかしなぜ、由実がそこにいたのかは、その時の私には分からなかった。

 由実がいつも大事に持っていた鞄。それは私が由美の成人祝いに買ってプレゼントしてあげた薄ピンク色の鞄だった。その中に入っていた手紙には、こう書かれていた。

【お母さん。ありがとうほんとに大好きだよ。】

 その後、しばらくして私の怪我は無事良くなり、リハビリも一週間で一度だけ病院に通うほどで済むようになった。

 しかし、不幸は何重にも重なるもので……私は大病をわずらってしまった。たまたま担当医師から勧められて受けた健康診断で発覚した病気だった。

 私は東京に住む優子の紹介で、東京都内の大学病院へと移った。入院費や手術費など大量にかかる費用は、由実の保険金でまかなった。

 私は暫くの間入院して、治療を受け続けた。私は色々な治療を受けた。しかしどの治療を行っても優子はたまに顔を見せにきてくれたが、仕事が忙しいらしく、すぐに帰ってしまう。私は少しの間でも顔を見に来てくれる優子が嬉しかった。しかしその反面由実のことを思い出して悲しくもなっていた。


 ある日、担当の先生に優子が呼び出された。

「永野さん。今まで様々な治療を行ってきましたが、どれも効果がなく……知世さんは、残念ながら長くて1年もつかどうかです。覚悟をしておいた方がよろしいかと」

 優子の口から先生の言葉を聞いた。伝えてくれた優子の方も、きっと辛かっただろう。優子の瞳の中は暖かい涙で満ち満ちている。今にも溢れだしそうな涙を見て、私も渇ききった目に水を蓄える。

 私はショックだった。今まで辛い治療にも我慢して耐えてきた。いつかこの病気が治ると信じて耐えてきたのだ。
 毎晩、病院のベッドで寝て起きる度、枕についた大量の白い髪の毛に怯えながらそれでも頑張って耐え抜いていた。今まで経験したことのないような倦怠感、そして凄まじい吐き気。私は何度も吐いた。それなのに……。
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