ピエロの仮面は剥がれない

寝倉響

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Tunnel of cherry blossoms

希死念慮②

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 娘の優子は有給などを使い仕事を休んで、私のそばにいてくれると言ってくれた。

 残り余命1年……。

 これから私は一体なにができるのだろうか。私が亡くなったら、家族の中で優子だけが一人取り残されてしまう。それに、優子は私の事を最後まで看取ってくれるのだろうか。そんな不安ばかりが頭の中を駆け巡っていた。
 そして優子は由実と同じようにならないだろうか……。それが私が一番心配していることだった。

 余命を告げられてから、これといってすることがないまま、早いもので2ヶ月も経ってしまった。そして夫の命日がやってきた。私は優子にも協力してもらい、担当の先生に頼み込んで外出許可をもらった。


 4月14日。ちょうど桜が花びらを落とし始め、散り始める時期。
 車椅子に腰をかけた私は、優子と一緒に夫と由実が眠る墓に出かけることになった。病院の近くにある昔からある花屋で菊の花を買った。
 東京都内でも隠れ名所となっている桜が両脇に立ち並ぶ長い小道を通り抜けて、しばらく道なりに進んでいくと夫と由実の眠る墓がある。

 車が通ることが出来ない狭く穏やかで静かな道。耳に聞こえてくるのは風で草木が揺れる音と小鳥たちのさえずり。どの音も私の耳に優しく届いてきた。病院の中にいるだけでは感じることが出来なかった春の訪れを肌と耳で感じ取ることが出来た。

 車椅子に腰を下ろした私は優子に押されて、レンガが綺麗に並べられたレンガ敷きの道を通っていく。真っ直ぐな道の両脇にはたくさんの桜の木が並んでいる。桜の枝は私達の通る小道へと覆いかぶさっており、ふと上を見上げると綺麗な水色の空を背景に一面桜の薄ピンク色が広がっている。

 私たち家族の間ではこの桜並木を、"桜のトンネル"と呼んでいた。両脇、それに天井、桜の花びらが落ちたレンガの道、全ての方向から桜が私たちを囲んでいたからだ。
 それにここは、私たち家族が全員生きていた時に、よく花見に訪れる桜並木でもあった。少し歩いていくと道が広がった場所があり、そこに4人用のベンチとテーブルがある。よくそこで私の作ったお弁当を家族みんなで食べながら花見をしたのだ。
 風が吹く度に桜の花びらがトンネルの上部から散りはじめ、今年の桜も終わりだと告げている。綺麗な桜の花びらはレンガ敷きの道にも落ち、僅かながら桜の絨毯を作っている。

 優子が私の車椅子を押し、桜のトンネルの下をどんどんと前に進んでいく。
 平日の昼間、この桜のトンネルを散歩する近隣の住民とすれ違う度私達は会釈を交わす。私はその会釈を大事なものにしたかった。残りの人生、これから出会う人に私と会ったという記憶がその人に少しでも残ればいいなという我がままな願望を抱いていたからだ。

 しばらく進んでいくと、長かった桜のトンネルは終わりを告げ、そこから道なりにまたしばらく進む。
 桜の小道を出て車の通る普通の道路へと入っていく。今まで聞こえていた静かな春の音は一変して、人工的な音が私の耳に響いてしまう。

 しばらくこの道路を進んでいくと霊園が見えてくる。
 私と優子はその霊園の敷地を跨ぐと車の音は聞こえなくなり静かな風の音だけが私の耳を通り抜ける。
 そして綺麗な緑色の生垣の横を通り抜けて夫と由実の墓の方へ向かっていく。墓参りに来ている人も私達だけではないようでスーツを着た男性の後ろ姿が見えた。

 横目に映る墓はどれも綺麗に掃除されておりたくさんの花が添えられていた。
 花は墓によって様々な種類が置かれていた。菊やカーネーションなどが多かったが、たくさんある墓の中に一つだけ見慣れない花があった。
この白い花弁の花は確かプリムラ・シネンシスだ。お墓に持ってくるのは珍しい花だった。

 私の車椅子はやがて一つの墓の前に止まった。それは灰色の和風墓石の前で、夫と由実が眠る墓だった。優子は水を取りに行くと墓に水をかけてあげた。私は持っていた菊の花を優子にお願いして墓の目の前に供えてもらった。

「優子。少しだけでいいから、一人にしてくれない?」

「分かった。じゃあ私ちょっと飲み物買ってくるね。なんかあったらすぐ電話してね」
 優子はそう言うと私が乗っている車椅子から手を離し、夫と由実の墓を駆け足で離れていった。

 優子が離れて、墓の前で私は一人になった。私は墓の目の前で手を合わせ目を瞑った。長い間目を瞑っていた。伝えたいことがたくさんあったからだ。

 そして目を開き、ふと墓を見上げると、その墓の後ろにスーツを着た男の人と女性の後ろ姿が見えた。スーツを着た男性の方は私達がここに訪れる前から来ていた男性だろう。

 そのスーツを着た男性はこちらに気付き、振り返ると会釈をした。もちろん私もその会釈に会釈で答えた。
 不審に思ったのは何故かその男の人は、ピエロの仮面をしている。普通のスーツだと思っていたものはどうやら喪服だったようだ。
 その隣にいる女性の方も喪服を着ている。年齢は十代中頃から後半頃のようにみえた。その女性も顔に黒いレースがかけられており、こちらからは素顔は見えなかった。そして手には白い菊の花を持っていた。
 その不審な2人組は墓が並ぶ列の一番端まで歩くと、こちらに曲がり、私の方へと歩いてきた。そして私の目の前まで来ると、こんにちはと挨拶をしてきた。もちろん私も挨拶を交わした。

 私はその2人を不思議に思い質問をした。
「あなた達は一体どちらさま?」

『私ですか……あえていうなら死神ですよ』
 ピエロの仮面を被ったその男はそういった。

『あっ。私はこの人の部下です。はじめまして』
 ピエロの仮面をつけた死神の隣に、ぴったりと身を寄せた黒のレースを頭から降ろした女性がそういった。

 私にはこの2人が上司と部下という関係ではなく、まるで仲の良い親子のように見えた。ピエロの仮面をつけた男の口元は終始微笑んでいた。その笑顔は優しいものだった。
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