ピエロの仮面は剥がれない

寝倉響

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Treasure every meeting, for it will never recur

Love dies only when growth stops. ①

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 ――年前……。

 梅雨入りの時期。雨がザーザーと振り続けている。朝ニュースで見た天気予報は大外れだ。降水確率10%からの逆転、雨は止むことを知らないかのように降り続けている。
 鞄を頭の上に掲げて、最寄りの駅から全速力で家へと走る。風の影響で横からも強く降る雨を全て鞄で受け止めることは出来ず、私の着ているスーツはどんどん濡れていく。

 坂月という表札が書かれた一軒家の前で足を止めた。チャイムを鳴らすとしばらくして鍵が開いた。
 ドアを開けると目の前には、エプロン姿の黒髪で綺麗な女性が大きめの白いタオルを右手に持って立っていた。優しい瞳を私に向けている彼女は私の妻だ。名前は優子。妻とは七年前に結婚した。仕事の同期で、何かと一緒になることが多く、話しているうちに自然と好意が芽生えた。それは向こうも同じだった。
 そして私達は自然に結婚をした。すると妻は仕事を辞め家庭に入った。ローンだが都内に一軒家を買い、順風満帆な生活を送っている。

「ただいま」
 私はそう言うと雨で濡れた鞄を玄関の上に置く。


「テルさんお帰り。雨すごかったみたいね。とんだ災難に遭っちゃったね」
 そう言うと妻は優しい笑みをこちらに見せる。
 私は妻からテルさんと呼ばれている。テルさんのテルは私の下の名前の輝之からきている。

「パパお帰り!!」
 可愛らしい女の子の声でそう言いながら駆け寄ってきたのは、まだ3歳の実優だ。実優の好きなピンク色のうさぎのイラストが描かれたTシャツに可愛らしいふりふりがついた水色のスカートを履いている。

「おおーただいまー実優」
 私はそう言うと、実優を抱きかかえた。

「ほら、お土産だぞ」
 そういって実優に駅前のケーキ屋さんで買ったケーキの箱を見せたあとに、手に持っていたそのケーキを妻に渡した。

「ここ、最近できたケーキ屋でしょ。結構並んだんじゃない?」

「いや、たいしたことないよ」
 ほんとうは、結構な人気店だったため行列が出来ていた。さすがに雨が降っているので空いていると思っていたのだが、考えることはみんな同じで、それを狙って訪れているお客さんが並んでいた。私は仕事が終わってから30分ほど並んで買ってきたのだ。

「ご飯。今、暖めるから」
 妻は嬉しそうにケーキの箱を眺めながら、そう言うとそのままキッチンへと向かっていった。

「ああ」
 私は抱いていた実優を下ろした。すると実優はリビングの方へと急いで駆けていった。私はその隙にネクタイを取り、鞄を片付ける。

「パパー遊ぼ!!」
 リビングにいった実優が笑顔で笑いながら駆け寄ってきた。両手には私がクリスマスプレゼントに買ってあげたリンカちゃん人形を2つ持っている。

「父さん疲れてるんだよー」
 リビングから聞こえたその声の持ち主は実優のお姉ちゃんで今年5歳になる美希のものだ。
 まだ5歳だというのに、私以上にしっかり者だ。

「ただいま美希、大丈夫だぞ実優ー!!美希も一緒に遊ぶかー?」

 美希はそれを聞くと嬉しそうにリビングから出てきた。美希は一番お気に入りの赤いTシャツを着ていた。美希の好きな色は赤でこのTシャツはこの前家族でショッピングモールに出掛けた時に買ってあげたものだった。
 私はまだ小さな2人を抱きかかえてそのままリビングへと向かった。
そして実優を持ち上げ、高い高いをする。実優の嬉しそうな笑い声が家中に響き渡る。

「実優ちゃん、父さん疲れてるのよ」
 その声を聞いた妻も美希とおんなじようなことを言った。

「大丈夫だってば、これくらい。いつも任せっきりだからな」
 私はそう言いながら、実優を一旦下ろした。実優はすぐにリビングのタンスの陰に隠れた。

「もうすぐ三十路なんだから無理しないでよ」
 妻は私の体を気遣うようにそう言った。私が体を酷使する仕事をしているせいもあるのだろう。

「パパ早く」
 実優の催促とタンスに隠れていることから私は娘達のしたい遊びをすぐ理解した。

「ほーら!!悪い子は捕まえちゃうぞぉ」
 実優と美希は私の言葉を聞くとリビングを走り回る。私はすぐに実優を捕まえ高い高いをする。そして今度は美希を捕まえ持ち上げ高い高いをした。そのあと実優が持っていたリンカちゃん人形でおままごとをした。

 やがて妻は食事の支度を済ませると私を食卓に呼んだ。

 今日のメニューは私の大好物のカレーライスと海藻サラダだ。いつもは外からカレーの匂いがするため家に入る前からカレーと分かっているため嬉しい気持ちは少し下がるが、今日は雨で匂いが掻き消されたため、いつもの時より余計に嬉しく感じた。
妻の料理はどれも美味でそこらへんのレストランにもひけをとらないほどだった。

 食事の後、風呂に入り、そのあとお気に入りのテレビを見ながら少しお酒を飲む。そして娘たちが部屋に戻るのを見送ってから寝室にいく。

 ……そんな毎日が凄く幸せだったんだ。




 数日後……。

 今日はいつもより仕事が早く終わった。私は仕事が終わると真っ先に妻に電話をした。
「優子。今日は早く帰れるぞ。お土産、楽しみにしててな」

「はい、待ってますねテルさん」
 電話越しに妻の嬉しそうな声が私の耳に響いた。

 最近会社の最寄駅前に昨日開店したばかりの和菓子屋でお土産を買っていこうと決め、私は早々に身支度を済ませるとすぐに会社を出た。

 そして徒歩で最寄駅まで行くと、まだ外装が綺麗な和菓子屋が見えた。どうやらその和菓子屋は人気らしく、行列が出来ていた。最寄駅がたくさんの人が行き交う乗り換え駅だということも影響しているのだろう。
 店の近くに立つのぼり旗には美味しそうな抹茶の団子やどら焼がプリントされていた。私はこのどら焼きを手土産にすることに決めた。妻も娘たちも、どら焼が大好きだった。私は長蛇の列の一番後ろに並んだ。


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 ピンポーーン

「あ!!テルさん帰ってきたかな」

 夜ご飯の支度をしていた優子は嬉しそうにそう言った。隣にいる娘の実優も嬉しそうな顔をして優子のエプロンを握っている。優子はガスコンロの火を止めるとすぐに玄関へと向かった。実優も優子の後を小さな足で必死に追いかける。

 優子は玄関の鍵を開けた。するとドアが開いた。

「貴方、おかえ……」
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