ピエロの仮面は剥がれない

寝倉響

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Teru=Hanswurst

死神の制度 ⑥

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「じゃあそこに座って。それと2人きりなんだし仮面外しなさい」

 ヨッフムはそう言うとソファーを指さした。私はその黒い革のソファーに腰を下ろした。そして目の前の机の上に美希から貰ったハート型の箱とピエロの仮面を置いた。何度座ってもこの高級ソファーには慣れないものだ。
ヨッフムは私が座ったのを確認するとヨッフムも向かいのソファーに腰を下ろした。

「あらそれどうしたの?」

 ヨッフムはそう言うと私がソファーの前の机に置いたハート型の箱を指さした。

『バレンタインなんで、美希から貰ったんですよ』
 私は先ほどまで大事に握っていたハート型の箱を見つめた。

「開けたら?」

 私はそう言われるとリボンを解き蓋を開けた。中には丸い形のフォンダンショコラとプラスチックのスプーンが入っていた。そして中には折り畳まれた手紙が一枚。私は中身を見ると一旦蓋を閉めた。

『あとで食べますよ』
 私はリボンを蝶々結びしながらそう言った。私はそう言いながら内心とても嬉しく、頬の熱が少し上がっていた。

「テルさん。やっぱり嬉しそうじゃない」
 ヨッフムはそう言うと赤くなった私の顔を見つめた。

『それにしてもヨッフムさん、私を準級に推薦したなんて初めて聞きましたよ。私なんて……』

「確かに十数年しか死神歴がないけど、テルさんは優秀だからね。まあもっと優秀な死神も居るみたいだけどね。他の上死も貴方のことは優秀だってそう言ってるわよ」
 ヨッフムは私のことを見つめながら嬉しそうにいった。

『でも私に部下を扱うなんて無理ですよ。それに……』

 上級死神になると、たとえ上級死神の中でも一番階級が低い準級でも必ず一人下級死神の部下を持たなければならない。すなわち、自分の仕事もしながら下級死神の面倒もみなければならない。

「大丈夫よ。テルさんなら。それに上級になれば人間界に出る必要もないし。美希ちゃんだってもう立派になってるじゃない」

 しかしそれは私にとってさほど嬉しいことではなかったため、私は少し不安そうな顔をしてしまった。私には人間界に未練があった。
 私はまだ人間だった頃、妻と娘が二人いた。
 妻と妹は既に亡くなっていた。しかしまだ姉が生きていたのだ。
人間界にいればいるほど長い間娘に会うことができる。それに娘になにかあったら思うと不安でたまらなかった。

 ヨッフムは私のその表情をみかねてさらに言った。

「別に人間界に出て職務をするな!! という決まりはないから。変わるのは部下がつくのと正式な名前が与えられるということよ。まあ美希ちゃんにはこれからも自分の素性は黙っておくのよ」

 それならばと私は応じた。これでしばらくすれば私にも部下がつく。
 私は人間だった頃の記憶を思い出していた。ヨッフムに会って死神にならないかと問われた。ヨッフムに会う前に娘と妻が亡くなったと報告を受けていたことで、生きる活力を失った。ヨッフムに言われ、辛い人生を送った人間を救えるならと思い、死神になることを承諾したのだ。
 しかし、娘が亡くなったというのは半分間違いで、亡くなったのは妹だけだった。姉はなんとか生還した。それを知っていたのなら私は――。


「それじゃあ、あなたに正式な死神名を与えるわ。名前はもう考えてあるわ」

 ヨッフムは羽根ペンで宙に字を書いた。書いた字は白いインクで宙で浮いていた。

【Teru = Hanswurst】

 浮いた文字は私の胸へと入っていった。ほんのりと暖かい気持ちとなった。胸の辺りに心地よい感触を得た。

 私の名前はテル=ハンスヴルスト。
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