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第1章 最寄本家の人びと(教子とトンヌラ)

5 教子は、職場という「異世界」で「芽瑠梨さん」に日々転生中(その②)

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出社前の、名のない喫茶店----以前「芽瑠梨」だった店----での静かなひとときから、およそ2時間後。

すでに教子は彼女の職場であるファンタジートラベル企画舎に出社していて、PR部の一角にある編集室のデスクにつき、ぬぬぬと顔を寄せ、ノートパソコンの画面をのぞきこんでいる。

右手にはマウス。左手にはペン、掌の下にモレスキンの罫線入りメモノート。

はっと、前かがみになりすぎていることに気づくと、教子はデスクに座ったまま背をぐっとそらせ、マウスとペンを手放しグーを握り、両腕をぐるぐると後ろ回しし、ひと通り回し終わると、すーっ……、はーっ……と、肩の上げ下げ付きで、深呼吸する。

周囲の編集部員たちは、「もょもと副編」のそんなルーティンにすっかり慣れっこなので、特に仕事の手を止めて不審げに見るとか、何かコメントするとかの反応はない。それぞれ、ノートPCに向かっている。
空気清浄機の抑えめの動作音とミストだけが、編集部に降りしきりつづけている。

目下、教子が取りかかっているのは、

「VR&GRMMO」

なる、最近出てきたゲーム概念について予測する記事執筆のための、下調べだ。

教子はゲーム関連情報を発信する側の人だ。なので、VRMMOであれば、どんなものかは諒解している。
バーチャル・リアリティ・マッシブリー・マルチプレイヤー・オンラインゲーム……
直訳すると「仮想現実大規模多人数同時参加型オンラインゲーム」となる。

「&GR」とは、「と、閉ざされた現実世界アンド・ゲーテッドリアリティ」を意味している。

アメリカや中国の複数の企業が現在、鋭意開発中との情報だ。
先日、米企業ナウジア社が発表した映像はSNS上にアップされ、ここ日本でもニュースメディアに取り上げられるなどされた。

教子は、再度、その動画を観てみることにした。

とても薄暗い画面。なんとか視認できる風景は、荒野。夜だろうか、人の姿は見えない。
画面遠くに、城壁のようなものが見える。その向こうには山々がそびえている。
画面の奥から、誰かが歩いてくる。
フードとマントをまとった男性だ。旅人、冒険者。そんな単語が見る者によぎるだろう。

「Lonesome Adventurer(冒険者は孤独だ)」の白文字が、画面中央に入る。

「But」と出て、次の瞬間、

画面はパッと明度を増す。朝がきたかのような、陽光が満たす。
冒険者風の人たちや、エルフやドワーフやゴブリンやリザードマンなどの亜種族風の存在で、埋め尽くされる。
声や音。
明るさだけでなく、にぎやかさでも満たされる。めいめい、歩きながらしゃべったり、レジャーシートのような布を敷いて何人かでバーベキュー風の食事をしたり、倒木に座って恋人同士のように寄り添ったり、走ったり踊ったりバトルしたりしている。
そこに、
「Cheerful Adventurers(冒険者たち、めっちゃ元気)」の白文字が入る。

とそこで、背景だけドットの荒い、レトロゲーム調に切り替わる。
また現実風の映像に変わり、そこからチカチカと切り替わりを繰り返す。
だが、動いたり喋ったりしている者たちの様子は、一切変わらない。
遠くの方で、城壁に登って、ずり落ちて失敗している半身族がいたりする。この「世界」がクローズド、閉ざされていることをほのめかす効果だろうか。

現実風の背景に少し長く留まって、
「This is a certain place on our planet, in U.S (ここは、現実の地球の、アメリカの実在の場所であり)」
またレトロゲーム調に切り替わって、
「a VR space at the same time(同時に、架空空間でもある)」 
のキャプションが入る。
切り替わりがチカチカと早くなり、現実風画面で止まって、
「a VR space」が入る。
黒一色に暗転し、「It is all on schedule(開発順調)」。
動画はここで終わる。


教子は動画を見終わり、記事の下書きの続きをタイピングしていく。

「……VR&GRMMOは、文字通りに『仮想現実と、現実世界の両方(アンド)とが双方向に関わり合いながら、ものすごい人数が同時参加するオンラインゲーム(とで展開される世界)』と定義できそうだ。
『&』の文字が省略されないのは、そこにこのゲーム概念を理解する鍵があるからだろう。
そして最大の特徴は、現実世界よりもバーチャル空間がメインに置かれるということ。
とこちらを行き来しながらも、意識が混ざり合いながらも、存在が侵食し合いながらも、メ
バーチャル空間で冒険したり、その世界の住人たち(他のプレイヤーやNPCたち)と交流するために、現実世界の限られた空間内を動き回って、ゲームを進めていく。
言うならば『リア充』ではなく『V充』、『現実の上位世界に、架空世界がある』という位置付けだ。

プレイヤーは、あちら側の世界に没入して過ごす……もちろんながら、あらゆるゲームにはそうした要素があり、古今の開発者たちはどうしたら没入感を創り出せるか腐心してきた歴史がある。

このVR&GRMMO、これまでのゲームジャンルとしてある意味近いのは『ポケモンGO』や『ドラクエウォーク』など、AR(拡張現実)系の位置情報ゲームだろう。

ただ、上記のゲームでは、自身を含め他の『主人公たち』はメイン画面としては主観目線にとどまり、装備のボーナスアニメーションなどがない場合は、画面内で可視化される機会がほぼなかった。
VR&GRMMOでは、現実側を飛ぶマルチカメラドローンによって、主観目線と俯瞰目線など複数のカメラ位置切り替えが可能。かつ、同時ログインしている他プレイヤーたちも常時、可視化される。……

……(カタカタ)……」


「のりちゃん!昼飯、行く?」


原稿に没頭していて、画面のフレームから外が見えていなかったが、その声ではっと顔を上げる。

(どみ君だ)、教子は思う。橋戸満はしどみつる。この会社で専務をしている。
傍らに、編集部員の男女数人が立っている。彼らもどみ君に誘われたのだろう。

「あ!行きます」、教子はノートPCをスリープにして蓋を閉じ、立ちあがる。
(あれ、ちょっと痩せた?)、編集部内の狭い通路を歩くどみ君の背中を見ていて、彼女はタモさんのようなことを思う。
そして、セーターの毛玉がとても気になる。よく見ると、スラックスもよれよれで、やはり毛玉が……。
(あー、毛玉カッターがあれば!家から持ってきて、刈り取りたいっ……!)
の衝動に襲われる。
もしも彼女が、どんなわけだか毛玉カッターを所持していて、実際におもむろにどみ君の服に毛玉カッターをすべらせはじめたとしても、みんな引いたりせず、笑って受け入れるだろう。
ファンタジートラベル企画舎自体が「現実で起こることの色々を、架空世界で楽しいみたいに楽しもうぜ」という社風がずっとある。
それに、「橋戸専務と最寄本副編集長のやりとりって、なんともいえないほっこり感あるよね」と社内の多くに思われているフシもある。


教子がどみ君と最初に知り合ったのは、もう40年近く前、彼女が17歳の頃にさかのぼる。
高校生で、通っていた高校のSF研究会に属していた。
夏休みに、神戸で大規模なSFコンベンションが開催され、教子は日帰りで行ってみることにした。
その会場で、彼女は人生の中でダントツ、ぶっちぎりな1位にランク付けできる回数、男性からナンパされまくった。嬉しいどころか、非常に迷惑だった。今で言う「コミュ障」だったのもあるし、シンプルに嫌でたまらなかった。
声をかけてきた男たちの一人が、その後「どみ君」と呼ぶようになる「大学生の橋戸さん」だった。
今よりもずっと太っていて、しゃべり方や間合いも独特で、でもあのセーターのセンスは不変で……


イタリアンバル風お店でのランチのテーブルでも、やはりというか、仕事の話題になってしまう。
その中で、仕事に役立ちそうな興味深い情報も飛び交った。

「例の、VR&GRMMO動画を発表したナウジア社って、マーロン・セマクの息がかかっているみたいですよ」
「いや息がかかっているどころか、買収話が進んでいるとかね」
「そうなんだね。開発がずいぶん遅れていて、それなのにナウジア社公式が、今年のエイプリルフールにマーロン・セマクととコラボしたって発信して、盛大に炎上したりしてたけど、じゃああれも実は……」
「ですね、今にしてみれば、見事に伏線回収、ですかね」

……

「来音羽人が、ねこま遊園だった広大な土地を買ったって、ニュースなってたね」
「彼って、ものすごいゲーマーなの知ってる?」
「えっ、そうなの?」
「そうですよ!そもそも世に出てきたきっかけも、あるMMORPGのBGMのアレンジからだったんです。私、ファンなので詳しいです。今聴いても全然、神曲群です!」

バゲットにオリーブオイルを浸したのを食べつつ、いろんな話題が縦横無尽にやりとりされるのをぼんやり聞いていて、ふっと教子はスマホの画面を見る。


ロック画面に、Mahoo!ニュースからの通知が表示されている。


「【速報】旧ねこま遊園に飛行機墜落か」
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