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第三十六踊

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 室内に誰かが入って来たようだ。
 室内の様子がおかしくなって、心配で見に来てくれたのか、若しくは私の行動に異常を認めて取り押さえられたり……?
 私は椅子から降りて床にしゃがみ込んでおり、身体が動かなかった。呼吸もおかしい。
 私を不安が満たし、心が寒くなるーー。

「もう大丈夫」

 ーー大丈夫? 何が?
 背中に手が添えられる感触があった。暖かい……。
 お母様……? お姉様……? いや、お父様のようーー。でも、だとしたらお迎えか……。

「大丈夫……。気を楽に……」

 もう大丈夫なのか……。
 私は呼吸を整える。少し気が楽になり、鎮まりを覚えた。そうすると、室内に誰が入って来たのか確認できるようになった。
 銀髪の優しげな人……。

「殿下……」

 そこにいたのは第一王子のアレン殿下である。私は絶句してしまう。このような場所に来る人物でもなかったし、今の姿を見られたくなかった。

「このようなところに……」

 私は慌てて距離を取り、無表情を取り繕う。
 見たところアレン殿下は一人であるが、私と一緒の部屋にいて良いのだろうか? 室外に護衛くらいはいるんだろうけど……。
 なにしろ、第一級の危険人物のはずである、私。
 見知らぬ役人でも来て、どこかに連れて行かれるのかと思っていたが……。
 アレン殿下から、一言文句でも言われる訳でもないはずだけど……。

「……身体に障りなければ、外に出ようか」

 アレン殿下がバルコニーへ誘う。私は『はい』と短く了承し、アレン殿下に従う。
 すっかり暗くなっており、もう月が出ている。空には星も散りばめられ、夜風が心地よい。もう少し時間が経つと月や星が煌々と輝くようになる。
 部屋は3階にあり、そんなに高さはない。バルコニーは庭に面しており、夜の灯りが幻想的に王宮の庭園を照らし出していた。
通常であれば見惚れるような光景であるが、私にはそのような余裕はない。私は膝を付き、俯いて、アレン殿下の言葉を待つ。
 ーーアレン殿下が、私の今後について申し渡しをしてくれるのだろうか。魔術師の存在は国家機密である。また、仮にも国のため長い年月を費やした功績を考えたのかも。王は無理があるため、アレン殿下が沙汰を下すこともあるのかもしれない。

「……まずは、立ってもらえるだろうか」
「……はい」

 アレン殿下の言葉に、私は素直に立ち上がる。

「確認だが、貴女は『魔女』について話をしてくれた。そして今なお貴女の中に『魔女』の魂がある、と」
「はい、その通り相違ありません」

 私は頷く。
 しかし『魔女』? 魔術師は『魔女』だった? ……そうだ、一番始めの記憶は『魔女』ということだった。それに、私とシンデレラに転生するくらいだ。『魔女』だったのか。そう言えば、私もアレン殿下たちに説明するときは『魔女』と口にしていた。無意識的には把握しているんだ……。今更だけど……。

「あなたには『魔女』としての『人格』はないが『記憶』を知った。そして『魂』が残るがゆえに、これまでのことに『責任』を感じている?」
「はい、責任を負いたいと思います。申し訳ございません」
「貴女には『魔女』の人格がなく、今回の一見には関わっていないのに?」
「私の中の『魔女』のことですので……」
「レイラの中にも『魔女』がいた」
「レイラの中の『魔女』は、消え去りました。もう存在しません」
「…………ふむ」
「レイラの中には、元のレイラ……人格を弄ばれた哀れな女性がいるのみ、でございます」

 私は不安を感じた。レイラに害が及ぶのは理不尽だろう。もし、レイラの運命が瀬戸際なのであれば『何も知らない無実の女性』というイメージを作り上げたいが……。

「心配には及ばない。レイラに罪はないよ。レイラを罰することもしない」

 アレン殿下の言葉で、私は身体中の力が抜けるのを自覚した。シンデレラに罪が及ぶことはない……。どういう扱いを受けるのかわからないが、最悪の事態は免れたようだ。そうっと私は息を漏らした。

「レイラに話を聞いた者からの報告だが……」

 突然アレン殿下から切り出され、私は身体を震わせる。
シンデレラから話を聞いた? シンデレラは何と言った?

「レイラには自分の意思があるようだ。自分に『魔女』の魂があることを自覚し、悩んでいた。運命を呪った。そして逆恨みから『魔女』の魂が存在しているのに自覚のない『デリシア』を陥れようとした。つまり『魔女』の囁きに耳を貸し、今回の事件を起こしたようだ」
「そんな……!? それは違います! レイラは『魔女』に悪い魔術をかけられています。レイラは預かり知らぬこと……!」

 アレン殿下の言葉を受け、私は一気に体温が低下した。
 シンデレラは、なんてことを言うのか……。これでは、助かるものも助からない。何とか『魔女』の魔術の影響ということにしないとーー。私は目まぐるしく頭を回転させる。

「大丈夫だよ。レイラは罪に問われることはない」
「…………!」

 アレン殿下は私の肩に手を添えた。私は殿下の顔を見つめる。
 大丈夫? シンデレラは罪に問われることがない?
 本当だろうか。シンデレラの発言を聞き、なおかつ罪に問われない?

「それは約束しよう」

 約束……。アレン殿下が、はっきりと断言するのを私は聞いた。王家の人間は約束を違えない……はずなので大丈夫と思うしかない。

(ーーそうか。アレン殿下は『レイラは』と言った。であるならば、私が罪を負えば全てが丸く収まる)

 私はそう理解する。事件解決には、目に見える『悪役』が必要だ。今回の件を知る者が納得できる形で……。怪しげな『魔女』の魂を内包する私は『悪役』に適任である。

「ありがとうございます。それであるならば、もう言うことはありません。全ての責任は私にあります。いかようにも処罰を」

 私は、恐ろしく機械的な声が自分の喉から出たことに驚く。無意識なのだろうが、死を覚悟して感情が消えた。落ち着いているため、先程みたいに過呼吸気味になって無様を晒さないで良さそうである。
 お母様やお姉様のことが頭を過るが、全て振り払う。
 ーー目を閉じる。
 ーー草ずれの音や虫たちの合唱が耳に入る。
 久しく気づかなかった音だ。月や星も綺麗だった。風がそっと肌をなぶる。

 ーー明鏡止水

 そんな言葉が私の心に浮かんだ。
 どんな処罰をも受け入れることができる。
 私の心の平静は揺るぐことはないだろうーー。

 そして、私の額に柔らかいものが触れる感触があったーー。









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