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第Ⅰ部 第一章 性転の霹靂
TSヒロイン・残酷な選択をする理由を知る
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俺の質問に、アル君は言葉を慎重に選ぶみたいに瞳を閉じた。
その様子に、一瞬浮かれかけた俺の脳内が冷えていく。
そうだよね、そりゃ俺にベタ惚れとか何考えて……
って、だからそんな事を考えて浮かれるなよ、俺!!
あうぅぅぅ……
アル君、お願いだから何時までも俺に一人芝居させてないでくれ。
うにゃあぁ~、頼むから早く何か言ってくれよ~。
アル君と居ると、甘酸っぱいような嬉しさと自分自身に対する苦々しさで、精神的疲労が爆裂うなぎ登りになる。
そんな感じで身悶えしていると、アル君は眉間に皺を寄せて語り出した。
「あの迷宮の扉がどこに繋がっているのか、正直不明な事だらけだ」
「そ、そうなんだ」
切り出された言葉は、俺が望んでいた物とは全く違う物だった。
と言うか、これが当たり前の返答だよね。
ええ、分かってますとも。
そ、それに男から愛情表現されても困るだけだしさ……
ふ……
そんなやさぐれかけてる俺とは別に、アル君の話は続く。
「あの扉はどの扉をくぐり抜けても同じ世界に繋がっているのか、それともそれぞれが全く違う世界へと繋がっているのか。または同じ世界でも別な時間軸に繋がっているのか、誰が通り抜けても同じ場所に出るのか……残念ながら検証する術は無いし、検証したいとも思わない。ただ、仮説としては同じ文明レベルの世界に繋がっている可能性だけは確かだと思うんだ」
「う、うん……」
「ボクは他の迷宮も過去にくぐった事があるけど、文明レベルは恐らく同じだけど、全く違う凄惨な世界だった。何処に繋がるかは確証が無い以上、ボクは君を行かせようとは絶対に思わないよ。一ヶ月間しか君の事を見ていないけど、少なくともそんな世界に耐えられる精神を持ち合わせているとは思えない」
「まさにその通りです」
う~ん、純粋に心配してくれてるのは嬉しいけど、もうちょっと、こう、その……
俺としては甘い言い方を期待しているわけで……
『愛するキミを危険な目に遭わせたくなかったんだ』
とかさ、とかさ……ちょっとぐらいそんな雰囲気があっても良いじゃん。
アル君ってばもう、本当に現実主義者なんだから。
「それと、さっき君が聞きたがっていた質問だけど……って、突然身体をよじって、どうしたのさ!?」
「あ、愛するって……なんじゃらほい!!」
「はぁ? あ、愛はたぶん必要な物だと思うよ?」
「だよね! だよね! って、今はそんな事じゃ無くて。うぎぎぎぎ……ああ!! もう、気にしないでくれ!!」
またもや一人芝居をど派手にかます俺。
アル君の哀れみの視線がすごく痛い。
「どうしたの、やっぱり後遺症が?」
「や、ちゃいますけど! だから、レゾンデートルがコサックダンス踊りながら、荒ぶったと言いますか、本当に、何でも無いんでしゅ……」
「そ、そう……じゃあ、話の続きをしてもいいかい?」
「は、はい、是非に」
「う、うん。えっと……どこまで話したっけ? あ、君の質問に答えるんだったね」
俺に散々話の腰を折られたアル君が頭を掻き毟る。
何てか、本当に申し訳ないとしか言いようが無いのですよ。
「迷宮は魔物が闊歩する異界への扉だと信じられている。そして、ボクはそのまま信じさせておけば良いと思っている」
「それならさ、向こうの世界に行くと文明の違う戦争が起きてる場所に飛ばされる可能性があって、こっちの魔術や武器ぐらいじゃ簡単に死んじゃうよって、ちゃんと説明した方が好奇心で向こうに行っちゃうような危険も無くなるんじゃ無いの?」
「世の中の人間に私利私欲が無ければって条件付きならね」
「え?」
「考えてごらん。ボクが向こうの世界で見た武器に空飛ぶ鋼の鳥、あんなのが一匹居るだけでこっちの世界の勢力図はあっさりと塗り替える事が出来るんだ」
「あ……」
「仮に兵器を持ち帰るのが無理だったとしても、だ……こっちの人間の武器は向こうには遠く及ばないけど、身体能力に関しては少なくともボクは向こうの……こんな旗をもった連中と互角以上に戦ったんだ」
「う、うわぁぁぁぁ……」
思わず漏れ出たうめき声。
だって、アル君が紙に描いた図柄は世間に疎い俺ですら何度もニュースで見た事がある、やう゛ぁすぎるテロ組織の旗に描かれたマークなんだもん。
アル君、ほんとにこん連中と関わってよく無事だったと思うよ。
いや、無事じゃ無いから、こんな風に思い悩む少年になったのかも知れない。
「この軍隊がどれだけの強さがあるのかは分からない。だけど、少なくともこの世界に居る何人かは向こうの軍隊……小隊程度となら互角以上に渡り合う事が出来る」
ん? ……この世界に居る何人か?
「もしもの話だけど……こっちの強くて悪意ある人間が向こうに行って悪さして、向こうの文化、あるいは文明の利器や知識を略奪してこっちの世界に持ち帰ったらどうなると思う?」
「え? え?」
アル君の発言に気を取られていた俺は、思わず間の抜けた返事をしてしまう。
「え、えっと……メチャクチャ大金持ちになる、とか?」
「そうだね、当たらずとも遠からず、かな? 短期間においては極一部の人間には莫大な利益を生み出すと思う。だけどそれは長くは続かない。レベルの違いすぎる文明を招き入れれば、他の産業を根絶やしにしかねない。そうなれば、この世界の経済は半世紀を待たずにメチャクチャになるだろう」
「そ、そんなにあっという間に?」
「なるね。もしかしたらもっと早くに崩壊するかも知れない。それだけ文明が違いすぎるんだよ、向こうとこっちとじゃ。で、その結果どうなるか……何とか現状を打破したいと思う連中が迷宮の入り口を目指して殺到する。そうなれば、向こうの世界とこっちの世界で戦争になりかねない」
「せ、戦争!?」
「ああ、向こうの世界の人間が効率的にこっちに来る術があるかはわからないけど、少なくとも君は何らかの事故とは言えこっちの世界に来れただろ」
「うん」
「ボクにはまったく想像もつかないけどこっちの世界に扉があるように、向こうにもきっと次元を超えて渡る方法があるはずなんだ。なら、あれだけの文明だ。こっちからの侵略を受ければそれを撃退するために意地でも向こうからの扉を作り出そうとするだろうね。それが十年後か三年後か、あるいは百年後かはわからない。わからないけど、その時が来たらこっちの世界はどうなるか。個々では強くても、圧倒的火力で焼き尽くされて、おそらく一週間も待たずに国という国は消滅するだろうね」
「で、でも、それは最悪すぎる事態を想定した場合で、ここの迷宮を報告するのとは別の……」
「本当にそう思う?」
「う……」
俺は言葉を詰まらせた。
この世界の情勢や文化を全く知らない俺には、いや、ぬるま湯みたいな世界で生きてきた俺には、早計な意見しか言えない気がした。
「人間はね、人間同士で簡単に殺し合える生き物なんだよ。それは食糧を求めて殺し合う動物とはまるで違う理由だ」
アル君が何を言おうとしているのか、それくらいは分かる。
宗教、経済、見栄、etc・・・
理由なんか何だって良い。
いや、それでも始まりは些細な理由があるのかもしれない。
それはほんの小さな切っ掛けかも知れない。
だけど、種火が枯れ草に纏わり付くみたいにあっという間に業火に変わるだろう。
そして気が付けば、宗教が違うという理由で人と人は殺し合い、肌の色が違うという理由だけで人はまた殺し合い、隣の芝が青く見えるだけでも殺し合う……
それが国という見えない物体に支配された人間の本質だ。
何千年経っても、どれだけ文明が進んでも、どんなに悲劇を経験しても、耳が痛くなるほど倫理観を口酸っぱく叫んでも地上から戦争は消えなかった。
もっと言うなら、人間は自分たちに都合の良い『明確な悪』を作り上げる事でのみ団結し、それを討ち果たすためにまた戦争をする。
そして、作り上げられた『明確な悪』が居なくなれば、昨日までの味方同士で殺し合う……
たぶん、アル君が言いたい事は、そう言う事なんだろう。
ましてや俺の居た世界で、おそらくはこっちの戦争とは規模も殺傷能力も違う凄惨な戦争を見てきたんだ。
向こうの事をこっちの世界に運び込みたくないと思うのは当たり前だろう。
「アル君の言いたい事は、何となく分かるよ」
「うん、全てを納得してくれとは言わない。ただ、理由を考えてくれればそれで良い。その上で君は君なりの結論を導き出せばいいんだ」
「で、でもそれじゃ、お、俺がもしかしたら国に報告するとか……思わないの?」
「さっきまでの感情論で動いていたキミならそれを危惧するよ」
「うぐぅ……」
「でも、今は違う。理由を少なくとも考えた。その上で自分なりに精査吟味し、辿り着いた結論で動くのなら、ボクは何も言わない。それは君が君の中の正義に従って行動した事だろうからね」
優しい笑顔。
うきゅ~……
ずるいよ、ここでそんな言い方。
これ以上繰り返せば、俺ただのだだっ子じゃん。
「あと、もう一つダメ押しをしておこうかな?」
「ダメ、おし?」
アルハンブラがいたずらを思いついた見たいな瞳で俺を覗いてくる。
くきゅ~、真剣な顔しておきながら、そのギャップ……
可愛いじゃねぇか、この野郎!!
「あのね、この森には魔牛や魔猿を始めとする魔獣達の生息地だから、よっぽどの事が無い限り人が近づかない……ってちゃんと聞いてる?」
「可愛い……じゃなくて、聞いてる聞いてる!」
慌てて思わずジミーちゃんみたいな返事をしてしまった。
俺は取り繕うみたいに、
「えっと、えっと、危険な場所だからほぼ人が迷い込んだりしないって事?」
「うん、そうだね。まあ、完全にゼロって訳じゃ無いけどね」
「もしさ、その、こっちの世界に冒険者とか探検家とかが居るのかは分からないけど、そんな人達が討伐目的で入って来たら?」
ああ、自分でもガキがだだをこるみたいにへりくつを言っているのがわかる。
そんな俺に、アル君は呆れた様子も見せずに、ただ穏やかに笑い、
「キミは本当に優しいね」
そんな事を言った。
違うんだ、本当にごめん。こんな真面目な話をしている時に……
俺はただ君の可愛らしさに欲情して、慌てて適当な事を言っただけなんだ!
でも、この事は一生俺の中で秘密にしておこう。
嫌われたら嫌だから……
俺て、実はなかなかにゲスいかも知れない。
「冒険や探検を生業にする連中はそれなりに存在してるけど、わざわざこんな何の情報も無い辺境を目指してやってくるとは思えないよ。過去に文明があったとか遺跡があったとか、そんな情報が出回るならいざ知らず、ここは何も無い山奥だもん。それに、ここには悪名高い魔猿が住んでいるしね」
「えっと、アル君がさっきから言ってるその魔猿だけどさ、やっぱり相当やばいの?」
「戦った君が一番よく分かってると思うんだけど?」
「あ、えっと、うん。怖かったのは確かだけど、それでもそこまでヤバいのかは、正直分からなかった」
「……」
俺の説明にアル君が眉根を寄せた。
「え……っと」
「あのね、もしキミが魔猿をただの魔獣の一種と思っているなら認識を改めるべきだ。あれは徒党を組み人間並みに知性がある、そして極めて凶暴で暴力的で強靱な、だけど理性が極上に低い怪物なんだ」
「うわぉ……」
並べられた語句を聞いただけでも、ヤバさが伝わってくる。
「そ、それって……」
「たぶん、キミが戦ったのはサイズ的にもまだ歳の若い魔猿だと思う。背中にえぐれたような治りきっていない傷があった所を見ると、雌の取り合いか雄同士のケンカに負けて群れを追われた『はぐれ魔猿』だったんだろうね」
何、そのやたら経験値が高そうなサル。
いや、もしかしたら俺が向こうに帰った時にあり得ないほど暴走できたのは、その『はぐれ』を倒した事ですげぇ経験値を手に入れたからとか?
なんて、冗談を言ってる場合じゃなかったんだよな。
「ただ、正直に言えば、こんな森の中腹で魔猿が出るなんて万に一つも思わなかったんだ。魔猿はこの森のかなり奥に生息していて、砦のようなものを築いている。一度外敵が侵入すれば徒党を組んで軍隊さながらに襲いかかってくるから、今のキミが出会ってたら、あっという間にボロ雑巾にされるか、戦利品として持ち帰られていたかも知れない」
うひょ~……
マジですか、俺、場合によっては雄猿達の慰み者だったんですか?
想像するだけで、背筋が凍り付く。
「だから、正直魔猿と出会ってしまったのはボクの判断ミスだ。申し訳なかった」
「いや、うん、でも、ほら俺はこの通りピンピンしてるから。出会った魔猿だって怪我してたんだろ? きっとそれで本調子じゃ無かったんじゃ無いかな? だから、全然俺元気! 大丈夫!」
「それは結果論に過ぎないよ」
アル君が苦虫を噛みつぶしたみたいに顔を歪める。
う~ん……
正直、俺は無事だったし、警告されたのに魔猿を侮ったのは俺だし……
原因は全部俺だから、アル君がこんな顔をする必要なんてどこにもないんだけどな。
ただ、彼の過去の経験を全て知っている訳じゃ無いから迂闊な事は言え無いけど……
アル君がやけに大人びている所とか、先回りして物事を考える所とか、もしかしたら俺が居た世界で見た過酷な経験が原因なのかも知れない。
そう考えたら、何だろう……
俺よりも年下なのに、ずっと大人びたこの少年がすごく愛おしく、そして、酷く不憫に思えた。
「何、どうしたの!?」
声を思わず裏返したアル君。
それもそのはずだ、突然頭を包まれるみたいに俺に抱きしめられたのだから。
べ、べべべ、べ、別に下心でアル君を抱きしめた訳じゃ無いからな!
久しぶりにクンカクンカしたいとか、そんな気持ち微塵も無いと言ったら嘘になるけど!
か、欠片くらいは、あったり……無かったり……
ただ、お、俺の中のどこかが、この子の事を『抱きしめろよ! 抱きしめちまえよ!』って叫んでいただけなんだ!
き、きっと、これは俺のエルフボディが叫んだだけなんだ!
「あ、あのさ、さすがに前から抱きしめられると、は、恥ずかしいんだけど……」
アル君が慌てる。
そりゃ、そうだろう。このぐらいの歳の子が、バインバインなおっぱいに顔を挟まれたら、色々と大変なのは分かる。
だけど、俺はアル君を欠片も離す気は無い。
「良いから黙って!」
「黙ってって……」
「お、俺だって恥ずかしいんだ!」
「キミでも恥ずかしいの?」
キミでもって、このお子ちゃまは何て言いぐさだ!
それじゃ俺がまるで痴女か何かみたいじゃないか。
まったく……
ま、まあ、初期の頃とか若干疑われても仕方ない事をやったかも知れないですし、おすし……
で、でも、今のアル君に必要なのは、俺に甘える事だと思う!
他の誰かじゃ無い、俺に甘える事が大事なんだ。
これは断言して言える!
自分の失敗に酷く落ち込んでいるなら、謝罪しないと駄目な相手が本当で気にしなくても良いよって、優しく抱きしめてあげる必要があるんだ!
だから、これで良いのだ!
何だか最後は、自分に言い訳するみたいな感じというか、バカボンのパパみたいな言い回しになってしまった……
その様子に、一瞬浮かれかけた俺の脳内が冷えていく。
そうだよね、そりゃ俺にベタ惚れとか何考えて……
って、だからそんな事を考えて浮かれるなよ、俺!!
あうぅぅぅ……
アル君、お願いだから何時までも俺に一人芝居させてないでくれ。
うにゃあぁ~、頼むから早く何か言ってくれよ~。
アル君と居ると、甘酸っぱいような嬉しさと自分自身に対する苦々しさで、精神的疲労が爆裂うなぎ登りになる。
そんな感じで身悶えしていると、アル君は眉間に皺を寄せて語り出した。
「あの迷宮の扉がどこに繋がっているのか、正直不明な事だらけだ」
「そ、そうなんだ」
切り出された言葉は、俺が望んでいた物とは全く違う物だった。
と言うか、これが当たり前の返答だよね。
ええ、分かってますとも。
そ、それに男から愛情表現されても困るだけだしさ……
ふ……
そんなやさぐれかけてる俺とは別に、アル君の話は続く。
「あの扉はどの扉をくぐり抜けても同じ世界に繋がっているのか、それともそれぞれが全く違う世界へと繋がっているのか。または同じ世界でも別な時間軸に繋がっているのか、誰が通り抜けても同じ場所に出るのか……残念ながら検証する術は無いし、検証したいとも思わない。ただ、仮説としては同じ文明レベルの世界に繋がっている可能性だけは確かだと思うんだ」
「う、うん……」
「ボクは他の迷宮も過去にくぐった事があるけど、文明レベルは恐らく同じだけど、全く違う凄惨な世界だった。何処に繋がるかは確証が無い以上、ボクは君を行かせようとは絶対に思わないよ。一ヶ月間しか君の事を見ていないけど、少なくともそんな世界に耐えられる精神を持ち合わせているとは思えない」
「まさにその通りです」
う~ん、純粋に心配してくれてるのは嬉しいけど、もうちょっと、こう、その……
俺としては甘い言い方を期待しているわけで……
『愛するキミを危険な目に遭わせたくなかったんだ』
とかさ、とかさ……ちょっとぐらいそんな雰囲気があっても良いじゃん。
アル君ってばもう、本当に現実主義者なんだから。
「それと、さっき君が聞きたがっていた質問だけど……って、突然身体をよじって、どうしたのさ!?」
「あ、愛するって……なんじゃらほい!!」
「はぁ? あ、愛はたぶん必要な物だと思うよ?」
「だよね! だよね! って、今はそんな事じゃ無くて。うぎぎぎぎ……ああ!! もう、気にしないでくれ!!」
またもや一人芝居をど派手にかます俺。
アル君の哀れみの視線がすごく痛い。
「どうしたの、やっぱり後遺症が?」
「や、ちゃいますけど! だから、レゾンデートルがコサックダンス踊りながら、荒ぶったと言いますか、本当に、何でも無いんでしゅ……」
「そ、そう……じゃあ、話の続きをしてもいいかい?」
「は、はい、是非に」
「う、うん。えっと……どこまで話したっけ? あ、君の質問に答えるんだったね」
俺に散々話の腰を折られたアル君が頭を掻き毟る。
何てか、本当に申し訳ないとしか言いようが無いのですよ。
「迷宮は魔物が闊歩する異界への扉だと信じられている。そして、ボクはそのまま信じさせておけば良いと思っている」
「それならさ、向こうの世界に行くと文明の違う戦争が起きてる場所に飛ばされる可能性があって、こっちの魔術や武器ぐらいじゃ簡単に死んじゃうよって、ちゃんと説明した方が好奇心で向こうに行っちゃうような危険も無くなるんじゃ無いの?」
「世の中の人間に私利私欲が無ければって条件付きならね」
「え?」
「考えてごらん。ボクが向こうの世界で見た武器に空飛ぶ鋼の鳥、あんなのが一匹居るだけでこっちの世界の勢力図はあっさりと塗り替える事が出来るんだ」
「あ……」
「仮に兵器を持ち帰るのが無理だったとしても、だ……こっちの人間の武器は向こうには遠く及ばないけど、身体能力に関しては少なくともボクは向こうの……こんな旗をもった連中と互角以上に戦ったんだ」
「う、うわぁぁぁぁ……」
思わず漏れ出たうめき声。
だって、アル君が紙に描いた図柄は世間に疎い俺ですら何度もニュースで見た事がある、やう゛ぁすぎるテロ組織の旗に描かれたマークなんだもん。
アル君、ほんとにこん連中と関わってよく無事だったと思うよ。
いや、無事じゃ無いから、こんな風に思い悩む少年になったのかも知れない。
「この軍隊がどれだけの強さがあるのかは分からない。だけど、少なくともこの世界に居る何人かは向こうの軍隊……小隊程度となら互角以上に渡り合う事が出来る」
ん? ……この世界に居る何人か?
「もしもの話だけど……こっちの強くて悪意ある人間が向こうに行って悪さして、向こうの文化、あるいは文明の利器や知識を略奪してこっちの世界に持ち帰ったらどうなると思う?」
「え? え?」
アル君の発言に気を取られていた俺は、思わず間の抜けた返事をしてしまう。
「え、えっと……メチャクチャ大金持ちになる、とか?」
「そうだね、当たらずとも遠からず、かな? 短期間においては極一部の人間には莫大な利益を生み出すと思う。だけどそれは長くは続かない。レベルの違いすぎる文明を招き入れれば、他の産業を根絶やしにしかねない。そうなれば、この世界の経済は半世紀を待たずにメチャクチャになるだろう」
「そ、そんなにあっという間に?」
「なるね。もしかしたらもっと早くに崩壊するかも知れない。それだけ文明が違いすぎるんだよ、向こうとこっちとじゃ。で、その結果どうなるか……何とか現状を打破したいと思う連中が迷宮の入り口を目指して殺到する。そうなれば、向こうの世界とこっちの世界で戦争になりかねない」
「せ、戦争!?」
「ああ、向こうの世界の人間が効率的にこっちに来る術があるかはわからないけど、少なくとも君は何らかの事故とは言えこっちの世界に来れただろ」
「うん」
「ボクにはまったく想像もつかないけどこっちの世界に扉があるように、向こうにもきっと次元を超えて渡る方法があるはずなんだ。なら、あれだけの文明だ。こっちからの侵略を受ければそれを撃退するために意地でも向こうからの扉を作り出そうとするだろうね。それが十年後か三年後か、あるいは百年後かはわからない。わからないけど、その時が来たらこっちの世界はどうなるか。個々では強くても、圧倒的火力で焼き尽くされて、おそらく一週間も待たずに国という国は消滅するだろうね」
「で、でも、それは最悪すぎる事態を想定した場合で、ここの迷宮を報告するのとは別の……」
「本当にそう思う?」
「う……」
俺は言葉を詰まらせた。
この世界の情勢や文化を全く知らない俺には、いや、ぬるま湯みたいな世界で生きてきた俺には、早計な意見しか言えない気がした。
「人間はね、人間同士で簡単に殺し合える生き物なんだよ。それは食糧を求めて殺し合う動物とはまるで違う理由だ」
アル君が何を言おうとしているのか、それくらいは分かる。
宗教、経済、見栄、etc・・・
理由なんか何だって良い。
いや、それでも始まりは些細な理由があるのかもしれない。
それはほんの小さな切っ掛けかも知れない。
だけど、種火が枯れ草に纏わり付くみたいにあっという間に業火に変わるだろう。
そして気が付けば、宗教が違うという理由で人と人は殺し合い、肌の色が違うという理由だけで人はまた殺し合い、隣の芝が青く見えるだけでも殺し合う……
それが国という見えない物体に支配された人間の本質だ。
何千年経っても、どれだけ文明が進んでも、どんなに悲劇を経験しても、耳が痛くなるほど倫理観を口酸っぱく叫んでも地上から戦争は消えなかった。
もっと言うなら、人間は自分たちに都合の良い『明確な悪』を作り上げる事でのみ団結し、それを討ち果たすためにまた戦争をする。
そして、作り上げられた『明確な悪』が居なくなれば、昨日までの味方同士で殺し合う……
たぶん、アル君が言いたい事は、そう言う事なんだろう。
ましてや俺の居た世界で、おそらくはこっちの戦争とは規模も殺傷能力も違う凄惨な戦争を見てきたんだ。
向こうの事をこっちの世界に運び込みたくないと思うのは当たり前だろう。
「アル君の言いたい事は、何となく分かるよ」
「うん、全てを納得してくれとは言わない。ただ、理由を考えてくれればそれで良い。その上で君は君なりの結論を導き出せばいいんだ」
「で、でもそれじゃ、お、俺がもしかしたら国に報告するとか……思わないの?」
「さっきまでの感情論で動いていたキミならそれを危惧するよ」
「うぐぅ……」
「でも、今は違う。理由を少なくとも考えた。その上で自分なりに精査吟味し、辿り着いた結論で動くのなら、ボクは何も言わない。それは君が君の中の正義に従って行動した事だろうからね」
優しい笑顔。
うきゅ~……
ずるいよ、ここでそんな言い方。
これ以上繰り返せば、俺ただのだだっ子じゃん。
「あと、もう一つダメ押しをしておこうかな?」
「ダメ、おし?」
アルハンブラがいたずらを思いついた見たいな瞳で俺を覗いてくる。
くきゅ~、真剣な顔しておきながら、そのギャップ……
可愛いじゃねぇか、この野郎!!
「あのね、この森には魔牛や魔猿を始めとする魔獣達の生息地だから、よっぽどの事が無い限り人が近づかない……ってちゃんと聞いてる?」
「可愛い……じゃなくて、聞いてる聞いてる!」
慌てて思わずジミーちゃんみたいな返事をしてしまった。
俺は取り繕うみたいに、
「えっと、えっと、危険な場所だからほぼ人が迷い込んだりしないって事?」
「うん、そうだね。まあ、完全にゼロって訳じゃ無いけどね」
「もしさ、その、こっちの世界に冒険者とか探検家とかが居るのかは分からないけど、そんな人達が討伐目的で入って来たら?」
ああ、自分でもガキがだだをこるみたいにへりくつを言っているのがわかる。
そんな俺に、アル君は呆れた様子も見せずに、ただ穏やかに笑い、
「キミは本当に優しいね」
そんな事を言った。
違うんだ、本当にごめん。こんな真面目な話をしている時に……
俺はただ君の可愛らしさに欲情して、慌てて適当な事を言っただけなんだ!
でも、この事は一生俺の中で秘密にしておこう。
嫌われたら嫌だから……
俺て、実はなかなかにゲスいかも知れない。
「冒険や探検を生業にする連中はそれなりに存在してるけど、わざわざこんな何の情報も無い辺境を目指してやってくるとは思えないよ。過去に文明があったとか遺跡があったとか、そんな情報が出回るならいざ知らず、ここは何も無い山奥だもん。それに、ここには悪名高い魔猿が住んでいるしね」
「えっと、アル君がさっきから言ってるその魔猿だけどさ、やっぱり相当やばいの?」
「戦った君が一番よく分かってると思うんだけど?」
「あ、えっと、うん。怖かったのは確かだけど、それでもそこまでヤバいのかは、正直分からなかった」
「……」
俺の説明にアル君が眉根を寄せた。
「え……っと」
「あのね、もしキミが魔猿をただの魔獣の一種と思っているなら認識を改めるべきだ。あれは徒党を組み人間並みに知性がある、そして極めて凶暴で暴力的で強靱な、だけど理性が極上に低い怪物なんだ」
「うわぉ……」
並べられた語句を聞いただけでも、ヤバさが伝わってくる。
「そ、それって……」
「たぶん、キミが戦ったのはサイズ的にもまだ歳の若い魔猿だと思う。背中にえぐれたような治りきっていない傷があった所を見ると、雌の取り合いか雄同士のケンカに負けて群れを追われた『はぐれ魔猿』だったんだろうね」
何、そのやたら経験値が高そうなサル。
いや、もしかしたら俺が向こうに帰った時にあり得ないほど暴走できたのは、その『はぐれ』を倒した事ですげぇ経験値を手に入れたからとか?
なんて、冗談を言ってる場合じゃなかったんだよな。
「ただ、正直に言えば、こんな森の中腹で魔猿が出るなんて万に一つも思わなかったんだ。魔猿はこの森のかなり奥に生息していて、砦のようなものを築いている。一度外敵が侵入すれば徒党を組んで軍隊さながらに襲いかかってくるから、今のキミが出会ってたら、あっという間にボロ雑巾にされるか、戦利品として持ち帰られていたかも知れない」
うひょ~……
マジですか、俺、場合によっては雄猿達の慰み者だったんですか?
想像するだけで、背筋が凍り付く。
「だから、正直魔猿と出会ってしまったのはボクの判断ミスだ。申し訳なかった」
「いや、うん、でも、ほら俺はこの通りピンピンしてるから。出会った魔猿だって怪我してたんだろ? きっとそれで本調子じゃ無かったんじゃ無いかな? だから、全然俺元気! 大丈夫!」
「それは結果論に過ぎないよ」
アル君が苦虫を噛みつぶしたみたいに顔を歪める。
う~ん……
正直、俺は無事だったし、警告されたのに魔猿を侮ったのは俺だし……
原因は全部俺だから、アル君がこんな顔をする必要なんてどこにもないんだけどな。
ただ、彼の過去の経験を全て知っている訳じゃ無いから迂闊な事は言え無いけど……
アル君がやけに大人びている所とか、先回りして物事を考える所とか、もしかしたら俺が居た世界で見た過酷な経験が原因なのかも知れない。
そう考えたら、何だろう……
俺よりも年下なのに、ずっと大人びたこの少年がすごく愛おしく、そして、酷く不憫に思えた。
「何、どうしたの!?」
声を思わず裏返したアル君。
それもそのはずだ、突然頭を包まれるみたいに俺に抱きしめられたのだから。
べ、べべべ、べ、別に下心でアル君を抱きしめた訳じゃ無いからな!
久しぶりにクンカクンカしたいとか、そんな気持ち微塵も無いと言ったら嘘になるけど!
か、欠片くらいは、あったり……無かったり……
ただ、お、俺の中のどこかが、この子の事を『抱きしめろよ! 抱きしめちまえよ!』って叫んでいただけなんだ!
き、きっと、これは俺のエルフボディが叫んだだけなんだ!
「あ、あのさ、さすがに前から抱きしめられると、は、恥ずかしいんだけど……」
アル君が慌てる。
そりゃ、そうだろう。このぐらいの歳の子が、バインバインなおっぱいに顔を挟まれたら、色々と大変なのは分かる。
だけど、俺はアル君を欠片も離す気は無い。
「良いから黙って!」
「黙ってって……」
「お、俺だって恥ずかしいんだ!」
「キミでも恥ずかしいの?」
キミでもって、このお子ちゃまは何て言いぐさだ!
それじゃ俺がまるで痴女か何かみたいじゃないか。
まったく……
ま、まあ、初期の頃とか若干疑われても仕方ない事をやったかも知れないですし、おすし……
で、でも、今のアル君に必要なのは、俺に甘える事だと思う!
他の誰かじゃ無い、俺に甘える事が大事なんだ。
これは断言して言える!
自分の失敗に酷く落ち込んでいるなら、謝罪しないと駄目な相手が本当で気にしなくても良いよって、優しく抱きしめてあげる必要があるんだ!
だから、これで良いのだ!
何だか最後は、自分に言い訳するみたいな感じというか、バカボンのパパみたいな言い回しになってしまった……
応援ありがとうございます!
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