124 / 133
第5章
閑話 嫉妬の海に溺れた青い龍
しおりを挟む
その少女は朗々と歌っていた。
満月が照らす浜辺に立ち、その月を見上げて祈るように歌う姿は、月に身を捧げる巫女のようにも思えた。
髪の毛は昼間に見る深い海のように濃い藍色で、翡翠のような瞳は月明かりに照らされて、淡く輝いていた。
「だれ!?」
突如少女は声を上げる。
その声は湿った温かさを含んだ夜風に流され消えゆき、帰ってきたのは寄せては返す波の音だけだった。
「気のせいかな? 何か向こうで音がしたような気がしたんだけど……」
満月の下とはいえ、暗く沈んだ海面に目を凝らしてもめぼしい物は見当たらない。
そもそもこんな時間に海の中に居ることなどありえないだろうと、少女は再び先ほどから続けている歌を歌い出した。
それは少女が母親から教わった古い歌だった。
その母親も少女の祖母に教わったと言っていた。
月を、特に満月を見ると何故だか分からないが、無性にこの歌を歌いたくなる。
以前母親にそのことを伝えると、面白いことに母親もそうだったのだと言う。
そうだった、というのは、少女の母親も若い頃は満月の日に本能がそうさせるように歌っていたが、少女を産み、この歌を教え終わると途端に憑き物が落ちたように衝動がなくなったらしい。
母親は少女や自分に流れる血がそうさせているのだと笑った。
そんな少女を眺め、人知れず歌を聴く姿が海中にあった。
それは一体の巨大な龍だった。
その身体は少女が訪れていた造船で有名な街にある全ての船を連ねてもなお、長さで勝った。
全身に纏う鱗は少女の髪と同じように深い藍色で、その一枚一枚が少女をすっぽりと覆い隠すほどの大きさだった。
『妬ましい……』
龍はこの世の全てを妬んでいた。
長い年月、月の満ち欠けなどとうにその数を忘れてしまうほどのはるか昔から、龍は暗い海の中で生きてきた。
この世界に生を受けたのがいつだったか忘れてしまったが、初め龍はその生を楽しんだ。
天敵などと呼べるものは見当たらず、全てが自分の思い通りだと思っていた。
ある日のこと、龍は陸地というものの存在を知った。
自分の知らないことなどあってはならないと、龍はそこを目指し泳いだ。
数刻もしないうちに龍は壁にぶつかった。
たどり着いた陸地に乗り上げてみたが身体の自由がきかず、まるで海底で見かける虫けらのように醜く這いずることしか出来なかった。
そんな龍の姿を見て驚き慌てふためきながら、様々な動物が逃げ出していった。
龍が這いずるよりも速い動きで。その日初めて龍は嫉妬を覚えた。
仕方なく海に戻った龍はその後、空を知った。
自由に空を飛ぶ鳥達を眺めながら、海面から勢いよく上空に向かって身体を伸ばした。
海面よりも遥か高みから見下ろす風景に龍はほくそ笑んだ。
しかし首を上に向けると空は果てしなく高く、恐れをなして飛び立った海鳥達は龍の届かぬ所で様子を窺っていた。
空を飛ぶ術など持たず、陸を駆ける脚も無かった。
龍はこの世の全ては自分より劣ると思っていたが、実際は自分よりも遥か矮小な存在が自分の出来ないことを簡単にやってのけることに気付いてしまった。
その日から龍は多くのものを妬むようになった。
食料としか認識していなかった海の生き物達の多くも、龍の持っていないものを持っていることに気付いてしまった。
龍は孤独だった。自分と同格のものの存在を知らなかった。
しかし、多くのものは番が居るということを知った。
やがて龍はほの暗い海の底から、夜になると海面へ顔を出しては月を眺めるようになった。
空に輝く月はまるで自分のようだと龍は思った。
日によって見せる姿が安定ではないのが、完全だと思い込んでいた自分がそうではなかったと思い知らされたのと似ていると感じた。
月は龍にとって最後の心の支えとなっていた。
『妬ましい……』
しかし、とうとうその日がやってきてしまった。
一人の少女が月に向かって歌を捧げる姿を見てしまったのだ。
自分と同じく、孤独だと思い込んでいた月にもその姿を慕う者がいた。
月は孤独ではないと知った龍は心の支えであった月さえも妬んでしまった。
するとそれまで青藍色だった龍の鱗が、新月の夜の深い海の底よりも暗い漆黒へと転じた。
同時にさらに不思議なことが起こった。
龍の目の前の水が不自然に動き始めると、人間の姿に変わった。
その女性の様な姿をした水は、龍が月を妬むようになるきっかけとなった少女そのままだった。
龍は満足そうにその口元を歪めると、その口から次々と水を吐き出す。
吐き出された水はその全てが少女へと変貌していった。
少女達は口々に歌を紡いだ。
龍は初めに作られた少女を一人陸地に残すと、残りの少女達を引き連れ、海の底へと潜って行った。
孤独な龍の嫉妬に染められた少女の形をした水は、行く宛もなくさ迷い歩いた。
自分が存在する理由となった途方もない量の嫉妬の残差を周囲に撒き散らしながら。
海へと戻った少女達は、自分達を作り上げた主である龍を讃えるために、絶えることなく歌を歌った。
嫉妬に狂った龍は海の底で安寧を得た。
満月が照らす浜辺に立ち、その月を見上げて祈るように歌う姿は、月に身を捧げる巫女のようにも思えた。
髪の毛は昼間に見る深い海のように濃い藍色で、翡翠のような瞳は月明かりに照らされて、淡く輝いていた。
「だれ!?」
突如少女は声を上げる。
その声は湿った温かさを含んだ夜風に流され消えゆき、帰ってきたのは寄せては返す波の音だけだった。
「気のせいかな? 何か向こうで音がしたような気がしたんだけど……」
満月の下とはいえ、暗く沈んだ海面に目を凝らしてもめぼしい物は見当たらない。
そもそもこんな時間に海の中に居ることなどありえないだろうと、少女は再び先ほどから続けている歌を歌い出した。
それは少女が母親から教わった古い歌だった。
その母親も少女の祖母に教わったと言っていた。
月を、特に満月を見ると何故だか分からないが、無性にこの歌を歌いたくなる。
以前母親にそのことを伝えると、面白いことに母親もそうだったのだと言う。
そうだった、というのは、少女の母親も若い頃は満月の日に本能がそうさせるように歌っていたが、少女を産み、この歌を教え終わると途端に憑き物が落ちたように衝動がなくなったらしい。
母親は少女や自分に流れる血がそうさせているのだと笑った。
そんな少女を眺め、人知れず歌を聴く姿が海中にあった。
それは一体の巨大な龍だった。
その身体は少女が訪れていた造船で有名な街にある全ての船を連ねてもなお、長さで勝った。
全身に纏う鱗は少女の髪と同じように深い藍色で、その一枚一枚が少女をすっぽりと覆い隠すほどの大きさだった。
『妬ましい……』
龍はこの世の全てを妬んでいた。
長い年月、月の満ち欠けなどとうにその数を忘れてしまうほどのはるか昔から、龍は暗い海の中で生きてきた。
この世界に生を受けたのがいつだったか忘れてしまったが、初め龍はその生を楽しんだ。
天敵などと呼べるものは見当たらず、全てが自分の思い通りだと思っていた。
ある日のこと、龍は陸地というものの存在を知った。
自分の知らないことなどあってはならないと、龍はそこを目指し泳いだ。
数刻もしないうちに龍は壁にぶつかった。
たどり着いた陸地に乗り上げてみたが身体の自由がきかず、まるで海底で見かける虫けらのように醜く這いずることしか出来なかった。
そんな龍の姿を見て驚き慌てふためきながら、様々な動物が逃げ出していった。
龍が這いずるよりも速い動きで。その日初めて龍は嫉妬を覚えた。
仕方なく海に戻った龍はその後、空を知った。
自由に空を飛ぶ鳥達を眺めながら、海面から勢いよく上空に向かって身体を伸ばした。
海面よりも遥か高みから見下ろす風景に龍はほくそ笑んだ。
しかし首を上に向けると空は果てしなく高く、恐れをなして飛び立った海鳥達は龍の届かぬ所で様子を窺っていた。
空を飛ぶ術など持たず、陸を駆ける脚も無かった。
龍はこの世の全ては自分より劣ると思っていたが、実際は自分よりも遥か矮小な存在が自分の出来ないことを簡単にやってのけることに気付いてしまった。
その日から龍は多くのものを妬むようになった。
食料としか認識していなかった海の生き物達の多くも、龍の持っていないものを持っていることに気付いてしまった。
龍は孤独だった。自分と同格のものの存在を知らなかった。
しかし、多くのものは番が居るということを知った。
やがて龍はほの暗い海の底から、夜になると海面へ顔を出しては月を眺めるようになった。
空に輝く月はまるで自分のようだと龍は思った。
日によって見せる姿が安定ではないのが、完全だと思い込んでいた自分がそうではなかったと思い知らされたのと似ていると感じた。
月は龍にとって最後の心の支えとなっていた。
『妬ましい……』
しかし、とうとうその日がやってきてしまった。
一人の少女が月に向かって歌を捧げる姿を見てしまったのだ。
自分と同じく、孤独だと思い込んでいた月にもその姿を慕う者がいた。
月は孤独ではないと知った龍は心の支えであった月さえも妬んでしまった。
するとそれまで青藍色だった龍の鱗が、新月の夜の深い海の底よりも暗い漆黒へと転じた。
同時にさらに不思議なことが起こった。
龍の目の前の水が不自然に動き始めると、人間の姿に変わった。
その女性の様な姿をした水は、龍が月を妬むようになるきっかけとなった少女そのままだった。
龍は満足そうにその口元を歪めると、その口から次々と水を吐き出す。
吐き出された水はその全てが少女へと変貌していった。
少女達は口々に歌を紡いだ。
龍は初めに作られた少女を一人陸地に残すと、残りの少女達を引き連れ、海の底へと潜って行った。
孤独な龍の嫉妬に染められた少女の形をした水は、行く宛もなくさ迷い歩いた。
自分が存在する理由となった途方もない量の嫉妬の残差を周囲に撒き散らしながら。
海へと戻った少女達は、自分達を作り上げた主である龍を讃えるために、絶えることなく歌を歌った。
嫉妬に狂った龍は海の底で安寧を得た。
0
あなたにおすすめの小説
追放されたS級清掃員、配信切り忘れで伝説になる 「ただのゴミ掃除」と言って神話級ドラゴンを消し飛ばしていたら世界中がパニックになってますが?
あとりえむ
ファンタジー
【5話ごとのサクッと読める構成です!】
世界を救ったのは、聖剣ではなく「洗剤」でした。
「君のやり方は古いんだよ」 不当な理由でS級クランを追放された、ベテラン清掃員・灰坂ソウジ(38歳)。 職を失った彼だったが、実は彼にはとんでもない秘密があった。 呪いのゴーグルのせいで、あらゆる怪物が「汚れ」にしか見えないのだ。
・神話級ドラゴン
⇒ 換気扇の頑固な油汚れ(洗剤で瞬殺)
・深淵の邪神
⇒ トイレの配管詰まり(スッポンで解決)
・次元の裂け目
⇒ 天井の雨漏りシミ(洗濯機で丸洗い)
「あー、ここ汚れてるな。チャチャッと落としておくか」
本人はただ業務として掃除をしているだけなのに、その姿は世界中で配信され、人類最強の英雄として崇められていく! 可愛い元ダンジョン・コアや、潔癖症の聖女も入社し、会社は今日も大忙し。 一方、彼を追放した元クランは、汚れ(モンスター)に埋もれて破滅寸前で……?
「地球が汚れてる? じゃあ、一回丸洗いしますか」 最強の清掃員が、モップ片手に世界をピカピカにする、痛快・勘違い無双ファンタジー!
【免責事項】
この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。
※こちらの作品は、カクヨムと小説家になろうでも公開しています。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
無能だと追放された「雑用係」のハル、現代の知恵(ライフハック)を駆使したら、呪われた魔王城が聖域化して伝説の賢者と呼ばれ始めた
ユネ
ファンタジー
「君のような無能な掃除係は必要ない!」
勇者パーティーからゴミのように捨てられた雑用係のハル。だが彼女には、前世で培った【家事のプロとしてのライフハック】があった。
移り住んだのは、誰もが恐れる『呪われた魔王城』。しかしハルにとっては、ただの「掃除のしがいがある大型物件」に過ぎなかった!
重曹とクエン酸で呪いを浄化し、アルミホイルで魔物を除け、ジャガイモの皮で伝説の鏡を蘇らせる。
魔法より便利な知恵で、お城はいつの間にか世界一快適な聖域に。
一方、ハルを失った勇者たちは、汚部屋と化した拠点と自らの無知に絶望することになり――。
これは、一人の「掃除好き」が知恵と工夫だけで異世界に革命を起こし、最高のスローライフを手に入れるまでの物語。
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
主人公は高みの見物していたい
ポリ 外丸
ファンタジー
高等魔術学園に入学した主人公の新田伸。彼は大人しく高校生活を送りたいのに、友人たちが問題を持ち込んでくる。嫌々ながら巻き込まれつつ、彼は徹底的に目立たないようにやり過ごそうとする。例え相手が高校最強と呼ばれる人間だろうと、やり過ごす自信が彼にはあった。何故なら、彼こそが世界最強の魔術使いなのだから……。最強の魔術使いの高校生が、平穏な学園生活のために実力を隠しながら、迫り来る問題を解決していく物語。
※主人公はできる限り本気を出さず、ずっと実力を誤魔化し続けます
※小説家になろう、ノベルアップ+、ノベルバ、カクヨムにも投稿しています。
掃除婦に追いやられた私、城のゴミ山から古代兵器を次々と発掘して国中、世界中?がざわつく
タマ マコト
ファンタジー
王立工房の魔導測量師見習いリーナは、誰にも測れない“失われた魔力波長”を感じ取れるせいで奇人扱いされ、派閥争いのスケープゴートにされて掃除婦として城のゴミ置き場に追いやられる。
最底辺の仕事に落ちた彼女は、ゴミ山の中から自分にだけ見える微かな光を見つけ、それを磨き上げた結果、朽ちた金属片が古代兵器アークレールとして完全復活し、世界の均衡を揺るがす存在としての第一歩を踏み出す。
クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる
アルカス
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。
でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。
でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。
その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。
そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる