30 / 62
第十九章
第一話
しおりを挟む
勉強机の前に座って、智香はびんを回していた。横には硬貨を吐き出して軽くなった彼女の財布がある。鬼平からは、千九百五十五円でびんを買った。これが本物なら安い買い物なのかもしれないが、偽物ならそれなりの痛手だ。とにかく、これで財布に残っていた小銭はすべてなくなり、代わりに、「びんの悪魔」を手に入れたのだ。
智香はびんを回しながら、願い事を考えていた。もう、びんの力を殊更に否定するようなことはしない。びんが偽物だと疑ってもいない。正確には、その力がどこまで及ぶのか、対価はどうなるのか懸念していたが、これが本物の「びんの悪魔」であるという確信は持っていた。
鬼平からびんを買ってから、智香はすぐにこの商品が不良品ではないことを証明しようとした。戸惑う鬼平をよそに、びんを見ながらこう提案したのだ。
「あのさ、別に鬼平くんを疑っているわけじゃないけど、一応、これが本物だって確かめたいから、このびん、持って帰ってくれない? お金は先に払うからさ」
智香にとってそれは最後の賭けだった。「びんの悪魔」なんていない。そんな力もない。自分の培った常識と、鬼平が智香を騙しているのかどうかを見極めるための、最後の勝負。
結果的に、智香は賭けに負けた。鬼平は嘘をついてなどいなかった。このびんは本物だった。鬼平と別れて数分後、何も持っていなかったはずの智香は、その手にびんを持っていた。――びんが知らぬ間に手に飛び込んできたのだ。
「やっぱり無理」
智香はびんを机の上に置いたまま、願いが思い浮かばず、ベッドに倒れ込み枕に顔を埋めた。視界が消えて、いくつもの顔が浮かんでは消えていった。麻由里、百川千花、三國修司、鬼平、お母さん、そして、もうずっと会っていないお父さん……。
「麻由里は、お金って言ってたっけ? でもお金を望んで、どうなるのか、恐ろしくて言えたもんじゃない。あんな風に言えるのは、手に入らないってわかってる時だけ」
仰向けになって、前髪を整えながら智香は呟いた。
「私、何を望んでいるんだろう。どんな願いなら、許されるんだろう……」
しばらくの間、その答えを探して考えていた。せっかくこの力を手にしたから、なるべく上手く使いたいと考えていたが、どれも大きすぎるか、小さすぎるかで、いい案は何も浮かばなかった。が、それだと一向にびんの力がわからないので、一応、ちょっとした願いを言ってみた。
しばらく何も起きなかった。そのままそこに横になり、智香は、部屋の向こうから聞こえてきた物音で、ベッドから起き上がり、時計を見た。びんを置いたまま、――願いもそのままに部屋を出ると、廊下を歩き、リビングに向かった。キッチンではワイシャツの袖をまくったお母さんが夕飯の準備をしていた。その横に行きながら智香は冷蔵庫を開け、麦茶を取ろうとして見慣れない物を見つけて止まった。智香が帰って来た時にはなかった白い箱がビニールに包まれて置かれている。
「あれ? これ、どうしたの?」
智香は、なるべくいつも通りを装いながら聞いた。
「ああ、なんかね、ほら駅前のケーキ屋さん、あそこで買ってきたの」
智香のお母さんはコンロに乗ったカレーをかき混ぜながら言った。
「ふうん」
智香は興味のない振りをして、麦茶だけ取って冷蔵庫を閉めた。水切りかごからコップを取り、そこに麦茶を注ぐ。
「ケーキ?」
「うん」
智香はコップを持って歩き、リビングの机に置いた。
「どうして買ってきたの?」
お母さんは笑った。
「何? いけなかった? 好きでしょ?」
「いつもは買わないじゃん」
「買う時だってあるでしょ?」
「お母さん」
「何?」
智香のお母さんは不審に思って手を止め、智香を見た。
「今日さ、えっと、ついさっきとかに、何か、変なことなかった?」
「なに? どうしたの? 別に、何もないけど?」
智香のお母さんは笑いながら答えると、すぐに作業に戻った。
「そう、ならいいけど」
「変な子」
智香はテーブルの横の椅子に座って、風に揺れるカーテンを眺めていた。銀の刺繍の花柄の入った、真っ白なカーテンだった。両親にショッピングモールに連れていかれて智香が選んだカーテンだった。その帰り、智香は二人が離婚することを知った。智香はよく、このカーテンの対価が、父だったのだと、それが馬鹿馬鹿しい考えだと思いながらも考えることがあった。
「今日ね、ケーキを食べたいって思ったから」
「へーえ、そうなの、」
お母さんはカレーライスを持ってきた。
「それは偶然ね」
智香はびんを回しながら、願い事を考えていた。もう、びんの力を殊更に否定するようなことはしない。びんが偽物だと疑ってもいない。正確には、その力がどこまで及ぶのか、対価はどうなるのか懸念していたが、これが本物の「びんの悪魔」であるという確信は持っていた。
鬼平からびんを買ってから、智香はすぐにこの商品が不良品ではないことを証明しようとした。戸惑う鬼平をよそに、びんを見ながらこう提案したのだ。
「あのさ、別に鬼平くんを疑っているわけじゃないけど、一応、これが本物だって確かめたいから、このびん、持って帰ってくれない? お金は先に払うからさ」
智香にとってそれは最後の賭けだった。「びんの悪魔」なんていない。そんな力もない。自分の培った常識と、鬼平が智香を騙しているのかどうかを見極めるための、最後の勝負。
結果的に、智香は賭けに負けた。鬼平は嘘をついてなどいなかった。このびんは本物だった。鬼平と別れて数分後、何も持っていなかったはずの智香は、その手にびんを持っていた。――びんが知らぬ間に手に飛び込んできたのだ。
「やっぱり無理」
智香はびんを机の上に置いたまま、願いが思い浮かばず、ベッドに倒れ込み枕に顔を埋めた。視界が消えて、いくつもの顔が浮かんでは消えていった。麻由里、百川千花、三國修司、鬼平、お母さん、そして、もうずっと会っていないお父さん……。
「麻由里は、お金って言ってたっけ? でもお金を望んで、どうなるのか、恐ろしくて言えたもんじゃない。あんな風に言えるのは、手に入らないってわかってる時だけ」
仰向けになって、前髪を整えながら智香は呟いた。
「私、何を望んでいるんだろう。どんな願いなら、許されるんだろう……」
しばらくの間、その答えを探して考えていた。せっかくこの力を手にしたから、なるべく上手く使いたいと考えていたが、どれも大きすぎるか、小さすぎるかで、いい案は何も浮かばなかった。が、それだと一向にびんの力がわからないので、一応、ちょっとした願いを言ってみた。
しばらく何も起きなかった。そのままそこに横になり、智香は、部屋の向こうから聞こえてきた物音で、ベッドから起き上がり、時計を見た。びんを置いたまま、――願いもそのままに部屋を出ると、廊下を歩き、リビングに向かった。キッチンではワイシャツの袖をまくったお母さんが夕飯の準備をしていた。その横に行きながら智香は冷蔵庫を開け、麦茶を取ろうとして見慣れない物を見つけて止まった。智香が帰って来た時にはなかった白い箱がビニールに包まれて置かれている。
「あれ? これ、どうしたの?」
智香は、なるべくいつも通りを装いながら聞いた。
「ああ、なんかね、ほら駅前のケーキ屋さん、あそこで買ってきたの」
智香のお母さんはコンロに乗ったカレーをかき混ぜながら言った。
「ふうん」
智香は興味のない振りをして、麦茶だけ取って冷蔵庫を閉めた。水切りかごからコップを取り、そこに麦茶を注ぐ。
「ケーキ?」
「うん」
智香はコップを持って歩き、リビングの机に置いた。
「どうして買ってきたの?」
お母さんは笑った。
「何? いけなかった? 好きでしょ?」
「いつもは買わないじゃん」
「買う時だってあるでしょ?」
「お母さん」
「何?」
智香のお母さんは不審に思って手を止め、智香を見た。
「今日さ、えっと、ついさっきとかに、何か、変なことなかった?」
「なに? どうしたの? 別に、何もないけど?」
智香のお母さんは笑いながら答えると、すぐに作業に戻った。
「そう、ならいいけど」
「変な子」
智香はテーブルの横の椅子に座って、風に揺れるカーテンを眺めていた。銀の刺繍の花柄の入った、真っ白なカーテンだった。両親にショッピングモールに連れていかれて智香が選んだカーテンだった。その帰り、智香は二人が離婚することを知った。智香はよく、このカーテンの対価が、父だったのだと、それが馬鹿馬鹿しい考えだと思いながらも考えることがあった。
「今日ね、ケーキを食べたいって思ったから」
「へーえ、そうなの、」
お母さんはカレーライスを持ってきた。
「それは偶然ね」
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
地味男はイケメン元総長
緋村燐
青春
高校一年になったばかりの灯里は、メイクオタクである事を秘密にしながら地味子として過ごしていた。
GW前に、校外学習の班の親交を深めようという事で遊園地に行くことになった灯里達。
お化け屋敷に地味男の陸斗と入るとハプニングが!
「なぁ、オレの秘密知っちゃった?」
「誰にも言わないからっ! だから代わりに……」
ヒミツの関係はじめよう?
*野いちごに掲載しているものを改稿した作品です。
野いちご様
ベリーズカフェ様
エブリスタ様
カクヨム様
にも掲載しています。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
鷹鷲高校執事科
三石成
青春
経済社会が崩壊した後に、貴族制度が生まれた近未来。
東京都内に広大な敷地を持つ全寮制の鷹鷲高校には、貴族の子息が所属する帝王科と、そんな貴族に仕える、優秀な執事を育成するための執事科が設立されている。
物語の中心となるのは、鷹鷲高校男子部の三年生。
各々に悩みや望みを抱えた彼らは、高校三年生という貴重な一年間で、学校の行事や事件を通して、生涯の主人と執事を見つけていく。
表紙イラスト:燈実 黙(@off_the_lamp)
現実とサキュバスのあいだで ――夢で告白した相手が、同居を始めた話
そう
青春
ある日家に突然現れた謎のサキュバスのホルさん!
好感度はMAXなようで流されるがまま主人公はホルさんと日常を過ごします。
ほのぼのラブコメというか日常系小説
オチなどはなく、ただひたすらにまったりします
挿絵や文章にもAIを使用しております。
苦手な方はご注意ください。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる