43 / 62
第二十六章
第一話
しおりを挟む
夢を見ていた。中学時代の夢。教室で鬼平は誰かと話している。それは鬼平のことを理解してくれた先生たち、クラスメイト。そこで感じる、誰かが自分を助けてくれることの有難さ、誰かと言葉を交わすこと、心を通わせることの温かさ。本当はずっとそこにいたかった。
でも、何も手を加えなければ、指をくわえて見ているだけでは幸福は続いていかない。熱は熱いところから寒いところへ、水は高いところから低いところへと流れていく。年月は現実を思い出に変えていった。
あっという間に中学の教室から高校の教室へと切り替わって、周りに誰もいなくなった。鬼平はその後に味わった挫折、自分への信頼が砂の城のように崩れ去っていったのを思い出した。
「あ、起きた?」
目が覚めると鬼平は白いベッドの上で横たわっていた。頭には枕が置かれていて、身体には水色の柔らかい毛布がかかっている。智香はベッドの横、ステンレスの緑色のスツールに座り、目覚めたばかりの鬼平の表情を観察していた。身体を起こそうとすると、痛みが腰に走り、彼は顔をしかめた。
「無理に起き上がらなくていいよ。ちょっと待ってて。すぐに先生呼んでくるから」
鬼平が返事をする前に智香は立ち上がり、保健室から出て行った。室内は途端に静かになり、鬼平は寝た体勢のまま、周りを見渡した。
時計を見て、四十分くらい寝てしまっていた、と推察できた。外もだいぶ暗くなっていた。もう一度立ち上がろうと試みたが、鈍い痛みは変わらず、鬼平は、諦めてベッドに横になった。
しばらく、そうして天井を見つめながら、鬼平は一瞬、どうして自分がここにいるのかわからなくなった。
だが、忘れたわけではない。むしろ、見たものをはっきりと覚えていた。びんが見せた百川千花と三國修司の記憶。あれは本当に二人の記憶だったのだろうか。そしてあの時、鬼平が見たもの、あれは……。
「連れてきたよ。先生、お願いします」
カーテンから智香の顔がのぞいて、後から福田先生が入ってきた。
それから、鬼平は身体をチェックされ、以前にも倒れたことがあったか聞かれた。ないと答える。倒れた時、どんな感じだったのか、と聞かれて、彼は答えに窮した。まさかばか正直に、他人の記憶を見ていて、その後〝フラッシュバック〟が起こった、とは言えるはずもなかった。
だから立ち上がった時に目の前が真っ暗になったことにした。福田先生は特に疑いもせず、その話を信じた。
「大丈夫だと思うけど、心配なら一応病院に行ってね」
福田先生は湿布を引き出しから出して言った。鬼平は湿布を受け取り、頷く。続けて、規則正しい生活を送ることの大切さや、運動、食事を見直すことの重要性などの短い指導が入る。
「じゃあ先生。後は私が」
それらがひとしきり終わると、指導の間、後ろでそわそわしていた智香が割り込んだ。
「ああ、そうだったね。邪魔者は仕事を終えたらさっさと去りますよ」
拗ねたような調子で福田先生が答える。
「ちょっと、そういうつもりじゃないって言わなかったっけ?」
「わかってるよ。でも、鈴本さんを信頼しないわけじゃないけど、あんまり長いのはダメだからね?」
福田先生は付け加えた。
「うん。そうする。ありがとう」
しばらくして、福田先生は笑いながら書類をまとめる仕草をして、足早に保健室を出て行った。せわしない足音と共に扉が閉まると、保健室に再び静寂が訪れた。
「どう? もう立てる?」
智香が鬼平の身体を見ながら聞いた。鬼平は頷き、毛布を払いのけ、ベッドから脚を下ろした。まだ慣れないし、痛みもあるが、なんとか立つことはできそうだった。
「よかった」
智香の声が震えたのがわかって、鬼平はベッドに座りこんだ。
「ダメかと思った」
その言葉を最後に、智香が泣き出してしまって、鬼平は言葉が詰まった。
ハンカチを目に押し付ける智香を見ていながら、慰めの言葉を探したが、まったく浮かばなかった。鬼平は智香が泣き止むまで、黙って手元を見つめ、チラチラ智香の方を見ながら待った。
しばらくして、智香は落ち着きを取り戻した。智香は、鼻をすすり目元に指をやって涙を拭うと、ぽつりぽつりと喋り出した。
でも、何も手を加えなければ、指をくわえて見ているだけでは幸福は続いていかない。熱は熱いところから寒いところへ、水は高いところから低いところへと流れていく。年月は現実を思い出に変えていった。
あっという間に中学の教室から高校の教室へと切り替わって、周りに誰もいなくなった。鬼平はその後に味わった挫折、自分への信頼が砂の城のように崩れ去っていったのを思い出した。
「あ、起きた?」
目が覚めると鬼平は白いベッドの上で横たわっていた。頭には枕が置かれていて、身体には水色の柔らかい毛布がかかっている。智香はベッドの横、ステンレスの緑色のスツールに座り、目覚めたばかりの鬼平の表情を観察していた。身体を起こそうとすると、痛みが腰に走り、彼は顔をしかめた。
「無理に起き上がらなくていいよ。ちょっと待ってて。すぐに先生呼んでくるから」
鬼平が返事をする前に智香は立ち上がり、保健室から出て行った。室内は途端に静かになり、鬼平は寝た体勢のまま、周りを見渡した。
時計を見て、四十分くらい寝てしまっていた、と推察できた。外もだいぶ暗くなっていた。もう一度立ち上がろうと試みたが、鈍い痛みは変わらず、鬼平は、諦めてベッドに横になった。
しばらく、そうして天井を見つめながら、鬼平は一瞬、どうして自分がここにいるのかわからなくなった。
だが、忘れたわけではない。むしろ、見たものをはっきりと覚えていた。びんが見せた百川千花と三國修司の記憶。あれは本当に二人の記憶だったのだろうか。そしてあの時、鬼平が見たもの、あれは……。
「連れてきたよ。先生、お願いします」
カーテンから智香の顔がのぞいて、後から福田先生が入ってきた。
それから、鬼平は身体をチェックされ、以前にも倒れたことがあったか聞かれた。ないと答える。倒れた時、どんな感じだったのか、と聞かれて、彼は答えに窮した。まさかばか正直に、他人の記憶を見ていて、その後〝フラッシュバック〟が起こった、とは言えるはずもなかった。
だから立ち上がった時に目の前が真っ暗になったことにした。福田先生は特に疑いもせず、その話を信じた。
「大丈夫だと思うけど、心配なら一応病院に行ってね」
福田先生は湿布を引き出しから出して言った。鬼平は湿布を受け取り、頷く。続けて、規則正しい生活を送ることの大切さや、運動、食事を見直すことの重要性などの短い指導が入る。
「じゃあ先生。後は私が」
それらがひとしきり終わると、指導の間、後ろでそわそわしていた智香が割り込んだ。
「ああ、そうだったね。邪魔者は仕事を終えたらさっさと去りますよ」
拗ねたような調子で福田先生が答える。
「ちょっと、そういうつもりじゃないって言わなかったっけ?」
「わかってるよ。でも、鈴本さんを信頼しないわけじゃないけど、あんまり長いのはダメだからね?」
福田先生は付け加えた。
「うん。そうする。ありがとう」
しばらくして、福田先生は笑いながら書類をまとめる仕草をして、足早に保健室を出て行った。せわしない足音と共に扉が閉まると、保健室に再び静寂が訪れた。
「どう? もう立てる?」
智香が鬼平の身体を見ながら聞いた。鬼平は頷き、毛布を払いのけ、ベッドから脚を下ろした。まだ慣れないし、痛みもあるが、なんとか立つことはできそうだった。
「よかった」
智香の声が震えたのがわかって、鬼平はベッドに座りこんだ。
「ダメかと思った」
その言葉を最後に、智香が泣き出してしまって、鬼平は言葉が詰まった。
ハンカチを目に押し付ける智香を見ていながら、慰めの言葉を探したが、まったく浮かばなかった。鬼平は智香が泣き止むまで、黙って手元を見つめ、チラチラ智香の方を見ながら待った。
しばらくして、智香は落ち着きを取り戻した。智香は、鼻をすすり目元に指をやって涙を拭うと、ぽつりぽつりと喋り出した。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
地味男はイケメン元総長
緋村燐
青春
高校一年になったばかりの灯里は、メイクオタクである事を秘密にしながら地味子として過ごしていた。
GW前に、校外学習の班の親交を深めようという事で遊園地に行くことになった灯里達。
お化け屋敷に地味男の陸斗と入るとハプニングが!
「なぁ、オレの秘密知っちゃった?」
「誰にも言わないからっ! だから代わりに……」
ヒミツの関係はじめよう?
*野いちごに掲載しているものを改稿した作品です。
野いちご様
ベリーズカフェ様
エブリスタ様
カクヨム様
にも掲載しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
現実とサキュバスのあいだで ――夢で告白した相手が、同居を始めた話
そう
青春
ある日家に突然現れた謎のサキュバスのホルさん!
好感度はMAXなようで流されるがまま主人公はホルさんと日常を過ごします。
ほのぼのラブコメというか日常系小説
オチなどはなく、ただひたすらにまったりします
挿絵や文章にもAIを使用しております。
苦手な方はご注意ください。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる