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第二十五章
第三話
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「どうしたの? 鬼平くん! ねえ、何があったの? ねえ、聞こえてる⁉ 返事して! ねえ、お願い!」
鼓膜がびりびりするくらいに大きな声と共に、身体が揺さぶられていた。鬼平は閉じていた目を開けた。鬼平は額と鼻の下にびっしりと汗をかいていた。
感覚が遠ざかって、智香の顔が見えたが、本物だと思えなかった。まだ夢を見ているのだと思っていた。いや、夢の方が、鬼平には本物のように感じた。
それは相変わらず、鬼平の視界を奪って、呼吸するのを苦しめていた。生きているのが苦しかった。このまま苦しむくらいなら目を閉じて夢の世界に行ってしまいたいと思った。
だが智香は、悲壮な声をあげて、鬼平の身体を揺さぶり、この世界に引き留め続けていた。
「お願い! 返事して! じゃないと私……」
悲痛な願いと共に、鬼平の視界に僅かに映っていた智香の目に、涙が浮かんでこぼれ落ちた時、鬼平は首を動かさざるを得なくなった。それでも、まだ声は出なかったが。
「よかった! 意識はあるの? 立てる? 救急車呼ばないと……」
智香のころころ変わる表情を見ながら鬼平は、何とか声を出そうと思った。鬼平は何度も思いを口に出そうとして、失敗することを繰り返し、ようやく一言だけ、言葉にできた。
「……きゅ、」
「え? なに?」
鬼平は蘇ってしまった記憶を追いやるように唾を飲みこんだ。智香がその耳を鬼平の口に近づけた。
「救急車は、……いい。そ、それより……」
「え? 何?」
「ね、寝かして……」
そこまで言うと、鬼平は力尽きて、その場に大の字になって寝転んだ。意識はまだあった。心臓が激しく動いていた。
「え? でも、そんなところに寝てて、大丈夫なの? どうしよう、どうしよう」
ぐったりとして目を閉じている鬼平にも、智香が右往左往しているのが伝わってくる。
「そうだ! ちょっと待ってて。すぐ戻るから!」
智香はそう言って足早に去っていった。鬼平はしばらく教室の床に横になって、記憶と闘っていた。それが記憶だとわかるのは、その冷たい床の感触が絶えず呼びかけるからだった。
「お待たせ! 福田先生、こっち」
声がして、意識を外に向けると、足音が二つに増えていた。慌てて駆け寄る音と、智香とは別の人間の匂いがした。それが誰か考える前に、鬼平は肩を叩かれ、呼びかけられた。
「聞こえる? 聞こえたら返事をして」
鬼平は何とか目を開けて頷いた。続いて首筋や手首、額に熱を感じた。
「救急車はいらないって彼は言ってるんです。どう思います?」
「まだわからないけど、このままの状態なら呼んだ方がいいかも。立てる? 倒れた時どこか、頭とか打ってない?」
鬼平は首を横に振った。時間が経って、少しは身体を動かせるようにはなっても、まだ立ち上がることはできなかった。腰の方を強く打ったようだが、どこまで酷いのか自分ではわからない。
鬼平はもう一度立とうとして失敗した。福田先生に腕を掴まれ、転倒を防いでくれた。そのまま目を閉じる。とにかく今は立てないようだ。
「無理に立とうとしないで。下のベッドに運べたらいいんだけどね」
福田先生は、悩みながら唸っていた。するとそこで遠くから、
「どうしたんですか?」
と新しく誰かの声が聞こえた。鬼平はその声を聞いた途端に、自分が今いる教室がどこだったのか思い出した。そして、この都合のいい偶然に思わず笑みがこぼれたが、笑うだけの体力はなく、肩の力が抜けた。
「ああ! よかった。源先生。この子が突然倒れてしまったようで。意識はあるみたいなので、保健室まで運ぶのを手伝ってくれませんか?」
「鬼平じゃないか。一体どうしたんです?」
「急に倒れたみたいで……彼を知ってるんですか?」
「ええ、まあ。なるほど、それで? 保健室で大丈夫なんですよね?」
「はい。お願いできますか」
「もちろん。ほら、鬼平、掴まれ。手、伸ばせるか?」
鬼平が呼びかけに応じて薄っすら目を開けると、目の前に見覚えのあるジャージが映った。鬼平はそれを見てもまだ信じられなかった。――こんなことって、本当にあるんだろうか、あるのかもな。
鬼平は、そのいつ洗ってるんだかわからないジャージを着た源先生の肩に手を回した。
「よし! ……なんだ、お前。軽いなあ」
鬼平は太ももを抱えられ、背負われていた。源先生はあの大きな背中を思わせる足取りで保健室に向かった。
階段を下りる時、上下に揺られながら鬼平は、源先生の匂いが気になって仕方なかった。それから、ふと、もし源先生が自分の父親だったら、おんぶもしてくれたのだろうか、と思った。
鼓膜がびりびりするくらいに大きな声と共に、身体が揺さぶられていた。鬼平は閉じていた目を開けた。鬼平は額と鼻の下にびっしりと汗をかいていた。
感覚が遠ざかって、智香の顔が見えたが、本物だと思えなかった。まだ夢を見ているのだと思っていた。いや、夢の方が、鬼平には本物のように感じた。
それは相変わらず、鬼平の視界を奪って、呼吸するのを苦しめていた。生きているのが苦しかった。このまま苦しむくらいなら目を閉じて夢の世界に行ってしまいたいと思った。
だが智香は、悲壮な声をあげて、鬼平の身体を揺さぶり、この世界に引き留め続けていた。
「お願い! 返事して! じゃないと私……」
悲痛な願いと共に、鬼平の視界に僅かに映っていた智香の目に、涙が浮かんでこぼれ落ちた時、鬼平は首を動かさざるを得なくなった。それでも、まだ声は出なかったが。
「よかった! 意識はあるの? 立てる? 救急車呼ばないと……」
智香のころころ変わる表情を見ながら鬼平は、何とか声を出そうと思った。鬼平は何度も思いを口に出そうとして、失敗することを繰り返し、ようやく一言だけ、言葉にできた。
「……きゅ、」
「え? なに?」
鬼平は蘇ってしまった記憶を追いやるように唾を飲みこんだ。智香がその耳を鬼平の口に近づけた。
「救急車は、……いい。そ、それより……」
「え? 何?」
「ね、寝かして……」
そこまで言うと、鬼平は力尽きて、その場に大の字になって寝転んだ。意識はまだあった。心臓が激しく動いていた。
「え? でも、そんなところに寝てて、大丈夫なの? どうしよう、どうしよう」
ぐったりとして目を閉じている鬼平にも、智香が右往左往しているのが伝わってくる。
「そうだ! ちょっと待ってて。すぐ戻るから!」
智香はそう言って足早に去っていった。鬼平はしばらく教室の床に横になって、記憶と闘っていた。それが記憶だとわかるのは、その冷たい床の感触が絶えず呼びかけるからだった。
「お待たせ! 福田先生、こっち」
声がして、意識を外に向けると、足音が二つに増えていた。慌てて駆け寄る音と、智香とは別の人間の匂いがした。それが誰か考える前に、鬼平は肩を叩かれ、呼びかけられた。
「聞こえる? 聞こえたら返事をして」
鬼平は何とか目を開けて頷いた。続いて首筋や手首、額に熱を感じた。
「救急車はいらないって彼は言ってるんです。どう思います?」
「まだわからないけど、このままの状態なら呼んだ方がいいかも。立てる? 倒れた時どこか、頭とか打ってない?」
鬼平は首を横に振った。時間が経って、少しは身体を動かせるようにはなっても、まだ立ち上がることはできなかった。腰の方を強く打ったようだが、どこまで酷いのか自分ではわからない。
鬼平はもう一度立とうとして失敗した。福田先生に腕を掴まれ、転倒を防いでくれた。そのまま目を閉じる。とにかく今は立てないようだ。
「無理に立とうとしないで。下のベッドに運べたらいいんだけどね」
福田先生は、悩みながら唸っていた。するとそこで遠くから、
「どうしたんですか?」
と新しく誰かの声が聞こえた。鬼平はその声を聞いた途端に、自分が今いる教室がどこだったのか思い出した。そして、この都合のいい偶然に思わず笑みがこぼれたが、笑うだけの体力はなく、肩の力が抜けた。
「ああ! よかった。源先生。この子が突然倒れてしまったようで。意識はあるみたいなので、保健室まで運ぶのを手伝ってくれませんか?」
「鬼平じゃないか。一体どうしたんです?」
「急に倒れたみたいで……彼を知ってるんですか?」
「ええ、まあ。なるほど、それで? 保健室で大丈夫なんですよね?」
「はい。お願いできますか」
「もちろん。ほら、鬼平、掴まれ。手、伸ばせるか?」
鬼平が呼びかけに応じて薄っすら目を開けると、目の前に見覚えのあるジャージが映った。鬼平はそれを見てもまだ信じられなかった。――こんなことって、本当にあるんだろうか、あるのかもな。
鬼平は、そのいつ洗ってるんだかわからないジャージを着た源先生の肩に手を回した。
「よし! ……なんだ、お前。軽いなあ」
鬼平は太ももを抱えられ、背負われていた。源先生はあの大きな背中を思わせる足取りで保健室に向かった。
階段を下りる時、上下に揺られながら鬼平は、源先生の匂いが気になって仕方なかった。それから、ふと、もし源先生が自分の父親だったら、おんぶもしてくれたのだろうか、と思った。
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