びんの悪魔 / 2023

yamatsuka

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第二十八章

第四話

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 彼女は確かにそう言った。だが、何も手ごたえがなかった。智香は困惑した。まるで霧を口に含んだみたいだった。智香は失敗したのだと思っていた。

 だが、横にいた鬼平は何が起こったのかすぐにわかった。鬼平はびんの真上に浮かんでいる、〝悪魔の姿〟に釘付けになっていた。

「え? どこ? どこにいる?」

 智香が鬼平の視線を辿って上を向いた瞬間だった。智香は悪魔の“笑い”を見た。何かが、笑みを浮かべている。だがその“笑い”を浮かべているはずの姿はどこにも見えなかった。チェシャ猫のように“笑い”だけが漂っていた。

 智香はぎょっとして、思わず言葉を失ったが、すぐに切り替えて、挑むような目つきでそれを見ると、言った。

「こ、こんにちは。悪魔さん。やっと、会えたね。でも、あ、あなた、本当に悪魔なの? そのすてきな笑顔だけじゃ、残念だけど信じられないな。だから、私たちに証拠を見せてよ。あなたはどこから来たの? どんなものを見てきたの? 教えてくれない? 悪魔ならそれくらい、できるでしょ? でもちょっと待った! 対価はなし。そうじゃない? だって考えてみてよ、あなたには悪いけど、私たち以外、誰もこの話を信じないでしょ? ねえ、あなた、どうせ、喋る相手がいなくて退屈してるんでしょ? だったら話してみてよ、私たちが聞いてあげるからさ!」

 智香は途中、まごついていたが、やがて勢いづくと、そう啖呵を切った。

 鬼平は驚いて智香を見た。誰かが悪魔と取引をするのを見るのは、もちろん初めてだったが、それ以上にこんな、恐れ知らずの挑戦的な言い方に、鬼平の方がたじろいでしまっていた。

 智香は興奮した面持ちで鬼平に視線をちらっと向けた後、悪魔に向かって天使のような笑みを向けた。悪魔は変わらず笑みを浮かべ続けていた。

 二人は、悪魔の返答を待っていた。が、何も起こらない。返事はなく、失敗だと思った時だった。

 次の瞬間、返事の代わりに、智香と鬼平はまたしても何かを読まされていた。今度は二人とも同じイメージ……だと二人はその後ずいぶん長い間思い込んでいた。鬼平は始め、何を読んでいるのかわからなかった。それは智香も同じだった。そこだけは変わらなかった。

 二人が互いに何が起きているのか話し合う間もなく、またしても向こうから、イメージが押し寄せてきた。
 
 鬼平は、それまで見ていた廊下の景色が、ティッシュが水に濡れるようにドロドロに溶け崩れていくのがわかった。

 ぼやけた景色から移り変わり、その上に写真を差し出されたように、今は二人の抱き合う男女を見ていた。二人は、それぞれカーキ色の軍服に、白い花柄のワンピースを着ていた。二人は寂れた駅で別れ、その男と他から港に集められた男が見えた。彼らは、汚い小さな船にすし詰めに載せられて沈んだ。そしてある人は、ジャングルで野垂れ死に、あるいは大きな虫たちに食われ、空中では飛行機が散華した。閃光と爆音の後のキノコ雲、焼けた臭いに、黒焦げの死体、膨れ上がった死体……向こうには焼け野原になった都市が見えた。

 鬼平はそのイメージを見ていられなくなった。

「何? どういうつもり? 歴史の勉強をしたいわけじゃないんだけど」

 智香がいら立って声を発したのを鬼平は聞いた。それに応える形で、鬼平も何かを言おうとする。だがその前に、再びイメージが目の前を覆い、智香を隠してしまった。

 ぐるんとでんぐり返しをしたみたいに、視界が揺れ、またどこかに引っ張られる。鬼平は目が回りそうになるのを、何とか抑えて、意識を正しい位置に置こうと試みた。

 そこから見えてきたのは小さな部屋に酒瓶と一緒にいるしょぼくれた男の姿だった。その男は酒を飲み、そして、誰かに暴力を振るっていた……きっと、向こうでおかしくなってしまったんだわ……そう誰かが言う声が聞こえた。

 たくさんのおかっぱ頭の子供たちが見えた。やがて人々は過去を忘れるようにがむしゃらに働き、何もなかったはずの街には、物で溢れかえるようになった。

 成功とは国のために死ぬことではなくて、金で物を買えることになった。そんな中、理想の時代が訪れ、たくさんの血なまぐさい衝突があり、それが終わった。

 ビルが筍みたいににょきにょき生えて、大量の熱を放出した。その鏡のような窓は、真夏の太陽の光を反射していた。それは、もはや、理想も過去も映していなかった。

 だがその影に、失われたはずの神たちを復活させようと崇める人たちがいた。それらは目に見えるたくさんの肥えた神たちで、目に見えないものに救いを求める人たちから、お金を一銭残らず吸い上げた……。

 ここまで読まされた後、鬼平は疲労を感じた。すると少し、イメージの力が弱まったのがわかった。それでようやく、大量のイメージが一方的に悪魔から送られてくるが、その中から選び、文字に置き換えているのは自分なのだと気付いた。

 そして、時空を飛び越えるようなそれは、鬼平が持つ、想像力を最大限に使うらしく、彼の頭は沸騰しているように熱くなっていた。

 疲れ果てた鬼平は、もうこれ以上見たくない、今すぐ解放されたいと思った。何より今見ているものがびんの悪魔と何が関係あるのかわからなかったし、意味もよくわからなかった。だが悪魔はこの短い間で、鬼平が回復したのがわかったのか、イメージの奔流を続けて、鬼平もそれに反応することをやめることができなかった。

 やがて、神たちは再び力を失った。これで、すべてがなくなったかのように思えた。だが、吸い上げた力はまだたくさん残っていたし、神たちが作ったシステムも生きていた。それは以前より洗練され、受け継がれていた。今度の神は、自らを神と呼ぶことはしなかった。

 彼らは自分の話を他人に、まるで神のように話して聞かせた。それは独善的で、自分以外を決して認めなかった。だが、それを聞く人々はその力を求めた。自分もまた神になりたかったからだ。そうして彼らは、その見えないものを得るために、見えるものを周囲からかき集めていった。

 なぜならその見えるものは、みんなが見ていて見えないはずの、形をもった幻だったからだ……。やがてその力が一つに集まっていった。それがこのびんであり、それがお金であり、それがこの力の源なのだ……。

 ――鬼平はもう廊下の壁を見ようとしても、イメージで隠されてしまうことがないと気付いた。彼はまだ頭がくらくらしていたが、びんを見ていた。あの悪魔の笑みはなく、それを持っている智香も俯いて、鬼平が見つめると顔を上げたのを見て、意識が戻ってきたのだとわかった。

 鬼平は、今思い浮かべたことが、どこまで悪魔から受け取ったイメージで、どこまで自分で作り出したものなのかわからなくなった。
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