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第一章
常闇の森
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カレットは勇者と連れ立って森を歩いていた。勇者は、カレットの後ろをぴったりくっついてくる。
その身体は……もう裸ではなく、簡素な白い布の服を着ていた。勇者のあまりに貧相な姿に耐えられなくなった黒子の一人がこっそり通り道に置いてくれたのだ。
普通、こんな森に服が一式畳まれて置いてあるなど、どう考えてもおかしいのだが、勇者はそんなこと気にもしなかった。「おっ、ラッキー!」と言いながら、何の警戒心もなくその服に着替えた。
「ねえ~カレット、まだ~? 俺疲れたよ~」
後ろから情けない声で言われて、カレットは苛立ちながら振り返った。
「何を言っているんです! まだ歩き始めて三十分も経っていませんよ! 勇者がそんなに貧弱でどうするのです!」
カレットは檄をとばした。が、勇者:織部は、ヘラヘラとしている。
「だって、こんな遠いと思わないじゃん。ねえ、魔法でぴょーんって飛べないの」
「飛べません」
「俺、今年三十なわけ。身体はさ、正直だよな、もうあの頃みたいには動けないよ」
織部はカレットが聞いてもいないことをべらべらと、きびきび動くカレットの背中に訴えかけた。
「日頃から鍛練を怠らなければ年齢なんて、関係ありません」
カレットは取り合わなかった。
「厳しいなあ……おっ! 小川がある。ねえ、カレット、休憩して行こうよ~」
織部は輝く水面を見つけ、急に生気を取り戻したように提案した。
「そのような時間は……」
カレットが断ろうとした時、彼女の肩にピロ鳥がとまり、ピロピロと語りかけた。それを聞いてカレットは鳥に語りかける。鳥が空に羽ばたき、それからカレットは織部の方を向いて笑顔で言った。
「わかりました。では、ほんの少し、休憩しましょう」
それから数分後、二人は近くの空き地で、休憩をしていた。
織部は小川の水を飲みに、カレットは隠れていた黒子に、町の方で問題があって、到着時間を遅らせることになったと伝えに言った。
黒子は頷き、カレットは空地に戻った。その途中で、落ち葉が妙な形で並んでいるのが目に留まった。よく見るとそれは女神からのメッセージで「ごめーん。服着させるの忘れちゃった♡ (ノ≧ڡ≦)てへぺろ!」と書かれていた。
カレットはてへぺろ、というのがどういう意味なのかわからなかったが、それを見てなぜだかとても不愉快な気持ちになった。
「どうですか。体力は戻りましたか?」
空地に戻ると、脚を伸ばして座り込んでいる織部にカレットは聞いた。
「うーん、動きたくねえって感じ……?」
織部は空を仰いで答えた。
「そうですか」
カレットには好都合だった。
それから沈黙が流れた。織部は気まずそうにきょろきょろと頭を動かして、カレットを見ないようにし、カレットはその様子を退屈そうにしばらく眺めていた。
「……あの、」
それからとうとうその挙動不審ぶりに我慢できなくなって聞いた。
「なにか気になることでも?」
語気を強めて言う。
「え!?」
織部は素っ頓狂な声を出した。
「な、なにが?」
「あなた、ずっと首を動かしている。それはどうしてですか。なにかの気配でも感じるのですか?」
カレットは黒子の存在がバレてしまったのではないかと危惧して探った。
「い、いや? べ、別にな、ななんでもないが?」
織部はなぜか挑発的な表情でカレットを見返した。
「……隠しておくと後々損しますよ」
カレットが警告する。
「隠してなんかないって!」
織部は強く否定した。
「ただ、その、なんか、初めてだなって」
カレットは首を傾げた。
「何がですか。それを言ってもらわないと」
織部はカレットに見つめられて白状した。
「お、女の子と! こういう場所で二人っきりになったのが! わ、悪いかよ!」
織部は恥ずかしそうに顔を背けた。
「……ああ」
カレットはその答えを聞いて興味を失った。
「そうなのですね」
そして静かにその事実を受け止めた。
「変だろ。わかってんだよ。笑えよ。そっちの方が同情されるよりいい」
織部は卑屈になって言った。
「いえ、別に変だとは思いません」
カレットがきっぱりと否定すると、
「ほんと!?」
急に顔を明るくさせて織部が言った。カレットはその変化の大きさに戸惑いながら言葉を探した。
「……ええ。そのような人が、やはり最近多いと聞きます。特に勇者の方に」
カレットは散々考えた挙句、そう付け足した。織部はそれで勇気づけられたようだ。
「いや~そうだよな! 別にそんなのどうでもいいよな! 悩んで損した。ありがとうね、カレット! でもそうか、これで俺も、そういう経験をしたってことだ」
急に強気になって彼は言った。カレットは小さくため息をついた。
「……もう行きましょうか。すこし、長居をしすぎたようです」
カレットは立ち上がり、そう提案した。
「え、ああ、そうだな。さすがにそろそろ行くか」
織部も立ち上がる。その時立ち止まっているカレットに気付いて、背筋を伸ばした。
「あの、さっきのことですが、その、言いにくいのですが……実は、私も初めてなのです」
もじもじと言う。
「え、なにが?」
織部は察しの悪い男だった。
「ですから……もういいです!」
カレットはぷいと背を向けてしまった。そして織部を置いてずんずん森の奥に行ってしまった。
「ちょっと待ってよ! なんだよ急に!」
織部はわけのわからないままカレットを追った。そして彼女を追う内にようやくカレットの言葉の意味に思い至ると、にたにたと、気持ち悪い笑みを浮かべた。
「ねえ、そういうこと? え? マジっすか? いやあ~異世界! 最高~!」
織部はご機嫌な調子でカレットを追った。カレットはまるで織部を振り払うかのように進んでいく。と思うと、カレットは突然立ち止まった。織部は彼女にぶつかりそうになった。
「なんだよ急に!」
織部は文句を言った。カレットはその口を乱暴に塞いだ。そして囁き声で言った。
「しっ! 聞こえないのですか。物音です。それも、生き物の足音です!」
カレットは織部を見た。だが彼はポカンとしている。
「なにも聞こえないけど?」
カレットは織部にがっかりしながら、周囲の警戒するのを続けた。
――なんだ? 黒子ではない。 黒子なら私たちから十分離れた位置を保っているはずだ。鳥やフォミクスだとしたら大きすぎる。ドラヒルはこの時期にはいない。となれば……早い!
足音が急速に大きくなった。カレットがそちらを振りむこうとすると、
「うわっ!」
どすっと鈍い音と共に、織部が吹っ飛ばされた。織部は地面に腹を抱えてうずくまった。
カレットは急いで織部に近づき、腰に下げていた剣に手をかけた。
「やはりか」
カレットは正体を現した魔獣ファング(猪のような魔獣だ)に刃を向けた。
――まさか滅多に出会わないはずのファングに出くわすとはな、と、カレットは心の中で己の不運を恨んだ。
「織部さん! 聞こえていますか? 立てますか?」
ファングとにらみ合いながら横たわる織部に聞いた。
「う、うん。聞こえてる。けど、い、痛すぎて、動けない」
織部は情けなく笑った。
「そうですか。それならば仕方ないですね」
本当なら女神の加護“チートスキル”を使えるはずなのだが、しょうがない。
カレットは覚悟を決めて剣を持つ手に力を込めた。
「カレット? 何をする気だ? まさかあいつと戦うっていうのか?」
織部は信じられないと言った様子で聞いた。
「もちろん。他に案がありますか?」
カレットは不敵な笑みを浮かべた。
「で、でも! あいつ、興奮しているぞ。カレット、大丈夫なのか?」
「ファングなら、私でもどうにかなります!」
カレットは武者震いをした。
「ま、待て! 俺が、当てる! そうすれば一撃だろ!」
「その状態で、突進してくるファングに当てられますか?」
カレットは織部を見下ろしながら尋ねた。織部は苦悶の表情を浮かべていた。
「くそっ!」
「こっちだ」
カレットは織部から離れ、対峙するファングを誘った。ファングがカレットの誘いに乗り、その鋭い牙をカレットに向けた。
興奮した様子で、後ろ足で地面を蹴っている。突進するつもりだ。カレットは身構えた。
――大丈夫。十分に間合いを取れば、突進を受け流し、一撃を加えることができるはずだ。
カレットは息を吸い込み、ファングの攻撃に備えた……。
今にもファングが足を跳ね上げ、カレットに飛びかかろうとしていた時、遠くから、別の鳴き声が聞こえてきた。犬のような鳴き声。ソチが激しく鳴きながらカレットのところに近づいてきた。
「ソチ!」
茂みから現れたソチを見て、カレットは顔を明るくした。危機を察知して助けに来てくれたのだ。ソチはファングを見ると激しく吠えたてた。ファングは突然の援軍にたじろいでいるようだった。
「去れ」
カレットはその様子を見て、ファングに言った。
「お前の負けだ。二対一だぞ。死にたくはないだろう。それとも刺し違えてでもやり合うか?」
カレットはファングを諭した。ファングは、興奮した様子で息を荒げながら、足踏みをしていた。分が悪いとわかっているのだろう。しかし、怒りをおさめることができないのだ。カレットは警戒を緩めなかった。ただ心の中で「去ってくれ」と繰り返し祈っていた。しかし、ファングは突進してきた。それも迷いが生まれて勢いの削がれた突進。
「愚かな」
カレットは華麗にその突撃をよけると、ファングの背中を切りつけた。
ファングは悲鳴を上げて逃げて行った。
「……終わったようだな」
ファングの苦しそうな悲鳴が消えていくのがわかると、カレットは安堵のため息をつき、剣についた血を拭い鞘に納めた。そしてソチを撫で、
「よくやった。ソチのおかげだぞ」
とお礼を言った。
「カ、カレット。あいつ、もう行った?」
倒れたまま織部が聞いた。カレットは笑顔で頷いた。
「ええ、もう行きましたよ。今頃、激痛でのたうち回っていることでしょう。立てますか?」
カレットは織部に手を差し伸べた。
「う、うん、あ、ありがとう」
織部はその手を握って立ち上がった。
「では行きましょうか。ん? ああ、この子はソチ。私の友達なんです。きっと私の危機を察知してきてくれたんでしょうね」
カレットは横で尻尾を振っていたソチの頭を撫でた。
「え? ああ、そうなんだ」
織部はどこか心残りがあるようだった。カレットはそのことが気になったが、先を急いだ。
「待ってよ」
織部が遅れて追い付いてくる。
「まだ痛みますか? それならば少し休んでからでも……」
「違う!」
織部が大きな声で否定したのでカレットは目を丸くした。
「では、他に何か気になることでも……?」
カレットは織部を心配そうに見つめた。
どうしたのだろう。まるで崖から飛び降りようとしているかのような目つきをしている……。
勇者:織部はそこで俯いていた顔をあげると、真っすぐな目つきでカレットに言った。
「カレットさん。俺と、――結婚してくれませんか?」
カレットはそれを聞いて卒倒しそうになった。
――ああ、この人は、本当に何を言っているのでしょう……。
その身体は……もう裸ではなく、簡素な白い布の服を着ていた。勇者のあまりに貧相な姿に耐えられなくなった黒子の一人がこっそり通り道に置いてくれたのだ。
普通、こんな森に服が一式畳まれて置いてあるなど、どう考えてもおかしいのだが、勇者はそんなこと気にもしなかった。「おっ、ラッキー!」と言いながら、何の警戒心もなくその服に着替えた。
「ねえ~カレット、まだ~? 俺疲れたよ~」
後ろから情けない声で言われて、カレットは苛立ちながら振り返った。
「何を言っているんです! まだ歩き始めて三十分も経っていませんよ! 勇者がそんなに貧弱でどうするのです!」
カレットは檄をとばした。が、勇者:織部は、ヘラヘラとしている。
「だって、こんな遠いと思わないじゃん。ねえ、魔法でぴょーんって飛べないの」
「飛べません」
「俺、今年三十なわけ。身体はさ、正直だよな、もうあの頃みたいには動けないよ」
織部はカレットが聞いてもいないことをべらべらと、きびきび動くカレットの背中に訴えかけた。
「日頃から鍛練を怠らなければ年齢なんて、関係ありません」
カレットは取り合わなかった。
「厳しいなあ……おっ! 小川がある。ねえ、カレット、休憩して行こうよ~」
織部は輝く水面を見つけ、急に生気を取り戻したように提案した。
「そのような時間は……」
カレットが断ろうとした時、彼女の肩にピロ鳥がとまり、ピロピロと語りかけた。それを聞いてカレットは鳥に語りかける。鳥が空に羽ばたき、それからカレットは織部の方を向いて笑顔で言った。
「わかりました。では、ほんの少し、休憩しましょう」
それから数分後、二人は近くの空き地で、休憩をしていた。
織部は小川の水を飲みに、カレットは隠れていた黒子に、町の方で問題があって、到着時間を遅らせることになったと伝えに言った。
黒子は頷き、カレットは空地に戻った。その途中で、落ち葉が妙な形で並んでいるのが目に留まった。よく見るとそれは女神からのメッセージで「ごめーん。服着させるの忘れちゃった♡ (ノ≧ڡ≦)てへぺろ!」と書かれていた。
カレットはてへぺろ、というのがどういう意味なのかわからなかったが、それを見てなぜだかとても不愉快な気持ちになった。
「どうですか。体力は戻りましたか?」
空地に戻ると、脚を伸ばして座り込んでいる織部にカレットは聞いた。
「うーん、動きたくねえって感じ……?」
織部は空を仰いで答えた。
「そうですか」
カレットには好都合だった。
それから沈黙が流れた。織部は気まずそうにきょろきょろと頭を動かして、カレットを見ないようにし、カレットはその様子を退屈そうにしばらく眺めていた。
「……あの、」
それからとうとうその挙動不審ぶりに我慢できなくなって聞いた。
「なにか気になることでも?」
語気を強めて言う。
「え!?」
織部は素っ頓狂な声を出した。
「な、なにが?」
「あなた、ずっと首を動かしている。それはどうしてですか。なにかの気配でも感じるのですか?」
カレットは黒子の存在がバレてしまったのではないかと危惧して探った。
「い、いや? べ、別にな、ななんでもないが?」
織部はなぜか挑発的な表情でカレットを見返した。
「……隠しておくと後々損しますよ」
カレットが警告する。
「隠してなんかないって!」
織部は強く否定した。
「ただ、その、なんか、初めてだなって」
カレットは首を傾げた。
「何がですか。それを言ってもらわないと」
織部はカレットに見つめられて白状した。
「お、女の子と! こういう場所で二人っきりになったのが! わ、悪いかよ!」
織部は恥ずかしそうに顔を背けた。
「……ああ」
カレットはその答えを聞いて興味を失った。
「そうなのですね」
そして静かにその事実を受け止めた。
「変だろ。わかってんだよ。笑えよ。そっちの方が同情されるよりいい」
織部は卑屈になって言った。
「いえ、別に変だとは思いません」
カレットがきっぱりと否定すると、
「ほんと!?」
急に顔を明るくさせて織部が言った。カレットはその変化の大きさに戸惑いながら言葉を探した。
「……ええ。そのような人が、やはり最近多いと聞きます。特に勇者の方に」
カレットは散々考えた挙句、そう付け足した。織部はそれで勇気づけられたようだ。
「いや~そうだよな! 別にそんなのどうでもいいよな! 悩んで損した。ありがとうね、カレット! でもそうか、これで俺も、そういう経験をしたってことだ」
急に強気になって彼は言った。カレットは小さくため息をついた。
「……もう行きましょうか。すこし、長居をしすぎたようです」
カレットは立ち上がり、そう提案した。
「え、ああ、そうだな。さすがにそろそろ行くか」
織部も立ち上がる。その時立ち止まっているカレットに気付いて、背筋を伸ばした。
「あの、さっきのことですが、その、言いにくいのですが……実は、私も初めてなのです」
もじもじと言う。
「え、なにが?」
織部は察しの悪い男だった。
「ですから……もういいです!」
カレットはぷいと背を向けてしまった。そして織部を置いてずんずん森の奥に行ってしまった。
「ちょっと待ってよ! なんだよ急に!」
織部はわけのわからないままカレットを追った。そして彼女を追う内にようやくカレットの言葉の意味に思い至ると、にたにたと、気持ち悪い笑みを浮かべた。
「ねえ、そういうこと? え? マジっすか? いやあ~異世界! 最高~!」
織部はご機嫌な調子でカレットを追った。カレットはまるで織部を振り払うかのように進んでいく。と思うと、カレットは突然立ち止まった。織部は彼女にぶつかりそうになった。
「なんだよ急に!」
織部は文句を言った。カレットはその口を乱暴に塞いだ。そして囁き声で言った。
「しっ! 聞こえないのですか。物音です。それも、生き物の足音です!」
カレットは織部を見た。だが彼はポカンとしている。
「なにも聞こえないけど?」
カレットは織部にがっかりしながら、周囲の警戒するのを続けた。
――なんだ? 黒子ではない。 黒子なら私たちから十分離れた位置を保っているはずだ。鳥やフォミクスだとしたら大きすぎる。ドラヒルはこの時期にはいない。となれば……早い!
足音が急速に大きくなった。カレットがそちらを振りむこうとすると、
「うわっ!」
どすっと鈍い音と共に、織部が吹っ飛ばされた。織部は地面に腹を抱えてうずくまった。
カレットは急いで織部に近づき、腰に下げていた剣に手をかけた。
「やはりか」
カレットは正体を現した魔獣ファング(猪のような魔獣だ)に刃を向けた。
――まさか滅多に出会わないはずのファングに出くわすとはな、と、カレットは心の中で己の不運を恨んだ。
「織部さん! 聞こえていますか? 立てますか?」
ファングとにらみ合いながら横たわる織部に聞いた。
「う、うん。聞こえてる。けど、い、痛すぎて、動けない」
織部は情けなく笑った。
「そうですか。それならば仕方ないですね」
本当なら女神の加護“チートスキル”を使えるはずなのだが、しょうがない。
カレットは覚悟を決めて剣を持つ手に力を込めた。
「カレット? 何をする気だ? まさかあいつと戦うっていうのか?」
織部は信じられないと言った様子で聞いた。
「もちろん。他に案がありますか?」
カレットは不敵な笑みを浮かべた。
「で、でも! あいつ、興奮しているぞ。カレット、大丈夫なのか?」
「ファングなら、私でもどうにかなります!」
カレットは武者震いをした。
「ま、待て! 俺が、当てる! そうすれば一撃だろ!」
「その状態で、突進してくるファングに当てられますか?」
カレットは織部を見下ろしながら尋ねた。織部は苦悶の表情を浮かべていた。
「くそっ!」
「こっちだ」
カレットは織部から離れ、対峙するファングを誘った。ファングがカレットの誘いに乗り、その鋭い牙をカレットに向けた。
興奮した様子で、後ろ足で地面を蹴っている。突進するつもりだ。カレットは身構えた。
――大丈夫。十分に間合いを取れば、突進を受け流し、一撃を加えることができるはずだ。
カレットは息を吸い込み、ファングの攻撃に備えた……。
今にもファングが足を跳ね上げ、カレットに飛びかかろうとしていた時、遠くから、別の鳴き声が聞こえてきた。犬のような鳴き声。ソチが激しく鳴きながらカレットのところに近づいてきた。
「ソチ!」
茂みから現れたソチを見て、カレットは顔を明るくした。危機を察知して助けに来てくれたのだ。ソチはファングを見ると激しく吠えたてた。ファングは突然の援軍にたじろいでいるようだった。
「去れ」
カレットはその様子を見て、ファングに言った。
「お前の負けだ。二対一だぞ。死にたくはないだろう。それとも刺し違えてでもやり合うか?」
カレットはファングを諭した。ファングは、興奮した様子で息を荒げながら、足踏みをしていた。分が悪いとわかっているのだろう。しかし、怒りをおさめることができないのだ。カレットは警戒を緩めなかった。ただ心の中で「去ってくれ」と繰り返し祈っていた。しかし、ファングは突進してきた。それも迷いが生まれて勢いの削がれた突進。
「愚かな」
カレットは華麗にその突撃をよけると、ファングの背中を切りつけた。
ファングは悲鳴を上げて逃げて行った。
「……終わったようだな」
ファングの苦しそうな悲鳴が消えていくのがわかると、カレットは安堵のため息をつき、剣についた血を拭い鞘に納めた。そしてソチを撫で、
「よくやった。ソチのおかげだぞ」
とお礼を言った。
「カ、カレット。あいつ、もう行った?」
倒れたまま織部が聞いた。カレットは笑顔で頷いた。
「ええ、もう行きましたよ。今頃、激痛でのたうち回っていることでしょう。立てますか?」
カレットは織部に手を差し伸べた。
「う、うん、あ、ありがとう」
織部はその手を握って立ち上がった。
「では行きましょうか。ん? ああ、この子はソチ。私の友達なんです。きっと私の危機を察知してきてくれたんでしょうね」
カレットは横で尻尾を振っていたソチの頭を撫でた。
「え? ああ、そうなんだ」
織部はどこか心残りがあるようだった。カレットはそのことが気になったが、先を急いだ。
「待ってよ」
織部が遅れて追い付いてくる。
「まだ痛みますか? それならば少し休んでからでも……」
「違う!」
織部が大きな声で否定したのでカレットは目を丸くした。
「では、他に何か気になることでも……?」
カレットは織部を心配そうに見つめた。
どうしたのだろう。まるで崖から飛び降りようとしているかのような目つきをしている……。
勇者:織部はそこで俯いていた顔をあげると、真っすぐな目つきでカレットに言った。
「カレットさん。俺と、――結婚してくれませんか?」
カレットはそれを聞いて卒倒しそうになった。
――ああ、この人は、本当に何を言っているのでしょう……。
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