23 / 28
二十三話 実習獅子編
ここは夏地方の外輪山に広がる田舎町。
どこか懐かしさを感じる。自転車があるのも良い。
瓦屋根と真っ白な壁の屋敷はどれも目立って美しい。
その特別な白は、太陽光を極限にまで反射するだけでなく、屋内からも熱を発散させる夏地方特有の優れた技術だ。
建物は縦より横にスペースを使っているものが多く、道路には日陰を作るためにファサファサした薄桃色の花を咲かすネムノキの街路樹が並んでいて、風の通り道を作るために建物と建物は一定の距離を保っている。
強い日射に負けない涼しいそよ風は、ユニコーンの影響と理解していても不思議だ。
ユニコーンの恩恵は人だけでなく大自然に生きる動植物達をも助けている。
この地方では風が水の次に大切にされている。
風を起こすグリフォンの生きる秋地方に負けず劣らず。
そして、ユニコーンと並んで夏地方に生きるモンスターの代表と言えば獅子になる。
町から燃料電池バスに乗って草原へ下りる。
外輪山の内には、草原に森、湖沼に砂岩地帯と多様な環境が収まっている。
僕達は麓の、人と自然の境界線に建つ施設で彼らのグルーミング実習を行っている。
窓さえ開けていれば冷房いらずな所は素晴らしい。
「では始めちゃって下さーい」
指導してくださる先生は、腕は良いがノリの軽い初老の男性。
ただし顔が悪魔のように恐ろしく、それとは反対に華奢な体格で、さながらガーゴイルが人に乗り移ったようだ。
明るい調子でも恐ろしい顔は変わらない。
表情を作るのが苦手なのだろうか。
「どうした?」
「ごめん、何でもない」
今日は珍しく花屋敷さんと組んでいる。
逆瀬川ちゃんは、チャラチャラしたおじさんこと清荒神えにしさんに拐われた。
変な入れ知恵をされないだろうか。
まさか口説いたりセクハラなんてさすがにしないだろうと思うが女に飢えているエロオヤジの彼ならやりかねないので無性にそわそわする。
花屋敷さんからバシッと腰に気合いを注入されて僕は正気を取り戻した。
そうだ。僕が彼女に対して憂慮することは何もない。
「体調チェックは問題なし。川大くんには少し問題があるようだが」
「すみません」
「まろちゃんの事を気にしているのかい」
「え?いや別に」
「というより、心配の種はえにしくんだね」
「そう。たぶらかしやしないかって」
「心配ないだろう。彼女の方から申し出たのだから」
「そうなの?」
「うん。それに彼は思ったより頼りになる。だから、心配することはないよ」
心配どころか、僕は端から気に留めてなどいないのだがな。
あらためて、人工芝のマットに立つ獅子と真正面から向き合う。
体高は約百六十糎。
ライオンやシーサー、よりも獅子舞の獅子そのものに近い。
赤く短い体毛に、緑の巻き毛が首回り足回り、そして背中から尾へと続いている。
八の字の太眉と円らな瞳という愛嬌がなければ、その肉食獣然とした見た目から補食されるのではと恐怖して身がすくんでいただろう。
彼らは主に草原を巡り歩いて暮らす。
寿命は八十年ほどで、一生のうちに二から三度、最多で五頭まで子を残す。
彼らは自分達の全体個体数を把握しており、必要な時期を見定めて繁殖行動をする。
またそれだけでなく、夏地方に分布する各生物の個体数まで把握していると云われ、無益な縄張り争いの起こらぬよう生態系を監視しているそうだ。
以上のことから、生物の調和を司るモンスターとして人々に親しまれている。
「それではブラッシングを始めよう」
花屋敷さんの合図で僕はスリッカーブラシを手に取る。
獅子のブラッシングで厄介なのが彼らの特徴たる巻き毛だ。
体毛が柔毛なのに対して巻き毛は剛毛だ。
一本一本が頑固なのである。
それも巻いているから根本から先まで解きほぐすのに苦労する。
さらに毛のもつれがたくさん。
それなりに力を込めてガシガシ作業する。
これが中々に時間と手間のかかる。
よく手首を痛めたものだ。
終わりにコームを使い、毛並みを揃えながらもつれの最終チェックをする。
「花屋敷さん。こっち終わりました」
「よし。それでは次に耳掃除をしよう」
まず両耳を点検、それから耳の周辺や外耳道に生えている毛を指で抜いて、鉗子を使い耳掃除液を浸した綿で耳掃除を行っていく。
最後に乾拭きを忘れずに行う。
「ベイジングに移ろう」
「了解です」
僕は獅子を花屋敷さんに任せ、率先して準備に取り掛かる。
シャワールームへと足早に向かい、急ぎシャンプー等を用意する。
歳上を敬い立てる紳士の嗜みだ。
「ありがとう川広くん。しかし、二つともシャンプーみたいだよ」
「ああ……!」
あああああ!!
僕としたことが些細なミスを犯してしまった。
後ろを通りすぎた、えにしさんが鼻で笑うのも仕方ない。
僕自身を獅子身中の虫と例えよう。
僕はチームにいながらチームメイトに害を与える虫だと反省する。
「すみませんでした」
リンスの容器を今度こそ間違えずに用意する。
話を聞いていた逆瀬川ちゃんがついでに取って来てくれたことは黙っておくことにした。
花屋敷さんは獅子の耳に綿で栓をしながら、大人らしく咎人を優しい言葉で赦してくれる。
「そんなに落ち込まないで。誰にでもミスはあるよ」
熟練心技!獅子搏兎!
どんな小さなことにも全力で取り組まねばならない!
僕は恋を実らせるために厳しく己を律すると決めたのだ。
だからミスなどあってはならない。
「俺はもう二度と過ちは犯さないと己に誓った」
あの日にフラれ……。
あれは歳の差だけでない。
僕が一人の大人として未熟だったからフラれたに違いない。
「今度こそやり遂げてみせるさ」
「どうしたんだい?」
「見ててくれ。俺の魂のベイジング」
曲目、獅子奮迅。
僕はピアノ奏者さながらアップダウンリズムテンポ良く素洗いを行い、流れるような動きでシャピングとリンシングも続けて終えた。
拍手喝采は花屋敷さんへ。
彼という優秀な指揮者がいてこそ演じられたシンフォニーだ。
「タオルを取ってきます」
表面の汚れを最大限に素洗いで落とした。
毛の量の多い巻き毛の奥までシャンプーした。
口周りは細かく丁寧に洗った。
肉球の間まで見逃すことなく洗った。
毛がキュッとしまるまでリンスを流した。
完璧。一つのミスもない。
「タウエリングとドライングを終えたら休憩だ。もう一息、一緒に頑張ろう」
何を心配してくれているのか、花屋敷さんは獅子と同等に気を遣って僕を労ってくれた。
だがしかし、そこまで心配せずとも僕は平気だ。
血液が沸騰し心臓というエンジンを激しく吹かしてそこから迸るエネルギーが全身の歯車をさらに活発に駆動させている。
つまり僕は絶好調だ。
耳を乾拭きして、タオルで全身を包んで軽く押さえるようにして水気を拭っていく。
顔を吹くときはタオルの端が目に当たらぬよう気を付け、毛の量の多い巻き毛は乾きにくいので地肌の水分をしっかり取った。
「スタンドドライヤーを持ってきました」
「何から何まで用意してもらって悪いね」
「いえ、させてください。僕が望んでやっていることですから」
「しかし……」
「僕は若いので誰より働けます。どうぞ使ってもらって構いません」
「やる気があるのは感心するが……」
煮えたぎる僕とは正反対に花屋敷さんが煮え切らない態度を取るので、僕はドライヤーのスイッチをオンにして彼を焚き付けることにした。
しっかりしてほしい。
あなたの実力はその程度ではないはずだ。
生意気ながら僕が認めるからこそ男らしく何より憧れでいてほしいと願う。
「終わった……」
悪戦苦闘すること長い時間。
僕は燃え尽きた。
毛の量が多いのでグリフォン以上に乾かすのが大変だった。
乾いた巻き毛は幾分か柔らかく弾力を持っている。
このまま倒れ込んで獅子とお昼寝したい気分だ。
「かーわひろくーん」
先生がわざわざ変に伸ばした発音で僕を呼ぶ。
振り向くや、先生のしわしわおててが僕の頬にひやっと触れた。
熱が吸いとられるように抜けていく感覚がする。
「君、顔が赤くて熱中症になりかけてるみたい。しっかり休憩取って、水分も取って、体調が良くならなきゃ午後の実習は休んでもらうからねー。そこのところよろしくー」
何だって?熱中症になりかけてる?
先生は僕が反論する暇も与えず背中を向けて去っていった。
急に呆然として、とてつもない倦怠感が襲ってきた。
僕が弱るのを待っていたように。
気が付けば、僕は花屋敷さんにシャワー室に運ばれていた。
そして頭に冷水をぶっかけられた。
「少しは頭を冷やしなさい。自分の体調管理こそ、まずしっかり出来なきゃトリマーは務まらないよ」
そう穏やかな口調で叱られた。
厳しくも思い遣りある言葉だった。
「さ、お昼を食べて元気を出そう」
「百日紅さんのお弁当は愛情たっぷりだから絶対に元気が出るだろうよ。くー羨ましい」
えにしさんがタオルと戯れ言を同時に投げ寄越した。
せっかく冷えた頭が怒りで熱くなりそうだった。
でも実際に、百日紅のお弁当を食べたらすこぶる元気が出た。
彼女にも感謝だ。
今度、一緒に落花生掘りにでも行こう。
「もう大丈夫そうだねー」
「やれます」
「いーでしょう。では続けてー」
先生から許可を頂いて午後の作業に取り掛かる。
まずは爪切り。
獅子の爪は人と同じ平爪なので、人が使うのと同じ爪切りで整えてやる。
彼らの爪は生存闘争を控えた影響で退化したのだという説と、器用に果物を掴むために進化した説とで大きく二分している。
前脚の五本と後脚の四本を丁寧に切り揃えたら、最後の作業はトリミングを行う。
バリカンを使って、全身の巻き毛を綺麗に整える。
丸みを帯びるよう慎重に毛先を整えてゆく。
眉も整える。
手が震えそうなくらい緊張する部分だが、物怖じしていては上達出来ない。
全神経を研ぎ澄ませ集中して作業すればいい。
汗に気を付けながら作業を進めて時計の長針がちょうど一週した頃、満足に全身の毛並みを綺麗に仕上げることに成功した。
トリミングが終わった瞬間、花屋敷さんが「よくやった」とでも言うように僕のことを力強い眼差しで見詰めて頷いた。
僕は、ほっと一息吐いた。
花屋敷さんも、獅子さんも、お疲れ様でした。
「花屋敷さんが後で合流しようってさ」
「分かった。そうしよう」
実習を終え、僕達は町の祭に参加した。
そして早々にはぐれてしまった。
僕は逆瀬川ちゃんと二人きりで人の熱気に閉じ込められている。
田舎町とはいえ人が多く、少子化なんてまるで嘘のように思える。
ガーゴイルティーチャーが言うには、参加しているほとんどが観光客だそうだ。
彼らの目的である祭のメインイベントが獅子舞だ。
野生の獅子が喜びや楽しさを輪になって表現する舞で、彼らは昔より合図を受けると必ず集まって協力的に人の祭事を祝ってくれる。
それは名の通り、よく知る通りの獅子の舞だが、それだけなら低地にある町や彼らの生息地である草原でも見られる。
だがしかし、ここの獅子舞は特別で、ここでしか見られないクライマックスがある。
花火だ。
町の西側は崖になっていて、その向こうに広大な湖がある。
つまり湖上花火に適しているというわけで、さらに山の上だから花火は目と鼻の先でそれはもう迫力満点というわけ。
「花火、楽しみだね」
逆瀬川ちゃんにとって花火を実際に見るのは今日が初めてらしい。
僕も素直に楽しみで頷く。
人の壁に遮られてよく見えないが、もうすぐ陽が沈むだろうことは薄紫の空を見て分かった。
花火は間もなく打ち上がるだろう。
「川大くんの世界にも花火はあった?」
「あったよ。この世界は元いた世界と共通点が多いんだ。だから、僕はここへ来れた」
「じゃあ、私達にも共通点はあるかな?」
「髪や瞳の色、それに特徴的な長い耳を除けば変わらないだろう。……いや。そんなの関係なく僕らは同じ人間だよ」
「ん?そうだね」
「だからこそ、生まれた世界は違えど心を通わせ互いを理解することが出来るはずだ」
「え?」
「俺は争いのない、この命豊かな美しい惑星が好きだ。異世界の人達と絆を結び太平の世を共に守っていきたい」
「どうしたの?」
「世界を渡り、種を越え、人を繋ぎ、命を輝かせる。それが叶えられる仕事がある。それこそモンスタートリマー。だから俺はモンスタートリマーになろうと決めたんだ」
陽が沈み、星々の光が甦る。
黒と紫と赤、様々な色が折り重ねる天空を舞台に星々が歌い踊り出す。
「今宵、星空に誓おう。俺はモンスタートリマーになる」
「私も誓うよ」
「なら共に輝こう」
「共にって……」
ドドーン、パッ。
祝砲か、花火が一輪咲く。
「きれい……だね」
「ああ。花火は色とりどり。人の夢も同じ。美しくも儚く、それでも永遠だ」
「川大くんは大人だね」
そうとは言い切れないほど青く未熟だけど素直に受け止めて悪くないだろう。
彼女の前でくらい格好いい大人でありたいと僕は望んでいる。
どこか懐かしさを感じる。自転車があるのも良い。
瓦屋根と真っ白な壁の屋敷はどれも目立って美しい。
その特別な白は、太陽光を極限にまで反射するだけでなく、屋内からも熱を発散させる夏地方特有の優れた技術だ。
建物は縦より横にスペースを使っているものが多く、道路には日陰を作るためにファサファサした薄桃色の花を咲かすネムノキの街路樹が並んでいて、風の通り道を作るために建物と建物は一定の距離を保っている。
強い日射に負けない涼しいそよ風は、ユニコーンの影響と理解していても不思議だ。
ユニコーンの恩恵は人だけでなく大自然に生きる動植物達をも助けている。
この地方では風が水の次に大切にされている。
風を起こすグリフォンの生きる秋地方に負けず劣らず。
そして、ユニコーンと並んで夏地方に生きるモンスターの代表と言えば獅子になる。
町から燃料電池バスに乗って草原へ下りる。
外輪山の内には、草原に森、湖沼に砂岩地帯と多様な環境が収まっている。
僕達は麓の、人と自然の境界線に建つ施設で彼らのグルーミング実習を行っている。
窓さえ開けていれば冷房いらずな所は素晴らしい。
「では始めちゃって下さーい」
指導してくださる先生は、腕は良いがノリの軽い初老の男性。
ただし顔が悪魔のように恐ろしく、それとは反対に華奢な体格で、さながらガーゴイルが人に乗り移ったようだ。
明るい調子でも恐ろしい顔は変わらない。
表情を作るのが苦手なのだろうか。
「どうした?」
「ごめん、何でもない」
今日は珍しく花屋敷さんと組んでいる。
逆瀬川ちゃんは、チャラチャラしたおじさんこと清荒神えにしさんに拐われた。
変な入れ知恵をされないだろうか。
まさか口説いたりセクハラなんてさすがにしないだろうと思うが女に飢えているエロオヤジの彼ならやりかねないので無性にそわそわする。
花屋敷さんからバシッと腰に気合いを注入されて僕は正気を取り戻した。
そうだ。僕が彼女に対して憂慮することは何もない。
「体調チェックは問題なし。川大くんには少し問題があるようだが」
「すみません」
「まろちゃんの事を気にしているのかい」
「え?いや別に」
「というより、心配の種はえにしくんだね」
「そう。たぶらかしやしないかって」
「心配ないだろう。彼女の方から申し出たのだから」
「そうなの?」
「うん。それに彼は思ったより頼りになる。だから、心配することはないよ」
心配どころか、僕は端から気に留めてなどいないのだがな。
あらためて、人工芝のマットに立つ獅子と真正面から向き合う。
体高は約百六十糎。
ライオンやシーサー、よりも獅子舞の獅子そのものに近い。
赤く短い体毛に、緑の巻き毛が首回り足回り、そして背中から尾へと続いている。
八の字の太眉と円らな瞳という愛嬌がなければ、その肉食獣然とした見た目から補食されるのではと恐怖して身がすくんでいただろう。
彼らは主に草原を巡り歩いて暮らす。
寿命は八十年ほどで、一生のうちに二から三度、最多で五頭まで子を残す。
彼らは自分達の全体個体数を把握しており、必要な時期を見定めて繁殖行動をする。
またそれだけでなく、夏地方に分布する各生物の個体数まで把握していると云われ、無益な縄張り争いの起こらぬよう生態系を監視しているそうだ。
以上のことから、生物の調和を司るモンスターとして人々に親しまれている。
「それではブラッシングを始めよう」
花屋敷さんの合図で僕はスリッカーブラシを手に取る。
獅子のブラッシングで厄介なのが彼らの特徴たる巻き毛だ。
体毛が柔毛なのに対して巻き毛は剛毛だ。
一本一本が頑固なのである。
それも巻いているから根本から先まで解きほぐすのに苦労する。
さらに毛のもつれがたくさん。
それなりに力を込めてガシガシ作業する。
これが中々に時間と手間のかかる。
よく手首を痛めたものだ。
終わりにコームを使い、毛並みを揃えながらもつれの最終チェックをする。
「花屋敷さん。こっち終わりました」
「よし。それでは次に耳掃除をしよう」
まず両耳を点検、それから耳の周辺や外耳道に生えている毛を指で抜いて、鉗子を使い耳掃除液を浸した綿で耳掃除を行っていく。
最後に乾拭きを忘れずに行う。
「ベイジングに移ろう」
「了解です」
僕は獅子を花屋敷さんに任せ、率先して準備に取り掛かる。
シャワールームへと足早に向かい、急ぎシャンプー等を用意する。
歳上を敬い立てる紳士の嗜みだ。
「ありがとう川広くん。しかし、二つともシャンプーみたいだよ」
「ああ……!」
あああああ!!
僕としたことが些細なミスを犯してしまった。
後ろを通りすぎた、えにしさんが鼻で笑うのも仕方ない。
僕自身を獅子身中の虫と例えよう。
僕はチームにいながらチームメイトに害を与える虫だと反省する。
「すみませんでした」
リンスの容器を今度こそ間違えずに用意する。
話を聞いていた逆瀬川ちゃんがついでに取って来てくれたことは黙っておくことにした。
花屋敷さんは獅子の耳に綿で栓をしながら、大人らしく咎人を優しい言葉で赦してくれる。
「そんなに落ち込まないで。誰にでもミスはあるよ」
熟練心技!獅子搏兎!
どんな小さなことにも全力で取り組まねばならない!
僕は恋を実らせるために厳しく己を律すると決めたのだ。
だからミスなどあってはならない。
「俺はもう二度と過ちは犯さないと己に誓った」
あの日にフラれ……。
あれは歳の差だけでない。
僕が一人の大人として未熟だったからフラれたに違いない。
「今度こそやり遂げてみせるさ」
「どうしたんだい?」
「見ててくれ。俺の魂のベイジング」
曲目、獅子奮迅。
僕はピアノ奏者さながらアップダウンリズムテンポ良く素洗いを行い、流れるような動きでシャピングとリンシングも続けて終えた。
拍手喝采は花屋敷さんへ。
彼という優秀な指揮者がいてこそ演じられたシンフォニーだ。
「タオルを取ってきます」
表面の汚れを最大限に素洗いで落とした。
毛の量の多い巻き毛の奥までシャンプーした。
口周りは細かく丁寧に洗った。
肉球の間まで見逃すことなく洗った。
毛がキュッとしまるまでリンスを流した。
完璧。一つのミスもない。
「タウエリングとドライングを終えたら休憩だ。もう一息、一緒に頑張ろう」
何を心配してくれているのか、花屋敷さんは獅子と同等に気を遣って僕を労ってくれた。
だがしかし、そこまで心配せずとも僕は平気だ。
血液が沸騰し心臓というエンジンを激しく吹かしてそこから迸るエネルギーが全身の歯車をさらに活発に駆動させている。
つまり僕は絶好調だ。
耳を乾拭きして、タオルで全身を包んで軽く押さえるようにして水気を拭っていく。
顔を吹くときはタオルの端が目に当たらぬよう気を付け、毛の量の多い巻き毛は乾きにくいので地肌の水分をしっかり取った。
「スタンドドライヤーを持ってきました」
「何から何まで用意してもらって悪いね」
「いえ、させてください。僕が望んでやっていることですから」
「しかし……」
「僕は若いので誰より働けます。どうぞ使ってもらって構いません」
「やる気があるのは感心するが……」
煮えたぎる僕とは正反対に花屋敷さんが煮え切らない態度を取るので、僕はドライヤーのスイッチをオンにして彼を焚き付けることにした。
しっかりしてほしい。
あなたの実力はその程度ではないはずだ。
生意気ながら僕が認めるからこそ男らしく何より憧れでいてほしいと願う。
「終わった……」
悪戦苦闘すること長い時間。
僕は燃え尽きた。
毛の量が多いのでグリフォン以上に乾かすのが大変だった。
乾いた巻き毛は幾分か柔らかく弾力を持っている。
このまま倒れ込んで獅子とお昼寝したい気分だ。
「かーわひろくーん」
先生がわざわざ変に伸ばした発音で僕を呼ぶ。
振り向くや、先生のしわしわおててが僕の頬にひやっと触れた。
熱が吸いとられるように抜けていく感覚がする。
「君、顔が赤くて熱中症になりかけてるみたい。しっかり休憩取って、水分も取って、体調が良くならなきゃ午後の実習は休んでもらうからねー。そこのところよろしくー」
何だって?熱中症になりかけてる?
先生は僕が反論する暇も与えず背中を向けて去っていった。
急に呆然として、とてつもない倦怠感が襲ってきた。
僕が弱るのを待っていたように。
気が付けば、僕は花屋敷さんにシャワー室に運ばれていた。
そして頭に冷水をぶっかけられた。
「少しは頭を冷やしなさい。自分の体調管理こそ、まずしっかり出来なきゃトリマーは務まらないよ」
そう穏やかな口調で叱られた。
厳しくも思い遣りある言葉だった。
「さ、お昼を食べて元気を出そう」
「百日紅さんのお弁当は愛情たっぷりだから絶対に元気が出るだろうよ。くー羨ましい」
えにしさんがタオルと戯れ言を同時に投げ寄越した。
せっかく冷えた頭が怒りで熱くなりそうだった。
でも実際に、百日紅のお弁当を食べたらすこぶる元気が出た。
彼女にも感謝だ。
今度、一緒に落花生掘りにでも行こう。
「もう大丈夫そうだねー」
「やれます」
「いーでしょう。では続けてー」
先生から許可を頂いて午後の作業に取り掛かる。
まずは爪切り。
獅子の爪は人と同じ平爪なので、人が使うのと同じ爪切りで整えてやる。
彼らの爪は生存闘争を控えた影響で退化したのだという説と、器用に果物を掴むために進化した説とで大きく二分している。
前脚の五本と後脚の四本を丁寧に切り揃えたら、最後の作業はトリミングを行う。
バリカンを使って、全身の巻き毛を綺麗に整える。
丸みを帯びるよう慎重に毛先を整えてゆく。
眉も整える。
手が震えそうなくらい緊張する部分だが、物怖じしていては上達出来ない。
全神経を研ぎ澄ませ集中して作業すればいい。
汗に気を付けながら作業を進めて時計の長針がちょうど一週した頃、満足に全身の毛並みを綺麗に仕上げることに成功した。
トリミングが終わった瞬間、花屋敷さんが「よくやった」とでも言うように僕のことを力強い眼差しで見詰めて頷いた。
僕は、ほっと一息吐いた。
花屋敷さんも、獅子さんも、お疲れ様でした。
「花屋敷さんが後で合流しようってさ」
「分かった。そうしよう」
実習を終え、僕達は町の祭に参加した。
そして早々にはぐれてしまった。
僕は逆瀬川ちゃんと二人きりで人の熱気に閉じ込められている。
田舎町とはいえ人が多く、少子化なんてまるで嘘のように思える。
ガーゴイルティーチャーが言うには、参加しているほとんどが観光客だそうだ。
彼らの目的である祭のメインイベントが獅子舞だ。
野生の獅子が喜びや楽しさを輪になって表現する舞で、彼らは昔より合図を受けると必ず集まって協力的に人の祭事を祝ってくれる。
それは名の通り、よく知る通りの獅子の舞だが、それだけなら低地にある町や彼らの生息地である草原でも見られる。
だがしかし、ここの獅子舞は特別で、ここでしか見られないクライマックスがある。
花火だ。
町の西側は崖になっていて、その向こうに広大な湖がある。
つまり湖上花火に適しているというわけで、さらに山の上だから花火は目と鼻の先でそれはもう迫力満点というわけ。
「花火、楽しみだね」
逆瀬川ちゃんにとって花火を実際に見るのは今日が初めてらしい。
僕も素直に楽しみで頷く。
人の壁に遮られてよく見えないが、もうすぐ陽が沈むだろうことは薄紫の空を見て分かった。
花火は間もなく打ち上がるだろう。
「川大くんの世界にも花火はあった?」
「あったよ。この世界は元いた世界と共通点が多いんだ。だから、僕はここへ来れた」
「じゃあ、私達にも共通点はあるかな?」
「髪や瞳の色、それに特徴的な長い耳を除けば変わらないだろう。……いや。そんなの関係なく僕らは同じ人間だよ」
「ん?そうだね」
「だからこそ、生まれた世界は違えど心を通わせ互いを理解することが出来るはずだ」
「え?」
「俺は争いのない、この命豊かな美しい惑星が好きだ。異世界の人達と絆を結び太平の世を共に守っていきたい」
「どうしたの?」
「世界を渡り、種を越え、人を繋ぎ、命を輝かせる。それが叶えられる仕事がある。それこそモンスタートリマー。だから俺はモンスタートリマーになろうと決めたんだ」
陽が沈み、星々の光が甦る。
黒と紫と赤、様々な色が折り重ねる天空を舞台に星々が歌い踊り出す。
「今宵、星空に誓おう。俺はモンスタートリマーになる」
「私も誓うよ」
「なら共に輝こう」
「共にって……」
ドドーン、パッ。
祝砲か、花火が一輪咲く。
「きれい……だね」
「ああ。花火は色とりどり。人の夢も同じ。美しくも儚く、それでも永遠だ」
「川大くんは大人だね」
そうとは言い切れないほど青く未熟だけど素直に受け止めて悪くないだろう。
彼女の前でくらい格好いい大人でありたいと僕は望んでいる。
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発
ハーフのクロエ
ファンタジー
アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
転生した本好き幼女は、冷徹宰相パパのために暗躍します!~どんなピンチも本の世界に入れる『ひみちゅのチート』で解決でしゅ~
青空あかな
ファンタジー
ブラック企業に勤める本の虫でアラサーOLの星花は、突然水に突き落とされた衝撃を感じる。
藻掻くうちに、自分はなぜか赤ちゃんになっていることを理解する。
溺死寸前の彼女を助けたのは、冷徹な手腕により周囲から「血塗りの宰相」と恐れられるアイザック・リヴィエール公爵だった。
その後、熱に浮かされながら見た夢で前世を思い出し、星花は異世界の赤ちゃんに転生したことを自覚する。
目覚めた彼女は周囲の会話から、赤ちゃんの自分を川に落としたのは実の両親だと知って、強いショックを受けた。
前世の両親もいわゆる毒親であり、今世では「親」に愛されたかったと……。
リヴィエール公爵家の屋敷に連れて行かれると、星花にはとても貴重な聖属性の魔力があるとわかった。
アイザックに星花は「ステラ」と名付けられ彼の屋敷で暮らすようになる。
当のアイザックとはほとんど会わない塩対応だが、屋敷の善良な人たちに温かく育てられる。
そんなある日、精霊と冒険する絵本を読んだステラはその世界に入り込み、実際に精霊と冒険した。
ステラには「本の世界に入り込み、その本の知識や内容を実際に体験したように習得できる特別な力」があったのだ。
彼女はその力を使って、隣国との条約締結に関する通訳不在問題や皇帝陛下の病気を治す薬草探索など、様々な問題を解決する。
やがて、アイザックは最初は煩わしかったはずのステラの活躍と愛らしさを目の当たりにし、彼女を「娘として」大切に思うようになる。
これは赤ちゃんに転生した本好きアラサーの社畜OLが、前世の知識と本好きの力を活かして活躍した結果、冷徹な義父から溺愛される話である。
※最終話まで予約投稿済
転生無双の金属支配者《メタルマスター》
芍薬甘草湯
ファンタジー
異世界【エウロパ】の少年アウルムは辺境の村の少年だったが、とある事件をきっかけに前世の記憶が蘇る。蘇った記憶とは現代日本の記憶。それと共に新しいスキル【金属支配】に目覚める。
成長したアウルムは冒険の旅へ。
そこで巻き起こる田舎者特有の非常識な勘違いと現代日本の記憶とスキルで多方面に無双するテンプレファンタジーです。
(ハーレム展開はありません、と以前は記載しましたがご指摘があり様々なご意見を伺ったところ当作品はハーレムに該当するようです。申し訳ありませんでした)
お時間ありましたら読んでやってください。
感想や誤字報告なんかも気軽に送っていただけるとありがたいです。
同作者の完結作品「転生の水神様〜使える魔法は水属性のみだが最強です〜」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/743079207/901553269
も良かったら読んでみてくださいませ。
「戦力外」と追放されたコピー冒険者のチートスキル、発動条件は「誰も見ていないこと」でした 〜誰も一人にしてくれないので「見るな!!」が届かな
うつチャリンカー
ファンタジー
「お前には戦力としての価値がない」
役立たずの「模倣(コピー)」スキル持ちとして、勇者パーティを追放されたカナト。
彼の望みはただ一つ。誰もいない場所で、静かに、誰にも邪魔されず暮らすこと。
だが、彼が授かった真のスキルには、あまりに皮肉な条件があった。
【発動条件:誰も見ていないこと】
誰も見ていない場所でなら、彼は折れた剣を元通りにし、枯れた井戸を蘇らせ、さらには世界のバグさえも「修復」してしまう。
「(……静かに暮らしたいだけなのに)」
「声が出ていますよ、カナトさん」
なぜか先回りして観察してくる無表情な薬師。
「見えていないからセーフです」と言い張る盲目の詩人。
いつの間にか守護者に転職した元スパイ。
挙句の果てには、追放したはずの元リーダーまでが「戻ってきてくれ」と押しかけてくる始末。
――これは、本音がダダ漏れの修理屋が、本人の意図に反して周囲に愛され、いつの間にか英雄として記録されていく物語。
★全35話完結済み・毎日更新。エターなし。最後まで安心してお読みいただけます。
本作は他サイトでの重複投稿を同一名義で行っております。
「洗い場のシミ落とし」と追放された元宮廷魔術師。辺境で洗濯屋を開いたら、聖なる浄化の力に目覚め、呪いも穢れも洗い流して成り上がる
黒崎隼人
ファンタジー
「銀閃」と謳われたエリート魔術師、アルク・レンフィールド。彼は五年前、国家の最重要儀式で犯した一つの失敗により、全てを失った。誇りを砕かれ、「洗い場のシミ落とし」と嘲笑された彼は、王都を追われ辺境の村でひっそりと洗濯屋を営む。
過去の「恥」に心を閉ざし、ひまわり畑を眺めるだけの日々。そんな彼の前に現れたのは、体に呪いの痣を持つ少女ヒマリ。彼女の「恥」に触れた時、アルクの中に眠る失われたはずの力が目覚める。それは、あらゆる汚れ、呪い、穢れさえも洗い流す奇跡の力――「聖濯術」。
これは、一度は全てを失った男が、一枚の洗濯物から人々の心に染みついた悲しみを洗い流し、自らの「恥」をも乗り越えていく、ささやかで温かい再生の物語。ひまわりの咲く丘で、世界で一番優しい洗濯が、今始まる。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。