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すると彼らの目の前には思い切り豪快な日本庭園があり、その向こうは竹林だった。
そして通勤電車のロングシートは風流な茶室の縁側に変っていた。
「ここはどこですか?」
「茶室じゃ。見ればわかるじゃろう。それ以外に何が考えられる」
「僕はどうしちゃったのだろう?」
「茶室に来たのじゃ。そんなことも分からんのか?」
「はぁ」
「まあいい。ここならゆっくり話も出来る。茶でも飲め。羊羹も食え。運動をした後は糖分を取るが良い」
「運動と言っても一回と3分の2ですよ」
「ごちゃごちゃ申すな。その後コーチにしこたましごかれたじゃろう」
「それはそうですけど…」
「それにじゃな、ここの羊羹はえらく美味いのじゃ」
その途端、彼の傍らにお盆に載った羊羹とお茶が現れ、彼は自分の目を疑った。
だけど通勤電車から茶室に「空間移動」したことも、突然お茶と羊羹が現れたことも目の当たりにした彼は、この老人がただの「頭のイカれた酔っ払い」ではないということだけは確信した。
彼自身の頭がイカれていなければの話だが…
「何だか魔法みたいですね」
「魔法じゃ。あたりまえじゃ。さっきから言っておる。そもそも魔法以外でこんなことが起こってたまるものか!」
「じゃ、あなたは魔法使いなのですか?」
「ばかもん! わしが魔法使いに見えるか?」
「どうもすみません!」
「いやいや、また脅かしてしもうたな。気にせんでもよい。わっはっは。とにかくわしはプロ野球選手でもなければ、魔法使いでもないのじゃ。わしは福の神じゃ。最初に言ったじゃろう」
「そうでした。失礼しました。確か、八番手と…」
「そう何度も『八番手』を強調せんでも良いが」
「はぁ、すみません」
「そう何度も謝らんでも良い。わっはっは」
「はぁ」
「まあよい。ともあれ、魔法を使うのはわしも同じじゃな」
「それじゃ僕、本当に魔法の世界に来ちゃったのですか?」
「正確には魔界というのじゃ。まあ何の世界に来たのでも良い。遠慮せんでその羊羹を食え。食ったらいきなりロバになるような心配もない」
「ロバに?」
「お前さんのような丈夫な男がロバになれば、さぞかし役に立つじゃろうて。わっはっは」
「やっぱりロバになるのですか?」
「冗談じゃ。心配するな。さっさと食え」
「本当にならないの?」
「あたりまえじゃ。お前さんは今夜心の準備もないまま緊急登板させられた挙句ノックアウトされ、監督には最後通告を突きつけられ、その上あの屈強な怪力コーチにしこたましごかれたのじゃ」
「はぁ」
「そんな気の毒な奴にわしが意地悪をすると思うか? わしは福の神じゃ」
「そ…、そうですよね」
「じゃからわしは、お前さんが気の毒と思えばこそ、こうやって面倒を見ようと思ったのじゃ。福の神の端くれとして、お前さんを見過ごす訳にはいかんかった」
「僕を見過ごす訳にはいかない?」
「まあいい。さっさと羊羹を食え。ロバにはならん。保障する!」
「…本当に、ロバにはならないのですね。保障していただけるのですね!」
「あたりまえじゃ。そもそも魔界も文明が進んでおる。いくら役に立つとはいえ、あ~、それほどロバの需要もなかろう。お前さんをロバにしたところで大したもうけにもならん。それに、どうせロバにするのなら、今夜お前さんをしごいておった、あの図体のでかい怪力コーチの方が、余程高く売れるじゃろうて。わっはっは」
「あの怪力コーチがロバですか? それは役に立ちそうですね。ははは。それじゃ僕をロバにする必要なんか、全くありませんよね!」
「あたりまえじゃ」
「よし! この際何の世界でも構いません。何でも食べます。どうせ僕、今夜はノックアウトされたのだし、監督には見捨てられそうだし、もうやけくそです。じゃ、遠慮無く頂きます!」
そう言って彼が羊羹を食べ始めると、福の神はおもむろに持っていた巾着の紐を解き、中からツナギ服のように上下の繋がった、半透明のスーツのような物を取り出しだ。
「これがさっきから言うておった『魔法のピッチングフォーム』なのじゃ」
「ただの下着みたいですね。で、ウレタンフォーム製? あ、この羊羹美味しい。だけどピッチングフォームって、衣料品だったのですね」
それから彼は羊羹を食べ終えると、恐る恐る自分の頭の両側を触り、耳がロバになっていないことを確認し、少し安心した表情になった。
「ロバにはならんと言ったじゃろう。それと、さっきから何度も『衣料品の類』と言っておる。ウレタンフォーム製かどうかはわからんが」
「じゃ、何で出来ているのですか?」
「わからん! まあよいではないか。わっはっは」
「でも、こんな物がピッチングフォームなのですか? わっはっは」
「わっはっははいい。で、たしかに一見何の変哲もないスーツじゃ。じゃがこれは、とんでもない代物なのじゃ」
「と…、とんでもない代物?」
「実は、このスーツは今夜お前さんが投げた試合をテレビで解説しておった、ある人物の現役時代のピッチングフォームをモデルにして作ったのじゃ」
「ウレタンフォームで?」
「何で作ったかはこの際よいではないか、わっはっは」
「で、今夜の試合の解説? ああ、あの人ですね。現役時代は凄かったみたいですね。左肩の開かない理想的なピッチングフォーム。圧巻のインサイドのスライダー…」
「そうじゃ。その人じゃ。じゃがその人物をモデルにしたのには、少しばかり理由がある」
「というと?」
「その人物とお前さんの体格が、ぴったり同じだったのじゃ」
「そうか、確かにあの方は僕と同じくらいですね」
「じゃから、このスーツのモデルにはもってこいじゃった。しかもその人物はお前さん同様、それ程体格には恵まれんというのに、理想的なピッチングフォームで大投手になったじゃろう」
「そうみたいですね」
「じゃからお前さんの良い手本になると思うてのう」
「へぇ~、そうなんですか」
「ところが問題は、その魔法のピッチングフォームを作るに際し、その人物のピッチングフォームを、魔界の『立体ハイスピードカメラ』で撮影する必要があったということじゃな」
「魔界の立体ハハハ…」
「ハイスピードカメラじゃ。スローモーションを撮影するのじゃ。ただし単なるスローモーションではない。三次元的な動画をスローモーションで撮影するのじゃ」
「三次元的な動画をスローモーション…、何だかややこしいですね」
「そうじゃ。豪快にややこしいのじゃ。まあよい。それでその撮影の為には、そのカメラを持って、実際に球場で撮影をせんといかんし、過去へも行かんといかん」
「どうして過去へ行かなければいけないのですか?」
「そのお方は今は投げてはおらん」
「そうか。引退されてますもんね」
「じゃから現役時代の姿を求め、過去へ遡って撮影しに行く必要があったのじゃ」
「そうか」
「しかしわしは過去へは行けぬので、それで、あ~、知り合いの魔人に頼んで代わりに過去へ行ってもらい、そして…」
「どうして過去へは行けないのですか?」
「ごちゃごちゃ申すな。いろいろと大人の事情があるのじゃ」
「大人の…、事情?」
「まあよいではないか。それで、その立体ハイスピードカメラで、その人物の現役バリバリの頃のピッチングフォームの、三次元的な動画をスローモーションで、その魔人に撮影してきてもろうたという訳じゃ。わっはっは」
「撮影してきてもろうた、わっはっは? はぁ」
「それは遠い遠い昭和の時代のことじゃ」
「はぁ」
「どうもさっきからその『はぁ』が気になっておった。気が抜ける。もう少し気の利いた返事は出来んのか?」
「はぁ、すみません」
「何も謝ることはない。まあ良い。わっはっは。それでじゃ。実はその映像はその人物がある気の荒い外人選手にデッドボールを当てた時のものじゃった」
「デッドボールを?」
「インコースに、えぐるようなえげつないシュートを投げたのじゃ。しかもその外人選手は、ぶつけられた直後に激高し、マウンドまでダッシュしてのう。その人物は外人選手にボコボコにされたのじゃ。わっはっは」
「そんなことが…」
「まあいい。それでその時の映像を基にして作ったのがこのスーツじゃ。それを着てお前さんが投げる」
「え? じゃ、僕もボコボコにされるのですか?」
「訳のわからんことを言うな。殴られるシーンはカットした」
「はぁ、そうですか」
「しかしそれからが大変な作業なのじゃ。ハイスピードカメラじゃから、あ~、物凄い数の静止画が出来る。立体の静止画じゃ」
「立体の…、静止画?」
「まあよい。わしの話を聞け。それでじゃ。その一つ一つから鋳型を取ったのじゃ」
「鋳型を?」
「そうじゃ。とにかく粘土みたいな物で型を取るのじゃ」
「へぇー」
「そのためにわしは魔界の『鋳造技能士』の資格を取った」
「そんな資格があるのですか」
「そうじゃ。そしてそれらを元に、物凄い数のスーツを作る。少しずつ違った形のスーツなのじゃ。これはアニメーションみたいなものじゃな。しかも立体的な」
「アニメ? で、立体的…」
「あまり難しく考えんでもよい。それでわしは沢山のスーツを作るために魔界のいろんな縫製工場を当たったりもした」
「縫製工場ですか。魔界の…」
「そして最後に!」
「まだあるのですかぁ?」
「そうじゃ。魔界のアニメ製作会社に依頼してじゃな。沢山のスーツを元に、聞いて驚くな。それらを立体アニメーションに仕上げてもろうたという訳じゃ。つまり三次元的な動画じゃ」
「凄い! 何だかよくわかんないけど」
「わからんでもよい。凄いのじゃ。それを着てお前さんが投げる!」
「あ、でもそれ、デッドボールのときのフォームでしょう? それじゃ僕、デッドボールばかり投げてしまうんじゃ?」
「心配せんでもよろしい。アニメスタジオのスタッフが動画エディタで、フォームを微妙に修正してストライクになるように細工してある。しかもフォームはデッドボールのときのものじゃから、打者から見れば怖いことこの上なしじゃ。今、お前さんが投げておる、あ~、あのお人よしのようなフォームとは訳が違う」
「僕のフォームがお人よし…」
「気にするな。まあよいではないか。ともあれ、今や魔界もCG全盛での。そういうことは朝飯前なのじゃ」
「へぇー」
「とにかく、このスーツを着て投げれば天下無敵。年俸もうなぎ登り。ぜいたくな暮しが出来るぞ。高級車に乗って颯爽とスタジアムへ。家へ帰れば革張りの高級ソファーに100インチのプラズマテレビじゃ。ケチケチと満員電車なぞで通勤せんでも良いわい。わっはっは…」
福の神はそう言うと、早速そのスーツを広げた。
それには「手」の部分と「足」の部分もあった。そしてスーツの左の袖の辺りには小さなボタンが付いていた。
「これはスーツの電源スイッチじゃ。よいか、驚くな!」
そう言うと福の神はそのスイッチを押し、それからスーツを目の前にポンと放り投げた。
と、突然、スーツは生き物のように立ち上がり「セットポジション」の構えをした。
それはまさに解説をしていたその人物の現役時代のセットポジションの構えだった。
それから福の神はセットポジションに構えるスーツの「左手」にグラブを「右手」にボールを持たせた。
もちろんこれらは魔法で出したものに違いない。いずれにしても、そのスーツはセットポジションに構えた投手そのものの姿になったのだ。
ただし首から上が無いから不気味。
まあともかく、それから福の神は、
「実はここを押すとスーツが投球動作に入るのじゃ」と言いながらスーツの臍の辺りにある、もう一つのスイッチを指差した。そして、
「いいか、目を皿のようにして、よ~く見ておけ!」
そう言うと、福の神は臍のスイッチをポンと押した。
するとその直後、スーツが「投球動作」を開始した。
首のないスーツがあたかも生きているように動き始めたのだ。
もちろんそれは現役時代のその人物のフォームと瓜二つだ。
でも首のないスーツだけが投球動作をしている様子は、まさに「魔法のピッチングフォーム」だった。
彼は呆気に取られながら、そのスーツの「投球」の様子を見ていた。
ところでどこに投げる?
だけどいつの間にか現れていた、黒い着物を着た忍者のような人物がミットを持って座っていた。また魔法で出したに違いない。
そして素晴らしくキレの良い快速球が、忍者の持つミットにビシリと収まった…
「早速試してみんか。茶室の中で着替えて来い」
連載中 つづく
そして通勤電車のロングシートは風流な茶室の縁側に変っていた。
「ここはどこですか?」
「茶室じゃ。見ればわかるじゃろう。それ以外に何が考えられる」
「僕はどうしちゃったのだろう?」
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「はぁ」
「まあいい。ここならゆっくり話も出来る。茶でも飲め。羊羹も食え。運動をした後は糖分を取るが良い」
「運動と言っても一回と3分の2ですよ」
「ごちゃごちゃ申すな。その後コーチにしこたましごかれたじゃろう」
「それはそうですけど…」
「それにじゃな、ここの羊羹はえらく美味いのじゃ」
その途端、彼の傍らにお盆に載った羊羹とお茶が現れ、彼は自分の目を疑った。
だけど通勤電車から茶室に「空間移動」したことも、突然お茶と羊羹が現れたことも目の当たりにした彼は、この老人がただの「頭のイカれた酔っ払い」ではないということだけは確信した。
彼自身の頭がイカれていなければの話だが…
「何だか魔法みたいですね」
「魔法じゃ。あたりまえじゃ。さっきから言っておる。そもそも魔法以外でこんなことが起こってたまるものか!」
「じゃ、あなたは魔法使いなのですか?」
「ばかもん! わしが魔法使いに見えるか?」
「どうもすみません!」
「いやいや、また脅かしてしもうたな。気にせんでもよい。わっはっは。とにかくわしはプロ野球選手でもなければ、魔法使いでもないのじゃ。わしは福の神じゃ。最初に言ったじゃろう」
「そうでした。失礼しました。確か、八番手と…」
「そう何度も『八番手』を強調せんでも良いが」
「はぁ、すみません」
「そう何度も謝らんでも良い。わっはっは」
「はぁ」
「まあよい。ともあれ、魔法を使うのはわしも同じじゃな」
「それじゃ僕、本当に魔法の世界に来ちゃったのですか?」
「正確には魔界というのじゃ。まあ何の世界に来たのでも良い。遠慮せんでその羊羹を食え。食ったらいきなりロバになるような心配もない」
「ロバに?」
「お前さんのような丈夫な男がロバになれば、さぞかし役に立つじゃろうて。わっはっは」
「やっぱりロバになるのですか?」
「冗談じゃ。心配するな。さっさと食え」
「本当にならないの?」
「あたりまえじゃ。お前さんは今夜心の準備もないまま緊急登板させられた挙句ノックアウトされ、監督には最後通告を突きつけられ、その上あの屈強な怪力コーチにしこたましごかれたのじゃ」
「はぁ」
「そんな気の毒な奴にわしが意地悪をすると思うか? わしは福の神じゃ」
「そ…、そうですよね」
「じゃからわしは、お前さんが気の毒と思えばこそ、こうやって面倒を見ようと思ったのじゃ。福の神の端くれとして、お前さんを見過ごす訳にはいかんかった」
「僕を見過ごす訳にはいかない?」
「まあいい。さっさと羊羹を食え。ロバにはならん。保障する!」
「…本当に、ロバにはならないのですね。保障していただけるのですね!」
「あたりまえじゃ。そもそも魔界も文明が進んでおる。いくら役に立つとはいえ、あ~、それほどロバの需要もなかろう。お前さんをロバにしたところで大したもうけにもならん。それに、どうせロバにするのなら、今夜お前さんをしごいておった、あの図体のでかい怪力コーチの方が、余程高く売れるじゃろうて。わっはっは」
「あの怪力コーチがロバですか? それは役に立ちそうですね。ははは。それじゃ僕をロバにする必要なんか、全くありませんよね!」
「あたりまえじゃ」
「よし! この際何の世界でも構いません。何でも食べます。どうせ僕、今夜はノックアウトされたのだし、監督には見捨てられそうだし、もうやけくそです。じゃ、遠慮無く頂きます!」
そう言って彼が羊羹を食べ始めると、福の神はおもむろに持っていた巾着の紐を解き、中からツナギ服のように上下の繋がった、半透明のスーツのような物を取り出しだ。
「これがさっきから言うておった『魔法のピッチングフォーム』なのじゃ」
「ただの下着みたいですね。で、ウレタンフォーム製? あ、この羊羹美味しい。だけどピッチングフォームって、衣料品だったのですね」
それから彼は羊羹を食べ終えると、恐る恐る自分の頭の両側を触り、耳がロバになっていないことを確認し、少し安心した表情になった。
「ロバにはならんと言ったじゃろう。それと、さっきから何度も『衣料品の類』と言っておる。ウレタンフォーム製かどうかはわからんが」
「じゃ、何で出来ているのですか?」
「わからん! まあよいではないか。わっはっは」
「でも、こんな物がピッチングフォームなのですか? わっはっは」
「わっはっははいい。で、たしかに一見何の変哲もないスーツじゃ。じゃがこれは、とんでもない代物なのじゃ」
「と…、とんでもない代物?」
「実は、このスーツは今夜お前さんが投げた試合をテレビで解説しておった、ある人物の現役時代のピッチングフォームをモデルにして作ったのじゃ」
「ウレタンフォームで?」
「何で作ったかはこの際よいではないか、わっはっは」
「で、今夜の試合の解説? ああ、あの人ですね。現役時代は凄かったみたいですね。左肩の開かない理想的なピッチングフォーム。圧巻のインサイドのスライダー…」
「そうじゃ。その人じゃ。じゃがその人物をモデルにしたのには、少しばかり理由がある」
「というと?」
「その人物とお前さんの体格が、ぴったり同じだったのじゃ」
「そうか、確かにあの方は僕と同じくらいですね」
「じゃから、このスーツのモデルにはもってこいじゃった。しかもその人物はお前さん同様、それ程体格には恵まれんというのに、理想的なピッチングフォームで大投手になったじゃろう」
「そうみたいですね」
「じゃからお前さんの良い手本になると思うてのう」
「へぇ~、そうなんですか」
「ところが問題は、その魔法のピッチングフォームを作るに際し、その人物のピッチングフォームを、魔界の『立体ハイスピードカメラ』で撮影する必要があったということじゃな」
「魔界の立体ハハハ…」
「ハイスピードカメラじゃ。スローモーションを撮影するのじゃ。ただし単なるスローモーションではない。三次元的な動画をスローモーションで撮影するのじゃ」
「三次元的な動画をスローモーション…、何だかややこしいですね」
「そうじゃ。豪快にややこしいのじゃ。まあよい。それでその撮影の為には、そのカメラを持って、実際に球場で撮影をせんといかんし、過去へも行かんといかん」
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「そのお方は今は投げてはおらん」
「そうか。引退されてますもんね」
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「そうか」
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「どうして過去へは行けないのですか?」
「ごちゃごちゃ申すな。いろいろと大人の事情があるのじゃ」
「大人の…、事情?」
「まあよいではないか。それで、その立体ハイスピードカメラで、その人物の現役バリバリの頃のピッチングフォームの、三次元的な動画をスローモーションで、その魔人に撮影してきてもろうたという訳じゃ。わっはっは」
「撮影してきてもろうた、わっはっは? はぁ」
「それは遠い遠い昭和の時代のことじゃ」
「はぁ」
「どうもさっきからその『はぁ』が気になっておった。気が抜ける。もう少し気の利いた返事は出来んのか?」
「はぁ、すみません」
「何も謝ることはない。まあ良い。わっはっは。それでじゃ。実はその映像はその人物がある気の荒い外人選手にデッドボールを当てた時のものじゃった」
「デッドボールを?」
「インコースに、えぐるようなえげつないシュートを投げたのじゃ。しかもその外人選手は、ぶつけられた直後に激高し、マウンドまでダッシュしてのう。その人物は外人選手にボコボコにされたのじゃ。わっはっは」
「そんなことが…」
「まあいい。それでその時の映像を基にして作ったのがこのスーツじゃ。それを着てお前さんが投げる」
「え? じゃ、僕もボコボコにされるのですか?」
「訳のわからんことを言うな。殴られるシーンはカットした」
「はぁ、そうですか」
「しかしそれからが大変な作業なのじゃ。ハイスピードカメラじゃから、あ~、物凄い数の静止画が出来る。立体の静止画じゃ」
「立体の…、静止画?」
「まあよい。わしの話を聞け。それでじゃ。その一つ一つから鋳型を取ったのじゃ」
「鋳型を?」
「そうじゃ。とにかく粘土みたいな物で型を取るのじゃ」
「へぇー」
「そのためにわしは魔界の『鋳造技能士』の資格を取った」
「そんな資格があるのですか」
「そうじゃ。そしてそれらを元に、物凄い数のスーツを作る。少しずつ違った形のスーツなのじゃ。これはアニメーションみたいなものじゃな。しかも立体的な」
「アニメ? で、立体的…」
「あまり難しく考えんでもよい。それでわしは沢山のスーツを作るために魔界のいろんな縫製工場を当たったりもした」
「縫製工場ですか。魔界の…」
「そして最後に!」
「まだあるのですかぁ?」
「そうじゃ。魔界のアニメ製作会社に依頼してじゃな。沢山のスーツを元に、聞いて驚くな。それらを立体アニメーションに仕上げてもろうたという訳じゃ。つまり三次元的な動画じゃ」
「凄い! 何だかよくわかんないけど」
「わからんでもよい。凄いのじゃ。それを着てお前さんが投げる!」
「あ、でもそれ、デッドボールのときのフォームでしょう? それじゃ僕、デッドボールばかり投げてしまうんじゃ?」
「心配せんでもよろしい。アニメスタジオのスタッフが動画エディタで、フォームを微妙に修正してストライクになるように細工してある。しかもフォームはデッドボールのときのものじゃから、打者から見れば怖いことこの上なしじゃ。今、お前さんが投げておる、あ~、あのお人よしのようなフォームとは訳が違う」
「僕のフォームがお人よし…」
「気にするな。まあよいではないか。ともあれ、今や魔界もCG全盛での。そういうことは朝飯前なのじゃ」
「へぇー」
「とにかく、このスーツを着て投げれば天下無敵。年俸もうなぎ登り。ぜいたくな暮しが出来るぞ。高級車に乗って颯爽とスタジアムへ。家へ帰れば革張りの高級ソファーに100インチのプラズマテレビじゃ。ケチケチと満員電車なぞで通勤せんでも良いわい。わっはっは…」
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それには「手」の部分と「足」の部分もあった。そしてスーツの左の袖の辺りには小さなボタンが付いていた。
「これはスーツの電源スイッチじゃ。よいか、驚くな!」
そう言うと福の神はそのスイッチを押し、それからスーツを目の前にポンと放り投げた。
と、突然、スーツは生き物のように立ち上がり「セットポジション」の構えをした。
それはまさに解説をしていたその人物の現役時代のセットポジションの構えだった。
それから福の神はセットポジションに構えるスーツの「左手」にグラブを「右手」にボールを持たせた。
もちろんこれらは魔法で出したものに違いない。いずれにしても、そのスーツはセットポジションに構えた投手そのものの姿になったのだ。
ただし首から上が無いから不気味。
まあともかく、それから福の神は、
「実はここを押すとスーツが投球動作に入るのじゃ」と言いながらスーツの臍の辺りにある、もう一つのスイッチを指差した。そして、
「いいか、目を皿のようにして、よ~く見ておけ!」
そう言うと、福の神は臍のスイッチをポンと押した。
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もちろんそれは現役時代のその人物のフォームと瓜二つだ。
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彼は呆気に取られながら、そのスーツの「投球」の様子を見ていた。
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そして素晴らしくキレの良い快速球が、忍者の持つミットにビシリと収まった…
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