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第39話 感情
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一九三六年六月二十六日。
新聞各紙の一面には同じようなことが書かれていた。
『ドイツ兵、マジノ線ニ迫ル』
『フランス軍トドイツ軍、武力衝突カ?』
フランス政府が、ドイツ軍との戦闘を認めて公表したのだ。
「だいぶ緊張感高まってきましたね……」
宍戸は、興味本位で買ってきた新聞を読む。
「ナチス・ドイツが勝手に緊張感を高めているような気がしますけどね」
林が付け足すように言う。
「しかしこの時代の新聞って、だいぶ過激なことを書いているんですね……」
そういって宍戸は新聞をめくる。比較のために複数の新聞を買ってみたのだが、どの新聞も偏向報道ばりの極論しか書いてない。
「国民の間に流れる空気も、似たようなものですよ。実際、私の嫁と子供以外の家族は皆米国との戦争を望んでいますからね」
「史実もそんな感じだったなぁ……」
宍戸の感覚では、戦争は政府と軍部の独断によって開戦に進んだのではなく、新聞と国民が相互に過激化していったことで開戦に至ったという認識である。
事実、宍戸のいた二〇二〇年の世界でも、過激でシンプルな内容の記事を書いている新聞が売れている傾向にあった。その風潮は戦前でも変わらず、紙面と国民の間でエコーチェンバーしているようだ。
「この時代で情報を取得できる手段は新聞かラジオくらいだから、そりゃ気持ちのいい記事を書いたもん勝ちだよな」
宍戸は納得する。
その日の終業後、宍戸は自動車の運転手にある頼み事をした。
「すみません、向島区にいけますか?」
向島区は、二〇二〇年現在の墨田区にあった区である。昭和初期にかけて下町の様相を呈していたらしい。
「向島区には何用で?」
「ちょっと、国民の声というものを実際に聞いてみたいんです」
「分かりました。少し時間は掛かりますが、大丈夫ですか?」
「えぇ、問題ありません」
こうして向島区へと出発する。
自動車を走らせること約三十分。目的地に到着した。
宍戸は自動車から降りて、適当に周辺をブラブラしてみる。
夕飯時だが、町にはそれなりの活気があった。
「おう、兄ちゃん。見ない顔だな」
近くの八百屋の店主が、声をかけてくる。
「こんばんは。ちょっと向こうのほうから来まして」
「向こうのほうってぇと、どこだい?」
「浅草のほうなんですけど」
「浅草かぁ。あの辺りもだいぶ華族が増えて、平民には肩身が狭いんじゃないか?」
「そうかもしれませんねぇ……」
宍戸は適当に会話を流す。そして店頭に並んでいる野菜を見ながら、店主に話を振る。
「そういえば、最近の世界情勢の雲行きが怪しくなってきましたねぇ」
「あぁ、そうだなぁ。どうもフランスとドイツの軍隊がぶつかったって話じゃねぇか。向こうも向こうで気の毒だが、こっちもメリケンがいるから人のことは言えねぇな」
そういって近くにあった椅子にドカッと座る。
「しかしなぁ、メリケンの言うことをいちいち聞いていたら、帝国の身が持たねぇよ。こっちだって生活が一番なんだからな」
そういってタバコを取り出し、火をつける。
「でも、メリケンなんか皇軍が一発殴って終わりよ。黙って見てるなんぞ、日本男児として恥ずかしい。ここは戦争でもなんでもして、威厳を保たねぇとな」
タバコの煙を吐きながら、軽い口調で戦争のことを話す。
その言葉を聞いて、宍戸は察した。
(戦争に対する見方が軽すぎる……。先の日露戦争、第一次世界大戦の経験から、戦争は簡単で軽いものだと思ってるんだ……。あるいは戦後世代の俺が受けた教育が重すぎたのか……)
宍戸は、店頭の野菜から視線を外し、店主のほうに向ける。
「今日はもう帰ります。妻が家で待っているので」
「お、そうか。気をつけてな」
店主と別れた宍戸は、自動車のある方向とは逆に歩いていく。そして周りの会話に耳をすませる。
今晩の献立の話。貯金の話。子供が警官になりたいという話。
その中でも、ひと際多かった話題はやはり戦争の話だった。聞き耳を立てた感触では、概ね開戦には賛成している人が多いようだ。
「国民感情というのは、制御しようと思ってするものじゃないんだな……」
少し大回りして自動車の所まで戻ってきた宍戸は、そのまま邸宅へと帰る。
「お帰りなさい、和一様」
邸宅では、使用人のトミとすず江が出迎える。
「ただいま。……すず、一つ聞いてもいいかな?」
「はい、何でしょう?」
「すずは、アメリカと戦うのに賛成? 反対?」
そういうと、すず江は少し悲しげな顔をする。
「私は……、反対です。帝国がこのまま戦争の道に進めば、おそらく負けるでしょう」
「そうだよな……」
「ですが、それでも戦争をしなければならないのなら、私は帝国臣民として戦い抜くでしょう」
そのまなざしは、十五歳の少女としては勇ましすぎた。現状の日本が置かれている状況を把握した上で、無謀とも言える未来を受け入れる覚悟が出来ていたのだ。
その目を見た宍戸は、思わずすず江のことを抱擁する。
「か、和一様!?」
「すず、俺はこの国を戦禍に巻き込みたくない……」
「……はい、もちろんご存じです」
「俺、頑張るよ」
そういって宍戸は抱擁を止め、すず江の目をまっすぐ見る。
(守らなくては……! 国民を、この国を……!)
その時、カシャッと音がする。
宍戸がそちらを見ると、ガルシアがスマホで写真を撮っていた。
『ラブラブね!』
そういってガルシアは、その場を去っていった。
「和一様、今のは……?」
「まぁ、気にしなくていいよ」
(あとで消してもらうように頼むか……)
とりあえず、ガルシアのことは後回しにするのだった。
新聞各紙の一面には同じようなことが書かれていた。
『ドイツ兵、マジノ線ニ迫ル』
『フランス軍トドイツ軍、武力衝突カ?』
フランス政府が、ドイツ軍との戦闘を認めて公表したのだ。
「だいぶ緊張感高まってきましたね……」
宍戸は、興味本位で買ってきた新聞を読む。
「ナチス・ドイツが勝手に緊張感を高めているような気がしますけどね」
林が付け足すように言う。
「しかしこの時代の新聞って、だいぶ過激なことを書いているんですね……」
そういって宍戸は新聞をめくる。比較のために複数の新聞を買ってみたのだが、どの新聞も偏向報道ばりの極論しか書いてない。
「国民の間に流れる空気も、似たようなものですよ。実際、私の嫁と子供以外の家族は皆米国との戦争を望んでいますからね」
「史実もそんな感じだったなぁ……」
宍戸の感覚では、戦争は政府と軍部の独断によって開戦に進んだのではなく、新聞と国民が相互に過激化していったことで開戦に至ったという認識である。
事実、宍戸のいた二〇二〇年の世界でも、過激でシンプルな内容の記事を書いている新聞が売れている傾向にあった。その風潮は戦前でも変わらず、紙面と国民の間でエコーチェンバーしているようだ。
「この時代で情報を取得できる手段は新聞かラジオくらいだから、そりゃ気持ちのいい記事を書いたもん勝ちだよな」
宍戸は納得する。
その日の終業後、宍戸は自動車の運転手にある頼み事をした。
「すみません、向島区にいけますか?」
向島区は、二〇二〇年現在の墨田区にあった区である。昭和初期にかけて下町の様相を呈していたらしい。
「向島区には何用で?」
「ちょっと、国民の声というものを実際に聞いてみたいんです」
「分かりました。少し時間は掛かりますが、大丈夫ですか?」
「えぇ、問題ありません」
こうして向島区へと出発する。
自動車を走らせること約三十分。目的地に到着した。
宍戸は自動車から降りて、適当に周辺をブラブラしてみる。
夕飯時だが、町にはそれなりの活気があった。
「おう、兄ちゃん。見ない顔だな」
近くの八百屋の店主が、声をかけてくる。
「こんばんは。ちょっと向こうのほうから来まして」
「向こうのほうってぇと、どこだい?」
「浅草のほうなんですけど」
「浅草かぁ。あの辺りもだいぶ華族が増えて、平民には肩身が狭いんじゃないか?」
「そうかもしれませんねぇ……」
宍戸は適当に会話を流す。そして店頭に並んでいる野菜を見ながら、店主に話を振る。
「そういえば、最近の世界情勢の雲行きが怪しくなってきましたねぇ」
「あぁ、そうだなぁ。どうもフランスとドイツの軍隊がぶつかったって話じゃねぇか。向こうも向こうで気の毒だが、こっちもメリケンがいるから人のことは言えねぇな」
そういって近くにあった椅子にドカッと座る。
「しかしなぁ、メリケンの言うことをいちいち聞いていたら、帝国の身が持たねぇよ。こっちだって生活が一番なんだからな」
そういってタバコを取り出し、火をつける。
「でも、メリケンなんか皇軍が一発殴って終わりよ。黙って見てるなんぞ、日本男児として恥ずかしい。ここは戦争でもなんでもして、威厳を保たねぇとな」
タバコの煙を吐きながら、軽い口調で戦争のことを話す。
その言葉を聞いて、宍戸は察した。
(戦争に対する見方が軽すぎる……。先の日露戦争、第一次世界大戦の経験から、戦争は簡単で軽いものだと思ってるんだ……。あるいは戦後世代の俺が受けた教育が重すぎたのか……)
宍戸は、店頭の野菜から視線を外し、店主のほうに向ける。
「今日はもう帰ります。妻が家で待っているので」
「お、そうか。気をつけてな」
店主と別れた宍戸は、自動車のある方向とは逆に歩いていく。そして周りの会話に耳をすませる。
今晩の献立の話。貯金の話。子供が警官になりたいという話。
その中でも、ひと際多かった話題はやはり戦争の話だった。聞き耳を立てた感触では、概ね開戦には賛成している人が多いようだ。
「国民感情というのは、制御しようと思ってするものじゃないんだな……」
少し大回りして自動車の所まで戻ってきた宍戸は、そのまま邸宅へと帰る。
「お帰りなさい、和一様」
邸宅では、使用人のトミとすず江が出迎える。
「ただいま。……すず、一つ聞いてもいいかな?」
「はい、何でしょう?」
「すずは、アメリカと戦うのに賛成? 反対?」
そういうと、すず江は少し悲しげな顔をする。
「私は……、反対です。帝国がこのまま戦争の道に進めば、おそらく負けるでしょう」
「そうだよな……」
「ですが、それでも戦争をしなければならないのなら、私は帝国臣民として戦い抜くでしょう」
そのまなざしは、十五歳の少女としては勇ましすぎた。現状の日本が置かれている状況を把握した上で、無謀とも言える未来を受け入れる覚悟が出来ていたのだ。
その目を見た宍戸は、思わずすず江のことを抱擁する。
「か、和一様!?」
「すず、俺はこの国を戦禍に巻き込みたくない……」
「……はい、もちろんご存じです」
「俺、頑張るよ」
そういって宍戸は抱擁を止め、すず江の目をまっすぐ見る。
(守らなくては……! 国民を、この国を……!)
その時、カシャッと音がする。
宍戸がそちらを見ると、ガルシアがスマホで写真を撮っていた。
『ラブラブね!』
そういってガルシアは、その場を去っていった。
「和一様、今のは……?」
「まぁ、気にしなくていいよ」
(あとで消してもらうように頼むか……)
とりあえず、ガルシアのことは後回しにするのだった。
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