白鴉が鳴くならば

末千屋 コイメ

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第二十六話

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 唯はテーブルに叩きつけた小箱から小瓶を取り出す。少しひび割れているようにも見えた。先程力強くテーブルに叩きつけたことが原因らしかったが、彼女は気にする様子もなく、笑っている。矯正器具のワイヤーが照明できらきら輝くほどに口を開いて笑っていた。
「これはボクの最高傑作ダ。これがあれば、君の病気もカンタンに治すことがデキる。たちまち健康ソノモノになっちまうって魂胆サ!」
「へえ。すごい自信があるんだね。……でも、治験してないんでしょ?」
「そりゃあネ。治験なんて時間が勿体無い。ボクが作っていルんだカラ、そんなモノは必要ナイノさ。君自身のカラダで治験すれば良い!」
「……オレね、そういうギャンブルはけっこう好きだよ。でもさ、本当に……治るの?」
「ボクを信じテくれるなら治るサ!」
「オレはあんたの仕事を信じるけど、あんたの薬は信じられないかな。万が一、死ぬことになったら、あの子がかわいそーだからさ」
 雨泽は家でまだ寝ている雨涵のことを考えながら、愛おしさを感じられるような声色で語る。普段は飄々としている彼だが、こんな時は落ち着いているように見えた。そ
 その姿を見て、唯は大きく開いていた口を閉じる。ひび割れた小瓶の蓋を開き、自分に出された水のグラスに注いでいた。水の色が透明から徐々に紫色に変わっていく。いつしかグラスには濃い紫色の液体が満たされていた。妙な香りがする。腐った魚のようなにおいとも、カビのはえた蜜柑のようなにおいとも、なんとも形容のしがたい香りだった。鼻の良い彼が思わず「うぇっ」と声をもらしてしまう程度には、きつい香りだった。
「それ、オレに飲ませる気だったの? それなら、においで無理だよ」
「良薬は口に苦しって昔カラ言うダロ。これは効果も抜群だから、少しクサいのは、ご愛敬なんダ。でも、君は飲まないって言った。ボクが三時間かけて作ってアゲたのに、だ」
「三時間って短くない?」
 雨泽の言葉はごもっともだ。
 新薬を作るならば、もっと多くの時間を必要とするはずだ。そこに動物実験や治験が加わっていたとしても、早くても一年はかかる――と考えられる。それなのに、唯は三時間で作ったと言っている。彼女が天才だとしても、それはいくらなんでも早すぎるのではないかと考えた。
 その言葉に対して唯は自前のフォークをポケットから取り出して、グラスの中をぐるぐる掻き混ぜながら、こう答えるのだった。
「ボク、天才だからネ」
「いくらなんでも短いよ」
「アッヒャア、効果は保証スルよ。サア、なにはともあれ試してゴラン」
「だから、においからして無理だよ。オレには、こんな腐ったようなもの飲めない。それに、万が一のことがあったとしたら、あの子がかわいそーでしょ。今まで親に愛してもらえなかったんだから、オレが愛してあげて、おいしーくなるように、育てているんだからさ」
「じゃあ、君はドウして欲しいノ?」
「もう少しにおいの抑えた薬にしてよ。あと、きちんと効果が保証されるようなものが良い。オレがここで倒れてしまうと面倒なことになってしまう」
「オッケー。それなら、コレは改良しておいてアゲヨウ。モルモットに投与してカラ、君に投与できるようにしてアゲる」
「オレをモルモットにしないで」
「白い鴉ちゃん。ボクは、君を亡くすのは惜しいと思っていルから、殺すヨウな薬は創らないヨ。ボク、君のようなのが大好きダカラ!」
「ハイハイ、ありがとうね」
 唯は歪んだ笑みを浮かべながら、グラスを一気に飲み干す。ゲップを一つして、腹を撫でていた。
「ウーン、けっこう良い感じダ」
「あんたが飲むの……?」
「君が飲まないって言うカラ、勿体無いト思ってネ。なぁに、ボクの身体は対毒性が高イんだ。だから、どんなに毒を盛られても、死なないサ。ちなみに、ボクを食べると毒で死ヌよ。アッヒャア、アヒャアアヒャヤ!」
 腹を抱えて笑う彼女に雨泽は何も言えなかった。言い返す言葉が出てこないのだった。
 唯の話をまとめると、彼女は自分で自分の薬を飲み、解毒し、再び毒を食らうことで、自身に毒を溜めているとのことだった。だから、もしも彼女が死んで、闇市で食肉にされたとしたら、毒肉が市場に出回ることになる。彼女はその光景を地獄から眺めて高笑いしてやりたいんだと言っていた。それを聞いた雨泽がどれほど長い溜息を吐いたかは言うまでもない。
 それから彼女はまた昼に来ると言って去っていった。出勤前にヒト狩りしてきたようだった。時計の短針はちょうど八時を刺している。そろそろ家に置いて来た可愛い食材の目が覚める頃だ。
 雨泽は店の戸締りをして、家に一度戻った。
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