白鴉が鳴くならば

末千屋 コイメ

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第二十七話

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 俺はデスクで趙から送られて来たデータの確認をしていた。白鴉の病気による対処法、薬、治療方針、諸々が書かれている。口ではデタラメなことばかりを言っているかと思っていたが、文字にして、こういう書類形式で見ると、あいつはなかなか頭が良い女のようだった。さすがに天才は違うな。持っているものが生まれつき違うんだ、そして価値観も違う。あいつにしたら、白鴉はただの楽しい被検体だ。薬を作って助けてやるとか言っているが、ただ、自分の薬を試したいだけに過ぎない。助けようと本当に思っているかも定かではない。任せるとは言ったが、本当に任せて良かったのだろうか。そもそも、趙は医者ではない。治療だとか何だとか言っているが、あいつは趣味であれだけ薬を作っている。……これが凡人と天才の違いか。
 営業部のデスクは今日も人が少ない。外回りに出るのが普通だから、ここに座っているほうがおかしいとも言えるのだが、闇取引で失敗したのか帰ってきていないものもいるな。だから女は駄目なんだ。何も考えずに危険を冒し、こうして帰ってこなくなる。どうせ食肉にされたか、ヤク漬けにされて性奴隷として売り飛ばされたに違いない。
空きが出たら埋める必要がある。新卒採用で事務希望していたものが「営業の方が忙しくてね」とか言われてトバされてくることがある。事務で使い物にならないからって、合わない営業職にして、そのまま自主退職をさせようという考えだ。この会社はそういうところは真っ黒だ。だが、上に行けば行くほど、待遇は良くなってくる。
俺は上を目指す。それだけだ。
「部長、少しよろしいでしょうか?」
「何だ?」
 考えている間に新入社員だ。事務職を希望していた者だが、こちらにトバされて来た落ちこぼれの女。わからないことがあるならすぐに聞くと良いと言った言葉をすぐに実行する程度には、頭が良いようだ。そこは褒めてやらんでもない。さて、こいつはいったい何の用だか?
「実は、研究部の部長から声をかけられまして……」
「趙からか? 何と?」
「君のような子がボクは欲しいんだ! と言われまして……どうしたら良いのかと……私はまた人事異動になるのでしょうか……」
「その誘いにキミが乗るならば、人事部に俺から連絡をしてあげよう。だが、研究部は裏の部門だ。ここよりも更に厳しい扱いを受けることになる。部長があんなのだからよくわかるだろうが、泣き言は言ってられない」
「お断りをする場合はどうすればよいでしょうか」
「無視しておけ。あいつは無視に限る」
 関わると関わるだけくっついてくるような奴だ。だが、趙が直々に誘うとすれば、何か意味があるに違いないな。社内メールを送っておくか。すぐに返信がくる。あいつは暇なのか。部長だから、部下に任せて呑気に飴をしゃぶってるのか。
『薬の材料に良さそうだからね』
 なるほどな。そういうことだったか。
「研究部に行くと薬にされるところだったぞ。良かったな」
「え! それはどういう意味ですか!」
「そのままの意味だ。あいつは人を平気で実験動物にするからな」
 俺の言葉を聞き、女はその場に崩れ落ちるようになった。なんとまあわかりやすいことだ。これほどわかりやすい女もそういないだろう。邪魔になるから腕を掴んで退けようかとも思ったが、むやみに触るとセクハラだとか言われて面倒な事になりかねない。そのまま放置しといてやろう。
 俺がそうして部下の報告を受けながら押印作業や取引相手の資料作成をしていると電話が鳴り響く。直通電話に誰が何の用だ。
「ハイハイ、洋老大哥!」
「ああ、キミか。いったい何の用だ?」
「えっとねー、いつものアレを持ってきて欲しいんだ。唯姐姐が忘れたからさ」
「はあ……。まったく。わかった。昼過ぎに持っていこう」
「ありがとう老大哥! オレがぶっ倒れる前にお願いね!」
「縁起でもないことを言わないでくれ。夢見が悪くなる」
「鴉が鳴いてるから、早くね」
 一方的に話して電話を切られた。鴉が鳴いてるからって、それはお前のところの家族だろうが。まったく……。輸血バックと鉄剤を準備しておいてやらないとな。だが、研究部に行くのは面倒というか、今日は趙も出勤しているので、捕まるのは確実だ。さっきの女にお使いでも行かせてやるか。
「おい、キミ。研究部から持ってきて欲しいものがある。行ってくれるか?」
「い、嫌です! 薬にされてしまうのは嫌です!」
「薬にはしないと思うぞ」
「嫌ですっ!」
 だから女は嫌なんだ。泣けば許されるとでも思っているのか一歩も動こうとしない。面倒臭いったらありゃしない。
「それならもう今日は帰れ。ここにいられたら仕事の邪魔になる」
「そうさせていただきます!」
 おい、言葉のまま受け取って帰ろうとするな。仕事をしろ!
 女は荷物を片付けてさっさと出て行ってしまった。これだから近頃の若い者は嫌なんだ。どうしてそのまま帰ろうとする。ここは反抗して残るところだろうが。残ってバリバリ仕事をこなせ。
 仕方ないので俺は研究部へ向かう。相変わらず厳重なドアを何枚も通り、研究部の事務所へ辿り着く。
デスクでは、飴をしゃぶりながら趙が長い袖を揺らしていた。
「ヤアヤア、洋洋! ようこそ!」
「ようこそじゃない。キミのせいで女が帰ったぞ」
「あー、あの子カ。薬に良さそうダッタのにな。残念」
「残念とか言うな。こっちはただでさえ人手が足りなくなっているんだ」
「でもォ、それって、営業が下手なだけでショ。ボクならもっと上手くヤッテると思うナ!」
「誰でもキミのように接することができると思うな。まったく……」
「で、ここに来たからニは何か用がアルってワケだ!」
「ああ。白鴉に渡す輸血パックと鉄剤を貰いたい。キミが忘れてきたとか言っていたぞ」
「エー、ボクのお薬飲んダら解決スルと思って持っていかなかったダケナンダケドォ」
「そんなこと知るか。さっさと準備してくれ! 鴉が鳴いてるからとか言ってたぞ」
「そういえば、今日はヨク鳴いてルね。洋洋、食われチャうの?」
「縁起でもないことを言うな!」
「アッヒャアア! 良いねぇ、洋洋のソノ顔、とってもゾクゾクしちゃうヨ! 滾るネェ!」
「滾ってないで、さっさと用意してくれ!」
「はいはい。わかったよ。ボクに任せておいてくれタマエ!」
 趙はやっとこさデスクを立ち、奥へと引っ込んでいった。これですぐに準備をしてもらえるだろう。あいつのことだから、妙なオマケも一緒に持って来そうだが、その時はその時だ。お土産を増やせば増やすほど、白鴉も懐いてくれると良いのだが、そう簡単にいくやつでもあるまい。
 用意されたクーラーボックスを受け取る。趙はにんまり笑っていやがる。女の笑顔は可愛いものが良い。こいつの笑顔がただただ不気味なだけだ。不気味過ぎて驚いてしまうくらいだ。
「洋洋、一個だけボクからお知らせをしてあげヨウ!」
「何だ?」
「白い鴉ちゃん、そろそろお腹空いてるよ」
「あれだけ冷蔵庫に入っているのにか?」
「そうだけど、ネ。彼の異食症は、そう簡単に治らない。癖になっちゃってたら、大変ダネ。殺しは好きじゃないって言ってたけど、調理は大好きナンダ。だって、調理人ダヨ。調理人が調理しないでナニをスルっていうのさ」
「だったら、どうなんだ? 俺に何を求める?」
「ンー。洋洋には何もデキナイかな。あ、彼に食われてみるってのはドウ?」
「キミは馬鹿か」
「インにゃ、ボクは天才だ。天才! ダカラ、自分の患者は助けてアゲたいのさ!」
「医師でもないくせにな」
「ああそうさ! でも、ボクの薬で助けることは、デキるんだ! 今までもそうシテ助けてきた。そして、コレからも、ボクは人々に薬を作るンダ。救世主ダヨ、ボクは」
「それで何人死んだと思ってるんだ?」
「いつでも救いには犠牲が必要ナのさ」
 くるり、とフォークを回しつつ趙は答える。
こいつは相変わらずだ。未来を生きる人の為に、今死んでいく人がいる。そういう考え方も悪くはないが、特に罪の無い人々を犠牲にするのはどうなのか。それで飯を食っている俺が思うのもおかしな話になってしまうのだろうか。それは考えるだけ無駄ってものだろう。
 クーラーボックスを抱え、俺は研究部を後にした。背後から趙の声が聞こえる。
「ボクの助けが必要ならイツでも頼ってくれタマエヨ!」
 
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