はるなつ来たり夢語

末千屋 コイメ

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番外編

そのよん

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「夏樹先生や、まだ子はできないのかい?」
「あー……まだだなぁ」
 おはるがうちに来て半年ぐらいしてから、しょっちゅうこういうことを聞かれる。
 子供は授かるものだから、そうそう簡単にできやしないとは思う。玄人あがりが子を産むのがどれだけ珍しいことかって言われるくらいだから……、できたら良いとは思う。おのこでもおなごでもどっちでも良い。きっとおはるに似てべっぴんさんになるんだ。男なら美丈夫になりそうだし、女なら可愛いだろうな。
 今日は一人で往診している。おはるは母ちゃんと一緒に団子を作るとか言っていた。姑問題も無さそうで良かった。嫁と姑の仲が悪くて離縁したって話も聞いたことがある。突然実家に帰っちまうとかそういうのだ。そういや、おはるは実家が無いんだったな……。帰ろうにも帰れないか。
「夏樹」
「おっ! 今日もいっぱい運んでんだな?」
「これがうちの商いですからね。往診ですか?」
「おう。一通り終わったからぶらぶらして帰ろうかと思ったところだよ」
 車をひいた小焼に声をかけられたので、近付く。相変わらず色んな物が乗っている。薬箱を乗せても良いと言われたので、遠慮なく乗せさせてもらった。いやぁ、けっこう肩がこるんだよな。と言いながらおれが肩を回していたら、小焼が口を開いた。
「他の医者は薬箱をお付きに持たせていますよ」
「あー、そうだなぁ。でも、自分の物は自分で持ちたいだろ? 他人に持たせるのもわりぃしさ」
「それはまあ、そうですが……。うちの店の奴で良ければ、荷物持ちさせますよ」
「あはは。それなら、小焼が持ってくれよ。気心のしれたおまえなら安心して任せられっから。いや、別におまえの店の者が信頼できないとかじゃねぇからな!」
「わかりました」
 どういう意味の返事なんだ。
 小焼は相変わらずの仏頂面をしている。声も落ち着いていてよく通る低い声だ。だから、怒っているわけでも喜んでいるわけでもないのはわかるが、どういう意味の返事かはさっぱりわからない。
 大門を出て、堤を歩く。小焼はどこまで配達に行く気なのかわからないが、おれと歩幅を合わせて歩いてくれているようだった。おけいを置いていって泣かれているのを見かけたことがあるから、他人に合わせることを学んでくれたようだ。
「小焼、何処まで配達に行くんだ?」
「貴方の家までですよ」
「ああ、伊織屋に荷があんのか。だったらこの葛篭つづら、生薬が詰まってんのかな」
「いいえ、これは船宿の荷です」
「へ? じゃあ、うちの荷はどれだ?」
「貴方のは薬箱だけですよ」
「え、じゃあ、わざわざついてきてくれてんのか? そりゃわりぃ、もう自分で持つから!」
 おれは車に乗せた薬箱に手を伸ばす。その上に小焼の手が重なった。あったかい手だ。おれより大きくてがっしりしている。爪が欠けているのは噛み癖の影響だ。
「そのままで良いです。おけいに息抜きしろと言われていますので」
「うーん、でもなぁ、それだけお勤めが遅れるだろ?」
「かまいませんよ。貴方は私に薬箱を運んで欲しいと言いましたから」
「お、おう。そっか。じゃあ、任せるよ」
 手が離れる。再び隣に並んで歩みを進める。自分の手が熱を帯びているのがわかる。手を握って開いてを繰り返す。
 ……駄目だ。求めちゃいけない。もっと触りたいとか考えちゃいけねぇんだ。
 頭を横に振る。小焼が不思議なものを見るかのようにおれの顔を覗き込んでくる。
「何してるんですか?」
「な、なんでもねぇから!」
「そうですか?」
 赤い瞳がきらきら光って見えた。怖いくらいに美しい瞳だ。髪だって、星がこぼれおちそうなくらいに輝いて見える。本当に綺麗なんだ。綺麗過ぎて、憧れる。手を伸ばせば触れられる。思わず小焼の頬を撫でた手を引っ込める。
「わ、わりぃ!」
「私に触りたいなら触ってもらってもかまいませんが」
「い、いや、そりゃあ遠慮しとくよ。あはは」
 さすがにそこまで甘えるとまずい気がする。くすぶった心がじゅくじゅくになっているような気がした。このまま小焼をどうにかなんて、考えちゃいけない。心にそっと蓋をする。もしかしてわざとしてんのか?
「……なあ小焼。おれのことどう思ってる?」
「優し過ぎると思いますよ。自分のことを蔑ろにして、他人の世話ばかりして、余計な心配までして。そのくせ大雑把すぎるところもあります」
「お、おう……」
「少なくとも、嫌いではないです」
「そっか。ありがとな」
 そうそう。それだけで十分なんだ。その言葉だけで十分。それ以上を望んじゃいけねぇんだ。ろくなことにならないってわかってる。ぬかるみにはまって抜け出せなくなっちまう。
 おけいの気の病が拗れると大変なことになっちまうし、おはるだって何を言うかわからない。おはるに言っておいたほうが良いのかな……。なんだか気付かれてそうな気もするんだよな。
「そういえば、おけいから聞いたんですが……、貴方って縛られるのが好きなんですか?」
「何だよそれぇ!」
「おけいがおはるに縛り方を教えたと言っていたので、良かったですね」
「なんだか嫌な予感しかしねぇな……」
「それを聞いて思い出したんですが、夏樹が昔貸してくれた枕本は、緊縛や蛸が海女に絡みついているものが多かったですね……」
「そんなこと思い出さないでくれよぉ!」
 そういえばそうだったような気もしなくはないけど、思い出されたら気恥ずかしい。小焼は冗談を言うような声の調子でもなく、至極真面目だから、更に恥ずかしくなっちまう。昔からこういうやつだってわかってるんだけど、恥ずかしいものは恥ずかしい。
 店に着いた。ちょうどおはるが土間にいたんだろう。出てきた。
「小焼兄さん、配達かい? ご苦労様!」
「ええ。夏樹と薬箱を届けにきました」
「そりゃあ良いねえ。今度からせんせと一緒に往診に行っとくれよ。薬箱運んで欲しいんだ。わちきにゃ重いからさ」
 おはるはニカッと笑いながら小焼に言う。小焼は首を傾げた。これは少し考えている仕草だ。それからくるっとおれのほうを振り向いた。
「そのほうが良いですかね」
「でも、おまえだってやることあんだろ。ほら、おけいだって何言うかわかんねぇぞ」
「おけいは女相手なら何かやらかしそうですが……。夏樹は昔からの知り合いですからね」
「そりゃそうだけど……」
「それに、私は夏樹よりおけいのほうが好きです」
「急に惚気ないでくんなよ」
 すかさずおはるが声を発する。小焼があんまりにも真面目な顔をして言うので、おれもおはるも一緒に笑った。何で笑われたかわかっていない様子の小焼は首を傾げている。その仕草がまた可愛らしくて、図体のでかさにつりあわずにおかしくって、笑ってしまう。
「では、私はそろそろ……」
「おう。ここまで付き合わせて悪かったな。助かったよ、ありがとな」
「では、また」
「あばよ!」
「また遊びに来てくんな」
 踵を返した小焼の背を見送る。
 明日往診についてきたらどうすっかな。いくら払えば良いかもわかんねぇし、また聞いておく必要があるな。冗談なのか本気なのかわかんねぇし。
 おはるを見れば、なにやら上機嫌そうだった。にこにこしている。
「何か良いことあったか?」
「ん。お義母さんに褒められたのさ。わちきは料理の筋が良いってね」
「へえ、そりゃあ良かったな!」
 思わず頭を撫でてやっていた。子供扱いしたら怒るかなって思ったが、おはるは嬉しそうに撫でられてくれる。そのまま手を滑らせて頬を撫でる。すべすべだ。薬湯を飲んでるからかな。首を撫でれば「くすぐったいよ」と少し甘い声がこぼれた。
「何だいせんせ、したくなったのかい?」
「い、いや、おはるが可愛いからさ。あ痛っ!」
「か、可愛いなんて言わないでくんなよ! 恥ずかしい!」
 急に打たれて視界に星が散った。すぐに手が出ちまうのが玉に瑕だが、おはるは可愛い。でも言うと打たれるんだよなぁ……。
「もうっ、したくなったなら素直に言ってくんなよ。おけいから縛り方をきっちり教えてもらったから」
「縛らねぇで良いから!」
「じゃあ、目隠しでもするかい?」
「そ、そういう変わった手は頻繁にやるもんじゃねぇからな! よし、おれは養生所の中に奴らを診に行くよ!」
 おはるから逃げるようにして養生所に入る。寝かせたまんまの患者を診て、薬を処方して、の繰り返しだ。おはるが横に来たので生薬を出してもらう。慣れてきたから、けっこうな速さでおれが求めた薬を出せるようになった。たまに間違えることがあるから、しっかり確認することが必要だ。
 一息つく時には、おはるがお茶をいれてくれる。これがまた美味しいんだ。
「――で、その時のおけいの驚きようがおかしくって、わちきはふきだしちまったよ」
「あはは、そりゃあおかしいなぁ」
 こうやってお茶を飲みつつ、のんびり話をしていられるのも良い。おはるはいつでも楽しそうに話をしてくれるから、養生所で寝たきりのじいちゃんばあちゃんも楽しいと言っていた。誰にでも好かれて、おはるはすごいよな。しみじみしつつ、茶をすする。
「ところでせんせ、小焼兄さんのこと好きだよね?」
「おう、好――……あ……おはるのほうが好きだ!」
「ふふっ、その反応だと、おけいが言ってたことは本当のようだねぇ」
「あ、あいつ、何か言ってたのか……?」
「いンや。せんせには関係無いことさ」
「それ絶対関係あるだろ! 関係あることだろー!」
「夏樹せんせが小焼兄さんのことを好きでも、わちきはかまわないよ。だって、せんせはわちきの旦那様だからねぇ」
 襟首を掴まれて唇を押し当てられる。ぎゅうっと握りこまれて息ができなくなってくる。そのうち頭がぼーっとしてきて、絡みつく舌が心地良くて、訳がわからなくなってきた。腰のあたりを這い上がる快感に身体が熱くなってくる。
「こういうこと、小焼兄さんとしたいと思ってるのかい?」
「ちょっ、ちょっと、おはる! ヒッ……ぅ、ぁちがっ……、ィ、痛いぃ!」
 急に張り倒され、上に乗られる。おれの着物の合わせを強引に開いたおはるは舌なめずりをしている。射し込んだ光で目が微かにか赤く光って綺麗だ。って、見惚れてる場合じゃないんだって!
「乱暴にされるのが好きなのかい? 自分は優しいのにねぇ」
「やっ、やだ、おはる。抓ったら痛いってぇ!」
 乳を抓られて悲鳴が落っこちる。痛いはずなのに、変な刺激にぞくぞくしてくる。身体がびりびりしてきて、力が入らなくなってきた。おはるの袖を掴んでいた手が落っこちる。駄目だ、これ。息があがる。肌を撫でるおはるの手が愛おしくて、何も考えられなくなってきた。ああ、やっぱりおれ、好きなんだ。良かった。きちんと好きなんだ。
 おはるの手を引っ張る。おれの胸に倒れ込む。やわらかい胸が乗っかってあったかい。
「おれは、小焼よりおはるのほうが好きだ」
「そんなこといちいち言わなくても良いのさ。わかってるよ」
「あ痛っ!」
「でもまあ、夏樹せんせが小焼兄さんに抱かれたいって言うならわちきは止めないけど……」
「あー……それは違うなぁ。おれ、小焼に抱かれたいって思ったことねぇよ」
「へ? そんなら――」
「もうこの話はやめだやめ! それより、縛り方教えてもらったんだろ?」
「そうさ! 試してあげるよ!」
「……何でそんなに嬉しそうにしてんだ」
 おはるは口角をつりあげながら、麻縄を持って来た。
 ああ、これ、痕残りそうだなあ……。また笑われちまいそうだ。まっ、そういうのも良いかな。
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