はるなつ来たり夢語

末千屋 コイメ

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番外編

そのご

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 最近、なんだか身体が怠くって、いつでも眠くって、動くのも億劫になってきた。
 でも、それをせんせに言うと余計な心配させちまうだろうし、ただでさえ優しくて他人の事ばかり優先して考えるような人なんだから、わちきの事ばかり考えさせるのも……良いっちゃ良いんだろうけど……ううん。駄目だ駄目だ。せんせは、みんなのお医者さんなんだから、困ってる人のとこに行ってもらわないと! わちきは特別ってわかってるから、後回しで良いんだ。そうそう、後にしてもらりゃ良い。いつでも診てもらおうと思えば診てもらえるんだから。
 とか、思ってたら駄目な気もしてきた。吐き気がする。
「げほっ、けぽっ」
「かみさん大丈夫ですかい!」
「おいら、夏樹さん呼んで来やす!」
「おはるさん、こっちで寝ててください!」
 ……うん、わちきもこうなる気はしてたんだ。わちきが吐きだしたもんはすぐに片付けられていた。さすがに養生所にいる人らは勤めが速い。布団に寝かしつけられたから、おとなしく寝ておく。やかましいくらいの足音が聞こえてきた。
「おはる!」
「そんなに大声出さなくても聞こえるし、大丈夫だよ。寝てりゃ治るからさ」
 寝てりゃ治るとは思うんだ。眠いし。
 せんせは心配したように眉を八の字に下げている。つやつやの頬を抓ってやれば、安心したように笑った。その笑顔がまた人懐こい犬のようで、可愛らしいんだけど……、やっぱりまだ少し心配しているような顔だ。
「おはるの手、あったかいな。熱があんじゃねぇか?」
「へ?」
 額を合わせて熱を測られた。なんだかこっ恥ずかしくて、更に熱が上がっちまってるような気がする。脈を診たり、舌を診たり、他の患者と同じように、普段通りのことをされているはずなのに、なんだか変な気分だ。お医者なんだから、こういうことするのは、当たり前なんだけど……変に胸が弾む。
「何処も悪くなさそうだな……。恋わずらいか? なんてな!」
「あんたねぇ!」
「痛っ!」
 からりと笑うので、うっかり頭を小突いてしまった。せんせは相変わらずの人懐こい笑顔だ。
「あ、まだ吐き気はするか?」
「今はしないよ」
 わちきはあくびをする。眠い。とても眠い。なんだか乳が張ってるような気がする。そういや、月の経水ものがいつの頃からか無い。面倒臭いから無くて良いと思ってたんだけど……もしかして、その所為なのかね?
「あのさ、せんせ――」
「夏樹さん、すいやせん! ちょっと来てくだせぇ!」
「おうわかった、すぐ行く! わりぃおはる! また後で聞くよ。休んでてくれな!」
「……うん」
 せんせは慌てた様子で行っちまった。開きっぱなしの襖を見つめる。向こうから「火消しが」とかなんとか聞こえる。火事でもあったのかね……。火傷の急患が運ばれてきたのか。わちきも手伝いたいけど、今は眠い。怠くて動く気にもなりゃしない。せんせが休んでてくれって言ってたから、お言葉に甘えて休ませてもらっておこう。
 そんでまあ、わちきが次に目を覚ました時には、薄い桃色の着物が見えた。独特の甘い匂いがする。
「あ、おはるちゃん起きたやの」
「……おけいがどうしているんだい?」
「伊織屋さんの子から、おはるちゃんが具合悪くて寝てるって聞いたやの」
「あっそう」
 おけいは店の方に用があって来たんだと思う。そんで、話を聞いて、ついでにこっちに来てるってことなんだろうね。空色の髪が揺れている。
「風邪やの?」
「いいや。恋わずらいさ」
「うふふ。お熱いやの」
「夏樹せんせが冗談でそう言ったのさ。けっきょく、何かきちんとわかってないよ……。急患でどっか行っちまったから」
「おはるちゃん、ちょっと太ったやの?」
「あんた急に失礼だね」
 そりゃわちきも少し太ったような気がしてたけど……。そうはっきり言われるとカチンとくる。思わず手が出そうになったところをグッと堪える。この子は叩いたら泣いて面倒なことになっちまうから、叩いちゃいけない。小焼兄さんが出てきたらとんでもなく面倒臭いと思う。
「もしかして……熱っぽいとか吐き気がするとか眠たいとか怠いとか胸が張るとかなってるやの?」
「言ってもないのに、よくわかったね? そうなのさ」
「夏樹様に言うてないやの?」
「言ったらあの人心配しちまうし……その前にどっか行っちまったからね」
「それは言ったほうが良いことやの! ウチ、夏樹様呼んでくるの!」
「え、えええ!」
 おけいが大声を出すなんて珍しいこともある。わちきは驚いて布団の上で少し跳ねた。
 ちょっと間を置いて、おけいに引っ張られて、夏樹せんせが戻ってきた。着物が少し黒くなってるのはススがついたんだと思う。
「せんせ、向こうは大丈夫なのかい?」
「おう。あっちはもう任せといて大丈夫だよ。おれ以外にも医者はいるしさ」
 本当に大丈夫なのか少し心配だけど、他人のことばかり心配するようなせんせが大丈夫って言うから大丈夫なんだと思う。命の関わることは大雑把にならないから、そのへんは安心できる。他のことはかなり大雑把なところがあるから、包帯が変な丸まり方してたりとか変な折り目のついた着物とかあんだけど……。
「で、おけいから聞いたんだが……何で今まで言わなかったんだ?」
「そ、それは……その……ごめんよ……。せんせは忙しいし、わちきにばかりかまってらんないだろうし……、わちきはいつでも診てもらえると思ってさ……」
「そういうことは早く言ってくれ。おれも色々やることがあんだから」
「う、うん」
 優しくて怒ることが滅多に無いせんせの言葉の端が少し強い。やっぱり、病のことになると怒るんだ。ああもう、わちきは馬鹿だ。やっぱり馬鹿だ。もっと学がありゃ自分でどうにでもできたろうに。なんだか情けなくって、目が熱くなってきた。
「あ、夏樹様、おはるちゃん泣かせたやのー!」
「え、え、わ、わりぃおはる! 怒ってるわけじゃねぇから!」
「小焼様に土産話ができたやの」
「おけいも笑ってんじゃねぇよ! あー……おはる。えーっと……、おまえの、それは、その……苦しいだろうけど、おれには代われねぇし、病じゃないから心配しなくて良いからな!」
 頭を優しくぽんぽん撫でられる。夏樹せんせの隣でおけいがにこにこしている姿が見えた。病じゃないなら、何だって言うんだろ……?
「夏樹さーん! すいやせーん!」
「あーい! すぐ行くよー!」
 また行っちまったし。
 胸にぐるぐるが渦巻いて、なんとも言えない気分になる。
「ウチ、安産のお守り貰ってくるやの」
「へ? 安産」
「おはるちゃん、ができたやの」
「は? やや子って何だい?」
「えっと……、お腹に、子供ができてるやの」
「は?」
 わちきの腹に……? 誰の子だとかは考えなくて良いんだ。きっと、きっと、せんせの子だ。間違いない。やっぱり目が熱い。嬉しくって泣くのもなんだか恥ずかしい。おけいの泣き虫が移ってきてんのかもしんない。
 腹を撫でる。そっか、ここに……いるんだ。
「わりぃおはる! 話の続きなんだけど――」
「もうおけいから聞いたよ」
「え、あ、そ、そうか」
 慌てた様子で戻ってきた夏樹せんせの大きな目がぱっちり開かれる。何でこんなに驚いてんだろう、この人。
 それを見たおけいがくすくす笑っていた。
「子供ができたってことなんだよね?」
「おう。そうだよ」
「便だったらどうしようかねぇ」
「え、おはる便秘なのか? 胃薬作るか?」
「冗談だから、作らないで良いよ! もう、ほんと、優しいんだから……」
 すぐに何かしようとしてくれるのは嬉しいんだけど、危なっかしいところもあるんだ。そこがまた可愛いとか思うのはわちきもだいぶ毒されちまってるんだと思う。
 せんせの手がわちきの腹に触れた、と思えば乳房を掴んでいた。
「せんせ?」
「乳が張ってんのはわかってたんだけど、月の経水ものかと思ってたんだ。でも、血が出てる感じはずっとしてなかったからさ……、なんだかおかしいとは思ってたんだけど、そういうことだったんだな」
「至極真面目に話をしながらわちきの乳を揉んでるのは何でだい?」
「それは、触りたいだけだ! あ痛っ!」
「あんたねぇ!」
 あきれて何も言えやしない。隣でずっと笑ったまんまのおけいがいるのが気になって仕方ない。すんごく笑われものにされてんのに、夏樹せんせは気にしていないのか、慣れてるだけなのか、いつものように優しい笑みだ。
「二人のお熱いのを見てたら、ウチも小焼様といちゃいちゃしたくなったから、そろそろ帰るやの。また今度お祝い持ってくるやの」
「あはは、小焼によろしくな」
「うん。伝えておくの」
 そう言い残して、おけいは去っていった。また笑い話を土産に持たしちまった。小焼兄さんが笑うのかどうかはわかんないけど。
 それからまたすぐに、せんせは呼び出されていた。ちっともゆっくり話してらんない。何で今日はいつもに増して忙しいんだか。転んだとかぶつかったとかそういう怪我人が来ているようだった。せんせは外科もできるから、こうやって訪ねてくる人も多いんだ。
 わちきはあくびをする。やっぱり眠い。寝よう。
 次に目を覚ました時には、布団の周りに赤飯だとか紅白饅頭とか太鼓やなんだか色々置かれていた。
 ……ちと、気が早すぎやしないかい?

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