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プロローグ①
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2020年3月1日、文明は崩壊した。
人々が積み上げてきた科学も倫理も、その他諸々も。
ありとあらゆるものは、一夜にして失われた。
いや――正しくは、ダンジョンに飲み込まれたのだ。
夜どころか、日中でさえ人が道を歩けなくなる。
そんな日が来るなんて、あの日以前の誰が気づけただろう。
いや、本当の始まりである1月1日の時点で、
終末論を叫ぶ人たちも存在したか。
結局のところ、気づこうが気づくまいが、
その多くは、どうせもう死んでいるのだろう。
△ △ △
――2年後
【2022年3月1日】
今日は生憎の天気だ。
雨は降らないのに、風だけは強い。
この二年で、奏はこの手の天気が好きではなくなった。
こんな日は、風が余計なものを運んでくる。
埃や砂だけではない。
焦げた金属の匂い。
膿んだ肉の匂い。
そして、死臭。
鼻をつくそれに、眉をひそめることもなく、奏は歩いていた。
安全地帯と呼ばれる区画の外縁。
簡易バリケードと監視塔に囲まれた、かろうじて「人が暮らせる」場所だ。
昨日から帰ってこない探索者が多いらしい。
だから今日は、匂いが濃い。
「おい、奏。昨日のダンジョンの話、聞いたかよ。
一層までリザードマンが溢れてきたらしいぜ」
隣を歩く蒼の声は、どこか張りつめていた。
「あぁ、そうなのか。
どおりで今日は死臭が強いと思ったんだ」
自分でも驚くほど、声は平坦だった。
恐怖も動揺も、もう先に来ない。
「お前、淡白だな」
蒼は小さく息を吐く。
「俺たちが死んでても、おかしくなかったんだぞ」
「確かにそうだな。悪い、蒼」
少しだけ間を置いて、奏は続けた。
「平和だったときのことを考えてたんだ。
人の生死の話をするには、平和ボケしていたよ」
「しっかりしてくれよな」
蒼の声には、焦りが滲んでいた。
「本当、俺たちも他人事じゃないんだから」
「あぁ、わかってる」
それが本音だったのか、
それとも、ただの癖になった返事だったのか。
奏自身にも、もう区別はつかなかった。
会話はそこで途切れた。
△ △ △
2022年1月1日。
全世界で同時に、震度で言えば小さいが、
規模はとても大きい地震が発生した。
日本では「いつものことだ」と大きく騒がれることはなかったが、普段地震の起きない地域では
「神の怒りだ」などという言説が流行し、
かなりの混乱が起きたそうだ。
この地震による直接的な死者は、日本では0人。
世界で見れば数万人規模で、耐震工事など知らないような国での死者がほとんどだった。
全世界規模の地震の話など、大ニュースだ。
当然、連日死者についての報道がされるはずだった。
だが、この同時多発的な地震の話題は、すぐに止む。
もっと大きなニュースによって、
かき消されたのだ。
ダンジョン――その出現によって。
誰が言い始めただろう。
異世界へとつながるモヤができている、と。
曰く、モヤの中には
おとぎ話のような一面の花畑が広がっている。
曰く、モヤの中には
極寒の大地が広がっている。
曰く、モヤの中には
坑道が広がっている。
地震の話で賑わうはずだったSNSは、
一瞬でその話題へと変貌していった。
そして――
地震のせいではない死者が、
続々と増え始めたのも、この時からである。
人々が積み上げてきた科学も倫理も、その他諸々も。
ありとあらゆるものは、一夜にして失われた。
いや――正しくは、ダンジョンに飲み込まれたのだ。
夜どころか、日中でさえ人が道を歩けなくなる。
そんな日が来るなんて、あの日以前の誰が気づけただろう。
いや、本当の始まりである1月1日の時点で、
終末論を叫ぶ人たちも存在したか。
結局のところ、気づこうが気づくまいが、
その多くは、どうせもう死んでいるのだろう。
△ △ △
――2年後
【2022年3月1日】
今日は生憎の天気だ。
雨は降らないのに、風だけは強い。
この二年で、奏はこの手の天気が好きではなくなった。
こんな日は、風が余計なものを運んでくる。
埃や砂だけではない。
焦げた金属の匂い。
膿んだ肉の匂い。
そして、死臭。
鼻をつくそれに、眉をひそめることもなく、奏は歩いていた。
安全地帯と呼ばれる区画の外縁。
簡易バリケードと監視塔に囲まれた、かろうじて「人が暮らせる」場所だ。
昨日から帰ってこない探索者が多いらしい。
だから今日は、匂いが濃い。
「おい、奏。昨日のダンジョンの話、聞いたかよ。
一層までリザードマンが溢れてきたらしいぜ」
隣を歩く蒼の声は、どこか張りつめていた。
「あぁ、そうなのか。
どおりで今日は死臭が強いと思ったんだ」
自分でも驚くほど、声は平坦だった。
恐怖も動揺も、もう先に来ない。
「お前、淡白だな」
蒼は小さく息を吐く。
「俺たちが死んでても、おかしくなかったんだぞ」
「確かにそうだな。悪い、蒼」
少しだけ間を置いて、奏は続けた。
「平和だったときのことを考えてたんだ。
人の生死の話をするには、平和ボケしていたよ」
「しっかりしてくれよな」
蒼の声には、焦りが滲んでいた。
「本当、俺たちも他人事じゃないんだから」
「あぁ、わかってる」
それが本音だったのか、
それとも、ただの癖になった返事だったのか。
奏自身にも、もう区別はつかなかった。
会話はそこで途切れた。
△ △ △
2022年1月1日。
全世界で同時に、震度で言えば小さいが、
規模はとても大きい地震が発生した。
日本では「いつものことだ」と大きく騒がれることはなかったが、普段地震の起きない地域では
「神の怒りだ」などという言説が流行し、
かなりの混乱が起きたそうだ。
この地震による直接的な死者は、日本では0人。
世界で見れば数万人規模で、耐震工事など知らないような国での死者がほとんどだった。
全世界規模の地震の話など、大ニュースだ。
当然、連日死者についての報道がされるはずだった。
だが、この同時多発的な地震の話題は、すぐに止む。
もっと大きなニュースによって、
かき消されたのだ。
ダンジョン――その出現によって。
誰が言い始めただろう。
異世界へとつながるモヤができている、と。
曰く、モヤの中には
おとぎ話のような一面の花畑が広がっている。
曰く、モヤの中には
極寒の大地が広がっている。
曰く、モヤの中には
坑道が広がっている。
地震の話で賑わうはずだったSNSは、
一瞬でその話題へと変貌していった。
そして――
地震のせいではない死者が、
続々と増え始めたのも、この時からである。
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