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30・侯爵の訪問
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「どうして? 何故ローレン侯爵のほうから、こんなに都合よく? それに、何故ユーグさまはわかったの?」
「こんな時に客としてここを訪ねて来る人間なんて他にそうそういる訳がないよ。俺も十年前にはローレン侯爵と親交があったから、あの人のことは知っている。リカルドに言われてみれば、なるほど、なんでこんな事を思いつけなかったのか、まだ完全に頭の氷が融けてなかったかな、と感じたくらいだ。リカルド、あの人はこの十年でひどく変わった訳ではないんだろう?」
「変わるわけないよ。死んだって変わりっこないさ」
リカルドはなんとなく物憂げに見える微笑を浮かべて答えた。
ユーグさまは執事に、侯爵を応接室に案内するように伝えた。
「アリアンナ、もし良ければきみも同席して欲しいんだが」
「えっ」
まさかそんな事を言われるとは想像もしてなくて、私は動揺してしまった。
だって私は死んだ筈の罪びとなのに、どうして客人の前に顔なんか出せるだろう?!
「きみが気が進まないなら勿論無理にとは言わないが、逃げるのはどうしても嫌だと言うのならば、ローレン侯爵に一緒に会ってもらいたいんだ。俺と――もしも未来があるなら未来を共にするひととして。どうして俺がきみを助けたのか、決して最初から王に叛意を持っていた訳ではないと説明する。きみだって、自分で言いたい事もあるだろう。王と宰相が、きみたち親子に何を言い何をしたか」
「! そ、それはもちろん、そうしたいわ。でも……」
今までは、私が課された罪から逃れて生きているのを目にした王の配下は、死んだオドマンと逃げ去った下っ端の兵士たちだけだ。でも、有力貴族のローレン侯爵と会ってしまったら……。
そう考えて、私は、今まで逃げ隠れすることばかり思っていたので、思考が後ろ向きになっているのだと気づいた。
「きみは何一つ悪くないのだから、堂々と侯爵に会えばいい。シルヴァンとの、見かけ上の静かな平和はもう過ぎ去った。これから、誇り高きアリアンナ・アンベールとしてユーグ・ラトゥーリエと一緒にいてくれるのなら、もしも先に待つ未来がないとしても、声を押し殺す必要はもうない」
「そうね……私ったら、ユーグさまが救って下さった、そして与えて下さろうとしている矜持を忘れていたみたい。ええ、私もローレン侯爵との話し合いに同席させて下さい」
「ありがとう」
そう言ってユーグさまは私に微笑みかける。その微笑みがあまりに眩しくて、先に待つものも忘れて私は思わずどきっとしてしまう。そんな場合ではないのはわかっているけれども。
「大丈夫だよ、あの人は、きみを見たって驚きもしないさ。むしろいなかったら、アリアンナ嬢は? って聞くかも知れないよ」
とリカルドが励ましの言葉をくれた。
「リカルド、おまえはどうする?」
「僕はいいよ。ここにいる事はどうせ知ってるだろうけど、出て行くと話が逸れてしまうかも。ここでアランと喋って待ってるよ」
「俺としては、お嬢さんの話し相手の方がましですがね」
と黙って聞いていたアランが混ぜ返す。
「あの、リカルドはローレン侯爵と親しいの?」
王家の血を引く当主と、分家の次男。よくて親戚のひとり程度の扱いだと思っていたのに何だか違う様子だ。でもリカルドは、
「親しいなんてとんでもない。お怒りに触れてしまうよ」
と流してしまうし、ユーグさまも、
「それはきみは気にしなくていいんだ。話の中で、きみからリカルドの名は出さないで」
なんて仰る。なにか私だけ蚊帳の外な話があるようで、ローレン侯爵との今後の関係は大事なことであるだけにもやもやしたけれど、リカルドのほうから、
「ごめん、気になるよね。いずれ話すけど、今は込み入った話をしてる時間はないから、ひとまず僕の事は意識の外に置いといて。僕はただの伯爵家の次男坊だよ。いまからの極めて重要な話し合いには関係ないんだ、って」
と言って来る。実のところは益々気になったのだけれど、ユーグさまの今後に関わる重要な面会に臨むにあたって、関係ないと言われている事をあれこれ考える暇はないのも確かだった。
―――
「ユーグ殿。そしてアリアンナ嬢、お久しぶりです」
応接室のソファにかけていたローレン侯爵は、ユーグさまと私が入室すると、立ち上がってにこやかに挨拶してきた。まるでなんの変わった事もない知人の元に社交の為に立ち寄った人のようだった。流行の洒落た紺地の服を優雅に着こなし、見慣れたそつのない笑顔を浮かべている。私が顔を見せた事に対して、驚いた様子はまったくなかった。
「エドアルド殿、随分とご無沙汰をしてしまいました。わざわざご足労頂きありがとうございます。やっと身体は良くなりましたから、これからは王都でもお会い出来ることと思います」
ユーグさまはローレン侯爵を親し気に名前で呼んで、笑顔を見せた。
「おお、本当に随分回復なされたようですな。長い間無沙汰してしまって申し訳ない」
ローレン侯爵は本当にただ、昔馴染の回復を寿いでいるように見える。だけど勿論それだけの筈はないし、本当に喜んでいるのかもわからない。ユーグさまは笑顔を消して真剣な表情になった。
「陛下の使者ではなく個人的に訪ねて下さった、と考えてよろしいですね?」
王から捕縛命令が出ている罪びとを私的に訪問するなど、いくらローレン侯爵であっても王に知れれば罪に問われる。そしてこんなに堂々と表から訪問してきて、知られない筈がない。兵士たちは、王都から新たな沙汰があるまで手を出して来ないだけで、全てがそのまま逃げ去っていなくなった訳ではないのだから。
でも、この念押しに、ローレン侯爵は平然と、
「そのようにお伝えした筈ですが?」
と微笑を浮かべたまま返して来た。
「……失礼しました。どうも、長い間ろくに人と会っていなかったもので、礼儀も何もおかしくなっているかも知れません。どうかご容赦願いたい」
「いえ、ユーグ殿は10年前とちっともお変わりない。もちろん立派な成人になられたのは言うまでもありませんが、あの頃王都で皆を惹きつけていた魅力的な少年と、同じ心を持っておられるとわかりますよ」
なんだか調子が良すぎて、本当に信用していいのかわからない。
すると侯爵は私に視線を移して、
「アリアンナ殿、お元気そうでよかった。お父上の事は、本当に残念でした」
と話しかけて来た。まるで、病で亡くなった知人の娘に挨拶しているみたいだ。
「……どうしてそんな風に仰るのです? 私は死を賜った罪びとです。父は大罪人……あなたもそう思われていたのでしょう?」
思わず語気を強めてしまう。私たち父子を一言も弁護してくれなかった癖に……力のある侯爵が私たちの側に立ってくれたら、何か変わったかも知れないのに……。以前と変わらぬ親し気な態度で接されると、ついそう思わずにはいられない。
「アンベール侯は昔からの友人でした。彼が前王陛下を暗殺するなど、あらゆる面から考えられない。罪を被せるにはあまり適切な人選とは言えませんでしたが、同時にあなたとの婚約を破棄して宰相の娘を王妃に、という目的も果たさなければならなかったので、仕方がなかったのでしょう」
こうもはっきりと、『ジュリアンと宰相が無実の父に罪を被せた』と口にするとは思いもしていなかったので、私は絶句してしまったけれど、ユーグさまは冷静に、
「座ってゆっくり話をしましょう」
と言い、お茶が運ばれて来た後、誰も近づけないようにと執事に命じた。
「ユーグ殿とこうしてまた歓談出来て嬉しいですよ」
焦茶を基調にした重厚な応接間で、私たちと向かい合って座り、ローレン侯爵は時折窓から外の庭木を眺めながら、優美な仕草でカップを口に運びながら言う。
つい先日までは、普段から手入れだけは行き届いているけれども訪れる者もないこの部屋で、ユーグさまが客人と面談出来るようになるとは想像していなかった。それも、ローレン侯爵を相手に……私を伴って。なんとも不思議な気がした。
「ずっと客人をもてなす事も出来ない状態でしたが、再びこのようにお話し出来て私も嬉しく思います。腹の探り合いは時間の無駄だとお考えですね?」
「ユーグ殿がアンベール侯を使って陛下のお茶に毒を入れさせた……などと少しでも思っていたら、このお茶を頂いてはいません」
いったい何が目的なのだろう? ローレン侯爵はユーグさまより20近くも年上の従兄らしい、ゆったりと落ち着いた様子を見せている。
「エドアルド殿。何をどこまでご存知で、私に対して何をお望みですか?」
ユーグさまの問いに対して侯爵はカップを下ろして静かにユーグさまを見た。私は、侯爵がこの会話の主導権を握ろうとしてわざと、落ち着き払いながらも踏み込んだ物言いを崩さないでいるのだという事に、この時初めて気が付いた。
「私が知っているのは、王陛下は従兄にして第一王位継承権者のユーグ殿に対し、公正な裁判を行うことなく己の罪を被せて抹殺しようと考えておられる……という事ですよ。今回のことで、ユーグ殿には新たな罪状が増えた。捕縛命に公然と背いたことだけではありません。かつて王太子の頃の婚約者であったアリアンナ嬢と十年前から男女の仲にあって、前王陛下と二人の王子を暗殺して自分が王位に就く為に、病と偽って王都に出向かず、裏でアンベール侯親子と共に策略を巡らせていた、というものです」
「まあ! 十年前の私は、まだ子どもでしたのに!」
「貴女は9歳にして国王陛下の甥を誑かし、氷の魔物に変えた魔女だ、と言われていますよ」
私は呆れて何と言ったらいいのかわからなかったけれど、そんな馬鹿げたことをかつての知己が信じているのかと思うと、情けなくて涙が出そうだった。
でも、そんな私の様子を見た侯爵は、ふと、若者を諭す年長者の貌になった。
「アリアンナ殿。そうでも言い合わないと落ち着く事が出来ないほど、いまは皆が疑心暗鬼になっているのです。王はいまや気に入っていた者でさえ些細な事で罰を与えるようになりました。また……邪魔だと思った者はどんな手段を用いても消してしまう。逆らおうにも、王の親衛隊はあらゆる場所に耳を持っていて、親しい相手にさえ迂闊な事も言えないのです。だから、王が、ユーグ殿と貴女が魔物と魔女だから討伐せねばならない、などと馬鹿げた事を言い出しても、誰も反論できないし、また、既に死んでいる筈の貴女と世捨て人のユーグ殿が王の獲物になってくれるなら、その間自分たちは幾分安全であろうと思い、流されているのです」
「そんなに王都の状況は悪いのですか。どうしてそんなになるまでどうにか出来なかったのでしょう?」
「私の責任です」
侯爵は溜息をついた。
「身分は侯爵だが、ユーグ殿以外の唯一の王の近しい親族として、私がどうにかすべきだった。だが、王は諫言を最も嫌う。意見を聞くのは、王妃の父である宰相のみ。その宰相だって心から信用している訳でもなく、一人だけで何もかも動かす事は出来ないから、重用すれば何でも言いなりになる道具として扱っているに過ぎない。私には懸念もあり……口を閉ざしている間に、どんどん事態は悪化していったのです」
「懸念とはなんですの?」
侯爵は、すぐには私の質問に答えなかった。
「ユーグ殿。リカルドを呼んでもらえませんか。ここに厄介になっているのは存じています。どうせ、私を避けているのでしょう」
「……わかりました」
侯爵の懸念について色々考えている間に、不承不承といった様子で呼ばれたリカルドが入って来た。
入室した彼は侯爵に挨拶して、
「お怒りではないのですか? 勝手なことを、と。それか無視か、どちらかだと思っていましたが」
と言った。失礼な言い様にも侯爵は表情を変えない。呼んでおいてリカルドを無視して、ユーグさまに向き直った。
「ユーグ殿。私の息子、フェリクスが死にました。医者は病死だと言いますが、もちろんそうではないとわかっています。この訪問から私が戻るまでは伏しておくよう命じていますが、誰にもわかる事でしょう。フェリクスは病気などした事もなかったのですから」
「フェリクス殿が」
私とユーグさまは驚きの声をあげる。ユーグさまにとっては近い親類だし年齢も近い。私にとっても、宮廷では親しくしていた貴公子だ。父親似で明るく優秀な青年だった。
「まさか……」
背後で掠れるような声がした。振り向くと、リカルドが顔色を失っていた。
「ユーグ殿、今まで何も動かなかった私が今日ここに来た理由と、決して王の意を汲んで動いている訳ではないという事、これでご理解頂けましたでしょう。王は、私の嫡男を暗殺しました。あれは色々黙っておく事が苦手な性質だったので、王に疎まれていました。それ故に私はあれの分まで大人しくしているしかなかった。私がクーデターの旗印になるかも知れないという王の疑いが私たち父子に向かないように、と。しかし、何もかもが無駄になりました」
「エドアルド殿……」
「手を組みましょう、ユーグ殿。時を同じくして貴男が病から回復されたこと、きっとせめてもとの神のお計らいに違いない。我々はこの国の王族の血をひく者として、あの暴虐な王を『諫め』ねばなりません」
「わかりました、エドアルド殿。長く、姿を見せる事さえなく、悪評の高い私を、信じて下さり話して下さった事に感謝します」
そう言って、ユーグさまは頭を下げた。
侯爵の話はよく理解出来たけれど、ほんとうに、何という出来事が重なったのだろう、と私は思った。
「まずは、王により痛手を蒙っている国の為。そして無念のうちに亡くなったフェリクス殿の為。それから――私と、私の未来の妻、アリアンナの名誉の為に、力を合わせましょう」
ユーグさまの返答に、侯爵の顔は和らぐ。
「きっとそう言って下さると思っていましたよ。よろしいですかな、アリアンナ殿」
「もちろん……有り難い事ですわ。フェリクス殿のこと、お悔やみ申し上げます」
ユーグさまが当たり前のように口にした『未来の妻』という言葉に少し上気しながら私は答えた。
「こんな時に客としてここを訪ねて来る人間なんて他にそうそういる訳がないよ。俺も十年前にはローレン侯爵と親交があったから、あの人のことは知っている。リカルドに言われてみれば、なるほど、なんでこんな事を思いつけなかったのか、まだ完全に頭の氷が融けてなかったかな、と感じたくらいだ。リカルド、あの人はこの十年でひどく変わった訳ではないんだろう?」
「変わるわけないよ。死んだって変わりっこないさ」
リカルドはなんとなく物憂げに見える微笑を浮かべて答えた。
ユーグさまは執事に、侯爵を応接室に案内するように伝えた。
「アリアンナ、もし良ければきみも同席して欲しいんだが」
「えっ」
まさかそんな事を言われるとは想像もしてなくて、私は動揺してしまった。
だって私は死んだ筈の罪びとなのに、どうして客人の前に顔なんか出せるだろう?!
「きみが気が進まないなら勿論無理にとは言わないが、逃げるのはどうしても嫌だと言うのならば、ローレン侯爵に一緒に会ってもらいたいんだ。俺と――もしも未来があるなら未来を共にするひととして。どうして俺がきみを助けたのか、決して最初から王に叛意を持っていた訳ではないと説明する。きみだって、自分で言いたい事もあるだろう。王と宰相が、きみたち親子に何を言い何をしたか」
「! そ、それはもちろん、そうしたいわ。でも……」
今までは、私が課された罪から逃れて生きているのを目にした王の配下は、死んだオドマンと逃げ去った下っ端の兵士たちだけだ。でも、有力貴族のローレン侯爵と会ってしまったら……。
そう考えて、私は、今まで逃げ隠れすることばかり思っていたので、思考が後ろ向きになっているのだと気づいた。
「きみは何一つ悪くないのだから、堂々と侯爵に会えばいい。シルヴァンとの、見かけ上の静かな平和はもう過ぎ去った。これから、誇り高きアリアンナ・アンベールとしてユーグ・ラトゥーリエと一緒にいてくれるのなら、もしも先に待つ未来がないとしても、声を押し殺す必要はもうない」
「そうね……私ったら、ユーグさまが救って下さった、そして与えて下さろうとしている矜持を忘れていたみたい。ええ、私もローレン侯爵との話し合いに同席させて下さい」
「ありがとう」
そう言ってユーグさまは私に微笑みかける。その微笑みがあまりに眩しくて、先に待つものも忘れて私は思わずどきっとしてしまう。そんな場合ではないのはわかっているけれども。
「大丈夫だよ、あの人は、きみを見たって驚きもしないさ。むしろいなかったら、アリアンナ嬢は? って聞くかも知れないよ」
とリカルドが励ましの言葉をくれた。
「リカルド、おまえはどうする?」
「僕はいいよ。ここにいる事はどうせ知ってるだろうけど、出て行くと話が逸れてしまうかも。ここでアランと喋って待ってるよ」
「俺としては、お嬢さんの話し相手の方がましですがね」
と黙って聞いていたアランが混ぜ返す。
「あの、リカルドはローレン侯爵と親しいの?」
王家の血を引く当主と、分家の次男。よくて親戚のひとり程度の扱いだと思っていたのに何だか違う様子だ。でもリカルドは、
「親しいなんてとんでもない。お怒りに触れてしまうよ」
と流してしまうし、ユーグさまも、
「それはきみは気にしなくていいんだ。話の中で、きみからリカルドの名は出さないで」
なんて仰る。なにか私だけ蚊帳の外な話があるようで、ローレン侯爵との今後の関係は大事なことであるだけにもやもやしたけれど、リカルドのほうから、
「ごめん、気になるよね。いずれ話すけど、今は込み入った話をしてる時間はないから、ひとまず僕の事は意識の外に置いといて。僕はただの伯爵家の次男坊だよ。いまからの極めて重要な話し合いには関係ないんだ、って」
と言って来る。実のところは益々気になったのだけれど、ユーグさまの今後に関わる重要な面会に臨むにあたって、関係ないと言われている事をあれこれ考える暇はないのも確かだった。
―――
「ユーグ殿。そしてアリアンナ嬢、お久しぶりです」
応接室のソファにかけていたローレン侯爵は、ユーグさまと私が入室すると、立ち上がってにこやかに挨拶してきた。まるでなんの変わった事もない知人の元に社交の為に立ち寄った人のようだった。流行の洒落た紺地の服を優雅に着こなし、見慣れたそつのない笑顔を浮かべている。私が顔を見せた事に対して、驚いた様子はまったくなかった。
「エドアルド殿、随分とご無沙汰をしてしまいました。わざわざご足労頂きありがとうございます。やっと身体は良くなりましたから、これからは王都でもお会い出来ることと思います」
ユーグさまはローレン侯爵を親し気に名前で呼んで、笑顔を見せた。
「おお、本当に随分回復なされたようですな。長い間無沙汰してしまって申し訳ない」
ローレン侯爵は本当にただ、昔馴染の回復を寿いでいるように見える。だけど勿論それだけの筈はないし、本当に喜んでいるのかもわからない。ユーグさまは笑顔を消して真剣な表情になった。
「陛下の使者ではなく個人的に訪ねて下さった、と考えてよろしいですね?」
王から捕縛命令が出ている罪びとを私的に訪問するなど、いくらローレン侯爵であっても王に知れれば罪に問われる。そしてこんなに堂々と表から訪問してきて、知られない筈がない。兵士たちは、王都から新たな沙汰があるまで手を出して来ないだけで、全てがそのまま逃げ去っていなくなった訳ではないのだから。
でも、この念押しに、ローレン侯爵は平然と、
「そのようにお伝えした筈ですが?」
と微笑を浮かべたまま返して来た。
「……失礼しました。どうも、長い間ろくに人と会っていなかったもので、礼儀も何もおかしくなっているかも知れません。どうかご容赦願いたい」
「いえ、ユーグ殿は10年前とちっともお変わりない。もちろん立派な成人になられたのは言うまでもありませんが、あの頃王都で皆を惹きつけていた魅力的な少年と、同じ心を持っておられるとわかりますよ」
なんだか調子が良すぎて、本当に信用していいのかわからない。
すると侯爵は私に視線を移して、
「アリアンナ殿、お元気そうでよかった。お父上の事は、本当に残念でした」
と話しかけて来た。まるで、病で亡くなった知人の娘に挨拶しているみたいだ。
「……どうしてそんな風に仰るのです? 私は死を賜った罪びとです。父は大罪人……あなたもそう思われていたのでしょう?」
思わず語気を強めてしまう。私たち父子を一言も弁護してくれなかった癖に……力のある侯爵が私たちの側に立ってくれたら、何か変わったかも知れないのに……。以前と変わらぬ親し気な態度で接されると、ついそう思わずにはいられない。
「アンベール侯は昔からの友人でした。彼が前王陛下を暗殺するなど、あらゆる面から考えられない。罪を被せるにはあまり適切な人選とは言えませんでしたが、同時にあなたとの婚約を破棄して宰相の娘を王妃に、という目的も果たさなければならなかったので、仕方がなかったのでしょう」
こうもはっきりと、『ジュリアンと宰相が無実の父に罪を被せた』と口にするとは思いもしていなかったので、私は絶句してしまったけれど、ユーグさまは冷静に、
「座ってゆっくり話をしましょう」
と言い、お茶が運ばれて来た後、誰も近づけないようにと執事に命じた。
「ユーグ殿とこうしてまた歓談出来て嬉しいですよ」
焦茶を基調にした重厚な応接間で、私たちと向かい合って座り、ローレン侯爵は時折窓から外の庭木を眺めながら、優美な仕草でカップを口に運びながら言う。
つい先日までは、普段から手入れだけは行き届いているけれども訪れる者もないこの部屋で、ユーグさまが客人と面談出来るようになるとは想像していなかった。それも、ローレン侯爵を相手に……私を伴って。なんとも不思議な気がした。
「ずっと客人をもてなす事も出来ない状態でしたが、再びこのようにお話し出来て私も嬉しく思います。腹の探り合いは時間の無駄だとお考えですね?」
「ユーグ殿がアンベール侯を使って陛下のお茶に毒を入れさせた……などと少しでも思っていたら、このお茶を頂いてはいません」
いったい何が目的なのだろう? ローレン侯爵はユーグさまより20近くも年上の従兄らしい、ゆったりと落ち着いた様子を見せている。
「エドアルド殿。何をどこまでご存知で、私に対して何をお望みですか?」
ユーグさまの問いに対して侯爵はカップを下ろして静かにユーグさまを見た。私は、侯爵がこの会話の主導権を握ろうとしてわざと、落ち着き払いながらも踏み込んだ物言いを崩さないでいるのだという事に、この時初めて気が付いた。
「私が知っているのは、王陛下は従兄にして第一王位継承権者のユーグ殿に対し、公正な裁判を行うことなく己の罪を被せて抹殺しようと考えておられる……という事ですよ。今回のことで、ユーグ殿には新たな罪状が増えた。捕縛命に公然と背いたことだけではありません。かつて王太子の頃の婚約者であったアリアンナ嬢と十年前から男女の仲にあって、前王陛下と二人の王子を暗殺して自分が王位に就く為に、病と偽って王都に出向かず、裏でアンベール侯親子と共に策略を巡らせていた、というものです」
「まあ! 十年前の私は、まだ子どもでしたのに!」
「貴女は9歳にして国王陛下の甥を誑かし、氷の魔物に変えた魔女だ、と言われていますよ」
私は呆れて何と言ったらいいのかわからなかったけれど、そんな馬鹿げたことをかつての知己が信じているのかと思うと、情けなくて涙が出そうだった。
でも、そんな私の様子を見た侯爵は、ふと、若者を諭す年長者の貌になった。
「アリアンナ殿。そうでも言い合わないと落ち着く事が出来ないほど、いまは皆が疑心暗鬼になっているのです。王はいまや気に入っていた者でさえ些細な事で罰を与えるようになりました。また……邪魔だと思った者はどんな手段を用いても消してしまう。逆らおうにも、王の親衛隊はあらゆる場所に耳を持っていて、親しい相手にさえ迂闊な事も言えないのです。だから、王が、ユーグ殿と貴女が魔物と魔女だから討伐せねばならない、などと馬鹿げた事を言い出しても、誰も反論できないし、また、既に死んでいる筈の貴女と世捨て人のユーグ殿が王の獲物になってくれるなら、その間自分たちは幾分安全であろうと思い、流されているのです」
「そんなに王都の状況は悪いのですか。どうしてそんなになるまでどうにか出来なかったのでしょう?」
「私の責任です」
侯爵は溜息をついた。
「身分は侯爵だが、ユーグ殿以外の唯一の王の近しい親族として、私がどうにかすべきだった。だが、王は諫言を最も嫌う。意見を聞くのは、王妃の父である宰相のみ。その宰相だって心から信用している訳でもなく、一人だけで何もかも動かす事は出来ないから、重用すれば何でも言いなりになる道具として扱っているに過ぎない。私には懸念もあり……口を閉ざしている間に、どんどん事態は悪化していったのです」
「懸念とはなんですの?」
侯爵は、すぐには私の質問に答えなかった。
「ユーグ殿。リカルドを呼んでもらえませんか。ここに厄介になっているのは存じています。どうせ、私を避けているのでしょう」
「……わかりました」
侯爵の懸念について色々考えている間に、不承不承といった様子で呼ばれたリカルドが入って来た。
入室した彼は侯爵に挨拶して、
「お怒りではないのですか? 勝手なことを、と。それか無視か、どちらかだと思っていましたが」
と言った。失礼な言い様にも侯爵は表情を変えない。呼んでおいてリカルドを無視して、ユーグさまに向き直った。
「ユーグ殿。私の息子、フェリクスが死にました。医者は病死だと言いますが、もちろんそうではないとわかっています。この訪問から私が戻るまでは伏しておくよう命じていますが、誰にもわかる事でしょう。フェリクスは病気などした事もなかったのですから」
「フェリクス殿が」
私とユーグさまは驚きの声をあげる。ユーグさまにとっては近い親類だし年齢も近い。私にとっても、宮廷では親しくしていた貴公子だ。父親似で明るく優秀な青年だった。
「まさか……」
背後で掠れるような声がした。振り向くと、リカルドが顔色を失っていた。
「ユーグ殿、今まで何も動かなかった私が今日ここに来た理由と、決して王の意を汲んで動いている訳ではないという事、これでご理解頂けましたでしょう。王は、私の嫡男を暗殺しました。あれは色々黙っておく事が苦手な性質だったので、王に疎まれていました。それ故に私はあれの分まで大人しくしているしかなかった。私がクーデターの旗印になるかも知れないという王の疑いが私たち父子に向かないように、と。しかし、何もかもが無駄になりました」
「エドアルド殿……」
「手を組みましょう、ユーグ殿。時を同じくして貴男が病から回復されたこと、きっとせめてもとの神のお計らいに違いない。我々はこの国の王族の血をひく者として、あの暴虐な王を『諫め』ねばなりません」
「わかりました、エドアルド殿。長く、姿を見せる事さえなく、悪評の高い私を、信じて下さり話して下さった事に感謝します」
そう言って、ユーグさまは頭を下げた。
侯爵の話はよく理解出来たけれど、ほんとうに、何という出来事が重なったのだろう、と私は思った。
「まずは、王により痛手を蒙っている国の為。そして無念のうちに亡くなったフェリクス殿の為。それから――私と、私の未来の妻、アリアンナの名誉の為に、力を合わせましょう」
ユーグさまの返答に、侯爵の顔は和らぐ。
「きっとそう言って下さると思っていましたよ。よろしいですかな、アリアンナ殿」
「もちろん……有り難い事ですわ。フェリクス殿のこと、お悔やみ申し上げます」
ユーグさまが当たり前のように口にした『未来の妻』という言葉に少し上気しながら私は答えた。
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✻基本ゆるふわ設定です。
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