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灯-ともしび-
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加助は夕暮れが迫る街道を、ひたすら急いでいた。
江戸から自分の里郷まで、残りあと少しだ。
日が完全に暮れるまでに、何としても家にたどり着かねば。
俺が家を飛び出して、早十五年。
家を出た俺は江戸に流れ着き、日雇いの仕事で何とか食い繋ぐ日々を送っていた。
そしてあるお店の主にその働きぶりを認められ、奉公人として雇ってもらえることになった。
それから俺は、脇目もふらずに必死になって働いた。
身一つで郷里を飛び出し江戸に誰も頼る者が居ない自分は、そうする以外に生きる術はなかったのだ。
そして近頃になり、手代としてこの先お店を任せたいと主に言われた。
その話を受けた時、俺は一つのけじめとして主にあることを伝えた。
「郷里に残していった人に、一度挨拶に行くことを許して頂きたい。それを済ませたら、すぐ戻って参ります。」
主は了承し、快く送り出してくれた。
日が暮れ辺りもすっかり暗くなったころ、俺はようやく我が家にたどり着いた。
木戸の隙間からは、部屋の中の灯りがうっすらと漏れている。
俺は懐かしさがこみ上げ、勢いよく戸を開け家の中に入った。
「加助だ。今帰ったよ!」
すると中には一人の人物がいて、入ってきた俺を見るとこう言った。
「あんたは、きっと帰ってくると信じてたよ-。」
※※※
そんな驚いた顔をしてないで、そこに座ったらどうだい?
長旅で疲れたろう、今お茶を用意するから。
あんたがここを出て行って、もう十五年だね。
私はね、あんたが帰ってくるのを信じて、この家の灯りを決して絶やさなかったんだよ、それが約束だったから。
この家に灯りがついてりゃ、あんたは迷わず帰ってこれる。
それに家に着いたときに真っ暗じゃ、寂しいだろ?
そうしてここで一人、あんたを待ってたんだ…約束を果たすために。
※※※
「あんた、何を言ってる?約束ってなんだ!」
「大切な約束だよ。」
「だから、それは誰と交わした約束だ!…お前は誰だ、母ちゃんはどうした!?」
俺は目の前の男に向かって怒鳴った。
俺が挨拶をしに戻ったのは、会いたかったのは母親だ。
こんな男、見たことも会ったことも一度もない。
男はお茶を一口飲むと、静かに話し始めた。
※※※
これから私が話すことに、嘘は一つもありませんよ。
私は五年前のある晩、この家に訳あって尋ねて参りました。
家の中に入った時、一人の女性が座っておりました。
その人は私に向かって「加助かい?よく帰ってきたね!」と言い、涙を流し抱きしめてきました。
私は戸惑いました。
名前も違えば、その名に心当たりもありません。
人違いだ、そう言おうと思いましたが、その人があまりにも喜び涙を流していたので、言うに言えなかったのです。
それからあの人は私のことを加助、自分の一人息子として、毎日世話を焼くようになりました。
お前の好きなものを作った、お前の好きな柄の着物を繕った…何をするのも息子第一でした。
私はそんなあの人のことを、いつしか自分の母だと思い接するようになりました。
私たちは、穏やかで静かな時間を過ごしました。
しかし、そんな生活は一年で突如終わりを迎えました。
あの人は風邪をこじらせ、亡くなってしまったのです。
息を引き取る直前にあの人は、私にこう言いました。
「どうかこの家の灯りを絶やさないでおくれ。あの子が帰って来た時に迷わないよう、寂しくないように灯りはいつでも灯しておいてくれないかい?」
私はその言葉を聞き、思わず息を飲みました。
この人はいつから私のことを、息子でないと気づいていたのだろう-。
「そんなの最初からだよ…いくら目が見えなくたって、自分の息子かどうかは分かる。私は辛かったんだ、一人で過ごす時間はあまりに長く寂しくて…そんな時、家に入ってきたのがあんただった。私は息子じゃないと分かっていたのに、加助と呼んだ…呼んだらもう止まらなかった。あんたを利用してしまった、どうか許しておくれ。」
私は思わず涙がこぼれました。
騙されていたことに涙したんじゃない、母親の愛に涙したのです。
私が物心ついた時には既に母親の姿はなく、義理の母親には虐め抜かれ、十二になると家を飛び出しました。
その後は悪い仲間と関わり賭場に入り浸り…そんな人間の行きつく先は知れています。
だからこそ、母親の愛というものに初めて触れて過ごした一年は、かけがえのないものだったのです。
私は、必ず約束は守ると伝えました。
あの人は涙を流し喜ぶと、息を引き取りました。
それからずっと、私はここであなたを待っていたのです。
※※※
俺は声を上げて泣いた。
帰るのが遅すぎた、与えられるばかりでまだ何も返していないと叫び泣いた。
すると、俺の言葉にその人はこう言った。
「あなたはこうして帰ってきた。そのおかげで、あなたの母親と私の約束は果たされた。きっと、もうそれで十分です。」
「…だがその約束を果たすため、あんたをここで待たせてしまった。あんただってやりたいことや、会いたい人が居たろうに。」
「いいえ、私には何も。私は行く当てがありません。私を待つ者も居ません。」
「なら…あんたさえ良かったら、ここに住んでくれないかい?俺は江戸にどうしても戻らないといけない、そういう約束なんだ。」
「見ず知らずの他人を、家に置いていいのですか…?」
「あんたは一年間は加助だった、母ちゃんの息子だったんだ。だから他人じゃない。どんな訳があってこの家に来たか、そんなのはもういいんだ。それで…今度は俺と約束してくれるかい?」
「さて、どんな約束でしょう?」
「俺が次の藪入りでこの家に帰って来る時まで、この家の灯りを絶やさないでくれ。俺が迷わないよう、寂しくないように、灯りはいつでも灯しておいてくれるかい?」
俺がそう言うと、その人は涙を浮かべ静かに頷いたのだった-。
江戸から自分の里郷まで、残りあと少しだ。
日が完全に暮れるまでに、何としても家にたどり着かねば。
俺が家を飛び出して、早十五年。
家を出た俺は江戸に流れ着き、日雇いの仕事で何とか食い繋ぐ日々を送っていた。
そしてあるお店の主にその働きぶりを認められ、奉公人として雇ってもらえることになった。
それから俺は、脇目もふらずに必死になって働いた。
身一つで郷里を飛び出し江戸に誰も頼る者が居ない自分は、そうする以外に生きる術はなかったのだ。
そして近頃になり、手代としてこの先お店を任せたいと主に言われた。
その話を受けた時、俺は一つのけじめとして主にあることを伝えた。
「郷里に残していった人に、一度挨拶に行くことを許して頂きたい。それを済ませたら、すぐ戻って参ります。」
主は了承し、快く送り出してくれた。
日が暮れ辺りもすっかり暗くなったころ、俺はようやく我が家にたどり着いた。
木戸の隙間からは、部屋の中の灯りがうっすらと漏れている。
俺は懐かしさがこみ上げ、勢いよく戸を開け家の中に入った。
「加助だ。今帰ったよ!」
すると中には一人の人物がいて、入ってきた俺を見るとこう言った。
「あんたは、きっと帰ってくると信じてたよ-。」
※※※
そんな驚いた顔をしてないで、そこに座ったらどうだい?
長旅で疲れたろう、今お茶を用意するから。
あんたがここを出て行って、もう十五年だね。
私はね、あんたが帰ってくるのを信じて、この家の灯りを決して絶やさなかったんだよ、それが約束だったから。
この家に灯りがついてりゃ、あんたは迷わず帰ってこれる。
それに家に着いたときに真っ暗じゃ、寂しいだろ?
そうしてここで一人、あんたを待ってたんだ…約束を果たすために。
※※※
「あんた、何を言ってる?約束ってなんだ!」
「大切な約束だよ。」
「だから、それは誰と交わした約束だ!…お前は誰だ、母ちゃんはどうした!?」
俺は目の前の男に向かって怒鳴った。
俺が挨拶をしに戻ったのは、会いたかったのは母親だ。
こんな男、見たことも会ったことも一度もない。
男はお茶を一口飲むと、静かに話し始めた。
※※※
これから私が話すことに、嘘は一つもありませんよ。
私は五年前のある晩、この家に訳あって尋ねて参りました。
家の中に入った時、一人の女性が座っておりました。
その人は私に向かって「加助かい?よく帰ってきたね!」と言い、涙を流し抱きしめてきました。
私は戸惑いました。
名前も違えば、その名に心当たりもありません。
人違いだ、そう言おうと思いましたが、その人があまりにも喜び涙を流していたので、言うに言えなかったのです。
それからあの人は私のことを加助、自分の一人息子として、毎日世話を焼くようになりました。
お前の好きなものを作った、お前の好きな柄の着物を繕った…何をするのも息子第一でした。
私はそんなあの人のことを、いつしか自分の母だと思い接するようになりました。
私たちは、穏やかで静かな時間を過ごしました。
しかし、そんな生活は一年で突如終わりを迎えました。
あの人は風邪をこじらせ、亡くなってしまったのです。
息を引き取る直前にあの人は、私にこう言いました。
「どうかこの家の灯りを絶やさないでおくれ。あの子が帰って来た時に迷わないよう、寂しくないように灯りはいつでも灯しておいてくれないかい?」
私はその言葉を聞き、思わず息を飲みました。
この人はいつから私のことを、息子でないと気づいていたのだろう-。
「そんなの最初からだよ…いくら目が見えなくたって、自分の息子かどうかは分かる。私は辛かったんだ、一人で過ごす時間はあまりに長く寂しくて…そんな時、家に入ってきたのがあんただった。私は息子じゃないと分かっていたのに、加助と呼んだ…呼んだらもう止まらなかった。あんたを利用してしまった、どうか許しておくれ。」
私は思わず涙がこぼれました。
騙されていたことに涙したんじゃない、母親の愛に涙したのです。
私が物心ついた時には既に母親の姿はなく、義理の母親には虐め抜かれ、十二になると家を飛び出しました。
その後は悪い仲間と関わり賭場に入り浸り…そんな人間の行きつく先は知れています。
だからこそ、母親の愛というものに初めて触れて過ごした一年は、かけがえのないものだったのです。
私は、必ず約束は守ると伝えました。
あの人は涙を流し喜ぶと、息を引き取りました。
それからずっと、私はここであなたを待っていたのです。
※※※
俺は声を上げて泣いた。
帰るのが遅すぎた、与えられるばかりでまだ何も返していないと叫び泣いた。
すると、俺の言葉にその人はこう言った。
「あなたはこうして帰ってきた。そのおかげで、あなたの母親と私の約束は果たされた。きっと、もうそれで十分です。」
「…だがその約束を果たすため、あんたをここで待たせてしまった。あんただってやりたいことや、会いたい人が居たろうに。」
「いいえ、私には何も。私は行く当てがありません。私を待つ者も居ません。」
「なら…あんたさえ良かったら、ここに住んでくれないかい?俺は江戸にどうしても戻らないといけない、そういう約束なんだ。」
「見ず知らずの他人を、家に置いていいのですか…?」
「あんたは一年間は加助だった、母ちゃんの息子だったんだ。だから他人じゃない。どんな訳があってこの家に来たか、そんなのはもういいんだ。それで…今度は俺と約束してくれるかい?」
「さて、どんな約束でしょう?」
「俺が次の藪入りでこの家に帰って来る時まで、この家の灯りを絶やさないでくれ。俺が迷わないよう、寂しくないように、灯りはいつでも灯しておいてくれるかい?」
俺がそう言うと、その人は涙を浮かべ静かに頷いたのだった-。
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