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春の香りは、煌めいて
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隙間を開けないように整然と並べたギターのケースを見て、森もり樹奈じゅなは「名残惜しいね」と言って、倉庫の扉を閉めた。
そうだね、と小鳥谷こずや悟さとるが頷く。
「俺もここで、もう少しだけ弾きたかった」
樹奈が携帯電話の画面を見ると、日付は3月14日、時刻は11時30分と表示されていた。
「でもまさか、私がギターを弾くことになるなんてね」
「しかも3年も続くとは。樹奈さんも俺もね」
「本当にね」
黄色のキーホルダーが付いた倉庫の鍵を右手に握りしめ、樹奈は自分のギターケースをそっと撫なでる。
「樹奈さんは、てっきり吹奏楽部を選ぶと思っていたからさ」
「私だって、悟くんはトランペット続けるって思っていたよ」
どうなるものか分からないものだね。そう言って二人は笑いあった。
樹奈と悟が所属していたギター・アンサンブル部は、その名のとおり、ギターを主として用いて合奏をする。
樹奈の通っていた中学校では、部員はクラシック・ギターを借りることができた。
ほとんどの生徒が、引退するまでの間、その楽器を我が子のように大切に使い続ける。
樹奈のように、自分のギターを購入して、演奏する人間は少数派だ。
「樹奈さんは高校でも、演奏を続ける?」
悟の問いに、樹奈は首を傾げてみせるが、心は既に決まっている。
「そうだよね。吉山よしやま先生のこともあるし」
「そうだね」
樹奈はうなずいた。
ギター部の顧問である吉山先生の音色は別格だった。
彼女が「遊び」と称して、ギターの音色を奏でると、樹奈の脳と耳が心地よく弾はずむ。
吉山先生の演奏は、水の粒のように、一つ一つの音がきらりと光を反射しているようだった。
⸻
2.
春の匂いがしたね。
暖かな風が背後から吹いてきた時、樹奈はそう呟つぶやいた。
「卒業式の日は、風が冷たかったのにな」
校門を抜ける前に、悟は校舎を一望した。
「入学式の時はもっと暖かくなるんだろうね」
そして夏はもっと暑くなって、木枯こがらしに身が震えて、ようやく秋が来たことに気が付いて、また悴かじかむ冬がやってきて。
太陽が登らない日はない。
日ひが枯かれることは決してない。
そうして、きっと、一年は続いていくのだろう。
「高校生活も、あっという間なのかな」
「音楽を続けていれば、なおさら、そう感じるかもな」
「じゃあ、私だけ、一足早く歳としを取っちゃうのかな」
やっぱりそれは嫌だな、と樹奈は目を伏せる。
「いや、樹奈さんだけじゃないよ。俺も樹奈さんと同じ早さで、あっという間に歳を取る」
樹奈は「え?」と彼の顔を見た。
悟も樹奈を見返すが、目が合った瞬間に二人とも一瞬の緊張が解けて、頬ほほが緩ゆるんでしまった。
「高校入ってからも、俺も音楽続けようと思うんだ」
悟の言葉に、樹奈は目を丸くしていたのだろう。
彼はふっと笑ってから、樹奈の頭をぽんと撫なでた。
「さっき、吉山先生と話して決心したんだ。先生から『音楽が嫌いになる日が来ない』って言われたから、もう少しだけ、音楽に触れてゆこうかなって思えたんだ」
だからさ。
悟は樹奈の瞳を見つめる。
「社会人たちが主体の音楽団体を探してみようと思っているんだ。高校生より、きっと忙しい社会人の人たちが主体なら、俺も時間を合わせて参加できるかもしれないし」
悟は笑った。
「ありがとう」
樹奈も笑った。
「悟くんの言葉、とても嬉しいな。悟くんが音楽を続けようと思ってくれたこと、私はとても嬉しいな」
高校生になったら、ギターを続けるのは私一人。
樹奈はそう思っていた。
でも違った。
樹奈は喜びの感情を心にそっとしまいこむ。
一人ではなかった。
一人ぼっちではなかった。
樹奈と同じ時間を歩いてくれる「人」は、樹奈の隣に、ちゃんと存在していたんだ。
⸻
3.
「それと樹奈さんに渡しておきたいものがあって」
樹奈が足を止めると、悟はおぼつかない手つきで鞄かばんの中から小さな白い箱を取り出した。
正方形の木製のその箱は、樹奈の右手の手のひらの中に収まった。
「今、開けてみていいの?」
「うん、開けてみて」
白い木の蓋を開けると、薄いピンクゴールドのブローチが収まっていた。
マンドリンの形をしたそのブローチは、太陽の光を穏やかに映し出す。
「樹奈さんがマンドリン部に入るって聞いたから、これはお守り」
それと、これは、ホワイトデーのお礼も兼ねていて……。
樹奈は人差し指で、悟の唇をそっと押さえる。
もう言葉は不要。
悟の言いたいことが全て分かったから。
彼の言いたい言葉を、心の中で受け止めることができたから。
太陽の光が優しく感じるのは、春の訪れが近いからだろうか。
それとも、樹奈の心が、これからの高校生活に期待をしているからだろうか。
あるいは、もっと単純に。
答えはもっと単純に、悟と一緒に音楽が出来るからかもしれない。
悟と樹奈は目を合わせてから、静かに笑い合い、歩幅を揃えてゆっくりと歩き出した。
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