朗読幻想録

こががが

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 うす浅葱色あさぎいろのカーテンがゆらりと揺れて、月の光がそっと、私の瞳の表面に反射した。

 月に呼ばれた。
 そう表現するのは少し大袈裟おおげさだが、小さく、水面みなものように均一に光る月の光によって、私の心が夜の闇に誘われたのは事実だった。
 
 マンションの屋上、出来るだけ夜の月に近い場所から、真っ黒に広がるてんを眺めたい気持ちになって、られるように部屋を抜け出して、私はマンションの屋上まで階段を登って、一人、星を眺めていた。

 そっか。
 夜空《よぞら》は、こんなにも綺麗なものなのか。

 屋上から眺めた空には雲一つなかった。
 深い水のようにみ切っている。
 まさか都会の真ん中からでも、こんなに空が綺麗に目に見えることに感動して、私は息を軽く、そして吸っていた。

 息を吐き切ったタイミングで空をもう一度見上げると、私の手を引くように、ポケットの中の携帯電話が鳴り始めた。

 携帯電話のつややかな画面には、同じクラスの「ミミカ」の名前が、白い文字で表示されている。
 私が通話つうわボタンを押し、携帯電話を耳に当てると、つんざくような悲鳴と叫び声が、スピーカーからり響いた。

「やめて……!」
 ミミカの声は震えていた。
 携帯電話の向こう側で、彼女が小刻こきざみに、しかも息をするのにも苦しいほどにぶるぶると震えているであろうことが、彼女の声から容易よういに想像できた。

「たすけて……お願い……お願い……もう、たすけて……たすけて、たすけて」
 ミミカは震える声で、私に懇願こんがんするように「たすけて」を繰り返した。

「マミに……マミが私を…………。私を? 私なの……次は私なの! 本当だったの……本当に……」
 ミミカはのどの奥から声を出すのが精一杯せいいっぱいなのだろう。
 きっと携帯電話を持っている手も大きく横に揺れるように震えているのだろう。
 それでもミミカの悲鳴は鳴り止まない。

「殺される…………。次は私が殺される……マミに…………マミが私を……殺そうと……」
 そして、ミミカは絶叫した。
「マミが私を……マミが私を殺そうとしているの!」

 マミもまた、ミミカや私とおなじクラスだった。
 「だった」という過去形を使わざるを得ないのは、彼女はもう私たちの同級生ではないからだ。

 マミはもうこの世にはいない。
 マミは今日、亡くなった。

 ただ死んだだけではない。
 マミは私とミミカの目の前で、いや、正確に言えば、今日の午前の授業中、私たち同級生の目の前でマミは亡くなったのだ。
 マミは自ら命を絶ったのだ。

第二編
 午前の最初の授業は数学だった。

 課題で出されたプリントを、実際のところ、クラスのかなりの数が、参考書の答えを丸写ししたお粗末なものであったが、教師は日常の業務として淡々と回収する。

 誰もが見慣れた、無機質な日常のひとコマの一部。
 しかし、異変は突然、何の予兆もなくおとずれた。
 つんざくような悲鳴が、突如とつじょ教室に響いた。

「やめて……! 来ないで……!」
 落雷のような叫び声。
 それはマミの叫び声だった。


「……こっちに来ないで! やめ……て……! やめてよ……! 嫌だ…………嫌! 来ないでよ!」
 泣き叫ぶ彼女の目は、同級生の顔も姿も、誰一人、認識できていないようだった。

「誰なの!? 知らない! 私は知らないから……!」

 知らない。
 あなたたちのことなんて知らない。

 マミはそう何度も、ちゅうに向かって叫び続ける。
 何者なにものもいるはずのない空中くうちゅうに向かって、マミはただただ懇願こんがんをする。

「あなたたちは……誰なの……お願いだから来ないで……こっちに来ないで!」

 マミは自分の座っていた椅子を持ち上げると、教室の天井てんじょうに向かって投げつけた。
 椅子は天井の蛍光灯にぶつかって、ガラスが割れる音とともに勢いよく落下し、女子の一人に激突した。

 その女子が痛みで悲鳴を上げたが、その声さえも、マミのさらなる叫び声によってかき消されてしまう。

 マミの口から出る言葉は、どれも日本語の文章として、まるで意味をしていなくて、誰も理解することが出来なかった。

 だが、教室の皆が聞き取れた言葉が一つだけ、たった一つだけあった。

 「死にたくない」

 何度も、何度も。

「私、死にたくない……」
 彼女はその言葉を繰り返す。

 私はマミを落ち着かせようと、彼女の肩に手を伸ばしたが、その手はただ空くうをつかんだ。

 マミは窓に向かって飛び出したのだ。

 教室の空気がよどむ前の朝の時間。

 新鮮な太陽の光と、春の風を教室に満たすため、教師の指示で窓は大きく開いていた。
 マミは泣き叫びながら、何者なにものかから逃げるがごとく、窓に向かって走り出した。
 そして、そのまま彼女は身を投げ出してしまった。


 私たちが授業を受けていたのは、学校の最上階の5階の教室。
 
 マミが窓から身を投げ出して一分もたないうちに、同級生の誰もが聞いたことのない鈍い音がした。
 その音で、ついにクラスの全員がパニックにおちいった。

 教室から泣きながら逃げ出す者、その場にうずくまって苦しそうに呼吸をする者、私のように唖然あぜんと立ち尽くす者……。

 当然、学校も臨時休校となり、生徒たちは家に帰されることになった。


 このクラスの中で、今回の惨劇さんげきに一番衝撃を受けていたのは、ミミカだった。

 ミミカは学校から出る直前までトイレにこもって、自身の身体からだの水分がなくなってもなお、吐き続けていたようだ。

「ミミカさん、マミちゃんと仲が良かったものね」
 同級生の何人かが、ミミカをまるで心配するかのようにそう言ったが、彼女の誰もが本心では全くそう思っていないことは、誰の目にも明らかだった。

 ミミカはマミの死を全く悲しんでいない。
それはクラスの共通の認識であり、実際、事実そのものだった。

 しかし、なぜこれほどまでに、ミミカが衝撃と恐怖に襲われているのか。

 その理由を知る者は、この教室で私一人だけだった。

第三編

 マミが窓から身を投げる、ちょうど一週間前。
 私はミミカから放課後に呼び出された。
 呼び出された場所は、学校からそう遠くない、小さな神社だ。

 「さびれた」という表現が、まさにぴったりの、人足ひとあしがほとんどなく、古くて、小さな神社。
 桜の咲く時期はとうに終わっていたが、桜の葉の香りが、かすかに風に吹かれてただよっていた。

 神社の入り口の、けやきで作られた鳥居とりいしたで、ミミカが私のことを待っていた。

 この神社には、私たちが通っている学校の生徒であれば、おそらく誰もが耳にしたことがあるであろう都市伝説が「二つ」存在する。

 この古い神社の入り口には、小さな木製もくせいの赤い箱が置かれている。

 ざらしに置かれたその箱は、神社への意見や要望を集めるための、いわば「目安箱めやすばこ」だと言われていた。

 しかし、この赤い箱に自分の願い事を書いた紙を入れると、近いうちにそれは叶う、といううわさが存在した。
 これが都市伝説の一つ目だ。

 どうやら神社側じんじゃがわも、この都市伝説については把握はあくをしているようで、神社をおとずれた者たちから「願いが叶うか」と聞かれたら、否定も肯定もしないらしい。

 だが、願い事を書いて箱の中に入れる者のほとんどが、本当に自分の望みが叶うなんて微塵みじんも期待などしていない。

 願い事を書いている者のほとんどが、ちいさな子どもが悪戯いたずらをするような感覚で、あるいは神社に訪れた記念行事ぎょうじとして書いているに過ぎず、この一つ目の都市伝説を信じている者は、実際のところ、誰一人、存在しないだろう。


 問題は二つ目の都市伝説だ。

 それは、赤色の紙に名前を書いて箱の中に入れると、名前を書かれた人は呪われて、この世のものでない「何か」につきまとわれ、そのまま恐怖から解放されることなく命を落とす、というものだった。

 そして、この二つ目の都市伝説には続きがある。
 誰かの名前を書いて箱の中に入れた人物もまた、やがて自ら命を落とす、と言われていたのだ。

 人を呪わば穴二つ。
 この二つ目の都市伝説は、私たちの学校の中でこそ知れ渡ってはいたものの、世間一般からみれば、一つ目のそれと比べて知る人そのものがあまり多くはない。

 理由はとても簡単で、一つ目の都市伝説と違い神社側が明確にこの噂を否定していたからだ。
 また、「誰かを呪えば自分もまた呪われる」という話は、怪談話やホラー映画で使い古されているもので、新鮮味が全くなく、噂が世間に広まらなかった要因の一つになったのだろう。

 だからミミカも二つ目の噂を全く信じていなかった。
 だが、彼女は私を呼び出した日、赤い紙を用意していた。

 その紙に書かれていた名前はマミ。

 ミミカは、こんな紙が見つかったらマミは学校に来れなくなる、とケラケラ笑いながら赤い箱に入れたのだ。

第四編

 ミミカがそんな嫌がらせをした理由はとても単純だった。
 ミミカは、自分と仲の良いグループで、マミに対していじめを行っていた。

 いじめを見かねた同級生の一人が、マミを連れて担任の教師に相談をしたのだが、不運か必然か、そのことはすぐにクラス中に広まってしまい、当然、ミミカの耳にも入ることになった。
 ミミカは怒り狂い、報復ほうふくと言わんばかりに、より陰湿いんしつにマミを追い詰め始めたのだ。

 赤い紙にマミの名前を書いたのも、ミミカにとっては、いつもどおりの嫌がらせの延長線上のものでしかなかった。


 だが、マミが身を投げる、その直前の異様な叫び声、行動、そしてマミの迎えた結末。

 それら全ての事象じしょうの当たりにしたミミカは、呪いの存在が本物だと確信をしたようだった。

 確信するだけの「説得力」がマミの言動にはあったのだ。

「あの呪いは本当だった……。そんな本当だったの? 本当じゃないって、だって……そんなこと……そんなことあるわけがないじゃない!」

 まるではいに穴が開いてしまったかのように、ミミカは、ひゅうひゅうと息にならない声を出し続けた。

「もしも本当だったら? もし、あれが……あの噂が……あの呪いが……すべて本当だったら……? 次は……? 私なの!? 次に命を落とすのは……私なの……私しかいないの!?」

 ミミカは学校の廊下で泣きながら私にそう叫び、他の同級生よりも先に、一人、自分の家に逃げ帰った。

第五編
 ミミカが学校から逃げ出したあと、私は彼女の後を追いかけるべきだっただろうか。

 数度すうど、ミミカに電話を掛けようと携帯電話を手に持ったものの、私は結局、彼女に電話かけることはしなかった。

 もし、電話を掛けた先で、ミミカが私には見えない「何か」に襲われていたら。

 もしも、神社の噂が本当だったなら。

 本当に呪いが、この世に存在してしまうのなら。

 そんな想像をするだけで、私の指先ゆびさきは、いとも情けなく震え始めてしまった。

 だが、ミミカの方から電話が掛かってきてしまい、愚かというべきか、それとも運命というべきか、結局、私はその電話に出てしまった。

「お願い……! 助けてよ……」
 ミミカは私に懇願した。
 命をかけた懇願だ。 

「目の前にずっといるの……マミがいるの……教室から落ちたときのマミが! あの時のマミが! あんなに潰れてるのに! どうして立っていられるの……どうして、あんな身体で……?」

 携帯電話の向こう側から聞こえてくるミミカの声は、朝の教室でのマミの様子とうり二つだった。

「マミが私を……ずっと私のことを呼んでいるの……!」

 ミミカには、この世の者でなくなったマミのことが見えるようだった。

 私はミミカに、今見えるのは現実のものじゃない、罪悪感が生んだ幻なのだと、何度も呼びかけた。

 しかし、ミミカの悲鳴はどんどん大きくなってゆき、彼女の口から出る言葉は、やがて理解することができないほどに、めちゃくちゃなものに変わっていった。

「私が全て悪かったの……。全て私のせいだった……お願い、殺すなら早く殺して……」

「もうこれ以上、血を見せないで、私に見せないで……!」

「どうしてこんなに血が……? 血が流れているの……? 止まらないの!? 

「こんなにたくさんの血なんて見たくないの……。もう、見たくない……見たくない……見せないで……」

「こんな怖ろしい思いはしたくないの……」

 ミミカが電話の向こうで「誰か」に対してわめき散らす。

 おそらく私が五感ごかんでは認識することができないであろう「誰か」に対して。

「どうして、どうして早く殺さないの? どうしてよ……どうして、こんな苦しめるの?」

 繰り返される「どうして」という言葉。
 そして、ミミカは「殺してほしい」と誰かに訴え続ける。

 なぜ、みずから死を望むほどに、ミミカがおそろしいものを見続けているのか。

 その理由はミミカ自身が思っているよりも、はるかに、ずっと簡単なものだった。

第六編

 ミミカはマミの名前を赤い紙に書いたから、自分も呪われてしまったと思い込んでいるようだった。
 しかし、ミミカにマミの亡霊が見えてしまう本当の理由は、実際のところ、全く違ったのだ。

 ミミカがこの世のものではなくなったマミの姿を目にしている理由。

 彼女が自ら「死」を願うほどに、おそろしい「何か」に襲われている理由。


 それは、私がミミカの名前を書いたから。
 血のような真っ赤な紙に。
 そして赤い箱の中に入れたのだ。



 ミミカがマミの名前を書いた時、私はある想像をしてしまった。

 もしミミカが書いた赤い紙が見つかり、マミが教師から強い庇護ひごを受けることになって、ミミカたちが手を出せなくなってしまったなら。

 もしも、マミと一緒に、担任に相談に行った生徒が私だったとバレてしまったなら。


 次のいじめのターゲットになるのは、私かもしれない。


 私はその瞬間、人生で初めて、「人を傷つけたい」と思ったのた。

 ミミカと同じやり方で、ミミカを傷つけたい、と。
 

 しかし、赤い折り紙にミミカの名前を書いた時、私は何を思っていたのか、どんな結末を望んでいたのか、今となっては、よく覚えていない。

 マミに陰湿いんしつな嫌がらせを続けることに対する怒りか、それともたんに、自分がいじめられることへの恐怖心だったのか。

 ミミカが泣き叫び続ける間も、そのときの自分の感情を思い出そうとするが、不思議なことに、当時の自分の感情をうまく思い出すことが出来ない。
 
 一方いっぽうのミミカは、亡霊たちによって首を絞められ始めたかのように、声にもならない悲鳴を数秒ほど上げ、そのまま彼女の声は、ついに途絶とだえた。

 夜に似合う静寂せいじゃくが、ようやく訪れた。

 携帯電話から、なにも音が聞こえなくなったことを確認してから、私はミミカとの通話を切り、携帯電話を屋上から投げ捨てた。

 この携帯電話を使うことなんて、もう二度とないのだから。

第七編
 呪いは確かに存在したのだ。

 マミやミミカの身に起きたことが、それを雄弁ゆうべん物語ものがたっていた。

 そして、私が何者なにものかに、そっと手を引かれるように、この屋上おくじょうに立っているという事実そのものが、私にとって、るぎのない証拠だった。



 おもえば、全く意味のないことをしてしまった。


 呪いは確かに存在したのだから、放っておけば、ミミカは自ら身を滅ぼしたというのに。
 私が命を懸けて彼女を呪う意味なんて、全くなかったのに。



 もし、呪いの存在を少しでも信じていれば。
 あるいはそもそも、ミミカの卑劣ひれつなやりくちに、正々堂々、立ち向かっていたのなら。

 誰も命を落とさない選択肢は、本当はすぐそこにあったのかもしれない。



 しかし、今となっては、私にはもう、どうでも良いことだった。
 
 ただ、身を乗り出したい、今はもう、そのことしか頭になかった。



 私がさくから身を乗り出した時、あたたかなかぜが、私のかみさきしずかでた。

 とてもやわらかく、とてもおだやかで、そして、私の身を全てまかせることができる、そんな香りが、私の顔の前をかすめた。

 の光のように、心の奥まで暖めてくれる、そんな優しい香りが。
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