現代錬金術のすゝめ 〜ソロキャンプに行ったら賢者の石を拾った〜

涼月 風

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第100話記念 【閑話】香穂の大冒険

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「ちゃんとケンちゃんの言うこと聞くのよ」

 賢一郎の叔母・柚木茜は、末娘の香穂にそう言い聞かせながら、お弁当と麦茶の入ったリュックを背負わせた。

「だいちょうぶ。トラしゃんとなかよくちゅる」

「違うでしょ。ケンちゃんちに行くのよ」

「わかっちゃ!」

 柚木香穂、三歳。
 猫のトラさんと仲良くするために、賢一郎の家へ“修行”に出かける――そんな予定だった。

 ちなみに、肝心の賢一郎はそのことを知らない。

 元気よく家を飛び出した香穂を見送る母・茜は、当然のように賢一郎が承知しているものと思っていた。

 香穂は、トコトコと歩いては立ち止まり、しゃがみ込んではダンゴムシを突っついている。

「あ、ミミズしゃん」

 今度はミミズを見つけたようだ。
 だが、そのミミズはすでに干からびており、周囲には蟻が群がっていた。

 香穂は、ほんの少し眉をひそめただけで、その場をあっさりと後にした。
 そして、てくてくと歩き続け――ついに見つけた。

 縁側の前に置かれた沓脱石《くつぬぎいし》の上で、気持ちよさそうに寝ている猫のトラさんを。

 香穂は、賢一郎に言われたことを思い出す。

「ゆっくゅり……おどろかしゃないように……」

 だが、香穂の足音に気づいたトラさんは、器用に前足で縁側の掃き出し窓を開け、するりと家の中へ入ってしまった。

「……あ、トラしゃん、まだ、ちゅぎょう(修行)がちゃりないのかな……」

 一瞬しょんぼりした香穂だったが、すぐにトラさんを追いかけて――縁側から賢一郎の家の中へ入っていった。

「トラしゃん、どこでちゅかあ?」

 香穂は、声をあげて家の中を探し出した。

 その声に驚いたのか、猫のトラさんは、さっさとさっき開けた掃き出し窓から外に出て行った。

 そんなことを知らない香穂は、ひたすらトラさん探しに夢中になっている。

 そして、見つけてしまったのだ。
 賢一郎がカーテンで隠しておいた異空間に行けるゲートを……。

「なんか、うにょうにょしてる……あ、トラしゃんは、もちかちて……」

 香穂は、あれだけ探していなかったんだから、この先にいると思い込んでしまったようだ。

 香穂は、こうして異空間に繋がるゲートを潜ったのだった。

……

「ちろーい(広ーい)」

    ゲートを潜った香穂は、亜空間に来てしまった。

 そこには、ログハウスと小さな木が植えてあり、香穂にとっては広大な敷地に思えた。

「あ、あっちにもぐにょぐにょがある」

 香穂は、ぐにょぐにょを通ればトラさんに会えると思い込んでいた。

 トコトコと歩いて、湖畔の教会に繋がるゲートの前に来る。
 ぐにょぐにょの正体である濃い紫色の影は、一見不気味に見えるのだが、香穂にとっては、トラさんに会える希望の影なのだ。



 その頃、カナドとユメカは、ログハウスで遅めの朝食の支度をしていた。

 それは、賢一郎とユリアを見送る時間があったためだ。

「お兄ちゃん、なんか変な匂いしない?」

「そうか? 焼いてる肉が傷んでるのかもな。でも、魔法鞄から出したばかりだぞ。狩りたてと変わらんはずだ」

「そうじゃなくってさあ。なんか……嗅いだことのない“人”の匂いがするの」

「ここは主人の創った亜空間だぞ。誰も入って来れるわけないだろ。……ははあ、わかったぞ。主人がユリアと出かけたから、ユメカの鼻が鈍ったんじゃないか?」

「違うもん! 今度は私が主人さまと一緒に出かける番だから、そんなこと気にしてないもん!」

 そう言いながらも、ユメカの表情には、どこか寂しさが浮かんでいた。

「ほら、これでも食って元気出せ」

 カナドは笑いながら、焼きたての肉を挟んだサンドイッチをユメカの口に放り込んだ。



 教会に続くゲートをくぐった香穂は、急に部屋の中にいることに驚いたものの、あまり気にする様子もなく、相変わらず猫のトラさん探しに夢中だった。

「ここ、どこだろう……」

 教会の礼拝所に着いた香穂は、辺りをきょろきょろ見回して、祭壇の上で丸くなって寝ている白い蛇を見つけた。

「あ、しろへびしゃんがいる」

 香穂は、白蛇――ペロを以前に撫でたことがあるので、怖がることもなく近づき、するりとその体に触れた。

《うーーん、せっかく寝てたのに……何すんのよ》

 ペロは念話で香穂に伝えた。
 突然、頭の中に声が響いて香穂はビクッとしたが、すぐに受け入れた。

「トラしゃん、みなかった?」

《あれ……ちっこい子じゃない。あんた、ここに来ちゃったの?》

「トラしゃん、さがしてるの」

《???……まあ、いいわ。ちょっと動かないでよね》

 ペロは、この子が賢一郎の姪っ子だと知っていた。
 だから、スルスルと祭壇から降りてきて、香穂の背負っているリュックの上に登った。

 そして、顔を香穂のほっぺたの近くに寄せて話しかける。

《トラしゃんって何?》

「トラしゃんは、トラしゃんだよ」

《それじゃあわからないわ。人間? それとも動物?》

「トラしゃんは、ちゅぎょうしないとダメなの。ねこは、こわがりだから」

《ああ、猫のことね。わかったけど、ここには来てないわよ》

「ええーーっ……ぐすん」

 ペロにそう言われて、香穂は今にも泣き出しそうになった。
 慌てたペロは、「も、もしかしたらいるかもしれないわ!」と、すかさずフォローした。

「……さがすの、てつだって」

 香穂は、ひとりで探すのは難しいと考えた。なぜなら、まだ修行の途中だから。

《仕方ないわねぇ……このまま放っておけないし。――わかったわよ、じゃああっちに行きましょう》

 ペロは首を伸ばして、ゲートの方角を指した。
 しかし香穂は、首を横に振って言った。

「あっち、いない。トラしゃんはこっち」

 そう言って、教会の外へ出ていってしまった。

《あ、そっちじゃないってばーーっ!》

 ペロの言葉は、香穂の思考にかき消された。



香穂の思考

トラさん → 縁側 → ひなたぼっこ → 明るいところ → おそと。



 教会前の広場から少し下った場所にある湖では、釣竿が二本、静かな湖面に向けて立てられていた。

「ヒカリは、一緒に行きたかったのではないか?」

「うん……でも、じいじ。くじで決まったことだから……」

「そうか……若も、もう少しヒカリの気持ちに気づいてくれればのう」

 剣聖の爺さんは、孫同然のヒカリを不憫に思っていた。
 賢一郎にとって、まだ幼いヒカリは恐らく妹のような存在なのだろうと。

 だが、ヒカリにとって賢一郎は命の恩人であり、その恩を一生かけて返そうとしている。
 それが恋心であることに、本人はまだ気づいていない。

「そんなことないよ。若さまは、ヒカリを大事にしてくれてる。だから、ヒカリは若さまのために頑張って尽くす」

「うむ、焦ることはない。人は皆、いろいろ学びながら大人になっていくものだ。
 ヒカリも見聞を広め、たくさん学ぶのじゃ」

「うん、そうする。まだ上級編は無理だけど、若さまに初級編を教えてもらうつもり」

 ヒカリの言葉を聞いた剣聖の爺さんは、それを魔法の修行の話だと受け取った。

「ヒカリはもう一人前の魔法使いじゃ。それでも、まだ上があるのか?」

「うん、あるよ。ものすごいやつが」

「そうか、ならば頑張れ。わしもいつでもヒカリの味方じゃ。ものにするまで応援するぞ」

「うん、ありがと。いろんなことができるように頑張る。
 今は、身体の柔軟性を鍛えてる」

「そっか、そっか、頑張れ、ヒカリよ」

 ――知らぬが仏、とはまさにこのことだった。



「わ、ちろい(広い)おいけ(湖)がある!」

 ペロをリュックの上に乗せたまま、教会の外に出た香穂は、目の前に広がる大きな湖を見て目を輝かせた。

《そっちは危ないわよ》

 ペロは、行動が読めない香穂のことが気が気でない。

「うん。猫しゃん、水きらい。ママがいっちぇた。だから、こっち」

 香穂は、湖とは反対側――森の方へと足を向けた。

《あ、そっちはもっと危ないわ!》

 教会の周囲には結界が張られている。
 だが、万が一その外に出てしまえば、この世界には人を襲う魔物がたくさんいる。

 それでも香穂は、ゆっくりとした足取りで森の方へ歩いて行った。
 そして、とうとう結界の境界まで来てしまった。

《ちっこい子! この先はダメよ。森は暗いし、危険なものがたくさんあるわ》

 目の前に広がる森林は、木々の間から薄日が差しているものの、奥に進むにつれて闇が濃くなっていく。

「トラしゃんも、こわい?」

《そうね。きっと森の中は怖くて入らないわ》

「ちょっかあ……」

 その時、香穂はママの言葉を思い出した。
 ――「麦茶はこまめに飲むのよ」。

 香穂はその場にしゃがみ込み、リュックをおろして中から小さな水筒を取り出した。

 察しのいいペロはすでに降りていて、リュックの中を覗き込んでいる。

《いい匂いがするわね。もしかして、お弁当があるの?》

「うん、ママがちゅくってくれた。たべる?」

 香穂はお弁当の包みを開き、ふたをそっと取った。

《あら、うずらの卵じゃない。いい匂いの正体はこれね》

 香穂は、茹でうずらの卵を小さなフォークに刺して、ペロの口元へと差し出した。

《くれるの?》

「うん。ちぇちゅだってくれたから」

《そう? じゃあ遠慮なくいただくわ》

 ペロは、小さな卵をパクッと口に入れた。
 美味しそうに食べるペロの姿を見て、香穂もお腹が空いたようだ。
 小さなおにぎりを手に取り、パクパクと頬張った。

 お弁当を食べ終えた香穂は、小さな手で目をこすりはじめた。
 お腹が満たされて、眠くなってしまったようだ。

《眠いの? 少し寝たらいいわ》

「うん……ちゅこしだけ……」

《あら、本当に寝ちゃったのね》

 ペロが小さな子の扱いに慣れているのは、昔、正太と早苗の子の面倒を見たことがあったからだ。
 だから、寝てしまった子を途中で起こすと泣き止まなくなることも知っている。

 だが、ここは大森林。
 結界が張られているとはいえ、魔物が襲ってこない保証にはならない。

 香穂は、その結界ぎりぎりの場所で寝てしまっていた。
 その姿を見た魔物が、興味を引かれて近づいてくる。

 最初に現れたのは、一角ベア――獰猛な咆哮をあげる魔物だ。
 結界があるとはいえ、音は内側にも届く。ペロは香穂を起こさないように注意しながら、【念力】でその魔物を吹き飛ばした。

 だが、襲ってくるのはそれだけではない。
 ゴブリン、オーク、そして巨大な蜘蛛の魔物までが群がってきた。

《もう、キリがないわね!》

 ペロは舌打ちするように呟き、香穂のお腹の上に乗ったまま【念力】を発動した。
 香穂の身体とリュックを同時にふわりと宙に浮かせると、そのまま教会の結界内へ。
 さらにゲートを潜り抜け、日本の賢一郎の自宅へと連れて帰った。

 ペロは香穂を縁側まで運び、そっと座布団を敷いてその上に寝かせた。

《はあ……はあ……疲れたわ……》

 深くため息をついたペロは、香穂の寝顔を一度だけ見つめ、再び教会へ戻っていった。

 ……そして。

 香穂が縁側で目を覚ましたとき……
 隣には、猫のトラさんが気持ちよさそうに寝ていた。

 それはきっと、香穂の修行の成果が現れた瞬間だったのだろう。
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