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第99話 鴨長明『方丈記』
しおりを挟むドワーフの二人を迎えた翌朝。
日本では、月曜日。
自宅に戻ると、なぜか縁側の掃き出し窓が開いていた。
どうやら鍵をかけ忘れたらしい。
泥棒かと思い、家の中をくまなく調べたが、盗まれたものはなかった。
代わりに、縁側に猫の足跡がいくつも残っている。
……そういえば、トラさん(※猫)が、たまに器用に窓を開けていたっけ。
思い出して、胸をなで下ろす。
「マズい! 遅れる!」
いつもの出発時刻をとっくに過ぎているのに、家中を見回していたせいでさらに遅れた。
慌てて制服に着替え、鞄をつかんで家を飛び出す。
原因はわかっている。
昨夜の歓迎会でみんなが盛り上がり、そのまま教会で雑魚寝してしまったせいだ。
ジュースと間違えてお酒を飲んでしまい、朝起きられたのは奇跡に近い。
「あ、もう電車が出ちゃった……」
スマホの時刻を見ると、すでに出発時刻を過ぎていた。
次の電車は十五分後。
(仕方ない、影で移動するか)
一応、エイシスに確認しなければ、ズルをしたとみなされて罰が下る。
『仕方ありませんね。今なら誰も見ていませんし、チャンスですよ』
(わかった)
影に潜り、学校近くのコンビニ裏に出る。
ここなら「コンビニに寄っていた」ように見せかけられる。
何気ない顔で通学路に合流する。
歩きスマホをしている生徒も多く、こういう時は助かる。
この通学路は、近くの公立高校に通う生徒もいるので、俺が通う光明院学園とは違う制服を着た生徒も多い。
その公立高校の制服を着た前にいる女生徒はスマホに夢中で、一時停止を見逃していた。
駆け寄って、咄嗟に腕をつかんで止めた直後、クルマが目の前をかすめるように走り抜けた。
「あ!」
女生徒は、驚いて手からスマホを落とし、やっと状況を理解したようだ。
「危なかったな。気をつけた方がいい」
そう言いながら俺は彼女が落としたスマホを拾い上げたとき、チラリと画面が見えてしまった。
「あ、ありがとうございます!」
彼女は慌ててスマホをひったくるように受け取り、そのまま走り去っていった。
『マスターの白い髪を見て、不良だと怖がったのでは?』
(そうなのか? それならショックなんだが……)
『それで、どうするのですか?』
エイシスは、女生徒のスマホを見てしまった件について尋ねている。
今の俺には解決できる手段がある。
だが、名前も知らない他校の女生徒を助ける必要があるのかと、疑問に思った。
『マスターが腕を掴まなければ、あの女生徒は車に轢かれて、最悪、死んでいたかもしれません。
つまり、マスターはあの女生徒の命の恩人なわけです。
偶然でも、一度救った命が無下にされるのは、どんな気分になりますか?』
エイシスに言われるまでもなく、気分は悪くなるだろう。
(袖振り合うも、多生の縁か……)
以前の俺なら考えられないが、今回は勝手に介入することにした。
◇
介入するとしても、まずは当事者の素性を知らなければ意味がない。
時間さえあれば、俺自身で調べることもできるだろうが――今は授業中だ。
「御門、読んでみろ」
「はい……。行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまることなし……」
「よし、いいぞ。では、本田、この部分の訳を答えてみろ」
今は、古典の授業中。
調査なんてできるはずもない。
だから、エイシスに頼むことにした。
『マスター、了解しました。詳細は後ほど報告いたします』
(頼むぞ)
視線を黒板に戻しながらも、意識の片隅ではエイシスの探索が始まっていることを感じ取っていた。
教室のざわめきと、内側の静寂――。
その対比が妙に現実離れして思えた。
……
そして昼休み。
あいにく雨が降ってきたせいで、“屋上のお茶会”は中止になった。
俺は購買部へ行き、売れ残っていたパンをいくつか買う。
教室で食べる気にはなれず、屋上へ続く出入り口――その踊り場で、ひとり静かにパンをかじっていた。
雨音が遠くで響いている。
誰も来ないこの場所は、妙に落ち着く。
(それで、どうだった?)
『はい。彼女は三年の三日月ルナ、十七歳。
父親は配送ドライバーで、母親はスーパーでパートをしています。
弟と妹がいて、それぞれ近くの公立中学と小学校に通っています』
(普通の家庭環境だな……)
『発端は昨年の十二月。来年の大学受験を見据えて塾に通いはじめた頃です。おそらく、その時に目をつけられたのでしょう』
(第一印象からして、おとなしそうな子だったし、顔立ちも整ってる。そういう悪巧みをする連中にとっては、格好のターゲットだな)
『ええ。本人もそれを自覚しているようで、クラスでは目立たないように振る舞っているようです』
(じゃあ、学校が終わってから跡をつけて、さっさと終わらせるか)
『影に潜って、パンツを見ながら尾行するのですね?』
(だから、その言い方やめろって!)
……まあ、否定はできない。
影に潜れば、どうしても上を見上げる形で移動するしかないのだ。
仕方のないことだし、彼女には今回の報酬の“先払い”ってことで許してもらおう。
そして放課後。
深海くんから「一緒に帰ろう」というメッセージが届いたが、用事があるとだけ伝えて断ってしまった。
きっと、勇気を出して送ってくれたメッセージだった。
断るのに、少し胸が痛んだ。
(うぅ……これも、あのスマホを拾ったせいだ)
『それを言うなら、マスターが寝坊したのが最初の原因だと思いますが?』
……ぐうの音も出ない。
それから、人気のない場所で千里眼を使い、朝の女生徒を探した。
そして、その影に移動する。
『清純派なので“白”かと思いましたが、まさかの“緑”でしたね。これからは“緑ちゃん”と呼びますね』
……エイシスが好き勝手なことを言っている。
(……まあ、俺も一瞬そう思ったけど)
彼女は電車に乗り、都心部へと向かっていた。
ずっとスマホを見ているので、おそらく相手から指示が送られているのだろう。
やがて、大きなターミナル駅に到着。
彼女は改札を抜け、駅前にある鳥の銅像の前に立った。
この場所は、待ち合わせの定番スポットらしく、同じように誰かを待つ人たちで賑わっている。
しばらくすると、眼鏡をかけた小太りの男性が近づいてきた。
年齢は四十歳前後。インテリ風を装っているが、どこか胡散臭さが漂う。
「待ったか?」
「……いいえ」
彼女は小さな声でそう答えた。
そのまま二人は、繁華街の裏手にあるマンションへと入っていく。
そのマンションの一室では、すでに撮影機材を準備した男たちが三人、彼らを待ち構えていた。
『最初に接触したあの小太りの男が、例の塾講師ですね。情報を彼らに売って小遣い稼ぎをしていたようです。――それに、どうやら“味見”もしていたみたいですよ』
(そういう生々しい話はいいから! さっさと片付けて帰るぞ)
彼女は、その塾講師に強引に迫られ、身体を好き勝手にされたらしい。
そのうえ、講師はその時の写真と動画をネタに、彼女を脅していた。
しかし、思ったような反応を得られなかったため、今度は彼女の家族――小学生の妹を脅迫の材料に使い、今日の撮影を無理やり承諾させたようだ。
部屋に入った彼女は、怯えきった表情で下唇を噛みしめていた。
「おいおい、あんまり力入れんなよ。これから撮影すんのに、傷ついたら価値が落ちるだろ?」
チャラついた男が彼女の肩を抱きながら、ねっとりとした声で言う。
その場にいる全員を【鑑定】してみたが、強姦、恐喝、薬物――犯罪のオンパレードだった。
まだ直接は人を殺していないが、こいつらのせいで自殺した者もいる。
つまり、間接的な殺人者だ。
「もう面倒だ。【スタン】」
影から弱い雷魔法を放つ。
“弱い”といっても、一般人の意識を奪うくらい造作もない。
『マスター、緑ちゃんも気絶しちゃいましたよ』
「仕方ないだろ。あのチャラ男と接してたんだから」
すでに影の中から出て、マンションの室内に入っていた。
そこには撮影機材のほか、壁一面に違法なDVDが並んでいる。
面倒なので、部屋の中の物をすべてストレージに放り込む。
瞬く間に、倒れた人間を除けば、何もない空っぽの部屋になった。
『どうしますか?』
「こういう奴らは、裁かれてもすぐ出てきて、また同じことを繰り返す」
『一概には言えませんが、概ねマスターの言う通りですね』
「なあ、エイシス。この日本で年間、行方不明になる人間が何人いるか知ってるか?」
『ええ、約九万人ですね』
「ああ。見つかる人もいるし、届け出すらされないケースもある。
でも、それだけ多くの人が消えてるんだ。
だったら、この四人がいなくなっても――誰も気づかないだろう?」
『マスター、すっかりミストラル世界の感覚に染まってきましたね』
「どんな悪人にも一度はチャンスが必要だろ。だから……少し出かけてくる」
気絶した男たちを影に収納し、俺は南極大陸の南極点近くへ影移動した。
そこで、身ぐるみを剥がした彼らを雪原の上に並べて置いた。
『マスター、チャンスなんてありませんよ。すぐ凍死します』
「わからないだろ? 運がよければ、観測隊にでも助けられるかもしれない」
『その可能性はゼロです。周囲百キロ以内に人はいません』
「じゃあ、悪運が尽きただけさ。
せいぜい、自殺した被害者たちに震えながら詫びるがいい」
『震える暇もなく、死んでると思いますよ』
その後、マンションに戻り、彼女を影に収めたまま彼女の自宅へ影移動。
彼女の住所は、エイシスに調べてもらった。
自室のベッドに寝かせ、同じ古典の教科書を見つけたので、授業で当てられていた箇所を開いておいた。
そして、メッセージを添える。
⸻
……悪人は排除した。写真も動画も削除済みだ。
世に出回ることはないし、君を貶める者もいない。
あとは――君次第だ。
白の偽善者より
P.S. この部分を現代語訳せよ。
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