リーベンバウムの少女

渡瀬 藍兵

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11話:コルン・アイレッヒ

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「……す、すごい」

   こぼれた声は、感嘆というより、呆然とした吐息に近かった。

   背後から巻き上がった旋風は凄まじい。だが乱暴ではない。肌を裂く冷たさも、骨を折る衝撃も――ぎりぎり手前で、見えない線を引かれている。

   ――殺さない。折らない。貫かない。

   その境界を、刃物みたいな精度でなぞりながら、それでも威力だけは容赦なく叩きつける。

   結果、男は大木ごと“押し込まれて”いた。

   木屑がぱっと舞い、裂けた樹皮から樹液の匂いが生々しく立ち上る。静けさが戻った森に、風の残響だけが遅れて耳の奥へ貼りつき、リネットは剣を下ろしたまま呼吸を整えた。――血の匂いがしない。こちらも、あちらも。

  「だ、大丈夫ですかっ!?」

   少年が駆け寄ってくる。薄黄緑の髪が走るたびに揺れ、喉の奥に怯えの名残が引っかかったままなのが、声の震えで伝わってきた。

   それでも――視線だけは、まっすぐリネットへ向いている。

  「ありがとう。……あなたこそ怪我はない?」

  「は、はいっ! お陰様で助かりました……!」

   少年は胸に手を当て、何度も頷いた。まだ言葉が追いつかないのか、一度だけ唾を飲み込み、息を整えてから勢いをつけて名乗る。

  「僕はコルン・アイレッヒと言います! 芸術と魔法の国ルミエーラで、魔法学校の生徒をしていて……」

  「薬草を採集してた時に、あの人たちに襲われてしまったんです……」

  「そっか……。大変だったね。怪我がなくて、本当に良かった」

   そう言いながら、リネットは剣を鞘へ納めた。金具が小さく鳴り、森の静けさにやけに響く。

   それから倒れた男たちへ視線を流す。二人は地面に押し付けられたまま唸るばかりで、起き上がれる気配がない。追ってくることは――少なくとも今は、ないだろう。

  「じゃあ、もう大丈夫そうだし……私は街へ戻るね」

   ゴブリン討伐という目的も果たした。これ以上ここに留まる理由はない。リネットは軽く手を振り、「じゃあね」と踵を返す。

   その瞬間だった。

  「ちょ、ちょっと待ってくださぁぁぁぁい!!!!!」

   背後から悲鳴じみた叫び。次の瞬間、ぐいっと腕が引かれる。

   柔らかい指が必死にしがみつき、体温がじかに伝わってきた。

  「きゃ……っ」

   思わず、可愛らしい悲鳴が漏れる。自分でも驚いて、リネットは慌てて咳払いで誤魔化した。

  「こ、こほん……! な、なに!?」

   振り返ると、コルンが縋るように見上げている。必死で、眉尻がかすかに下がっていた。

  「お、お願いします!! 僕が薬草集めをしている間、ボディガードをしてもらえませんか!?」

  「えっ……? でもあなた、魔法の腕はかなりのものだと思うけど……」

   あの風。あの制御。力任せじゃなく、相手の身体を壊さない“幅”まで、寸分違わず調整していた。――“できる子”なんて言葉じゃ足りない。

   コルンは一瞬、視線を泳がせる。誇りと不安が胸の中で綱引きしているみたいに、言葉が喉に引っかかった。

  「ま、魔法の腕には自信があります……! でも……魔法だけじゃどうにもならないケースが多いんです」

   その言い方に、さっきの恐怖の影が残っている。

  「あなたの動きを見て……僕、強く実感しました。魔法で押し返しても、間合いに入られたら――って」

   握る腕に、きゅっと力がこもった。

   リネットは腕に絡む指先を見下ろす。軽い。微かに震えている。けれど、先ほど詠唱を紡いだ声は確かに芯があった。

  (この子、あんなに強いのに……)

   それが妙に胸に引っかかる。強さのそばに、いつも置いていかれてしまう何か。――その感触が、身に覚えのあるものだった。

  「分かった。薬草集めの間――ボディガードね」

   リネットがそう告げると、コルンの肩がふっと落ちた。今まで息を止めていたのだろう。遅れて安堵が顔に滲み、唇がわずかに緩む。

  「あ、ありがとうございます! 報酬はしっかり払いますから!」

   必死に取り繕うような丁寧さ。けれど、その言葉はリネットの胸にすとんと落ちなかった。

   このエルフの少年から通貨を取る気には、どうしてもなれない。

   なにより――不思議と重なるのだ。

   弟のアランと。

   性格はまるで違うのに、見上げて助けを求める、その癖。怯えを隠そうとして背筋を伸ばすところまで、驚くほど似ていた。

  (……ずるいなぁ。そういう顔は反則だよ)

   リネットは一瞬、エルフという種族を思う。見た目より年上の可能性だってある。けれど成長は人より緩やかで、歳月がそのまま“強さ”にならない――そんな話をどこかで聞いた。

   たとえ彼が自分より長く生きていたとしても。

   いまこの瞬間、助けを求めて掴んできた手の温度は、どうしようもなく子どものそれだった。

   リネットは迷いを息と一緒に吐き出し、腹を決める。

  「別に大した仕事じゃないし、報酬なんていらないよ」

   言い切ると、コルンの目がきょとんと丸くなった。

  「私はリネット・リーベンバウム。……コルン、だったよね?」

  「よろしくね」

   差し出したのは、剣を握る手じゃない。相手を迎え入れるための、素の手だ。

   コルンは一瞬、戸惑ったみたいに視線を揺らし――それから恐る恐る指先を重ねてくる。細い手。汗の名残。けれど、握り返してくる力は確かにそこにあった。

  「は、はい……! リネットさん。よろしくお願いします!」

   森の冷たい空気の中で、短い握手だけがやけに温かかった。


   ~*~*~*~


  「よしっ! これで薬草集めも終わりです!」

   コルンは白い植物を手際よく束ね、葉を傷つけないよう指先で整えながら、ポーチへ滑り込ませていく。慣れた動きだった。さっきまでの怯えが嘘みたいに、いまは“自分の得意分野”に戻っている。

   リネットはその横顔を眺めながら、ふと気になって尋ねた。

  「コルン。いま集めてたのって、なんの薬草になるの?」

  「これですか? これは――エスト・アロエ。リ・ポーションの素材になるんです!」

   口にした瞬間、声色がぱっと明るくなる。目の奥に火がついたみたいで、さっきまで震えていた少年と同じ人物とは思えない。

  「……さすがに知ってると思いますけど、僕たちの時代には“ポーション”そのものは存在しません。完全なポーションは、失われた技術で……再現のしようがないんです」

   ポーチの紐を結びながら、言葉を噛みしめる。悔しさを叫ぶというより、学徒らしい誠実さが滲む口調だった。

  「でも、薄めた代替品なら作れる。それが、リ・ポーションです。効力は弱いけど、現実的に使える回復薬──」

   一息ついて、続ける。

  「そこで人類の叡智が辿り着いたのが、エスト・アロエなんです。ここからリ・ポーションを安定して作れるようになった。……これ、すごいことなんですよ!」

   最後の一言だけ、子どもみたいに自慢げだった。

  「そ、そうなんだ……」

   リネットは曖昧に相槌を打って、視線を逸らす。

  (……薬草学ってほんと苦手なんだよね…。座学は眠くなるし、名前なんて全然頭に残ってないんだよなぁ……)

   けれど、コルンが嬉しそうなのは分かる。だから笑って聞いている“ふり”をする。分からないと正直に言うより、今はその方がいい気がした。ここで水を差したら、この子の火が消えてしまいそうで。

  「まあ、とにかく。それが手に入ったなら――あとは町に戻るだけだよね?」

  「はい! 戻りましょう!」

   コルンがうなずき、二人は森の奥を背にした。
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