リーベンバウムの少女

渡瀬 藍兵

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12話:重なる姿

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   依頼を終え、ギルドへ戻ったリネットは、カウンターで拡張ポーチの口を広げた。

  逆さにして軽く振ると、ぼとぼと、と乾いた音が連続して響く。

  ゴブリンの耳、鋭く尖った爪、そして粗悪だが殺傷能力は十分だった刃の欠片。

  それらが積み重なるにつれ、受付の木の上が、異様な“成果”の山で埋め尽くされていく。嫌でも現実味を帯びる、鉄と土と魔物の匂い。

  対面していたフュリンの動きが、ピタリと止まった。

  「この量……リネットさん。あなた、一体何匹のゴブリンを討伐しました?」

  引き気味の声。彼の整った眉が上がりきったまま戻らない。

  「……何体だったかな。十匹以上いたのは間違いないんですけど」

  リネットは首を傾げ、先ほどの乱戦の記憶を手繰り寄せる。

  蹴り飛ばし、斬り伏せ、風で吹き飛ばした数々。あまりに多すぎて、いちいち数えてはいなかった。

  「どちらかというと、数はともかく……一匹だけ混じっていた、騎士みたいな見た目をしたゴブリンが強くて。そっちの方が印象に残ってますね」

  その瞬間、フュリンの顔色がサッと変わった。

  「騎士のような装備をした……ゴブリン……!?」

  言い直すみたいに声が裏返り、彼が身を乗り出した拍子に椅子がギシりと悲鳴を上げる。

  「……そのゴブリンを、倒したんですか……?」

  「え、ええ。襲いかかって来たので」

  “襲われたから追い払っただけ”という、虫でも払ったかのような調子でリネットが言うと、フュリンは片手で額を押さえ、深いため息をついた。

  「……なんてことだ。いいですか、リネットさん。そのゴブリン……いえ、今は便宜上、『ゴブリン・ナイト』と呼称しましょう」

  動揺していても、すぐに呼称を定義しようとするあたり、ギルド職員としての職業病が出ている。けれど、眼鏡の奥の瞳が微かに震えているのは隠せていない。

  「ゴブリン・ナイトは、個体としての脅威度はCランク相当の魔物です。群れを統率する能力もあり、Dランクの冒険者がパーティを組んでも苦戦する……それを、あなたは単独で……」

  フュリンの視線が、机上の素材の山からリネットへ戻る。

  それはもう、新人を見る目ではなかった。得体の知れない“実力者”を測る、慎重な眼差しだ。

  「……あなたの実力は、間違いなくCランク相当、あるいはそれ以上ということですね」

  (……これ、やっぱりついこないだ『オークキング』を倒したことがある、なんて余計なことは絶対言わない方がいいよね……)

  リネットの胸の奥で、小さく警鐘が鳴った。

  目立つのは得策ではない。特に、ここはまだ勝手のわからない異郷の街だ。あまりに規格外な力を見せつければ、面倒ごとの種になりかねない。

  フュリンは咳払いを一つして、表情をプロの仕事人へと戻した。

  「ですが、まだもう少し経験を積んでから、正式にCランクへの昇格試験を受けましょう。手続きもありますし、何より――実績は飛び級するよりも、安定して積み上げた方が周囲の信頼も得やすい」

  「わかりました」

  返事は素直に出た。実際、リネット自身も“ランク”という肩書きでの背伸びには興味がない。必要な時に、必要な実力を出せればそれでいい。

  「では、こちらが今回の報酬になります。お受け取りください」

  フュリンが革袋から銀貨を取り出し、カウンターに並べる。

  チャリ、という涼やかな音。

  銀貨が五枚。

  手に取ると、金属特有のひんやりとした冷たさと、確かな重みが掌にずしりと座った。

  「……銀貨、五枚ですね。ありがとうございました。また依頼の際はよろしくお願いします」

  「はい。こちらこそ、期待しておりますよ」

  形式的なやり取りをして席を立つ。だが、リネットの目は掌の上の銀貨から離せなかった。

  (……ただのゴブリンを倒しただけで、銀貨が五枚……)

  初めて、自分の力で“報酬”というものを手にした感触。

  村では、魔物退治は生活を守るための“義務”であり、当たり前の日常だった。けれどここでは、それが明確な“価値”として換算される。

  しかも、決して安くない額だ。これを積み重ねれば、宿も、食事も、新しい装備も――自分の力で現実を変えていける。

  胸の奥に、じわりと熱い灯がともる。

  “私、もっとやれる”。

  確かな手応えが、銀貨の重みと一緒に身体中へ広がっていった。

  リネットはふと足を止め、壁一面に貼られた依頼掲示板へ視線を移す。

  無数に揺れる紙切れ。その一枚一枚の向こう側に、まだ見ぬ景色と、知らない世界がいくつもぶら下がっている気がした。

     ~*~*~*~

  「あっ、リネットさん! ギルドからの報酬、受け取りましたか?」

   ギルドの重い扉を押し開けて外に出た瞬間、待ち構えていたコルンがひょこっと顔を覗き込んできた。

   西日が差し込む石畳の上で、彼は忠実な小型犬のようにリネットの帰りを待っていたらしい。

  「うん。ひとまず銀貨五枚も貰えたから、しばらくは……いい生活ができるかも」

   腰元のポーチを軽く叩く。チャリ、という涼やかな金属音が、心地よい重みと共に手に伝わる。

   口に出した瞬間、リネットの脳内で勝手に幸せな想像が膨らんだ。

   ふかふかで清潔なベッド。湯気の立つ温かいシチュー。靴底に穴の空いていない、新しいブーツ。

   ――そんな些細な“当たり前”が、旅に出た今の身には宝石のように眩しく見えて、リネットの声は少しだけ上ずった。

  「銀貨五枚って……リネットさん、まだ登録したてのDランクでしたよね? 一体なにを狩ったんです?」

  「んーと、ゴブリンを十匹くらいかな」

  「……ぶっふぉッ!!!!?」

   コルンが奇妙な音を立てて吹き出した。

   自身の唾で咽せたのか、肩を震わせて咳き込み、鼻の上の丸メガネがずり落ちる。

  「けほっ、ごほっ……! ちょ、ちょちょちょっと待ってください! ゴブリン十体って、さらっと言ってますけど……普通、Dランクの新人が単独でそんな数を狩れるのなんて、稀ですからね!?」

  「えっ、そうなの?」

  「“そうなの?”じゃなくて……」

   呆れたように額を押さえ、コルンは大きく息を吐き出した。

   あがり症で気弱な彼だが、魔法理論や常識のこととなると、妙に口が回る。メガネの位置を指先で直すその目は、真剣そのものだった。

  「……まあ、世界は広いですから。Dランクの冒険者がAランク相当の魔物を倒した、なんて前例も“ないことはない”ですよ? でも、それは滅多にない、伝説みたいな部類の話なんです」

  「へぇ……」

   リネットは軽く相槌を打ちながらも、内心ではひそかに首を傾げていた。

  (村のみんななら、これくらい普通にやってたけどなぁ……)

   コルンは言葉を一度飲み込み、少し迷うように視線を泳がせた。

   だが、やがて何かを決意したように、華奢な背筋をピンと伸ばす。

  「……リネットさん!」

   そして、不安をごまかすみたいに早口で続けた。

  「僕と一緒に『ルミエーラ』まで来てくれませんか? ルミエーラにもギルドはあります。そっちで、Cランクへの昇格受付をするのはどうでしょう?」

   言い切ったあと、コルンはちらりと上目遣いでリネットを見上げた。

   長い耳が少し垂れている。“断らないで”という懇願が、言葉よりも先に潤んだ瞳に出ていた。

   さっきから何度も見た、縋るような仕草。それが、リネットの胸の奥にある柔らかい部分を、ちくりと刺激する。

  (私の目的は世界を見ること。それ以外に、いま特別したいこともないし……)

   それに――リネットは目の前の少年をじっと見た。

   強力な魔法を使えるくせに、精神的には驚くほど脆い。

  (この子……危うい。ここで放っておいたら、またすぐに無茶をして、どこかの森で行き倒れになりそう)

   思考が一周して、答えは自然に落ちてきた。

  「わかった。じゃあ、私もルミエーラまで一緒に行くよ」

   その瞬間、コルンの表情がパァッと花が咲いたように明るくなる。

   感情がダダ漏れだ。本当にわかりやすい。

  「ありがとうございます!!」

   コルンは勢いのまま、嬉々として旅の段取りをまくし立て始めた。

  「ここアルムジカからルミエーラまでは、歩いて一日ほどかかります。今日は宿でしっかり休んで、明日の朝一番でこの町を出る――って流れでどうですか?」

  「うん。じゃあ、そうしよっか」

  「やったぁ!」

   両手を胸の前で握り締め、今にもその場で跳ね出しそうなコルンを見て、リネットはまた故郷の弟・アランを思い出してしまう。

   種族も見た目も違う。似ているのは、その頼りない仕草だけのはずなのに。

  (……ふふっ。ほんと、アランを見てるみたいで放っておけないなぁ)

   口元が緩みそうになるのをこらえ、リネットは歩幅を合わせて歩き出した。

   夕暮れのアルムジカの街に、凸凹な二人の影が並んで伸びていた。
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