こんなに甘くていいのかな?

たがわリウ

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戻れないところまで

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 緑の匂いというのだろうか。スーッとする香りを吸い込みながらティーカップを傾ける。温かいハーブティーが喉を通り、胃に広がっていった。

「……美味しいです」
「少しは落ち着けたでしょうか」
「はい……」

 落ち着いて話せる場所に行こうとなり、近いからという理由で気づけば乙部さんの部屋にお邪魔していた。
 物が少なくシンプルながらもオシャレな空間、ハーブティーを常備しているところに乙部さんらしさを感じる。座っているクッションもふかふかで、ほかの家具にもこだわりを感じた。
 乙部さんは私に何があったのかを無理に聞かず、テーブルを挟んでただ微笑んでいてくれた。話してもいいし、話さなくてもいいと言って貰えている気がして、すごくありがたいなと思う。
 ハーブティーで気分が落ち着いた今なら話せるかもなと口を開き、言葉を探した。

「乙部さんに距離をとったほうが良いって言われたのに、私、鳴沢くんと食事に行ったんです……でも鳴沢くんは私に前の恋人を重ねていたかっただけみたいで……また自分を都合よく扱う相手を見抜けなかったのが、悔しいというか、情けなくて……」

 ティーカップの中でたゆたう薄緑を眺めながら、自分の気持ちを言葉にしていく。乙部さんが優しい人だと知っていても、抱えている感情を他人に話すのは怖かった。

「……どうかご自分を責めないでください。池田様は何も悪くないのですから。情けないことなんて何一つありません」

 顔を上げると真剣な瞳と視線が重なる。乙部さんはただ私の言葉を受止め、助言をするでもなく、寄り添ってくれた。
 それがどうしようもなく嬉しく、ほっとして、また目頭が熱くなる。それで良いんだよ、傷ついて良いんだよと言われている気がした。
 しかし乙部さんが続けた言葉に、込み上げていた熱も引いていく。

「……実は個人的に調べてみたのですが、以前お付き合いしていた女性に振られてからその女性と似ている方と付き合っては捨てる、最低な人間だとわかりました」
「え……?」
「池田様を傷つけたことはとうてい許せません。しかし、早い段階で本性を知ることができたのは幸いでした」

 乙部さんの言っていることが耳には入っても上手く理解できない。呆気に取られる私とは反対に、乙部さんは落ち着いていて、それがさらに私を困惑させた。
 鼓動が速くなって、呼吸も浅くなる。嫌な寒気が背中を這った。

「え、そんなことどうして乙部さんが知ってるんですか? どうやって調べたの……?」
「……どうやってだと思いますか? なぜ私が彼のことを調べたと思いますか?」

 質問が質問で返されて、一つも答えは得られない。
 テーブルの向こうに座っていた乙部さんは、戸惑う私に近づいてくる。まだ状況が理解できないながらも、無意識に体を引いた。
 しかし乙部さんの体は止まることはなく、いつしか壁際に追い込まれてしまう。
 両腕が壁に付けられ、身動きが取れなくなる。すぐそばにまで近づいた乙部さんは私を覆うように動きを止める。
 壁と彼に挟まれ、閉じ込められてしまった。

「乙部、さん……?」
「……私なら池田様を悲しい目にあわせたりしません。酷い行為で傷つけたりしません。あなたをないがしろにする人間から守りたいのです……お願いです、俺から離れていかないで」
「っ」

 懇願するような必死な声。辛そうに眉を寄せる顔。初めて見る彼の姿に、どうしたら良いのかわからなかった。
 今まで優しく接してくれた乙部さん。その優しさはどこか歪だったのだと、今はっきりわかった。それに人と深く関わることでまた傷つくのではないかと、ためらいもある。
 彼に身を任せてしまったら、その歪さに飲み込まれてしまいそうだった。

「……でも、これ以上乙部さんと一緒にいたら、戻れなくなりそうで……それが怖いんです」
「戻れない……?」
「はい……以前の私にも、以前の私たちにも」

 すぐそばにある乙部さんの顔からはいつもの爽やかさが消え、どこか艶やかな色気が漂っている。
 強い眼差しと視線を重ねてしまえば、もう口を開くこともできなかった。

「戻る必要なんてありません。俺とあなたで、一緒に、戻れないところまで行きましょう……ね?」

 息が触れるほどそばに顔が近づく。私は身動きもできず、ただ息を止めていた。
 さらに体が屈められ「いいですか?」と確認するかのように鼻が擦り合わされる。香った柑橘系の香水にむせかえりそうになりながら、考えることをやめ、瞼を下ろした。
 ついに唇と唇が触れ、ぴったりと密着する。

「ん……」

 彼の歪な愛を受け入れると決めた私は、体の力を抜く。繰り返されるキス、乙部さんの熱をただ感じていた。
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