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Choice Ⅰ
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─────妻の虚弱体質を治すために私は科学者になった。
大半の人はこれを聞くと決まって次の質問をしてくる。
"なぜ医者ではなく科学者になったのか?"
それに対する私の答えは至ってシンプルだった。
「僕は"妻を治したいだけ"なんでね。」
たしかに人体のこととなれば医者になるのが確実なのだろう、私自身もそう思って数多くの医学書を読み漁り大学も医学部へ進学しようとしていた。
しかし彼女は幼い頃から病院に通っていたにも関わらず虚弱体質が治らず、医者にも治療は難しいと言われていたのだ。となると治す方法は医療とは別のものにあるのでは?そう考えた私は科学者を目指すことにした。そして大学院を卒業すると研究機関に務め、日々研究と実験に明け暮れた。
それから私は彼女とも結婚し、夫として妻を傍で支えた。
人事異動で関東に引っ越した時には親交があった有間家のつてで新居もすぐに決まり、有間家と長門家が主催する"会合"という集まりにも招いてもらえたおかげで見知らぬ土地でも友人ができた。
中でも長門家の当主の息子である玄信さんは私に負けず劣らずの愛妻家ですぐに意気投合した、しかし当時の有間家と長門家は古くからの対立関係にあり有間の当主には世話になっておきながら長門家の人間と仲良くするというのは気が引けるものがあった。
そして妻が息子の千晶を出産し私は父親となった、ちょうどその頃から有間家は道雪さんに、長門家は玄信さんに家督が継がれ、両家の対立関係は解消された。
そして玄信さんとその妻の楓さんがご夫婦で我が家に訪れて来てくれた。
楓さんは私の妻のことを気にかけてくれており良き友人となってくれた、妻も見知らぬ土地で友人ができた事にとても喜んでいた。
私は妻の産後の体調が心配だったが、むしろ以前より元気になっているようで大変驚いた。息子も健康に、そして才能豊かに育ち、会合で友人の子供たちに聞かせると首を傾げるような僕の科学の話も『うんうん』と笑顔で頷いて聞いてくれていた、いつしか私はただ愛する妻や息子と幸せな時間を過ごすようになった。
しかし息子が小学生の頃、妻が重い病にかかってしまう、病床に臥せる妻を目の前にして私は小さい頃から自身が抱いていた使命を思い出し、妻の病と虚弱体質を治す方法を探すために私は研究室にこもった。
家に帰れない日が続き千晶と顔を合わせることもめっきりと減った、千晶に寂しい思いをさせてしまっていることを私はとても申し訳なく思った。
(母さんが治ったら、好きなものを買ってやる。好きな所に連れて行ってやるしキャッチボールもしよう、だから今だけは、今だけは我慢してくれ、千晶・・・!)
当時の私はそんなことを思いながら研究と実験に没頭していた、しかし奇跡などそう易々と起きるはずもなく成果を挙げることは出来なかった。
絶望に暮れていた私の研究室に同僚の青砥が訪れた、彼は私の学生時代からの友人であり関西で共に勤めていた研究所から関東のこの研究所に同じタイミングで異動してきていた。仮眠をとるために電気を消した部屋の中で私が死んだように眠っていたので彼は大層驚いた。
「おわっ!本当に家に帰ってないのか!?」
「あー・・・あぁ、上手くいかなくてね。」
彼のテンションに煩わしさを覚えるほどに私は気が滅入っていた、そんな僕の心境を察したのか青砥は簡潔に用件を言いながら私に1通の封筒を渡してきた。
「受付の子に頼まれてな、お前にコレを渡してくれってさ。」
青砥から渡された封筒を開封し、中を見ると紙が入っていた。
私は丁寧に折りたたまれた紙を取り出して開いて見ると、私を食事に招待したいという内容の手紙でとても丁寧な字と文面で書かれていた。
封筒に入っていた紙は手紙ともう1枚ありそれを見ると待ち合わせ場所である料亭の名前と地図が載っていた。
料亭の名前を見て私は驚いた、テレビでも紹介されているいわゆる大物が通うような高級料亭だ。なぜ私がそんな場所に招待されたのか不思議に思ったが、断ってもろくな事は無さそうだったので行くことにした。
そして青砥がなにか思い出したかのように声をあげた。
「あっ!あと、長門って人からも電話が来たらしくてな、"息子さんは今日もうちで預かってます。"だとさ。」
"まさか"と思い私は机の上に置いてある携帯電話を開く、すると待ち受け画面には玄信さんからの不在着信の通知が表示され、私は心の中で長門さん達に申し訳なく思いながらも感謝した。
「わかった、わざわざすまないね。」
「まぁ、別にいいんだけどさ、たまには息子さんのためにも家に帰ってやれよ。」
そう言い残して青砥は研究室から去っていった、私はひとつ伸びを時計を見ると時刻は16時前頃を差しており、待ち合わせ時間は18時なので私は一旦身なりを整えるために帰宅することにした。
そして指定された時間より少し早く料亭に着き私は受付で名前を名乗りながら待ち合わせで来たことを報せると、店員がにこやかに私を個室の襖の前まで案内し、礼儀良くお辞儀をすると去っていった。
私が緊張しながら個室の襖を開けると和服に身を包み優しげな雰囲気を放つ老人が1人席に座っており茶を啜っていた、個室の隅にはスーツ姿の男が1人何も言わずに座っている。
老人は個室に入ってきた私に気づくとにこやかな笑顔を見せてきた。
「お待ちしておりました。ささ、どうぞそちらへ。」
「は、はい、失礼します。」
私が席に着くと老人は笑顔を浮かべたまま話し始めた。
「本日はお忙しい中、お越しくださりありがとうございます。」
「こちらこそ、お招きいただき、ありがとうございます。」
お互いに挨拶を済ませると老人はおもむろにメニューを開き私は酒を勧められたのでありがたく頂戴することにした。
店員が酒と器を個室に持参し私と老人はお互いの器に酒を注ぎあった、そしてお互いに器を目の高さまで上げると老人が乾杯の音頭をとり2人とも器の中の日本酒をグイッと飲み干した。
(美味い・・・!)
まともな酒などしばらく口にしていない私はその日本酒の味に思わず『くーっ』と小さく声を上げた。
「さて、食事の前に自己紹介を済ませておきましょう。」
言われてみれば私は老人の名前を知らぬままここに来た、手紙にも名前は載っておらず受付でも誰との待ち合わせか尋ねられることもなくすぐ案内された。
「私の名前は・・・そうですね、友人たちからは"天翁"と、呼ばれています。」
不思議そうな表情を浮かべる私に老人は名乗った。"天翁"という名を耳にした瞬間、酒で緩みかけた私の気が一気に引き締まった。
天翁といえばあの有間の御隠居こと、有間 万歳ですら"あの御方"と呼ぶような人物だ。
「はっはっは、その様子では万歳から私のことを聞いてましたか?」
私の緊張が伝わったのか天翁を名乗る老人は声をあげて笑った。
「あぁ、いえ、そんなことは。」
「そう緊張なさらんでください、私と万歳はたまに会っては酒を酌み交わす飲み仲間です。私たちは古くより異形を相手にしてまして、お互いに対策を話し合っているのです。異形の相手が務まる人間はこの国にはそうはいませんから。」
天翁は落ち着いた様子で酒を飲み、付き人であるスーツ姿の男に私の空になった器に酒を注がせた。
異形という存在は開賀家の前の当主である私の父から幾度か聞いた事はある、人間ならざる姿や力を持ち、人を殺めてその肉を食らうと言う。
「まぁ、異形の話はさておき、早速本題に入ってしまいましょう。」
天翁はそう言ってスーツ姿の男に合図をすると、彼の付き人が私の前の膳の上にひとつの小さな瓶を置いた。
瓶の中には透明な液体が入っており、よく見ると液体の中には小さな粒子が舞っている。
瓶の中身を見つめる私に天翁は次のように言った。
「そちらは特殊な製法で精製されたものです、体内に注入することで身体のあらゆる異常を取り除くのです。」
天翁のあまりに突拍子もない言葉に私は驚き戸惑ったが、表情や声色から彼が冗談を言っているとは思えなかった。
「そんな、それじゃまるで───」
「そう、万能薬です。」
彼は少しも言い淀むことなくこの瓶の中身を"万能薬だ"と言い切る、しかし私にはひとつの疑問が浮かんだ。
「人体にかかるリスクなどは・・・?」
おそるおそる問う私に天翁は声をあげて笑った。
「リスクなどあっては"万能薬"とは呼べません。断言しましょう、人体にかかるリスクはありません。これは自信を持って言えることです、なぜならこの身体が被検体だからです。」
天翁は自身の身体を指差しこう言った、彼の衝撃的な言葉を聞き私は思わず声をあげて後ずさった。
「私たちはアナタたち人間よりもだいぶ永い時を生きています。人間の身体は脆く、"衰え"や"病"に対してあまりにも無力だ。」
「・・・たしかに、そうですね。」
彼の言葉に私はただ頷くことしかできなかった。
そこから天翁は自分たちがある研究を行っており、その過程で身体の異常をきたしている部分を取り除き、健康なものに作り変えることのできるこの万能薬を開発することができたと私に説明した。
そしてこの万能薬は天翁たち独自の魔術と科学が合わさった産物でありこの国の人間には発明することができないということも付け加えた。
「話は・・・わかりました、資料やデータも説得力のあるものですし、この細胞が万能薬だということを認めます。」
資料や実験のデータも見せられ私はこの奇跡めいた万能薬のことを信じざるを得なくなっていた。
「これを、なぜ私に見せたのですか?」
「そちらをアナタにお譲りしたく、本日お越しいただいたのです。」
天翁の言葉を聞き私は膳の上に置いてある瓶を見つめた。
これがあれば妻の病を治すことが出来る、私の心は希望に満ち溢れた。
しかし私はすぐに天翁が言った言葉を思い出す。
(彼は"譲る"と言った、こんな代物を無条件で譲るなんてことが有り得るのか?)
私はそう思い天翁に尋ねることにした。
「なにか、条件があるのではないですか?」
私の問に彼は腕を組んでなにか言いづらそうにしている。
なにを要求されるのだろうか、金か?それとも化学兵器の作成に協力しろとでも言われるのだろうか。
「条件・・・というものになるのかはわかりませんが、我々の研究チームに開賀博士の力を貸していただきたいのです。」
私の心配をよそに天翁の出してきた条件は彼の研究チームに加わること、要するに引き抜きであった。
私は二つ返事で了承しようとしたが、そもそも彼らはなんの研究をしているのだろうか。
万能薬をまるで副産物のような扱いをする研究とは、私は意を決して聞いてみることにした。
「天翁さん、アナタたちはなんの研究をしているのですか?」
「それは・・・ご了承をいただかないことにはお答えできません。」
天翁がどう答えるか私には半ばわかってはいた、どうやら常軌を逸した研究であることに間違いはなさそうだ。
しかし私にはもう、選択の余地などなかった。
私は意を決して了承の言葉を言おうとするが天翁は手をかざして制止した。
「返事は今夜でなくて結構です、そちらはお近付きの印として差し上げます。元々、貴方の御家族が難病を患ってしまったということを万歳から聞いていましたので提供するつもりだったのです。」
にこやかにそう言って天翁は手を下げて付き人に私の目の前にある瓶を片付けさせた。
「お帰りの際にお渡ししますので御安心ください。堅苦しい話をしてしまい、申し訳ありません、そろそろ食事にしましょう。」
その後は天翁の合図で個室に次々と料理が運ばれ、彼と私は食事を楽しんだ。酒も飲んだ私は天翁の付き人が運転する車で自宅まで送ってもらった。
泥酔した私は瓶を自室の机の上に置き、ネクタイを外してスーツのままベッドに寝転びそのまま眠りにつく。
───── 私の・・・いや、私たちの夢はずっと変わりません。"世界平和"です。
そして真っ暗に溶けていく意識の中で私は食事の席で天翁が言った言葉を思い出していた。
─────
───
─
「よかったのですか?天翁、アレを渡さずともこちら側につかせることもできたのでは?」
進を自宅へと送ったあとの夜道で車を運転しながら天翁の付き人は後部座席にいる天翁に話しかけた、天翁は窓から外を眺めながら付き人の問に答えはじめる。
「開賀家の先代を知っているだろう?」
「・・・開賀 鐘理ですか?」
付き人が口にした人名に天翁は頷く。
「万歳と並ぶ名君だ、開賀家の現当主である彼に対してそのような強引な手段をとってもし彼奴が出てくるようなことがあると面倒だ。そして開賀家は有間と親交がある、良くしておいて損はあるまい。」
「・・・たしかにそうですね。出過ぎたことを申しました、お許しを。」
付き人は一言謝るとそれ以降は車の運転に集中する、天翁の乗る車は夜の闇の中へと消えていった。
大半の人はこれを聞くと決まって次の質問をしてくる。
"なぜ医者ではなく科学者になったのか?"
それに対する私の答えは至ってシンプルだった。
「僕は"妻を治したいだけ"なんでね。」
たしかに人体のこととなれば医者になるのが確実なのだろう、私自身もそう思って数多くの医学書を読み漁り大学も医学部へ進学しようとしていた。
しかし彼女は幼い頃から病院に通っていたにも関わらず虚弱体質が治らず、医者にも治療は難しいと言われていたのだ。となると治す方法は医療とは別のものにあるのでは?そう考えた私は科学者を目指すことにした。そして大学院を卒業すると研究機関に務め、日々研究と実験に明け暮れた。
それから私は彼女とも結婚し、夫として妻を傍で支えた。
人事異動で関東に引っ越した時には親交があった有間家のつてで新居もすぐに決まり、有間家と長門家が主催する"会合"という集まりにも招いてもらえたおかげで見知らぬ土地でも友人ができた。
中でも長門家の当主の息子である玄信さんは私に負けず劣らずの愛妻家ですぐに意気投合した、しかし当時の有間家と長門家は古くからの対立関係にあり有間の当主には世話になっておきながら長門家の人間と仲良くするというのは気が引けるものがあった。
そして妻が息子の千晶を出産し私は父親となった、ちょうどその頃から有間家は道雪さんに、長門家は玄信さんに家督が継がれ、両家の対立関係は解消された。
そして玄信さんとその妻の楓さんがご夫婦で我が家に訪れて来てくれた。
楓さんは私の妻のことを気にかけてくれており良き友人となってくれた、妻も見知らぬ土地で友人ができた事にとても喜んでいた。
私は妻の産後の体調が心配だったが、むしろ以前より元気になっているようで大変驚いた。息子も健康に、そして才能豊かに育ち、会合で友人の子供たちに聞かせると首を傾げるような僕の科学の話も『うんうん』と笑顔で頷いて聞いてくれていた、いつしか私はただ愛する妻や息子と幸せな時間を過ごすようになった。
しかし息子が小学生の頃、妻が重い病にかかってしまう、病床に臥せる妻を目の前にして私は小さい頃から自身が抱いていた使命を思い出し、妻の病と虚弱体質を治す方法を探すために私は研究室にこもった。
家に帰れない日が続き千晶と顔を合わせることもめっきりと減った、千晶に寂しい思いをさせてしまっていることを私はとても申し訳なく思った。
(母さんが治ったら、好きなものを買ってやる。好きな所に連れて行ってやるしキャッチボールもしよう、だから今だけは、今だけは我慢してくれ、千晶・・・!)
当時の私はそんなことを思いながら研究と実験に没頭していた、しかし奇跡などそう易々と起きるはずもなく成果を挙げることは出来なかった。
絶望に暮れていた私の研究室に同僚の青砥が訪れた、彼は私の学生時代からの友人であり関西で共に勤めていた研究所から関東のこの研究所に同じタイミングで異動してきていた。仮眠をとるために電気を消した部屋の中で私が死んだように眠っていたので彼は大層驚いた。
「おわっ!本当に家に帰ってないのか!?」
「あー・・・あぁ、上手くいかなくてね。」
彼のテンションに煩わしさを覚えるほどに私は気が滅入っていた、そんな僕の心境を察したのか青砥は簡潔に用件を言いながら私に1通の封筒を渡してきた。
「受付の子に頼まれてな、お前にコレを渡してくれってさ。」
青砥から渡された封筒を開封し、中を見ると紙が入っていた。
私は丁寧に折りたたまれた紙を取り出して開いて見ると、私を食事に招待したいという内容の手紙でとても丁寧な字と文面で書かれていた。
封筒に入っていた紙は手紙ともう1枚ありそれを見ると待ち合わせ場所である料亭の名前と地図が載っていた。
料亭の名前を見て私は驚いた、テレビでも紹介されているいわゆる大物が通うような高級料亭だ。なぜ私がそんな場所に招待されたのか不思議に思ったが、断ってもろくな事は無さそうだったので行くことにした。
そして青砥がなにか思い出したかのように声をあげた。
「あっ!あと、長門って人からも電話が来たらしくてな、"息子さんは今日もうちで預かってます。"だとさ。」
"まさか"と思い私は机の上に置いてある携帯電話を開く、すると待ち受け画面には玄信さんからの不在着信の通知が表示され、私は心の中で長門さん達に申し訳なく思いながらも感謝した。
「わかった、わざわざすまないね。」
「まぁ、別にいいんだけどさ、たまには息子さんのためにも家に帰ってやれよ。」
そう言い残して青砥は研究室から去っていった、私はひとつ伸びを時計を見ると時刻は16時前頃を差しており、待ち合わせ時間は18時なので私は一旦身なりを整えるために帰宅することにした。
そして指定された時間より少し早く料亭に着き私は受付で名前を名乗りながら待ち合わせで来たことを報せると、店員がにこやかに私を個室の襖の前まで案内し、礼儀良くお辞儀をすると去っていった。
私が緊張しながら個室の襖を開けると和服に身を包み優しげな雰囲気を放つ老人が1人席に座っており茶を啜っていた、個室の隅にはスーツ姿の男が1人何も言わずに座っている。
老人は個室に入ってきた私に気づくとにこやかな笑顔を見せてきた。
「お待ちしておりました。ささ、どうぞそちらへ。」
「は、はい、失礼します。」
私が席に着くと老人は笑顔を浮かべたまま話し始めた。
「本日はお忙しい中、お越しくださりありがとうございます。」
「こちらこそ、お招きいただき、ありがとうございます。」
お互いに挨拶を済ませると老人はおもむろにメニューを開き私は酒を勧められたのでありがたく頂戴することにした。
店員が酒と器を個室に持参し私と老人はお互いの器に酒を注ぎあった、そしてお互いに器を目の高さまで上げると老人が乾杯の音頭をとり2人とも器の中の日本酒をグイッと飲み干した。
(美味い・・・!)
まともな酒などしばらく口にしていない私はその日本酒の味に思わず『くーっ』と小さく声を上げた。
「さて、食事の前に自己紹介を済ませておきましょう。」
言われてみれば私は老人の名前を知らぬままここに来た、手紙にも名前は載っておらず受付でも誰との待ち合わせか尋ねられることもなくすぐ案内された。
「私の名前は・・・そうですね、友人たちからは"天翁"と、呼ばれています。」
不思議そうな表情を浮かべる私に老人は名乗った。"天翁"という名を耳にした瞬間、酒で緩みかけた私の気が一気に引き締まった。
天翁といえばあの有間の御隠居こと、有間 万歳ですら"あの御方"と呼ぶような人物だ。
「はっはっは、その様子では万歳から私のことを聞いてましたか?」
私の緊張が伝わったのか天翁を名乗る老人は声をあげて笑った。
「あぁ、いえ、そんなことは。」
「そう緊張なさらんでください、私と万歳はたまに会っては酒を酌み交わす飲み仲間です。私たちは古くより異形を相手にしてまして、お互いに対策を話し合っているのです。異形の相手が務まる人間はこの国にはそうはいませんから。」
天翁は落ち着いた様子で酒を飲み、付き人であるスーツ姿の男に私の空になった器に酒を注がせた。
異形という存在は開賀家の前の当主である私の父から幾度か聞いた事はある、人間ならざる姿や力を持ち、人を殺めてその肉を食らうと言う。
「まぁ、異形の話はさておき、早速本題に入ってしまいましょう。」
天翁はそう言ってスーツ姿の男に合図をすると、彼の付き人が私の前の膳の上にひとつの小さな瓶を置いた。
瓶の中には透明な液体が入っており、よく見ると液体の中には小さな粒子が舞っている。
瓶の中身を見つめる私に天翁は次のように言った。
「そちらは特殊な製法で精製されたものです、体内に注入することで身体のあらゆる異常を取り除くのです。」
天翁のあまりに突拍子もない言葉に私は驚き戸惑ったが、表情や声色から彼が冗談を言っているとは思えなかった。
「そんな、それじゃまるで───」
「そう、万能薬です。」
彼は少しも言い淀むことなくこの瓶の中身を"万能薬だ"と言い切る、しかし私にはひとつの疑問が浮かんだ。
「人体にかかるリスクなどは・・・?」
おそるおそる問う私に天翁は声をあげて笑った。
「リスクなどあっては"万能薬"とは呼べません。断言しましょう、人体にかかるリスクはありません。これは自信を持って言えることです、なぜならこの身体が被検体だからです。」
天翁は自身の身体を指差しこう言った、彼の衝撃的な言葉を聞き私は思わず声をあげて後ずさった。
「私たちはアナタたち人間よりもだいぶ永い時を生きています。人間の身体は脆く、"衰え"や"病"に対してあまりにも無力だ。」
「・・・たしかに、そうですね。」
彼の言葉に私はただ頷くことしかできなかった。
そこから天翁は自分たちがある研究を行っており、その過程で身体の異常をきたしている部分を取り除き、健康なものに作り変えることのできるこの万能薬を開発することができたと私に説明した。
そしてこの万能薬は天翁たち独自の魔術と科学が合わさった産物でありこの国の人間には発明することができないということも付け加えた。
「話は・・・わかりました、資料やデータも説得力のあるものですし、この細胞が万能薬だということを認めます。」
資料や実験のデータも見せられ私はこの奇跡めいた万能薬のことを信じざるを得なくなっていた。
「これを、なぜ私に見せたのですか?」
「そちらをアナタにお譲りしたく、本日お越しいただいたのです。」
天翁の言葉を聞き私は膳の上に置いてある瓶を見つめた。
これがあれば妻の病を治すことが出来る、私の心は希望に満ち溢れた。
しかし私はすぐに天翁が言った言葉を思い出す。
(彼は"譲る"と言った、こんな代物を無条件で譲るなんてことが有り得るのか?)
私はそう思い天翁に尋ねることにした。
「なにか、条件があるのではないですか?」
私の問に彼は腕を組んでなにか言いづらそうにしている。
なにを要求されるのだろうか、金か?それとも化学兵器の作成に協力しろとでも言われるのだろうか。
「条件・・・というものになるのかはわかりませんが、我々の研究チームに開賀博士の力を貸していただきたいのです。」
私の心配をよそに天翁の出してきた条件は彼の研究チームに加わること、要するに引き抜きであった。
私は二つ返事で了承しようとしたが、そもそも彼らはなんの研究をしているのだろうか。
万能薬をまるで副産物のような扱いをする研究とは、私は意を決して聞いてみることにした。
「天翁さん、アナタたちはなんの研究をしているのですか?」
「それは・・・ご了承をいただかないことにはお答えできません。」
天翁がどう答えるか私には半ばわかってはいた、どうやら常軌を逸した研究であることに間違いはなさそうだ。
しかし私にはもう、選択の余地などなかった。
私は意を決して了承の言葉を言おうとするが天翁は手をかざして制止した。
「返事は今夜でなくて結構です、そちらはお近付きの印として差し上げます。元々、貴方の御家族が難病を患ってしまったということを万歳から聞いていましたので提供するつもりだったのです。」
にこやかにそう言って天翁は手を下げて付き人に私の目の前にある瓶を片付けさせた。
「お帰りの際にお渡ししますので御安心ください。堅苦しい話をしてしまい、申し訳ありません、そろそろ食事にしましょう。」
その後は天翁の合図で個室に次々と料理が運ばれ、彼と私は食事を楽しんだ。酒も飲んだ私は天翁の付き人が運転する車で自宅まで送ってもらった。
泥酔した私は瓶を自室の机の上に置き、ネクタイを外してスーツのままベッドに寝転びそのまま眠りにつく。
───── 私の・・・いや、私たちの夢はずっと変わりません。"世界平和"です。
そして真っ暗に溶けていく意識の中で私は食事の席で天翁が言った言葉を思い出していた。
─────
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「よかったのですか?天翁、アレを渡さずともこちら側につかせることもできたのでは?」
進を自宅へと送ったあとの夜道で車を運転しながら天翁の付き人は後部座席にいる天翁に話しかけた、天翁は窓から外を眺めながら付き人の問に答えはじめる。
「開賀家の先代を知っているだろう?」
「・・・開賀 鐘理ですか?」
付き人が口にした人名に天翁は頷く。
「万歳と並ぶ名君だ、開賀家の現当主である彼に対してそのような強引な手段をとってもし彼奴が出てくるようなことがあると面倒だ。そして開賀家は有間と親交がある、良くしておいて損はあるまい。」
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