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第百六十一話 最後の一日
しおりを挟む部屋から半ば強引に連れだされた俺は、矢鱈とハイテンションな母さんと共に朝食をとると慌ただしく馬車に乗り込む。
「今日は忙しくなるぞ。オークションは残念ながらすでに終わってしまったから……午前中は王都を散策して、昼は庭でバーベキュー。夜は大劇場に『真紅』の劇を観に行くか。いやでも『真紅』はちょっとな。もっと気軽に楽しめるものがいい。あそこはまあ、劇の内容の問題でもあるが変な趣味の奴が多いからな」
どうやら長期休暇に入る前にすでに計画していたことの大半を実行に移すようだ。
馬車に同乗したのはエクレアとイクスムさん、それとあるときを境に不機嫌さを隠さなくなっていたアーリア。
(アーリアめ、今日は母上が一緒だからか大人しいな。それとも少しは機嫌が直ったのか?)
いまだ原因の判明していないアーリアの荒々しく変化した言動。
以前エクレアとイクスムさんはその行動の理由を聞きにいったはずだが、俺には詳細は明かされていない。
どうやらアーリアの事情を鑑みて俺には話さない方がいいと判断したようだった。
……なぜ?
「……今日は……よろしくお願いしますぅ」
ただ、馬車で顔を合わせたアーリアは前とは違い攻撃的な雰囲気は纏っていなかった。
目線を逸しながらも控えめに挨拶してくれる。
その光景を眺めながら口の端を釣り上げる母さん。
(母上なりに気を遣ってくれたということかな。アーリアもさすがに当主の前では無茶はできないしな)
「うん……よろしく、アーリア」
「っ……」
俺の返事にコクリと頷くアーリアはぎこちなくも歩み寄ろうとしてくれているように俺には見えた。
一口に王都の散策といってもどこへいくのか。
連れだされたのは一目で高級なお店とわかる服飾店。
どうやら王都では有名なブランドの一つらしいが……店名がまったく読めない。
なぜか自慢げな母さんがいかにこのブランドが有名か教えてくれたけど、普段からあまり無頓着だった分野だ。
正直覚えられる気がしない。
驚いたことに実は母さんは普段からこのお店に通っている訳ではないらしい。
今日は皆で長期休暇の一日を楽しむ記念日として特別に奮発すると熱く語っていた。
そして、母さんいわくここで今夜劇場に着ていくドレスを選んで欲しいと。
……ちょっと大役すぎないか?
「どうだ? 似合っているか? う~ん、少し派手過ぎるか。でもこの色の美しさは捨てがたい。なあ、クライはどう思う?」
グイグイとドレス片手に詰め寄られるのは妙な迫力がある。
妙に熱心な店員さんの薦めで次々に着替えていく母さん。
楽しそうなのはいいんだが……毎回感想を求められるのは勘弁して欲しい。
どんな回答をすれば正解なのかまったくわからない。
(感想なんて直感でいいんだ。母上はただクライたちと一緒の時を過ごしたいだけなんだよ)
ミストレアはこういうけど、う~ん、本当に?
「兄さん……どうですか?」
ハルレシオさんの誕生日パーティーとはまた違ったドレスを試着してみせてくれるエクレア。
新緑の大樹を思い起こさせる落ち着いた色合いのドレスは、青を基調としたドレスとはまた違った魅力があった。
「似合ってる。青色も綺麗だったけど、その色もエクレアの静かな雰囲気に合っているよ」
「……うん」
率直な感想だったけどエクレアは満足してくれたようだ。
(ほらな。妹様もクライの普段の感覚の感想が欲しいんだ。妙に気負うことはないのさ。こういうのはフィーリングだよ、フィーリング)
ドレス選びは尋常ではなく時間がかかった。
女性の買い物が長いとは以前エクレアたちと出掛けたこともあったから知っていたけど、今回は特に時間がかかった。
(つ、疲れた)
(午前中丸々、いやもうお昼を過ぎて午後になるのか。買い物だけだがやはり良いものを選ぼうと思うと時間がかかるんだな)
ああ、そういえば注文したドレスだが、どうやら丈を詰めたり個人に調節する手直しには時間がかかるものらしい。
受け取りは数日後なので今晩の劇には間に合わない。
一体なんの時間なんだったんだと思わないでもないが……当の母さんが喜んでいるなら良かったのか。
「うん、流石に空腹が限界だな。すぐに屋敷に戻るとしよう。ハイネルがバーベキューの用意を整えてくれる手筈になってる。アイツのことだ。いい食材を集めてきただろう。フフ、期待していいぞ」
意気揚々と宣言する母さん。
どうやら買い物は満喫できたようだ。
機嫌がいいのは母さんだけではない。
馬車を見渡せば普段無表情なエクレアもどことなく嬉しそうなのを隠していないし、仏頂面の多いイクスムさんやあの不機嫌な顔ばかり浮かべていたアーリアですらホクホクとした顔を浮かべている。
(イクスムやアーリアにも好きなものを買うように指示するとは流石クライの母上だな)
イクスムさんはああいうブランドには興味ないと思ったけど違ったようだ。
買っていたのはドレスではなくカバンのようだが、マジックバックにも入れずに両手で抱え込んでいつまでも眺めている。
そんなこんなで屋敷に到着するとすでにハイネルさんによってバーベキューの準備が整っていた。
芝生に並べられたテーブルに所狭しと置かれた食材の数々。
肉に野菜に、保存の難しい魚介類まで。
ちょっと多すぎるのではないかと思うほどの量。
「ほ、本格的ですね」
「ええ、お嬢様のご要望を満たすにはこれ位必要ですから」
ハイネルさんの視線の先にはすでに火起こしの準備の済んだ金属出来た背の高い焜炉が鎮座している。
あれで食材を焼くのか。
「ハイネル、だから子供たちの前でお嬢様呼びはやめろ」
「これはこれは失礼しました」
いつか見た主従のやり取りを見守りつつハイネルさんが食材を次々と調理してくれる。
久々に外で食べる食事。
日光に照らされて自然の空気が漂う中での和気あいあいとした食事は、空腹というスパイスも相まった忘れられない思い出になるほど美味しかった。
時刻は夕方を越え夜。
劇の鑑賞ついでに外での夕食を終え屋敷へと戻ってきた俺たち。
再び正装に身を包み劇場に赴いた訳だが、演劇というのもまた難しい。
鑑賞したのは『真紅』の劇ではなく別のものだが、オペラと呼ばれる演劇で様々な衣装を身に纏った出演者が圧巻の歌唱力とともに劇を披露してくれた。
普段とはまた異なる劇場独特の興奮と感動の嵐は、演劇への理解に乏しい俺でも圧倒されてしまう迫力があった。
そんな一日の終わり。
正装からの着替えも済ませ、疲れ果てあとは眠るだけかと思いきや、母さんから予期せぬ爆弾を落とされることになるとはこのときは思っていなかった。
おやすみの挨拶だけしようと母さんの書斎に顔をだしたのが切欠だった。
「もう今日という日も終わりののか……待ち望んでいたのにいざ終わってみると呆気ないものだな」
大変な一日だった。
楽しくもあり思い出にはなったがかなり疲れていた。
そのため次に母さんが発した言葉にすぐに返事をすることができなかった。
……いや、内容も理解できなかったけど。
「………よし、今日は私が添い寝してあげよう」
「え…………えっ!?」
脳が処理しきれなかった。
そ、添い寝。
母さんが?
添い寝なんて父さんにもしてもらった覚えないぞ。
いやいや、それ以前になんでそんなことを?
「なんだ、嫌なのか?」
「いや、嫌というか添い寝だなんて」
「いいじゃないか、私たちは親子だぞ。一緒のベットで眠るくらい普通のことだ」
ふ、普通?
でも俺くらいの年では普通一人で眠るのでは?
渋る俺に対して母さんは一つの手を打ってくる。
俺も忘れかけていた事実。
「ふむ、ならそうだな。……イクスムから聞いたぞ。お前たちのために渡しておいた金貨五万枚、友のためとはいえ勝手に使おうとしたそうだな」
「う、それは……」
痛いところを突かれた。
ニールのためとはいえ母さんにはあとで謝ればいいと安易に考えたツケがこんなところで襲ってくるとは。
当たり前だが交渉が上手い。
(不利な状況だ。……これは諦めた方がいいんじゃないか?)
(な、ミストレア。裏切るのか)
いつまでも返事をしない俺に落ち込んだ表情の母さんが尋ねる。
「……どうしても嫌か?」
「どうしてもって……それは……」
一緒に眠る?
恥ずかしさの方が勝っていた。
父さんにもしてもらった記憶のない添い寝。
それをいままで亡くなったと思っていた母さんにしてもらう。
そんな恥ずかしいこと……。
「そうか……クライが嫌なら……諦めるとしよう。すまないな、忘れてくれ。私の……気の迷いだ」
一抹の寂しさを浮かべ提案をなかったことにしようとする母さんに俺は……。
初めて入った母さんの寝室。
俺の部屋とは違う品のいい装飾品に、薄暗くも優しい照明。
空間全体にはどことなくいい匂いが漂っている。
どうやら部屋の隅になにかの香りを発する香料が置いてあるらしい。
そこから深く眠りに入れるような落ち着く香りが漂っている。
なのに。
(お、落ち着かない)
「フフ、子守唄でも歌ってあげようか? それとも絵本がいいかな?」
眠る前だというのにテンションの高い母さん。
なぜだ。
それでも俺は疲れ果てていたのだろう。
ベットに横になるなりすぐに睡魔が襲ってきた。
瞼が重く、だんだんと意識が薄らいでいく。
母さんが掛け布団をめくりそっと隣に寝転んだのだけが意識の片隅にあった。
うつらうつらとする意識。
不意に温かい手が頭を撫でる。
「……こうやってお前を撫でてやりたかった。側で成長を見守りたかった」
「……」
「許してくれ、クライ。愚かな母さんを許して」
か細い声だった。
夜の闇に消えてしまいそうな力ない弱々しい囁き。
俺は王都にきて母さんの事情を聞いた時点で心に巣食うモヤが晴れていた。
でも、母さんの中では終わっていなかった。
離れ離れに暮らしていたことをずっと後悔したままだった。
気持ちの奥底に後悔を抱いたままだった。
意識のなくなるそのときまで撫でる手の感触は消えなかった。
大切なものを慈しむような温かい手。
ふと雨が降ったかのように頬に濡れ落ちる雫。
閉じた瞳の先の母さんはどんな表情をしていたのか。
微睡みの中にいる俺にそれを知る手段はなかった。
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