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 意識が唐突に浮上した。わずかに体を動かしただけで全身に痛みが走り、シャナは思わず小さく悲鳴を漏らしてしまった。

(私……どうしたのかしら)

 ぼうっとしていると、誰かに話しかけられた。

「あ、気づきましたね。ここは救護院ですよ」
 首をわずかに傾け横を見ると女性が微笑んでいる。 

「貴方は運が良かったですよ。捻挫と打ち身と擦り傷だけで済んだなんて。神のご加護の賜物でしょう」

 自分の身分を証明する私物はなかったと思うのに、服装だけで自分の所属がわかるというのは楽だ。自分が修道女の身なりをしてるということから教会に問い合わせ、自分が誰かが判明したという。
 馬車にはねられたということ、命には別条はないがしばらくは安静でいることは言い渡された。

「セントルイス修道院の方には連絡をしておきました。こちらでしばらくの間、ご静養ください」

 見れば自分の服装なども違うものに取り換えられている。救護院からの支給にしては随分と高価そうなものだ。
 いったい誰からのものだろうと考えていれば、いきなりドアが開いた。


「シャナ!」

 ベッドの上のシャナは首を傾げる。相手の男性に見覚えがまるでない。しかし相手は自分のことを知っているようであるが、人間違いだろう。

 


「……どちらさまでしょう?」
「何を言ってるんだ。俺だよ、フィンセントだよ! そりゃ確かに君は俺を憎んでいるとは思うが……」

 知らないと言われた男の人はどこか動揺したような顔をしている。
 シャナは当惑しながらも、相手の顔を見つめる。

「申し訳ありません、本当にお坊ちゃまと私はお会いしたことがないのですが」
「おぼっちゃま!?」
「私は、平民ですし……」

 シャナはおろおろしながら、フィンセントと名のった相手を見つめる。

 シャナ、とは誰のことだろう。自分はシスター見習いのセシリアだというのに。

 あれ、そういえば自分はどうやってセントルイス修道院に入ったのだったかしら。
 でも、修道院という安定した場所でずっと幸せに過ごしているのだから、貴族の男性と知り合うチャンスもないはずだし、きっと、この記憶は正しいはず。

「私はセシリアと申します。セントルイス修道院で幼き時からずっと過ごしておりました」

 きっぱりと言い切ったシャナに、フィンセントは医者の方を振り向いた。

「事故で頭を打って、彼女の記憶に問題とかないか?」
「それはないと思われます。自分の名前、所属、住所などの記憶に欠落がないですから」

 医師が困惑したように言っているが、実際、それらに問題はなかった。

 しかし、記憶というものはあいまいなもので、家族のようにその人をよく知る周囲の人間がいることで、記憶が欠落しているかどうかが判明するのだ。
 生活に困らない記憶が抜け落ちてしまった場合、その人しか知らないような記憶がなくなってしまった場合、それを補償できる人はいない。
 シャナが困らない記憶……それは貴族令嬢として育っていた事実そのものだ。
 現在、修道女見習いとして暮らしているのだから、過去は必要ない。
 しかも本人の想像力、創造力で矛盾を補ってしまったら、記憶喪失だということが判明しなくなってしまう。
 シャナの場合は、セシリアという名前を与えられ修道院で平穏で安定した生活を送っていた後付けの記憶があったため、過去の記憶も補填してしまい「自分の人生は修道女としてずっとこのままだったのだろう」という記憶が作られてしまったのだ。

「なら、他人の空似なのか……」

 医者の言葉を信じてしまったフィンセントは、じっとベッドの上のシャナを見つめる。

「そうか、君はセシリアというのか……そうだな、シャナが俺の前で平然としているわけもないだろうしな」
 
 セシリアとして修道女として過ごしてきた間にシャナは随分と面差しも変わっていた。 
 髪型1つでも女性の印象は相当代わる。化粧っ気なく、手も奉仕活動でぼろぼろになり、ドレスではなく簡素な修道服をまとったシャナは、彼女をよく知るフィンセントが見ても同一人物とは思えない。

 ましてや今までとは違う素朴な笑みを浮かべるシャナを他人と認識するのは当然だっただろう。


「それにしてもよく似ている。目の色も髪の色までもが瓜二つだ」

 まじまじとシャナ……いや、セシリアを見つめるフィンセントに、恥じらいをもって頬を染め、そして気づいて頭を下げた。

「私は助けていただいたのでしょうか。ありがとうございます」 
 
「いや、すまない……俺の婚約者が乗っていた馬車が暴走して、君をはねたときいた。それが俺の知る人とよく似ていたと聞いて、ここに来たんだが……別人だったというだけだ。もちろんゆっくりと静養してくれ。ここはラルド侯爵家が支払うから」
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