国一番のカタブツ閣下(四十路)は、陽だまりの庭で不器用な初恋を知る

冬苑

文字の大きさ
14 / 47

第14話:繋がれた手

しおりを挟む
 あの日、東屋で固く抱きしめ合ってから、二人の世界は、静かに変わった。

 春は、まるで生まれ変わったかのようだった。
 庭の木々はより青々と、花々はより鮮やかに見える。

 朝、鳥の声で目覚めるたびに、胸いっぱいに広がる幸福感。
 夜になれば、愛しい人に会える。

 その事実が、春のすべてを輝かせていた。
 仕事中もつい口元が緩んでしまい、一人で顔を赤らめることもしばしばだった。

 一方、清純の日常は、表面上は何も変わらなかった。
 法務局長の顔は相変わらず厳格で、怜悧。

 だがその内面では、四十二年間の人生で経験したことのない、穏やかな革命が起きていた。

 これまで彼の心を占めていたのは、法と秩序、そして責務だけだった。
 だが今はその中心に、陽だまりのような笑顔を持つ一人の少年がいる。
 その存在が、乾ききっていたはずの清純の心に、温かな血を通わせ生きる意味を与えてくれている。

 柄にもなく、夜の逢瀬を心待ちにしている自分に気づくたび、清純は誰にも見られぬよう、そっとため息をつくのだった。

 そして、その夜。
 約束の東屋で、二人は再会した。

 どちらからともなく互いの姿を認め、そして、ぴたりと動きを止める。
 これまでとは違う。
 不安や遠慮からくる気まずさではない。
 想いが通じ合ったからこその、どうしようもない照れと初々しい戸惑いが、二人の間に流れていた。

「……局長さま」
「……ああ」

 先に口を開いた春に清純は短く応えると、己の隣、ほんのわずかな隙間を、ぽんと軽く叩いてみせた。ここに座れ、という無言の合図。
 春は頬を染めながら、ちょこんとその隣に腰を下ろす。
 以前よりも、ずっと近い距離。

 春が差し出した湯呑みを、清純が受け取る。
 その時、指先がほんの少しだけ、いつもよりも長く触れ合った。
 たったそれだけのことに、二人の心臓が同時に、とくん、と大きく跳ねる。

 しばらく、言葉のない時間が流れた。
 だがその沈黙は、幸せな予感に満ちていた。

「……手は、どうだ」

 沈黙を破ったのは、清純だった。
「え?」
「いや……その、庭仕事で、荒れているだろうと」
 清純は、視線を合わせないまま、ぶっきらぼうに言う。

「だ、大丈夫です! 以前いただいた軟膏のおかげで、あかぎれも、ささくれも治りました!」
 春は両手を裏表に返して清純の前に掲げた。

「よく効いたようだな。また追加を用意しておこう」
「……局長さま……」
 春は夢うつつのように、清純を見つめる。
 自分のことを見てくれている。
 その事実が、春の胸を温かいもので満たしていった。

 また、静寂が戻る。
 月が二人を優しく照らしていた。

 清純は何かを決心したように、ゆっくりと、ためらいがちに、その大きな手を伸ばした。
 そして、春が膝の上に置いていた小さな手を、そっと、包み込むように握った。

「……!」
 春の肩が、びくりと跳ねる。

 春の、土いじりで少し硬くなった小さな手を、清純の筆だこがあるごつごつとした大きな手が、まるごと包み込んでいる。
 伝わってくる、確かな体温。

 清純は何も言わない。
 ただ繋いだ手に少しだけ力を込め、じっと前方の庭を見つめている。

 それが、彼の答えの全てだった。
 君を離さない。言葉よりも雄弁に、その手の温もりがそう語っていた。

 嬉しくて、愛おしくて、春は泣きそうになるのをぐっと堪えた。
 勇気を出し、自分の体をそっと預けるように、清純の広い肩に、こてん、と頭をもたせかけた。

 清純の体が一瞬、硬直する。だが、春を拒むことはなかった。
 ただ、繋いだ手にさらに強く力がこもる。

 それ以上の触れ合いも、口付けも、ない。
 月明かりの下、肩を寄せ合い、固く手を繋いでいる。
 それだけで二人は、世界の誰よりも幸福だった。

 こうして、ゆっくりと、一つずつ。
 不器用な二人の恋は、麗らかな温もりを伴って、その一歩目をようやく踏み出したのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オメガはオメガらしく生きろなんて耐えられない

子犬一 はぁて
BL
「オメガはオメガらしく生きろ」 家を追われオメガ寮で育ったΩは、見合いの席で名家の年上αに身請けされる。 無骨だが優しく、Ωとしてではなく一人の人間として扱ってくれる彼に初めて恋をした。 しかし幸せな日々は突然終わり、二人は別れることになる。 5年後、雪の夜。彼と再会する。 「もう離さない」 再び抱きしめられたら、僕はもうこの人の傍にいることが自分の幸せなんだと気づいた。 彼は温かい手のひらを持つ人だった。 身分差×年上アルファ×溺愛再会BL短編。

孤独なオメガは、龍になる。

二月こまじ
BL
 【本編完結済み】 中華風異世界オメガバース。  孤独なオメガが、オリエンタルファンタジーの世界で俺様皇帝のペットになる話です。(SMではありません) 【あらすじ】  唯一の肉親祖父にに先立たれ、隠れオメガとして生きてきた葵はある日祖父の遺言を目にする──。  遺言通りの行動を起こし、目が覚めるとそこは自分を青龍と崇める世界だった。  だが王のフェイロンだけは、葵に対して悪感情を持っているようで──?  勿論全てフィクションで実際の人物などにモデルもおりません。ご了承ください。 ※表紙絵は紅様に依頼して描いて頂きました。Twitter:紅様@xdkzw48

白金の花嫁は将軍の希望の花

葉咲透織
BL
義妹の身代わりでボルカノ王国に嫁ぐことになったレイナール。女好きのボルカノ王は、男である彼を受け入れず、そのまま若き将軍・ジョシュアに下げ渡す。彼の屋敷で過ごすうちに、ジョシュアに惹かれていくレイナールには、ある秘密があった。 ※個人ブログにも投稿済みです。

氷の支配者と偽りのベータ。過労で倒れたら冷徹上司(銀狼)に拾われ、極上の溺愛生活が始まりました。

水凪しおん
BL
オメガであることを隠し、メガバンクで身を粉にして働く、水瀬湊。 ※この作品には、性的描写の表現が含まれています。18歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。 過労と理不尽な扱いで、心身ともに限界を迎えた夜、彼を救ったのは、冷徹で知られる超エリートα、橘蓮だった。 「君はもう、頑張らなくていい」 ――それは、運命の番との出会い。 圧倒的な庇護と、独占欲に戸惑いながらも、湊の凍てついた心は、次第に溶かされていく。 理不尽な会社への華麗なる逆転劇と、極上に甘いオメガバース・オフィスラブ!

【完結】名前のない皇后 −記憶を失ったSubオメガはもう一度愛を知る−

社菘
BL
息子を産んで3年。 瀕死の状態で見つかったエリアスは、それ以前の記憶をすっかり失っていた。 自分の名前も覚えていなかったが唯一所持品のハンカチに刺繍されていた名前を名乗り、森の中にひっそりと存在する地図上から消された村で医師として働く人間と竜の混血種。 ある日、診療所に運ばれてきた重病人との出会いがエリアスの止まっていた時を動かすことになる。 「――お前が俺の元から逃げたからだ、エリアス!」 「本当に、本当になにも覚えていないんだっ!」 「ととさま、かかさまをいじめちゃメッ!」 破滅を歩む純白竜の皇帝《Domアルファ》× 記憶がない混血竜《Subオメガ》 「俺の皇后……」 ――前の俺?それとも、今の俺? 俺は一体、何者なのだろうか? ※オメガバース、ドムサブユニバース特殊設定あり(かなり好き勝手に詳細設定をしています) ※本作では第二性→オメガバース、第三性(稀)→ドムサブユニバース、二つをまとめてSubオメガ、などの総称にしています ※作中のセリフで「〈〉」この中のセリフはコマンドになります。読みやすいよう、コマンドは英語表記ではなく、本作では言葉として表記しています ※性的な描写がある話数に*をつけています ✧毎日7時40分+17時40分に更新予定✧ ✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧

巣ごもりオメガは後宮にひそむ【続編完結】

晦リリ@9/10『死に戻りの神子~』発売
BL
後宮で幼馴染でもあるラナ姫の護衛をしているミシュアルは、つがいがいないのに、すでに契約がすんでいる体であるという判定を受けたオメガ。 発情期はあるものの、つがいが誰なのか、いつつがいの契約がなされたのかは本人もわからない。 そんななか、気になる匂いの落とし物を後宮で拾うようになる。 第9回BL小説大賞にて奨励賞受賞→書籍化しました。ありがとうございます。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

処理中です...