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第18話:医師の教え
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遡ること数日前。
その日清純は、法務局長としての職務をいつもより早く終えると、お忍びで都のはずれにある古びた診療所を訪れていた。
主の名は、朔也。近所の子どもたちからは「さくじい先生」と呼ばれている。清純も幼き頃より、その一族の体を診てきた老医師である。清純が、己の心身に関わる悩みを全て打ち明けられる唯一の相手だった。
「ほう。局長殿が、ご自分からお越しとは。珍しいこともあるものじゃ」
薬草をすり潰していた手を止め、朔也医師は皺の刻まれた顔に人の良い笑みを浮かべた。
「して、お体の具合でも? いや……顔色は、近頃になく良い。まるで、心の憂いが晴れたような顔をしておる」
老医師の鋭い見立てに、清純は、ぐっと言葉に詰まった。
用件を切り出す前に、すでに心の内を見透かされているかのようだ。
「……朔也医師。今日は一つ、教えを請いに参った」
清純は居住まいを正し、固い声で言った。
「……医学的な、問いだ」
その尋常ならざる様子に、朔也は「ふむ」と一つ頷くと、すり鉢を置いて向き直った。
「申してみなさい」
「……その」
いざとなると言葉が出てこない。
法廷でいかなる罪人相手にも臆したことのない口が、今は乾いた唇を湿すばかりだ。
清純は意を決し、絞り出すように言った。
「……男同士の、交わりについて、お聞きしたい」
しん、と。診療所に、静寂が落ちる。
清純は、床板の目を見つめたまま、続けた。
その声は、自分でも分かるほど震えていた。
「……相手は、まだ若く、きゃしゃな体つきだ。……その者を、いささかも傷つけたくはない。……体に、過度な負担をかけることなく、受け入れさせるには、どうすれば……。必要な、準備というものは、あるのか。……後の、手当は」
一気に言い切ると、清純は己の顔に、ぶわりと血が上るのを感じた。
四十を過ぎた男が、まるで初めて恋を知った童子のようにうろたえている。
その様があまりに滑稽で、情けなかった。
だが朔也医師は、笑わなかった。
静かに、そしてどこか慈しむような眼差しで、清純を見つめていた。
「……なるほど。そういうことでしたか」
老医師は、穏やかに言った。
「局長殿。あなたが誰かをそこまで深く、大切に想われる日が来たのですね。……わしは、嬉しい」
そして朔也は、まるで医学の講義でもするように、淡々と、しかし丁寧に、清純が知りたいと思っていた知識を一つずつ授けていった。
体を清めること。
滑りを良くするための、上質な油のこと。
決して、焦ってはならぬこと。
何よりも、相手の心を解きほぐし、体を委ねたいと思わせる深い信頼関係が不可欠であること。
清純はその一言一句を、まるで法の条文でも覚えるかのように真剣に、食い入るように聞いた。
話が終わると朔也医師は立ち上がり、薬棚から二つの小さな陶器の壺を取り出した。
「こちらは、肌を滑らかにし、痛みを和らげるためのもの。そしてこちらは、事が終わった後、炎症を鎮めるための軟膏(なんこう)。……どちらも、上等な薬草から作った、特別な品です」
清純はその二つの壺を、まるで神仏から下賜された宝物のように恭しく受け取った。
この小さな壺が、愛しい人を守る。ずしりと、命にも等しい重さを感じた。
「……恩に着る」
深々と頭を下げる清純に、朔也医師は優しく微笑んだ。
「局長殿。何よりも一番の薬は、あなたの、そのお相手を思う優しい心ですぞ。……そのお方を、大切になさい」
診療所を後にした清純の足取りは、ふわふわと覚束なかった。
懐で二つの壺が、ずしりとした存在感を放っている。
知識を得て、準備も整えた。
それなのに心臓は、これまでになく大きく、そして頼りなげに鳴り響いていた。
「春……」
夜空を見上げ、愛しい人の名を呟く。
君を世界で一番、優しく抱きたい。
そのただ一つの願いを胸に、清純は約束の夜に向けて、静かな決意を固めるのだった。
その日清純は、法務局長としての職務をいつもより早く終えると、お忍びで都のはずれにある古びた診療所を訪れていた。
主の名は、朔也。近所の子どもたちからは「さくじい先生」と呼ばれている。清純も幼き頃より、その一族の体を診てきた老医師である。清純が、己の心身に関わる悩みを全て打ち明けられる唯一の相手だった。
「ほう。局長殿が、ご自分からお越しとは。珍しいこともあるものじゃ」
薬草をすり潰していた手を止め、朔也医師は皺の刻まれた顔に人の良い笑みを浮かべた。
「して、お体の具合でも? いや……顔色は、近頃になく良い。まるで、心の憂いが晴れたような顔をしておる」
老医師の鋭い見立てに、清純は、ぐっと言葉に詰まった。
用件を切り出す前に、すでに心の内を見透かされているかのようだ。
「……朔也医師。今日は一つ、教えを請いに参った」
清純は居住まいを正し、固い声で言った。
「……医学的な、問いだ」
その尋常ならざる様子に、朔也は「ふむ」と一つ頷くと、すり鉢を置いて向き直った。
「申してみなさい」
「……その」
いざとなると言葉が出てこない。
法廷でいかなる罪人相手にも臆したことのない口が、今は乾いた唇を湿すばかりだ。
清純は意を決し、絞り出すように言った。
「……男同士の、交わりについて、お聞きしたい」
しん、と。診療所に、静寂が落ちる。
清純は、床板の目を見つめたまま、続けた。
その声は、自分でも分かるほど震えていた。
「……相手は、まだ若く、きゃしゃな体つきだ。……その者を、いささかも傷つけたくはない。……体に、過度な負担をかけることなく、受け入れさせるには、どうすれば……。必要な、準備というものは、あるのか。……後の、手当は」
一気に言い切ると、清純は己の顔に、ぶわりと血が上るのを感じた。
四十を過ぎた男が、まるで初めて恋を知った童子のようにうろたえている。
その様があまりに滑稽で、情けなかった。
だが朔也医師は、笑わなかった。
静かに、そしてどこか慈しむような眼差しで、清純を見つめていた。
「……なるほど。そういうことでしたか」
老医師は、穏やかに言った。
「局長殿。あなたが誰かをそこまで深く、大切に想われる日が来たのですね。……わしは、嬉しい」
そして朔也は、まるで医学の講義でもするように、淡々と、しかし丁寧に、清純が知りたいと思っていた知識を一つずつ授けていった。
体を清めること。
滑りを良くするための、上質な油のこと。
決して、焦ってはならぬこと。
何よりも、相手の心を解きほぐし、体を委ねたいと思わせる深い信頼関係が不可欠であること。
清純はその一言一句を、まるで法の条文でも覚えるかのように真剣に、食い入るように聞いた。
話が終わると朔也医師は立ち上がり、薬棚から二つの小さな陶器の壺を取り出した。
「こちらは、肌を滑らかにし、痛みを和らげるためのもの。そしてこちらは、事が終わった後、炎症を鎮めるための軟膏(なんこう)。……どちらも、上等な薬草から作った、特別な品です」
清純はその二つの壺を、まるで神仏から下賜された宝物のように恭しく受け取った。
この小さな壺が、愛しい人を守る。ずしりと、命にも等しい重さを感じた。
「……恩に着る」
深々と頭を下げる清純に、朔也医師は優しく微笑んだ。
「局長殿。何よりも一番の薬は、あなたの、そのお相手を思う優しい心ですぞ。……そのお方を、大切になさい」
診療所を後にした清純の足取りは、ふわふわと覚束なかった。
懐で二つの壺が、ずしりとした存在感を放っている。
知識を得て、準備も整えた。
それなのに心臓は、これまでになく大きく、そして頼りなげに鳴り響いていた。
「春……」
夜空を見上げ、愛しい人の名を呟く。
君を世界で一番、優しく抱きたい。
そのただ一つの願いを胸に、清純は約束の夜に向けて、静かな決意を固めるのだった。
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