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第31話:鉄壁
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法務局長、鷹司清純は、敵の多い男だった。
清純の、法の下の平等をあまりにまっすぐに貫くその姿勢は、多くの不正を正してきた一方で、既得権益を奪われた者たちの深い恨みを買ってもいた。
先日の武田官吏の一件で清純を貶めようとした勢力は、まだ、諦めてはいなかった。
「あの、氷の男にも、ようやく、弱点ができたらしい」
「異国の血を引く、年若い庭師だと?」
「そうだ。今や、屋敷に住まわせ、昼夜、そばに置いているとか。……『年若い愛人を囲っている』。これほどの醜聞はない。証拠さえ掴めば、鷹司を失脚させることも叶いましょう」
密偵はすぐに、清純の屋敷へと放たれた。
昼夜を問わず屋敷を見張らせ、二人のただならぬ関係の証拠を一つでも、掴むために。
だが、密偵が主に報告したのは、まったく要領を得ない、不可解な事実ばかりだった。
ある日の昼下がり。
清純は珍しく庁舎へは向かわず、屋敷の書斎で仕事をしていた。
一方、件の庭師は黙々と、庭の草むしりをしている。
密偵は固唾をのんで見守っていた。
やがて清純が、書斎から縁側へと姿を見せた。
休憩か。
庭師のそばを、通りかかる。
ここで言葉を交わすか、あるいは一瞬でも、情のこもった視線を交わすのか。
しかし。
二人は互いに一瞥すらくれなかった。
清純は、ただ庭の景色を眺めて一息つくと、すぐに書斎へと戻っていく。
庭師もまた、主の存在などまるで意に介していないかのように、その手元の雑草と向き合い続けている。
まるで、空気。
互いが互いを、空気のように扱っている。
密偵は拍子抜けし、首を捻るしかなかった。
また、ある日。
昼間から、二人が連れ立って屋敷から出てきた。
これぞ、逢瀬に違いない。
密偵は胸を高鳴らせ、その跡を追った。
だが二人が向かった先は、茶屋でも芝居小屋でもない。
都の種や苗、農具などを商う、雑多な市場だった。
「局長さま、秋咲きの桔梗は、こちらの紫と、白、どちらが、お好みですか」
「……君の感性に任せる。白を基調に、紫を差し色に使うと落ち着くかもしれんな」
聞こえてくるのは、そんな実務的な会話ばかり。
庭師は、店主と専門的な言葉を交わしながら、手際よく土や肥料や球根などを、吟味していく。
その姿は、色香を売る愛人などでは到底ない。
主人に深く信頼された、腕利きの職人の、それだった。
密偵のいらだちは、募る。
食事も、庭師は決して主の膳に同席しない。
使用人たちに混じり、厨の近くで、質素なものをうまそうに食べている。
それどころか、庭仕事が早く終わった日には、他の侍女たちと一緒に、楽しそうに屋敷の掃除までしている始末。
数日後、密偵は依頼主の元へ、すごすごと戻った。
「……どうであった」
その報告は、歯切れの悪いものだった。
「庭師の少年……あれは愛人などでは、ございません。むしろ、有能すぎるほどの使用人にございます」
「……何?」
「朝から晩まで、実によく働きます。主への態度は敬意に満ち、しかし決して媚びることがない。屋敷の者たちも、皆、彼に一目置いております。……正直に申し上げて、あの庭師が屋敷に来てから、法務局長の屋敷は以前にも増して、秩序正しく清らかになったようにさえ、見受けられます。……あそこに醜聞など、生まれる余地はございません」
依頼主は苦虫を噛み潰したような顔で、沈黙した。
彼らには到底、理解できなかったのだ。
昼間は、主と有能な使用人として、互いを完璧に尊重し合う。
その鉄壁の規律と秩序ある日常こそが、二人だけの夜の時間を、何よりも強固に守る盾となっていることを。
その気高い、愛の形を。
清純の、法の下の平等をあまりにまっすぐに貫くその姿勢は、多くの不正を正してきた一方で、既得権益を奪われた者たちの深い恨みを買ってもいた。
先日の武田官吏の一件で清純を貶めようとした勢力は、まだ、諦めてはいなかった。
「あの、氷の男にも、ようやく、弱点ができたらしい」
「異国の血を引く、年若い庭師だと?」
「そうだ。今や、屋敷に住まわせ、昼夜、そばに置いているとか。……『年若い愛人を囲っている』。これほどの醜聞はない。証拠さえ掴めば、鷹司を失脚させることも叶いましょう」
密偵はすぐに、清純の屋敷へと放たれた。
昼夜を問わず屋敷を見張らせ、二人のただならぬ関係の証拠を一つでも、掴むために。
だが、密偵が主に報告したのは、まったく要領を得ない、不可解な事実ばかりだった。
ある日の昼下がり。
清純は珍しく庁舎へは向かわず、屋敷の書斎で仕事をしていた。
一方、件の庭師は黙々と、庭の草むしりをしている。
密偵は固唾をのんで見守っていた。
やがて清純が、書斎から縁側へと姿を見せた。
休憩か。
庭師のそばを、通りかかる。
ここで言葉を交わすか、あるいは一瞬でも、情のこもった視線を交わすのか。
しかし。
二人は互いに一瞥すらくれなかった。
清純は、ただ庭の景色を眺めて一息つくと、すぐに書斎へと戻っていく。
庭師もまた、主の存在などまるで意に介していないかのように、その手元の雑草と向き合い続けている。
まるで、空気。
互いが互いを、空気のように扱っている。
密偵は拍子抜けし、首を捻るしかなかった。
また、ある日。
昼間から、二人が連れ立って屋敷から出てきた。
これぞ、逢瀬に違いない。
密偵は胸を高鳴らせ、その跡を追った。
だが二人が向かった先は、茶屋でも芝居小屋でもない。
都の種や苗、農具などを商う、雑多な市場だった。
「局長さま、秋咲きの桔梗は、こちらの紫と、白、どちらが、お好みですか」
「……君の感性に任せる。白を基調に、紫を差し色に使うと落ち着くかもしれんな」
聞こえてくるのは、そんな実務的な会話ばかり。
庭師は、店主と専門的な言葉を交わしながら、手際よく土や肥料や球根などを、吟味していく。
その姿は、色香を売る愛人などでは到底ない。
主人に深く信頼された、腕利きの職人の、それだった。
密偵のいらだちは、募る。
食事も、庭師は決して主の膳に同席しない。
使用人たちに混じり、厨の近くで、質素なものをうまそうに食べている。
それどころか、庭仕事が早く終わった日には、他の侍女たちと一緒に、楽しそうに屋敷の掃除までしている始末。
数日後、密偵は依頼主の元へ、すごすごと戻った。
「……どうであった」
その報告は、歯切れの悪いものだった。
「庭師の少年……あれは愛人などでは、ございません。むしろ、有能すぎるほどの使用人にございます」
「……何?」
「朝から晩まで、実によく働きます。主への態度は敬意に満ち、しかし決して媚びることがない。屋敷の者たちも、皆、彼に一目置いております。……正直に申し上げて、あの庭師が屋敷に来てから、法務局長の屋敷は以前にも増して、秩序正しく清らかになったようにさえ、見受けられます。……あそこに醜聞など、生まれる余地はございません」
依頼主は苦虫を噛み潰したような顔で、沈黙した。
彼らには到底、理解できなかったのだ。
昼間は、主と有能な使用人として、互いを完璧に尊重し合う。
その鉄壁の規律と秩序ある日常こそが、二人だけの夜の時間を、何よりも強固に守る盾となっていることを。
その気高い、愛の形を。
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