渇望の覇王が寵愛したのは、平凡な少年でした

冬苑

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第26話 里帰り

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 数日後。
 覇王の執務室には、重い沈黙が流れていた。
 レグルスは玉座に座ったまま、ヴィクトルの報告を無言で聞いていた。

「――以上が、現時点での調査結果です」
.
 ヴィクトルの報告は、以下のものだった。
 孤児院のある村は、邪教の手に落ちていた。
 その邪教は、リントが発見した毒草の幻覚作用を利用し、人々の心を掌握する邪悪な集団であること。
 村の不作は、食料を育てるべき畑のほとんどが、その違法な毒草の栽培に置き換えられてしまっていたためである。

 そして、病で孤児たちが次々と命を落としているというのは偽り。
 その実態は、邪教が裏で行う、大規模な人身売買の隠れ蓑だった。

 さらに、その邪教の背後に、ある貴族の影があることも掴んでいた。
 かつてレグルスと玉座を争い、敗れた後継者候補の一人。
 人身売買や違法な毒草の密売で軍資金を貯め、打倒レグルスを狙っているのは、明白だった。

「先日、クラヴィス様の件があったばかり。この時機に、これほどあからさまな動きを見せるのも、逆に不自然ではありますが」
 ヴィクトルが、冷静に分析を付け加える。

 レグルスは、組んでいた指を解くと、低い声で呟いた。
「メアリージュは、長らく病に伏せっていたはずだな……」

 メアリージュ。それは、先王の長女の名。
 生来の病弱であったこともあり、レグルスの台頭によって早々に後継者争いの戦線から離脱し、辺境の領地で、静かに療養しているはずであった。

「はい。メアリージュ様ご本人が、というよりは、彼女を盾に、あるいは生贄にしようと企む者がいる可能性も。または……確かメアリージュ様には、成人されたばかりのご子息がいらっしゃいました。そのご子息様を、新たな旗頭として担ぎ上げようとする勢力の仕業やもしれません」
「……その周辺も、徹底的に探れ」
「承知いたしました」

 ヴィクトルが、音もなく執務室を退出していく。
 一人きりになった、わずかな時間。
 レグルスは玉座の背もたれに深く体を預けると、ゆっくりと天井を仰いだ。
 その顔には、深い疲労と、苦悩の色が浮かんでいる。

「ナハト……お前、なのか……?」

 覇王ではない、ただのレグルスとしての苦悩。
 正義感の強かったかつての友を思い浮かべながら、レグルスは信じがたい現実を、ただひとり噛み締めていた。



「遠出、ですか」
「ああ」

 その日の夕餉。
 相変わらず黙々と料理を口に運んでいたレグルスの口からリントが聞いたのは、件の孤児院がある村へ、レグルス自らが向かう、という話だった。

「支援増額が必要な実情を、この目で確認する必要がある。それに、一度くらいは『里帰り』でもしてやろうかと思うてな」

 珍しく、覇王の口から軽口めいた言葉が出る。
 だがその内実は、村と、友を名乗る男の身辺を、王自ら調査するための危険な遠征である。

「里帰りかぁ……」
 リントは、ちらりとレグルスの面持ちを見る。
 幼少期を過ごした村へ出向き、幼馴染に再び会いに行くというのに、その横顔は、ちっとも嬉しそうには見えなかった。

「あの……」
 気づけば、リントは口を開いていた。
「ぼくも一緒に行っては、だめですか……?」

「……」
 それまで無感動に動いていたレグルスのフォークが、ぴたり、と止まった。
 猛禽の瞳が、「なぜだ」と言いたげに、リントをまっすぐに見据える。

 威圧感に、リントは一度言葉に詰まった。
 しかし、勇気を振り絞って、その視線を受け止め返した。

「レグルス様の、育った村や孤児院を……見てみたい、です」
「……」

 レグルスは虚を突かれたように、わずかに目を見開いた。
 彼の金の瞳が驚きから、複雑な感情の色へと揺らぐ。
 しばしの沈黙の後、王は深く、静かな息を吐いた。

「楽しい旅には、ならぬぞ」
 その声は、脅すようでもあり、試すようでもあった。
「邪魔は、しませんから……!」
 リントが、まっすぐに頷き返す。

 レグルスは、もう一度、短く息を吐くと、諦めたように言った。
「……好きにしろ――いや、お前を連れた方が好都合かもしれん。あとはそうだな……村の畑の調査でもしてもらうとするか」
「はい!」
 許しを得られたことに、リントの顔が、ぱっと輝いた。
 覇王は、どこか居心地が悪そうに、そっと視線を逸らすのだった。



 レグルスは、ヴィクトルをはじめとする十数名の屈強な護衛だけを伴い、王都を発った。
 王族であることを悟られぬよう、一行はきらびやかな軍装ではなく、質実剛健な革鎧に色褪せた旅の外套を羽織っている。馬も王家の紋章が入ったものではなく、戦場で鍛えられた、たくましい軍馬だった。

 その中の一頭、ひときわ大きな黒馬の鞍に、リントの小さな体が乗せられていた。
 背後には、まるで絶対的な守護者のように、レグルスが座している。
 リントの体をすっぽりと腕の中に囲い込む形で、その大きな手が手綱を握っていた。

 背中に感じる王の硬い胸板と、体温。
 今のリントにとって、そこは世界で一番安全な場所だった。

 一行は丸一日馬を飛ばし、やがて目的の村が見渡せる小高い丘の上で、馬を止めた。

「あの村が、レグルス様が育ったところ……」
 リントの呟きに、王は答えなかった。

 丘から見える村は、寂れていた。
 家々の屋根はところどころ崩れ、畑は手入れがされず、雑草が生い茂っている。
 村の中心には、かつて教会だったのだろう石造りの立派な建物が見えた。
 あれが、孤児院に違いない。

 だが、リントが見たかった、子供たちが元気に走り回る姿はどこにもなかった。
 村全体がまるで重い病に罹っているかのように、空気が淀み、活気がまったく感じられない。

「ここは……」
 リントは、息を呑んだ。
 自分が育った村も、孤児院も、貧しかった。けれど、温かさがあった。
 痩せた土地でも村人たちが懸命に育てた作物は、いつも生命力に満ちた美しい実りを生み出していた。

 だけど、この村は違う。
 生命の輝きそのものが、失われている。

「レグルス様……」
 不安が募り、リントは首を捻って背後にある王の顔を見上げた。
 ぐっと唇を引き結んだ、いつもの厳しい覇王の顔がそこにある。
 
 しかしその金の瞳に故郷を懐かしむ色はなく、深い悲しみと静かな怒りを宿した、暗い翳りが落ちていた。
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