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人間そう簡単に死なないと、誰が言ったのか。

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「人間そう簡単に死なない」

 そう言ったのは誰だったのだろうか。有名な政治家だろうか。死を研究する科学者だろうか。はたまた、誰も言っていないのだろうか。
 
 僕の行き先に、猫がいた。僕が白玉と名前をつけた白猫だった。猫もまた、僕の行き先と同じ道を歩いた。追いついて独り言のように呟いた。
「君もいくんだね」
「にゃぁ」
「一緒にいこう」
 僕と猫は歩幅を合わせて歩いた。僕の左側には海が広がり、右側には家が連なっていた。海岸沿いの美しい住宅街。
 津波が来たら、一瞬で消えてしまう場所。
 
 僕は足をすすめた。
 猫は僕の足元で丸まっている。ここは僕と白玉が初めて会った山の麓にある公園。ベンチで座る僕のそばでただ甘える猫が白玉だった。
「きっとここへ来るのも最後かもしれないね」
「くわぁぁぁぁお」
「大きなあくびだ。呑気な白玉」
 ベンチに座る僕の背中には時間をかけて作られてきた山が広がる。公園には滑り台やブランコ、砂場がある。楽しく遊ぶ子供も沢山いた。
 土砂が崩れたら、何もかもが下敷きになってしまう場所。

 またまた足をすすめた。
 猫は僕の足元で凛々しく座っている。非常に頭のいい猫だ。きっと渡ったら危ないと言うことを理解しているのだろう。
「信号機を設置するのに四〇〇~五〇〇万円のお金がかかるんだって」
「にゃぁ」
「安全第一って考えも、もう古いのかもしれないね」
 反対側の道路に手を上げている男の子がいる。車は止まる気配がない。ここは信号のない横断歩道。僕が進むと一台の赤い車が止まった。それを気に対向車も止まる。男の子はその隙に渡った。
 譲り合いがなければ、車と人の悲鳴が聞こえる場所。

 休まず足をすすめた。
 猫も休まず足をすすめている。
 猫が止まるから、僕も止まる。本当は止まる理由のない場所だったけど、猫には思い入れがあるらしい。
「よくここに来てくれてたよね、白い花を持って」
 猫は僕をじっと見据える。
「そんなに見つめられたら照れるよ」 
 ここでは一日に何人の人間が亡くなっていくのだろうか。何人の人間が自分の死を待つのだろうか。
 何人の人間が「人間はそう簡単に死なない」と言う言葉を遺したのだろうか。
 何人の病人が「人間はそう簡単に死なない」と、この先もある人々を励まそうとしたのだろうか。
 気がついたら今日が最後かもしれないと、考える人たちの場所。

「いこうか」
「にゃ」

 「人間はそう簡単に死なない」と誰が言ったのだろうか。何の根拠を持ってそんなことを言ったのだろうか。
 人間がそう簡単に死なないなら、猫はどうだろうか。同じ生き物として、猫もそう簡単に死なないのではないだろうか。犬は、鳥は、ウサギは、カエルは、そう簡単に死なないのだろうか。

 僕は、犬が簡単に死んでしまうことを知っている。
 僕の隣の家の犬は散歩中に飼い主が気づかぬ内に袋を飲み込んで窒息して死んでしまった。
 僕は、ウサギが簡単に死んでしまうことを知っている。
 小学校の頃に学校で飼っていたウサギはどこからか迷い込んで餌に付着したウイルスに感染して翌日には大半が死んでしまった。
 僕は、カエルが簡単に死んでしまうことを知っている。
 雨の日には轢かれたカエルが沢山いるのを幼い頃から散々見てきた。
 僕は、猫が簡単に死んでしまうことを知っている。
 白玉は、僕に花を持ってくる途中、あの信号のない横断歩道のそばで車に轢かれて死んでしまった。それを知ったのは翌日で、僕の母は白玉を家の庭に埋めることを提案してくれた。もちろん僕は賛成した。白玉のお墓には白い花を植えてもらった。

 猫も犬もウサギもカエルも、人間も、みんな同じ生き物なのだ。尊い命が簡単に死んでしまうことを知りながら、どうして人間だけがそう簡単に死なないと言えたのだろうか。
 
 なぜ僕は、そう言えたのだろうか。

「あの子は、本当に本当にいい子で。病気になってからも明るく振る舞うばかりで…人間はそう簡単に死なないからと…」
 お母さん。
「あの子が成長する姿を見れないのが残念です。皆さま、ご参列いただきありがとうございます」
 お父さん。

「死んじゃってごめんなさい」

 葬儀は家で開かれた。もうお分かりだろう。これは僕の葬式だ。
 人間はそう簡単に死なないから。
 そう言っていたのは僕だ。何の根拠もなく僕は死なないと言い張っていた。僕は「人間そう簡単に死なない」と本気でそう思っていたのだ。
 だって僕が入院してた理由は、ステージ1の癌だったから。
 早期発見でことなきを得た。手術も成功に終わって、あとは退院を待つばかりだった。白玉もお見舞いに来てくれて、また遊ぼうと約束をしていた。そんな矢先に白玉が死んで、悲しみに暮れていた。僕が死ぬことを考えず、ただ白玉の死だけが頭を渦巻いていた。
 母から白玉を無事に埋葬したと聞いて安心した。早く治してお墓に手を合わせに行くんだと、そう思っていた。
 死因は注射剤のアナフィラキシーショックだった。
 寝てる間に死んでしまったのだ。予期せぬ事態で誰もが戸惑った。もちろん僕もだ。気がついたら死んでしまっていたので、手の施しようがない。
 いずれ成仏するならと葬儀が始まるまでの間、思い出の場所を回ることにした。あの横断歩道で止まった赤い車の運転手はきっと霊感があって、霊体の僕が見えたのだと思う。
 
 僕は、世界中の人々に言いたい。

 「人間はそう簡単に死ぬ」のだと。

 僕が癌ではなくアレルギーで死んだように、白玉が轢かれて死んだように、犬が誤飲で死んだように、ウサギがウイルスで死んだように、カエルが潰されて死んだように「生き物はそう簡単に死んでしまう」のだと。
 たかが風邪でも死んでしまう。
 夜道に一人で歩いていても死んでしまう。
 お酒を一気飲みしても死んでしまう。
 そう言う可能性があるのを忘れてはいけないと僕は思った。
「じゃあ、逝こうか」
「にゃん」
「お別れも、言えなかったなぁ…」

 生きることを侮ってしまっては大切な人にお別れも言えないんだと後悔ばかりが残る中、僕は煙と共に空へ登る。白玉も一緒に火葬する予定だったから、きっとそばにいてくれたのだろう。

 最後にもう一度言わせてほしい。

「人間はそう簡単に死ぬ」のだ。

 それを知った上で、君の生き方を僕空から見守ろうと思う。
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