剣戟rock'n'roll

久保田

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TURN1 世界を滅ぼす者

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「『幸運』のペネペローペよ、前へ!」

「はっ」

 ペネペローペが初めて足を踏み入れた魔王城は、貧しかった。
 豪奢な調度品もなく、絵画や彫刻の一つもない。
 だが、ドラゴンすら入れるほどに広く、それだけだった。
 宮中儀礼として魔王を直接、見ないように中腰になり、視線を床に落としているが、そこにあるのは毛の短い絨毯だ。
 天鵞絨、というには色が淡く半端過ぎる色合いで、人間達ならちょっとした貴族でも使う事はない代物でしかない。
 小走りで二十歩ほど進み、安っぽい絨毯の上にペネペローペは跪いた。
 魔王の間と呼ばれる広間の中ほどに進んだペネペローペは、気付かれないように気配だけを捉える。
 真っ直ぐ正面に怖気を震うほどの巨大な気配、これが魔王。
 少し下った左右に、魔王ほどではないにしても自分よりかなり大きな気配が三つ。
 残りは大した事のない有象無象であり、力が同格程度なら知恵と、何より幸運に守られている自分に勝てる高位の魔物はいない、とペネペローペは思った。
 三つの大きな気配も、立ち回り次第では勝ち目がある、とも思う。

「『幸運』のペネペローペ、汝は此度の戦で一番槍を―――」

 ペネペローペは新参者だ。
 部族の勇敢なオークを根こそぎ連れてきたとはいえ、まだまだ中の下の位だろう。
 この論功行賞も呼ばれた順番は、五十二番目と遅くもないが早くもない。

―――だが、この戦功を梃子に、俺はのし上がってみせる。

 戦上手という評判は得たはずだった。
 敵中突破し、魔王に敗れた勇者一行まで届いたのは、ペネペローペだけ。
 あと一歩で逃がしたが魔王が出来なかった以上、傷にはならない。
 その事でペネペローペを責めれば、魔王を責める事と同義だからだ。
 魔王軍という聞こえはいいが雑多な寄せ集め集団には、魔王という絶対者が必要なのは誰もがわかっている。
 魔王の権威を進んで落とそうとする者は、それ以上に敵対者への攻撃材料を与える事になってしまうのだ。
 そして、ペネペローペが自らの幸運を噛み締めている時だった。

「飽きた」

 ぼそっとした呟きだったが、不思議とよく通る声だと、ペネペローペは思った。
 子供が退屈な大人の集まりに混ざっていしまったかのような、何かの冗談ではなく、ただ純粋に飽きたのだと一発でわかる声だ。

「ま、魔王様、今は論功行賞の途中でして!?」

 慌てふためく甲高い声は、堅き者ゴナンと自称する種族であり、宰相のザリニ=ガか。
 巨大な甲殻類の魔物であり、八本の肢と四本の手、飛び出た複眼と、泥を啜るのに適した刷毛のような口で、堅き者と呼ぶのは本人達以外にはほとんどいない。
 泥を舐めるように啜る生態は、他の種族から侮りを受けやすく、泥啜りと呼ばれていた。
 ザリニ=ガが宰相として権力を握っているとはいえ、その基盤は安定はしていない。
 どんな施策をしても所詮は泥啜りよ、と冷めた目で見られ、本人も気の弱い性格で押しが弱いとの評判だ。

「なあ、ザリニ=ガ。 俺様がそんな事を知らないと思ったのか?」

「いえ、滅相もございません! た、ただ!」

「ただ、なんだ?」

 だが、ペネペローペは感心していた。
 気が弱いどころか、膨れ上がる魔王の重圧を前にして、口が聞けるだけで大したものだ。
 余波だけで、いつもペネペローペに絡んでくるコボルトのサンサンの膝が、がくがくと震えているというのに。

「戦功に報いる事により、魔王様への忠誠を新たにしようという誓いをですな」

 ザリニ=ガの常識論は、口を挟む余地はない。
 だが魔王は言った。

「いらねえよ、そんなもん」

「はっ、今なんと?」

 ザリニ=ガの言葉は、ペネペローペの想いそのものだった。
 忠誠の対価に報奨を与えるのが王の義務であり、下の者の忠誠を受け取らないという事は、すなわち王としての義務を果たす気がないという事ではないか。
 そんな驚きのあまり、ペネペローペは礼儀を忘れ、顔を上げていた。

「いらねえって言ってんだよ。 誰が俺様に忠誠なんぞ誓うって話よな」

 傲岸不遜を絵に描いたような不敵な笑みを浮かべ、魔王は屹立していた。

「結局の所、お前らクソ共が俺様に求めてるのは、調停者って役割なわけだ」

 言葉には出来ないが、それは間違いない。
 呪いがかかった魔王領は、どうしようもなく貧しかった。
 食う物が無ければ余所を襲い、腹を満たす。
 それが上手く行っているうちはいいが、やりすぎれば周りから反発を受けて叩き潰される。
 だが、そこに魔王という調停者がいれば、戦う事なく交渉や援助が受けられ、更に増えすぎてしまった部族の者を口減らしに人間との戦争に送り込む事も出来、もしも勝てば略奪品を持ち帰れる可能性すらあった。
 下手をすれば魔物の間で争っている時代より、人間との戦争をしている時代の方が豊かですらある。
 それが常に出来ないのは、魔王という旗頭がいないからだ。
 もし、ペネペローペが先頭に立ち、人間と戦おうと号令をかけても、誰もついて来ない。
 誰も真剣に人間を倒そうという気概を持ってはいないのだ、ペネペローペ以外は。
 そして、自分以外で初めて見つけた同士は、魔王だった。

「でもよぉ、それじゃあ勝てねえんだよ」

 重圧が、増した。
 いっそ上に誰かが乗っている、と言われても信じてしまいそうな物理的ですらある、魔王の重圧がペネペローペの背にずしりと乗る。

「クソと思っていた人間どもは、半端じゃねえ。 俺様は奴らを尊敬してやる」

「ぐっ……」

 奥歯を噛み締めていなければ、意識が持っていかれそうだった。
 どさり、どさりと魔物達が次々に倒れていく。
 だが初めての同士を前に、情けない所を晒す真似は出来ない。

「俺様は勝ちたくなっちまったんだ、あいつらに」

 魔王が何をこだわっているのかは、わからない。
 勇者との戦いは、魔王が勝利したはずだ。
 しかし、魔王の重圧には熱すら感じるほどの意志が乗っている。
 今にも踊り出したくなるような鼓動、楽しくて楽しくて仕方ないと叫ぶような響き。
 そんな勢いのまま、魔王はこの場にいる全ての魔物を殴り倒しにかかっている。

「だから四人だ」

 負けてたまるか、とペネペローペは舌を思いっきり噛み切った。
 口の中で勢いよく溢れる血は、ペネペローペの頭を覚醒させてくれる。

「気合い入った四人を、頭にしてやる」

 ペネペローペにして死すら感じる重圧は、すでに弱い魔物の精神を殺している。
 ただの気配で魔物全てを平伏させる力は、言葉にすらならない。

「『水』のザリニ=ガ」

「はっ……!」

 泥啜りに先を越された、と思った。
 自分でも思ってもみなかったほど、屈辱を感じた。

「『炎』のアンジェリカ・ゴッドスピード」

「はぁい」

 軽やかに応える声は、猫族のものだ。
 人間に猫の耳を付け、裸体に毛を生やしたような姿は人間の間では奴隷として人気が高い。
 しかし、死人すら出る重圧の中で、けろりとした表情を浮かべる彼女が、弱者であるはずがなかった。

「『風』のフリードリヒ」

「応っ!」

 空を駆けるウインドドラゴンと、岩のように堅いロックドラゴンのハーフとして有名な彼は、ロックドラゴンとしては一回り小さい。
 身体よりも巨大な羽を持つウインドドラゴンと比べれば、その半分ほどの羽もないだろう。
 しかし、飛べないはずのロックドラゴンが飛び、岩よりも堅い鱗を持つウインドドラゴンとして見れば、多少の遅さは問題にならない。
 彼がただ真っ直ぐ飛ぶだけで、止められる者は滅多にいないと確信出来る。

「くそっ……!」

 そんな事よりもペネペローペは、噴き出す熱量を押さえ切れなかった。

―――何故、俺を見ない!

 同士だった。
 一方的だが初めて会った同士だった。
 その共感を無視され、踏みにじらた気分だ。
 ペネペローペのプライドをあえて傷付けるように、魔王は辺りをゆっくりと見渡す。

「なんてこった、これだけの数がいるのに、俺様が思い出せる奴がいねえとは」

 まだ何人か立っている魔物はいるが、魔王の前に心を折られて口も聞けない有り様だ。

「おでが、いる」

 噛み千切った舌から溢れる血潮が喉に絡み付き、ペネペローペの声を必死になって直したオーク訛りに似たくぐもった喋りにしていた。

「おでが、いる!」

 だが、そんな事を気にする余裕はなく、自分よりも上位の魔物がいる中で、ペネペローペは立ち上がる
 重圧に耐えていただけで、己の身がやせ細ったような思いをしながら、

「おでが、ごごにいる!」

 ペネペローペは三度、叫んだ。

「はっ、いいぜ、お前」

 ペネペローペの怒りを籠めた視線を、魔王は鼻で笑った。
 横にいたザリニ=ガは慌てふためき、今から膝を付けと身振り手振りで伝えてくるが、ペネペローペは逆に胸を張ってみせる。

「お前は今日から『地』のペネペローペだ。 いいな?」

「お言葉ですが」

 安物の絨毯に血を吐いてやれば、喉がすっきりて通った。

「俺は『幸運』のペネペローペでありたいと思います」

「な、なんて事を抜かすんだ、お前は!?」

「カカカカカカカ!」

 愉快げに魔王は笑い、ザリニ=ガは泡を吹く。
 ペネペローペはただ視線を逸らさない事だけを考えていた。
 力では負けても、男として負けたつもりはない。

「いいぜ、『幸運』の。 今日からてめえらが魔王軍四天王だ」

 火、水、風、幸運と随分と締まらない四天王になってしまった。
 しかし、『幸運』の二つ名を捨てる事は、ペネペローペには出来ない。

―――シャルロットよ、俺はここまで来た。

 これからだ。

「さあ、世界を滅ぼそうじゃねえか!」

 四者四様の返事、誰もが考える事は違うだろう。
 しかし、それでもペネペローペは、確かに前に進んだのを感じた。
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