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chapter. end or start / 終わりから始まる物語
しおりを挟む―まるで処刑台のよう。
白亜の螺旋階段の先にある踊り場を見上げながらアンテリーゼは琥珀色の瞳を憂気に伏せた。
美しく細やかに結い上げられた亜麻茶色の髪の毛に散りばめられた、星の煌めきのような真珠の髪留めがシャンデリアの光を受けて柔らかく輝く。
この日のために用意をした濃紺の飾り気の少ないシンプルで上品なドレスがまるで騎士の甲冑のようだと、アンテリーゼは自虐的に笑った。
肌の露出が少ないデザインだが、婚約者から送られた首飾りを生かすため、デコルテ部分には肌が微かに透けて見える程度の繊細なレースの布地があしらわれている。歩くたび虹の雫のような宝石の煌めきが拡散し、踊るような光を肌に反射する。
両家のみの取り交わしではなく、公に正式に婚約をしていることを示すため貴族の子女は婚約式を行うのが通例だ。社交の場においても、重要な意味を持つ婚約という関係性を内外に示すために行われる儀礼での一つである。
婚姻式がごく身内に限られた神聖な宣誓の場であるため、質素に済ませるのが一般的だ。
一方で、その前段階の婚約式は権威性の誇示のため大々的に行うのが通例だ。つまりどれほどの財を尽くして婚約式が行われたのかで財力を示し、招待に応じた貴族の質や量により、今後の社交界での位置が定まると言っても過言ではない。
時間をかけて丁寧かつ入念に時間とお金をかけて準備された神聖な壇上への道を一歩一歩上りながら、心臓が極度の緊張による拍動で痛むのを感じつつ、それでも必死に優雅さを取り繕って足をすすめる。そんな自分をどこか冷めた意識で観察しながら、アンテリーゼは処刑台のようだと感じた自分の感情をふと反芻してみた。
まあ、でも確かに。
ひとつ前の人生ではまさにこの場所で絶命したのだから、処刑台と感じても別におかしなことではないのかもしれない。
心の中で自問自答を繰り返していると、とん、と何か柔らかいものが背中に触れた。
「アンテリーゼ」
不安を帯びた声が背中にかかる。
視線だけ動かして声の正体を探れば、婚約式の立会人として半歩後ろを歩いていた友人のエヴァンゼリンが指先を所在なく彷徨わせながら翡翠色の瞳を向けていた。
「大丈夫ですわ、エヴァンゼリン。すべて、うまくいきます」
本音の自分の笑顔を頼りなく彼女に見せながら、自分に言い聞かせるようにドレスをきつく握りこんだ。
そう。きっと今度こそ大丈夫。
右の白い手袋の下で母が婚約の贈り物として譲ってくれた、先祖代々の指輪が存在を主張する。
「大丈夫ですわ、エヴァンゼリン。だって、わたくし。一人じゃありませんもの」
アンテリーゼは一度だけゆっくりと目を伏せると、愁いを払った瞳をまっすぐに一点に注ぐ。すでに壇上にたどり着いた白い礼服姿の婚約者へ。
エヴァンゼリンは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにいつもの柔和な笑顔に戻り、後は何も言わずアンテリーゼを静かに促した。
思い返せば、晴れやかな日々だった。
アンテリーゼは階段を上る速度を少し早めながら、求婚を受けてからの日々や、ここ数日の急激な出来事について思い返していた。
両家の間で正式な婚約が決まってからいくつかのあわただしい公的な手続きを終え、半年を経てようやく、8度目の今日を迎える。
親族や親しい友人家族を含め、この場には総勢120人ほどの人がいるだろうか。
見渡せば婚姻法により王家に準ずる高位貴族の立会人の姿も列席者の中に見られる。
そう。この婚約は法により守られた契約なのだ。
螺旋階段の踊り場にようやく到達したアンテリーゼは、婚約者の後方の回廊にひと際異彩な存在感を放つ美女を目にとめた。祝いの場だというのに漆黒の扇を手にし、葡萄酒色の仕立の良いドレスに身を包む深紅の瞳の女性だ。そしてその傍らには、柔和な表情で談笑をしている淡い金髪の青年がいる。
美女はアンテリーゼを認めると瞳を細め、緩やかに唇の端を上げた。アンテリーゼは恭しく儀礼的に優雅に首を垂れる。そして顔を上げて婚約者の近くへと歩を進めた。
踊り場からは小さくない会場の全体が見渡せ、歴代の王太子の婚約式も行われるという格式高い場所であるというのも納得だ。整えられた調度品や丁寧に磨かれ管理されている飴色の調度品、壁に掛けられた大小の絵画一つ一つが豪奢な額縁に入れられ、埃一つなく輝きを放っている。
視線を階下のホール中央部分にやれば、同窓の生徒と楽しそうに会話をしている薄桃のドレスに身を纏った少女がいた。彼女はこちらの視線に気づきもせず、朗らかに談笑を続けている。
アンテリーゼはすぐに視線を移動させると右前列に両親の姿を見つけた。ゆったりと柔らかくほほ笑む母の瞳を目にして、一瞬喉の奥が引くつく。目頭が熱くなるのを必死で押しとどめ、気を引き締めて婚約者の隣に立ち並ぶ。
「きれいだよ」
柔和な表情を浮かべて褒めそやす婚約者の青色の瞳に、アンテリーゼはまるで聞こえなかったように小首を傾げた。
「それはどなたに向けた言葉ですの?」
「えっ」
戸惑いと動揺をにじませた光が一瞬だけマルセルの瞳に浮かび、濁った水のように沈殿した。
アンテリーゼはそれを見逃さず、まるでそれが最後。一本だけ彼に残された極細の生命線のように感じながら、断ち切るために大鉈をふるう覚悟を決めた。
「アンテリーゼ」
動揺をうまく隠しながらにこやかに笑みさえ浮かべて婚約式の手順に則って恭しく足元に跪くマルセルに一瞥もくれもせず、アンテリーゼは決意に満ちた瞳を会場の人々に向け、一歩バルコニーの縁に向けて歩を進めた。
婚約式の手順を無視した異例の行動に、会場がさざ波のように騒めく。
アンテリーゼが視線を再び婚約者側の回廊に向けると、「社交界の黒薔薇」と称される深紅の瞳の絶世の美貌の主が深紅の唇を面映ゆそうに動かした。
―やっておしまい。
アンテリーゼは応じるように視線を彼女から外し、階下のホールの一点を静かに見据えた。
そこには目が合うなり朗らかな笑顔を一瞬で引きつらせた少女がいた。
瞳に薄く恐怖を走らせて。
逃がすものか。
アンテリーゼは社交界の黒薔薇である友人を脳内で思い浮かべながら、悠然と微笑し、厳かに唇を開いた。
「わたくし、アンテリーゼ・フォン・マトヴァイユはマルセル・イル・テ・メルツァー卿との婚約を破棄し、ここに彼を…婚姻法第7条1項に抵触した罪で、彼とその関係にあった相手セレーネ・ユドヴェルド男爵令嬢を弾劾致します!」
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